第三章
西畑三月は、一度恋人と心中したことがある。
相手は和田慎也という同級生の男だった。
彼は愛され病という病気の患者で、それをいいことに女を騙しているような女たらしだった。
そのため西畑は、愛され病の人を見ると会話ができないのだ。過去のトラウマを思い出すから。
自分はあの男と、川へ飛び込んだ。しかし自分だけが生き残り、彼だけ死んだ。
しかもそれは今年の話で、和田慎也はついこの前死んだのだ。8月だった。見た目も悪くない彼を見て、西畑はすぐに恋に落ちた。たくさんの女性にアプローチされる中、和田は西畑を恋人として選んでくれたのだ。
彼はかなり強引な男で、西畑に何度も身体を求めた。西畑はそれを拒んだ。そして言ってしまったのだ。
『貴方と関係を持つくらいなら、死んだ方がましです』
そう言ったとき、後悔が襲った。
彼は「なら共に死のう」と言い出し、西畑を川へ投げ捨てた。そして後から自分も飛び込んだ。
スイミングスクールに通っていて、足は遅いものの泳ぐことはできる西畑だけが生き残った。
みんな騙されていたのだ。だからきっとみんな自分に称賛の声を浴びせるだろう。
そう思っていたのに。
みんな生き残った西畑を除け者にした。
『貴方が和田くんとの関係を拒まなければ、和田くんは死ななかったのに』
『アンタが悪いのよ』
『貴方はどうして自分だけ被害者ヅラしているんですか』
相坂名波、阿部希空、野口まなみの3人が、自分を恨んでいたグループのトップだった。
その時、ちょうど自分の幼馴染である永瀬太陽が徳島に引っ越してきた。彼は自分に恋愛感情こそむけてこなかったが、彼だけが自分の心の拠り所だった。
全部を打ち明けた。その時彼は驚きもせず、ただ和田が愛され病だったということにしか言及してこなかった。彼も自分を助けてはくれなかった。
そして運悪く、自分は奈々原一華にまで愛されてしまった。
彼は自分をしつこくストーカーしてきた。彼から彼が愛され病の患者だと聞かされた時は、残念で仕方なかった。
彼ともまともな恋ができないのかと。
『僕の血、抜いてくれますか?』
彼がこう言った時は驚いた。
血を抜くなんて恐ろしくて出来そうにない。自分は人殺しと同然のことをしたのに。
彼は執拗に自分を守ろうとしてきた。そんな彼の行動に少しだけ安心してしまっていた。
ただの愛が重い人だったらな。何度こう願っただろうか。
正直自分は一華のことが好きだった。しかし好きの裏にいつも恐怖は隠れていた。
だから、自分の感情を愛とは呼べなかった。
結局彼から逃げているだけ。何も出来ていない。
そしてそのまま、クリスマスを迎えてしまった。
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《でしたら、公園のツリーのところで待ち合わせしましょう》
一華は西畑にメッセージを打ち込んだ。送るまでに何度も、変なところがないか見返す。
震える手で送信ボタンを押した。
すぐに既読はつき、西畑からはいつも通りのアニメキャラのスタンプが送られてきた。「OK」と言っているスタンプである。
一華は微笑んだ。
「あ、一華ちゃんもしかしてデート行くん?」
兄の一乃がスマホの中をのぞいてきた。一華は急いでスマホを伏せると、顔を赤くして
「違うって!永瀬くんも来るもん!!」
と叫んだ。それを見て一乃は笑っている。
「よかったな、いい友達が出来て」
少しだけ嬉しそうな表情で、横に座っている一華の頭を兄の一城が撫でた。思わず一華は「へへっ」と笑う。微笑ましそうに一也は弟たちの戯れる姿を眺めていた。
そして一華は急いで靴を履く。いつも通りの学ランに、ピンクの髪、眼帯、そしてポケットの中にカッターナイフという装いで一華は出かけた。カッターは今日のために買ったようなものだし欠かせない。
このピンクの髪の毛は二乃前さんが決めてくれたもの。
自分には何の色が似合うだろうかと問いかけたとき、彼女は真っ先にピンクと答えた。そして彼女には内緒のドッキリで髪の色を染めたのだ。あの頃の無邪気な自分にもう一度会いたい。学校も髪染めを禁止していなかったので、この髪色に罪悪感はなかったし、かなり気に入っていた。
スタスタとローファーを鳴らして歩く。そしてクリスマス一色に染まった大通りを抜け、大きな公園へ出た。公園には巨大で綺麗なクリスマスツリーが設置されている。
その麓で、二人の男女が話をしていた。
西畑と永瀬である。
西畑はクールな黒いコートを着ていて、寒さに凍えないよう手袋をしていた。永瀬は身長が高いので、大きめのロングコートを着ている。茶色いコートがあれほど似合う男もそうそういないだろう。
永瀬はこちらの姿に気づくと笑顔で手を振った。西畑も軽く手を振っている。
「永瀬くん!西畑さん!!」
一華も笑顔で彼らに近づいた。
今日は12月25日。一華の誕生日まであと一日という日だった。つまり、一華は長くても明日までしか生きられない。むしろよくここまで生きた方だ。
永瀬がこちらに視線で何か訴えてくる。
ふと前を向くの西畑が恥ずかしそうにこちらを見ていた。その顔を見て思わず自分も恥ずかしくなる。
好きなら言えよ、最期だろ。ってことか。
「ちょ俺トイレ行ってくる」
永瀬は公衆トイレへ駆け込んでいった。今の間に……ということか。なるほど気の利く男だ。
「西畑さん」
一華はゆっくり彼女の名前を呼んだ。彼女は顔を赤くして白い息を吐きながら一華を見ている。
「僕は貴方を愛しています」
彼女はうんうんと頷く。
「最期の時には、僕の血、抜いてくれますか?」
一瞬だけ彼女は真顔になった。しかしすぐに満面の笑みを浮かべて一華へ駆け寄った。
「うん!最期の時にはね!!」
ドスっと鈍い音が響いた。
そっと自分の左胸に視線を移す。
自分の左胸に刺さったサバイバルナイフ。
ぐちゃっと一捻りされると、一華は口から血を吐いた。周りにいた通行人が悲鳴をあげる。
彼女−西畑は、一華の左胸から素早くサバイバルナイフを抜き取る。それと同時に一華の胸から血が飛び散る。
真っ白な雪たちが、真っ赤に染まっていった。
トイレから帰ってきた永瀬が、急いで一華へ駆け寄った。
「奈々原!!」
彼は必死に一華の身体を揺すった。しかし彼から返事はこない。
一華は血を吐きながら、ふと奇妙な笑みを浮かべた。
最期の一華は、永瀬の瞳の中で静かに微笑んでいた。
永瀬は絶望に満ちた顔で、西畑の顔を見上げる。そこにいたのは見たこともないほど醜い顔で、高い声で、童話に出てくる魔女のように笑う西畑。
彼女は高笑いしながら自分の腕にナイフを突き立てた。鮮やかな鮮血が、しゃがみ込む永瀬の顔にべったりと張り付く。
彼女の笑い声はただの文字の羅列で、何を言っているのか聞き取れない。
永瀬の黒髪に、西畑の血がビチャビチャと浴びせられる。
永瀬はもう何をしているのかわからなくなった。
愛され病とは恐ろしい。
もう愛なんてこの世にないんじゃないかと永瀬は天を仰いだ。
神はいる。神はいるから、こんなに不幸なことになるのだ。
永瀬はただただ、警察が来るまで吐き出すように声を張り上げて泣いた。永瀬の心はみるみるうちに呪われていった。凍りつくように、脈打つように、心臓が可動していて心が痛い。
永瀬は愛されたいと思うことすら出来なくなった。
冷たい空気だけが、現実を物語っている。




