第二章
一華はあることに気づいた。
もしかしたら自分へアプローチしてくる女性はみんな、西畑のことが好きなのかもしれない。
急にそんな気がしてきた。
「……………」
誰かに盗られたくはない。絶対に。
(やはり彼女は僕が守らなくてはならない存在ですね)
◇◆◇
「奈々原くん?」
帰り道に突然知らない女子生徒に声をかけられた。スラリと身長の高い女子生徒だ。
「私は相坂名波。二年三組よ」
少し気の強そうなタイプの女子生徒だ。今までこのようなタイプの女子生徒にはかなりアプローチを食らってきたが、こういうタイプはろくな人がいない気がする。
「僕は西畑さんを愛しています、さようなら」
笑って返すと、相坂先輩は一華を不思議そうな目で見つめた。
「あなた、本当に西畑さんが好きなのね」
「愛してます」
「そう、他にも魅力のある女性はいくらでもいるのに?」
彼女の言葉に一華は口を噤んだ。確かにそうだ。魅力のある女性はどこにだっていないわけはない。
恋は毒と同じ。
それに蝕まれた人間は、盲目になる。
自分は死ぬまで二乃前さんを愛し続ける。そう決めたのに……。
人に愛されることはこんなに辛いのか。
だから諦めることにした。二乃前さんじゃなくていい。似た人でも、全くの別人でもいいから、自分に本当の愛を教えて欲しい。
「そうですね、貴方は確かに魅力的です。しかし貴方は二乃前さんとは違う」
相坂先輩は確かに美しく、頭の良さそうな素敵な人だ。しかし自分には彼女とはまた別のものを求めてる。
そうだ目だ。
二乃前さんに似た目……雰囲気。全てが揃えばそれでいい。
一華は編入生にして人気者にのし上がった。一軍男子として振る舞っている。何かと流行の勉強もしたので、男子を笑わせることもできるし、女子トークに混じることもできる。
部活にも所属せず、ほぼニートなのだが、一華はそれでいいと思っている。それがいい。
ふとスマホを覗く。昨日こっそり西畑のカバンに仕込ませたGPSは知らない場所を指している。全く知らない、一軒家だ。
「……………」
誰かに盗られてしまうかもしれない。彼女の純潔は僕が守る。
一華はそう誓ったのだ。たとえ人が死んでも関係ない。自分が彼女のために育んだ愛だから。
「すみません、僕、やらなくてはならないことがあるので」
一華はその場を立ち去ろうとした。
「あ、でも、僕の血、抜いてくれるなら貴方でもいいですよ」
相坂は笑顔で一華を見た。しかし彼女は何も答えない。つまりそういうことだろう。
相坂は手を振ると一華から離れていった。もう二度と関わらないでほしい。
ギギギとカッターの刃を伸ばす。少しだけ血の付着したカッターが愛おしい。そして自分の左手首にカッターをぐさりと刺す。痛いけど心地よい。痛みが心地よいわけではない。血の抜ける感覚が心地よいのだ。
埋没してゆくカッターナイフの刃。もうそろそろやめないといけないかな、と一華は自分の腕の血を拭き取ると、すぐにどこからか包帯を取り出し腕に巻きつけた。
まだそこまでクラクラしない。もう少し抜いてもよかったかもしれないな。
そして西畑は最近少しだけ帰りの時間が平均的に以前より遅くなっている。逆に早い時は極端に早すぎる。
一華はゆっくり足を動かした。
(守りたい、それだけです)
一華はスマホを強く握ると、GPSが指し示す元へ向かった。かなり遠くへ向かっているので、家族がめちゃくちゃ心配していると思うけれど、時間的にもそんなに問題になる時間ではないので、学校に連絡を入れたとて捜査沙汰にはならないだろう。しばらく歩くと住宅地についた。歩き続けて30分ほど。ごく普通の一軒家で、対して違和感はない。
表札を見る。「永瀬」と書かれている。
永瀬……聞き覚えのある名前だ。一華と同じクラスの人気者で、かなりの秀才なんだとか。名前は永瀬太陽。太陽のように明るく育ってほしいという意味でつけられた名前なんだろうか。その名の通りに育っている。
震える手で、玄関のチャイムを押した。
《はー……って奈々原!?》
程よく通る声が聞こえてくる。やがて永瀬が玄関の扉から出てきた。今すぐにでも刺してやりたいが、刺すのは相手にとって救済になるので刺さない。でも刺したい。
一華は無言で永瀬を見つめた。永瀬の後ろには西畑が立っている。
永瀬は焦って一華に事情を説明し始めた。どうやら明後日が担任の桜木の誕生日なので、プレゼントの準備をしようとしていたそうだ。
しかも三日前から。
「誘われてないんですが」
一華は淡々と告げる。同じクラスメイトとして自分も誘ってもらってもいいだろう。
「いやさすがについこの前編入してきた奴は先生に思い入れとかないだろうしさ」
永瀬は決まり悪そうに一華を見ていた。まあ確かに桜木に思い入れなど一ミリもない。しかし誘われないのは悲しい。それに自分にもやれることはあったはずだ。
一華の尋問に永瀬は正直に答え続けていた。彼の顔は正直者の顔だ。
そして何度も否定してくる。別に西畑とデキてるわけではないと。
問い詰めても嘘は吐かなそうなので、一華は彼の言い分を否定することはしなかった。
永瀬はやけに人懐っこい性格をしている。犬っぽい笑顔が可愛らしい男だ。よくうさぎっぽいと言われる自分とはまた違うタイプの好青年。
永瀬は都会の出身で、親の転勤がきっかけで徳島に引っ越してきたらしい。しかし都会人のような振る舞いはなく、どこにいても誰とでも仲良くできるタイプの人格の持ち主だ。現に西畑は彼に懐いている。
「……………」
「まあそう妬くなって」
永瀬が宥めるように一華を撫でた。
「妬いてない」
否定する一華の姿を見て永瀬は軽く笑った。
「いやお前可愛いな。学校中の女が惚れまくるのもよくわかる」
彼の人懐っこい笑顔は自分の笑顔にそっくりだった。しかし彼の笑顔は自然な笑顔で美しい。笑った時にできるエクボがまたそれらしくてさまになっている。
一華は永瀬のような男に初めて出会ったかもしれない。彼は初めて自分に好色で下品な視線を向けなかった。一華は男ですらも惚れさせてしまうからだ。
そして永瀬はいう。西畑と永瀬は幼馴染で、永瀬も元々は徳島に住んでいたらしい。永瀬の親の転勤先が香川だったのでちょうどいいと……。
幼馴染だからといって恋愛感情を抱かないというルールは恋愛に存在しない。
どうせ好きだろ、わかってる。
一華は永瀬を押しのけて、西畑の元へ向かった。
「僕は貴方を守ります。貴方は守らないと、すぐに壊れてしまうので」
自分を壊してもらうために、彼女は壊れないでもらいたい。
西畑の華奢で細い腕を掴んだ一華の腕からは一滴の血が滴り落ちた。西畑はそれを見て身体を震わせた。対して永瀬はそこまで関心を示していない。
「僕は今年のクリスマスまで、貴方を守ります」
一華の言葉に嘘はない。
ただこの言葉を嘘にすることは誰でもできるのだ。
「なので、貴方が僕に満足したら、僕の血を抜いて殺してください」
真っ直ぐな瞳。西畑はその場に倒れ込む。恐怖と恥ずかしさで溶けてしまいそうだ。
「指切りしましょう」
一華は彼女の前に小指を突き出す。そしてうっすらと微笑を浮かべている。
永瀬は指切りをする二人の姿を無言で見つめていた。
「ありがとうございます」
一華の顔は満面の笑みに包まれていた。その一華の顔に西畑は身体を震わせた。身体中の毛が逆立つような恐怖が自分を包み込んだ。
◇◆◇
翌日も一華は西畑を付き纏っていた。無論、彼女を守るためである。
そういえば一華は何人もの女性にアプローチされてきた。その女性たちはどうなったのだろうか。
それをここで述べようと思う。
相坂名波は頭を悩ませていた。どうすれば一華が西畑から離れるのだろうか。
西畑は恐ろしい女なのだ。だというのに彼女が学校で大人気のイケメンに愛されるのは誰であろうと胸糞が悪い。
そのため、LINEで対西畑勢力を集めた。案外すぐに集まった。そのメンバーのほとんどが、一華に振られた女子生徒だった。積極的な者もいれば、メンバーには入っているもののそこまで発言をしない者もいた。
「奈々原くんは可愛いもの。好きにならないわけないでしょ?」
同級生で対西畑勢力のメンバー、阿部希空が風船ガムを膨らませながら不機嫌そうに言う。彼女は頭こそそこまでよくないがかなりの美人で根は真面目な努力家である。金髪に染めた髪などが彼女の景観を崩してしまっているのでもったいない。おそらく彼女自体、そこまで金髪が似合う顔立ちではない。
「西畑さんはどうして彼に好かれるのでしょうか?」
前髪の長い眼鏡をかけた女子生徒が俯きながらか細い声を出した。俯く彼女の顎は少しだけ二重顎になりかけている。彼女の名前は野口まなみ。冴えない見た目で成績もごく普通。運動神経はかなり悪い。臆病で引っ込み気味な少女だ。髪の毛もおそらく一度も染めたことがないであろう焦茶色だ。しかし彼女の野心は人一倍で、今にでも天下をとってやろうという魂の輝きを感じる。
相坂は考えていた。まずこの状況において、一番邪魔なのは永瀬太陽というバカみたいに明るい男である。しかし彼を始末することによって一華が自分たちを心の底から拒絶したら元も子もない。
しかし永瀬は簡単にオトせそうなチョロい男に見える。彼を利用するのも案外悪くない。しかし彼は仲介人として残しておきたいキャラでもある。
まずは奈々原一華を知ることだな。と相坂は結論をつけた。
今わかること、一華は自分たちのことが嫌いだから拒んでいるわけではない。おそらく自分たちに興味がないから愛を拒んでいる。西畑への愛が嘘偽りでないことの証明のために。
そして今、西畑はストーカー被害に遭っている。犯人は奈々原一華。彼は至って純粋で、純粋さゆえの犯行である可能性が高い。
おそらく、一華が求めているのは彼女の愛ではない。学校中で噂の謎の美女”二乃前さん”を求めている。彼の脳から麻薬を取り出せば、彼の西畑に対する愛は潰えるだろう。
何よりも邪魔なのが、永瀬太陽。彼は一年生のクラスのムードメーカーで明るい犬のような好青年だ。一華とはまた違う可愛さがあるため、一華には劣るものの人気はある。彼は案外思ったことを口にしないタイプなので、感情が読みにくい男なのだ。
一華の求める”二乃前さん”を探し、見つける。そうすれば、自分たちへ愛が向くかもしれない。いや違う。二乃前さんを探し当てても、一華は二乃前さんに愛情を注ぐだけだ。自分たちにとって何の利益にもならない。
と考えると、まず最初の目的は西畑を始末することだ。そのために自分たちで今から、西畑、永瀬、そして一華、全ての人物の情報を集めなければならない。
西畑という女の容疑を突きつけるために。
一学期の頃、起きたあの事件の真相を……
和田慎也の死の原因を……
◇◆◇
「二乃前さん……」
不思議な倦怠感に駆られた一華は、写真の中を必死に見つめていた。写真の中に写る女性は、中学時代の一華と同じ制服を着ていて、カメラに向かって満面の笑みを浮かべている。
右目がちくっと痛んだ。彼女に刺されたことを思い出す。
彼女を見ていると脳内が激しく刺激される。もう彼女には会えないのだと思うと、余計に。彼女のことを考えていると、興奮で血が騒ぐ。その状態で自分の血を抜いている時が一番心地よいのだ。
もしかしから二乃前さんはもう生きていないのかもしれない。この写真の中にしか、彼女の姿はないのかもしれない。
そう思うと嬉しい。二乃前さんは自分だけのものになったということなんだから。
一華は自室のパソコンの前に座ると、画面に写る女性の写真の数々を隅から隅まで見渡した。
西畑について集めた資料のあれこれだ。
「やっぱ、変だな」
西畑は今年の8月ごろに、雰囲気がごろっと変わっている。髪型も同じ、着ている服の色も同じ。
何が違う?
一華は真剣に細部まで細かく見たが、違いには気づけなかった。
しかし、今年の8月以前の彼女には何一つとして魅力がないのだ。何も惹き込まれるような要素がない。
ならなぜ自分は彼女に恋をしたのか。
自分が愛した二乃前さん。自分が恋する西畑さん。
何が違う?
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中学生の頃、塾で出会った二乃前さんは、唯一自分を受け入れてくれた。
『僕は血を抜くのが好きなんです』
彼女が一華を受け入れてくれた時、一華は心の底から思った。彼女が都会から転校してきてくれてよかったと。
自分は四兄弟の末っ子。そして彼女は一人っ子。対照的な二人だった。
あの時、今まで出会ってきた人は揃いも揃って怯えるような目で自分を見ていた。蔑むような差別的な目で。
なのにみんな悩んでいた。なぜあの奈々原一華を好きになったのだろうかと。
病気のことはずっと伏せていた。
だからこそ、この病気を理由にではない愛を他人から受け取りたかった。
二乃前さんの魅力は何よりもあの目だった。どこか鋭いようで、優しいようで。どこか怪しい惹き込まれるような魅力的な瞳。
それに一華は惹かれていった。
初めて自分から人を愛そうと思った。
しかし自分の愛は生ぬるくて、純粋すぎたみたいです。
彼女への愛をしるしに一華はストーキング行為を何度も繰り返していた。そして気づいてしまった。
彼女が人殺しをしているかもしれないと。
どうにか証拠を集めて彼女を問い詰めた。そしたら彼女は一華を必死に拒絶し始めた。
僕は、とっても辛かったんです。最愛の人に、拒絶される感覚が。
貴方が殺したのは僕の母親でしたね。
とてもうれしかったです。
彼女が僕を、愛していたのですから。
母親の死因は階段から落ちたことによる転落死でした。
僕がくるっていく姿を母親は笑顔の裏で拒んでいたのでしょう。そして貴方に僕との付き合いをやめるように注告した。貴方はそれが気に食わなかった。なぜなら僕を愛していたから。だから、自分と僕との愛を否定する僕の母を殺した。
僕の愛が完璧でないと気づいた貴方は、感情を昂らせて僕の右目をくり抜いてしまいました。
しかし貴方はその殺人未遂により、僕への愛を証明してしまったのです。だから僕はこれとない喜びに興奮し、貴方へ愛を返しました。
なのに、僕のキスとカッターナイフは貴方にとって愛でもなんでもなかった。
結果僕は退学処分を食らって、消えていった。
貴方は実家があった都会の方へ引っ越しましたね。
もうバラバラになったので、愛なんて証明できません。
バラバラになった僕と貴方はもう別物です。
でも僕は貴方を愛していますよ、二乃前さん。
最後まで被害者ヅラしていた、貴方を愛しています。
とっても醜くて、大嫌いな貴方が僕の宝物です。
貴方を壊したい。
僕は貴方を愛しています。
貴方のことが大好きだからです。
「ふふっ二乃前さん……」
一華は自分の腕から出た血を、絵の具のように右人差し指にたっぷりつけた。
そして指で、写真の中の二乃前さんの顔に大きなバツ印を描いた。
「愛してますよ、二乃前さん」
一華は人懐っこくも美しい笑みを浮かべた。
◇◆◇
永瀬は家で唸り声をあげていた。
「クッソ、だめだ。あと一歩のところで答えが出ない」
永瀬は厄介なことへ首を突っ込むのが大好きだった。一度、ある事件に首を突っ込んだ。
まだ自分が都会で暮らしていた時のこと。
ある家族が惨殺された事件だった。
中学生の女の子と、その兄が亡くなった。彼らに親はいない。彼らを養子にしてくれていた親も、自分たちの間に女の子を授かると、彼ら兄弟を手放した。
その後、天涯孤独の身となった彼らは、小学生の少女に殺されたらしい。
ちょうど永瀬と同い年の少女だった。
永瀬が目撃したのは彼らが殺害された跡。自分の住むコーポの階段から血が伝っているので何事かと思っていたら、階段を登った先の廊下で、二人の子供が倒れていたのだ。
あの時はトラウマになりそうだったが、殺人事件以来、どちらかといえば引っ込み気味だった自分の性格が明るくなった。
自分には見るべきものがある。
犯人は誰だろう。永瀬はずっと考え続けていた。
◇◆◇
「好きです、奈々原くん」
一華が編入して3ヶ月後の水曜日、一華はまた別の女子生徒に告白された。
もちろん断った。
西畑を追跡するためだ。何度彼女に愛していると伝えただろう。しかしまだ彼女は自分に心を開かない。
全く、しぶとい人だ。
一華はほくそ笑んだ。




