第一章
僕は常に誰かに愛されている。
学校の誰か、街の誰か、買い物先のスーパーで出会った誰か。そして両親と3人の兄たち。
8万人に1人の難病、通称”愛され病”に罹った僕は、常に愛と隣り合わせだった。
「二乃前さん……」
今日も初恋の人の名を口ずさむ。謳うように名を口にしながら、僕は自分の手首からどくどくと流れる真っ赤な血に見惚れてしまっている。
二乃前さんは、唯一僕から血を抜いてくれた人。
僕–奈々原一華は、誰かに血を抜いてもらうために息をしている。
昔からずっと誰かに愛されてきていた。
学校中で大人気だった。可愛い可愛いと甘やかされ、僕はいつしか本当の愛を見失っていった。
そんなとき、僕が見つけた唯一無二の存在。それが二乃前さん。
僕が貴方にストーキング行為を繰り返してやめなかったことは反省します。
ですが、貴方が僕のことを好きなら、貴方は僕の血を抜いてくれますよね?
貴方は僕の血を抜いてくれました。僕の顔を掴み上げ、そして僕の右目をナイフでくり抜きました。
最高でした。あの時は痛みを超える快感に襲われ、貴方から今後味わえないほど深い愛を頂きました。
そしてその後、僕は貴方にキスしましたが、あれは僕にとって初めての経験だったんです。それが貴方にとってもだったら、どれほど嬉しいことか。
愛してる=壊したい。
愛してる=壊されたくない。
僕はこの選択肢に違和感を感じております。どうして「壊されたい」がないのでしょう?
塾で貴方に出会った時、初めは何も感じませんでした。ただ、美しい人というだけ。
ですが、貴方は僕の愛を受け入れてくれました。僕が血抜きばかりしているということを僕なりの愛情表現だと受け取ってくれました。
貴方も血を抜かれたいでしょうからと思い、貴方をカッターで刺したのですが、あれはお気に召さなかったようなので、申し訳なく思います。
ならば僕が、いやでも貴方から離れなければなりませんね。
高校からも退学処分が下されましたし、僕は貴方とさよならします。
でもこのピンクに染めた髪の毛と、右目の眼帯だけは残しておきます。割と気に入ってるんです。
貴方のおかげでこうなりましたから。
二乃前さん、愛してますよ。
◇◆◇
「奈々原くん、私が『どうぞ』って言ったら入ってきてね」
一華はその言葉に頷いた。ついでに満面の笑顔を彼女に向ける。話し相手は今日から担任になる桜木先生だ。彼女は身長が低く、童顔の持ち主だが、一応ベテラン教師らしい。
桜木は今の一華の笑顔で完全に堕ちてしまった。当然の結果として一華はこれを受け入れる。
黒い学ランにピンクの髪の毛はよく映えた。それに右目の眼帯といい、かなり印象に残るビジュアルをしている一華なので、きっとクラスメイトにもすぐ覚えてもらえるだろう。
しかしクラスメイト、ましては担任の桜木も知らない事実がある。一華のズボンの右ポケットには、いつも一華が血抜きに使っているカッターナイフが仕込まれているのだ。これほど可愛らしい笑顔の青年が凶器を所持しているなんて、誰も思わないだろう。
一華はこの右目に傷を負う前からずっと、国宝級の美青年だと言われてきた。それはきっと愛により、そう錯覚してしまう恋愛麻薬が原因ものも含まれていたと思うけれど、実際自分がイケメンだという自覚はあった。せめてあと少しだけでも身長が高ければよかったけれど、顔もどちらかといえば可愛らしい草食系男子のような顔立ちなので、逆に身長が低い方が女子たちには刺さっていたようにも感じてはいた。
「今日はこのクラスに編入生が来ています」
扉越しに桜木の明るい声が聞こえる。教室中がざわざわと騒がしくなった。
一華はゆっくりと教室のドアを開け、教室に足を踏み入れた。生徒たちは自分の姿を見てより一層騒がしくなった。ピンク髪に眼帯の男が入ってきたのだ。そりゃ騒ぐ。
「え、めっちゃイケメンじゃない?」
「それな可愛い」
あ、そっちですか。まあそっちですよね。
一華は心の中で苦笑いを浮かべる。しかし実際はすごく人懐っこそうな微笑を浮かべているだけだった。
そして一華は心を落ち着かせると、高らかに宣言した。
「僕は奈々原一華です。僕は二乃前さんと、もう一度恋するためにこの学校に来ました。犬が好きです。よろしくお願いします」
その奇妙な自己紹介に、クラス中が騒然としていた。まず「二乃前って誰?」という声があちらこちらから聞こえる。まともな自己紹介をしない自分に対していくらか罵声が飛ぶが、その罵声ですら傷跡に染みて心地よい。
しかしあのような自己紹介にして、少しでも自分に関わってくる人間を減らさなくてはならない。そうでもしないと、甘い蜜に集まる蜜蜂のように女子生徒が集って面倒くさいことになるのだ。アイドルのように扱われ、勝手に妄想の糧にされたりでもしたらたまったもんじゃない。
頑張っても二割の人には嫌われる。とよく言うが、自分は感張らずして九割以上の人に好かれるのだ。側から見たら羨ましい話だろう。けれど実際こうなると迷惑でしかないのだ。それに加えて自分は特殊嗜好の持ち主なので、本当に疲れが溜まるだけだ。別に被虐嗜好者というわけではない。ただ愛が重すぎるのか、歪んでいるのか、はたまたその両方かとしか思っていない。
一華は案内されて四列目の一番後ろの席に座った。隣の人はいない。というか席すら用意されていない。
編入生の質問コーナーではとにかくしつこく質問された。好きな色や好きな食べ物、好みの髪型まで。生徒たちはまだ自分が変態に見えないのか。
しかし一華は決めている。二乃前さん一択だと。他の人なんて愛さない。
長かった質問コーナーが終わるとすぐ休み時間に突入した。とりあえずクラスの何人かには話しかけてみようかなと思い席を立つ。
今自分を見て噂話をしたりしている女子は例外だ。一華の恋する相手は女性なので、もちろん男子も例外。
(となると消去法であの人か)
端っこの方の席でうずくまる女子生徒。身体をブルブルと振るわせ、心配そうにクラスメイトの動きを伺っていた。話しかけると彼女のストレスになってしまうかもしれないが、自分のために一華は足を動かした。
足が彼女に吸い寄せられるかのように彼女の席へ身体が向かう。止められない不思議な気持ちだ。
「こんにちは、えっと……」
名前がわからない。しかし一華は彼女をなんて呼ぶか決めていた。真っ白な肌。綺麗な黒髪。
「二乃前さん」
ねっとりと一華は初恋の女性の名を呼ぶ。もちろん目の前にいる女性は二乃前さんとは全くの別人なわけだが、一華にとって彼女は”もう一人の二乃前さん”なのだ。
雰囲気も香りも見た目もそっくり。
貴方は二乃前さん。
もう一人の二乃前さん。
「あの……わ、私は西畑です。人違いかと……」
人見知りな彼女は視線をあたふたと逸らしながら一華を見ていた。この姿が愛らしい。
「探してましたよ。まさかこんなところで出会えるなんて、運命ですね」
西畑は臆病な性格のようで、話が通じない一華にどうすればいいかわからず、俯いた。
俯いた顔もそっくり。
二乃前さんにはLINEブロックされたので、どうにか”もう一人の二乃前さん”のLINEは聞き出さないといけない。
彼女を四六時中見守るのが、彼女に恋した自分の使命だから。
「ごめんなさい、私貴方を存じ上げません……」
眉尻を下げて西畑は言う。その姿も儚げで美しい。
さてなぜだろう。なぜ彼女はあれほど愛情を注いでいた奈々原一華という男の存在を忘れてしまったのだろうか。彼女の顔を見ているだけで想像力が刺激される。
「なら思い出させてあげます」
一華は西畑の小さな顔を手でそっと掴む。痛くないようにそっと、ぎゅっと。彼女は顔を恐怖で満たした。初めて見る顔だ。美しい。心地よい。
「ふふっ愛してますよ、二乃前さん」
そして一華は西畑の唇を狙ったが、あと一歩のところで彼女は椅子ごと後ろに倒れてしまった。顔を真っ赤にさせて、倒れている。
あまりの嬉しさに倒れてしまったのだろう。最愛の一華が目の前に現れたのだから。
可哀想に、記憶喪失ですか。
一華は二乃前さんだと思い込んでいる女子生徒、西畑を軽く持ち上げると、教室をでた。クラスメイトが一華たちの姿を見てざわざわと話している。
「あいつ、クラス一の秀才の西畑さんを……」
「奈々原だっけ?やばくねあいつ。キスしようとしてたよな」
男子たちは一華に憤りを抱いている生徒が多かった。一方女子は未だに一華にメロメロだ。
生徒たちに道を聞きながらどうにか保健室へたどり着いた一華は、抱いていた西畑をそっとベッドに寝かせた。保健室にはその時教師が不在で、他の生徒もいなかった。一華は二人だけの空間から離れることができず、保健室で大人しくしていた。
授業が始まっても、一華は教室へ戻らなかった。大多数の色目を使う女子生徒なんかよりも、怯えるような視線で自分を一筋に見つめた彼女に興味を唆られるからだ。彼女はとても興味深い。やはり自分の愛すべき人は二乃前さんなのだ。
しばらくして、二乃前さん−西畑が目覚めた。
「誰かいますか?」
西畑が小さな声でベッドから呼んでいる。もちろん一華はその声を聞き逃さず、西畑が寝ているベッドの方へ駆け寄り、ひょこっと顔を出した。
「呼びましたか?」
「ひっ」
まただ、彼女はまた自分に奇怪の目を向けた。なんて美しく、醜い顔だろう。感じたことのない興奮を、一華は密かに嗜んでいた。
彼女は自分が思っている以上に繊細だったのかもしれない。自分の知識が足りていなかったか。
一華は反省する。
それなら彼女を守ってあげなくてはならない。
「LINE、交換したいです」
一華はスマホを自分のポケットから取り出す。カッターナイフが入っているポケットと反対のポケットだ。
「いいの?」
彼女は初めて一華に向かって輝かしい瞳を向けた。とても嬉しそうな顔である。
「私誰ともLINE繋いだことなくて……」
なんだそういうことか。一華は大体全てを察する。
男という生き物は、女性を魅力的に見がちだ。しかし男は魅力的に見えてしまった相手であればあるほどシャイになり、上手く話しかけられないのだ。それを見事に回避しているのが、愛され病の自分である。
きっと彼女は、魅力がありすぎるゆえに大衆のアイドルだったのだ。手に取りにくい存在。そう思われていたのだ。
「はい、光栄です」
一華は微笑む。すると彼女も笑顔を向けてくれた。可愛らしい。壊されたい。
彼女はすごく繊細な姫だ。大切に扱わなければ割れてしまう、割れ物のヒロイン。
ああ、美しすぎる。彼女の愛に浸っていたい。そしてこのまま死にたい。
きっとこれは一華にとって最初で最後の恋だ。
『もう、来年の誕生日で限界でしょう』
去年の夏、一華は担当医師にこう告げられた。愛され病はみんなに愛される代わりに、自分の命……寿命を人一倍削ってしまうのだ。
一華の余命はあと半年もない。
持っても自分の命は今年の12月26日まで……
ならその日には、最期には二乃前さんに血を抜いて殺してもらいたい。
精一杯の愛とともに、流れる血を見ていたい。
もう一度、もう一度……。
◇◆◇
帰宅すると、家族が明るく歓迎してくれた。
「おかえり、一華ちゃん」
一華はそれに笑顔で「ただいま」と返す。すると長兄の一也はばたりとその場に倒れ込んでしまった。
「わあ、一華ちゃん学ラン似合うなぁ」
お笑い番組の見過ぎで少し関西弁が憑っている三兄の一乃は手を合わせて笑う。次兄の一城はツンデレ気質なのであんまり感情を表に出さない。
「それ今朝も聞いたよ、一乃兄さん」
一乃はえへへと返す。すごく微笑ましい兄弟の絵柄だが、少し不自然まである。
まだ父親は帰宅していない。仕事が長引いているのだろう。
自分の部屋へ向かうと一華はすぐにスマホを取り出した。
《西畑さん、LINE追加ありがとうございます》
あのあと一華は西畑に、自分が何者であれ西畑と呼べと命令された。言われるがままに一華は彼女のことを西畑さんと呼ぶことにした。
打ち込んだメッセージを一度確認すると、すぐに送信した。しばらくして既読がつくと、彼女からよろしくと言っているアニメキャラのスタンプが送られてきた。積極的なようで嬉しい。
それからはずっと、遠隔で二人だけの時間を過ごしていた。基本的に自分が彼女に質問しているだけだったが、それでも楽しかった。
そして、彼女が毎週火曜日と水曜日は塾で放課後留守なことと、彼女が通う塾を突き止めた。そして彼女の住所まで。彼女は教えてくれなかったが、話の内容でだいたいわかる。彼女は月曜日にスイミングスクールにも通っているらしい。自分と違って忙しい人だ。
彼女は奪われたくない。奪われてしまった二乃前さんのようにはさせない。
もう一度僕の前に現れてくれた二乃前さん、これはきっと神様がくれたチャンスだ。
彼女を手放すなんてするもんか。
◇◆◇
四日後、一華は西畑を校舎裏へ呼び出した。どうしても言いたいことがあるからだ。
「西畑さん」
一華と西畑が逢瀬を重ねていることは、実は結構クラス中で噂になっていたらしい。逢瀬を重ねるといっちゃ人聞き悪いが、LINEを繋いでいることはバレていた。そしてクラスメイトの凄まじい妄想力で噂はどんどん捏造にまで発展していった。
LINEを繋いでからも、彼女は何度か一華を拒んだ。悲しいのでずっとストーカーし続けた。塾にも押し寄せ、彼女の通う市民プールにも侵入した。あの時は学ランが濡れて重くなったので悲しかった。
こんなに自分は西畑一途なのに、一華にアプローチしてくる女性は数えきれぬほどいた。ある人は靴箱に手紙を、ある人は強引に、ある人は家に連れ込もうと……もちろん全て断った。手紙は焼いた。結構暖かくなったので、その火でココアを炊いて飲んだというのは内緒である。
女性は自分より魅力的な男性を探すのに、常に必死だ。
女性は少しばかり求めすぎてしまう傾向があるようで、自分より魅力的な男性をなかなか発見できないのだ。そのためその人材を見つけた時は、凄まじい争奪戦になる。
女とは恐ろしい。
西畑は一華を恐怖の目で見つめていた。それはまるで怪物でも見るかのような目だった。
なぜならそこに立っていたのは、冷ややかな目に一人の少女をしっかり捉えた、カッターナイフを右手にもつ青年だったからだ。ピンク色の髪の毛に眼帯、どう考えても一華本人だ。
「奈々原くん?」
可愛らしい声が放たれる。
「僕は今年のクリスマスまでしか生きられないかもしれません。でも僕は貴方を愛しています。どうすればいいのでしょうか。僕は考えました」
突然何かを語り出した一華に、西畑は何も言い返せず黙り込んでいた。
「いやでも人に愛される病気なんです。愛され病っていって。8万人に1人しか罹らない病気です。僕はそんな病気に不幸ながら堕ちてしまっていました。それが原因で僕は恋愛が苦手なんです。この眼帯の下には、とても貴方のような美しい人には見せられないほどに醜い傷があるのです」
一華の静かで黒目がちな瞳には、鮮明に西畑の姿が写っている。
「だから、最期の時には貴方に僕の夢を叶えて欲しいのです」
「どういうこと?」
震えながら西畑がいう。その目には涙が溜まっている。その姿を見たら、思わず口を噤んでしまった。今にも泣き出しそうだ。美しい。壊されたい。
「僕の血、抜いてくれますか?」
一華は一歩だけ前に歩み出た。そして色白な少し骨張った手で、カッターナイフを西畑の手に被せる。西畑はそれを見て、踵を返した。急いで逃げ出す。
−逃すものか。
−でも、逃げる姿も美しい。
−どっちが正解?
悩んでいる間に西畑は姿を消していた。運動神経の悪い彼女にしては早い逃げ足だ。
「西畑さん、貴方はどうしても男の庇護欲を掻き立てる魅力を持っている……守ってあげないと、いけませんね」
−僕が貴方のボディーガードです。
奈々原一華は、誰かに血を抜かれるために今日も息をしている。
どうも牛田もー太朗です。別作品と同時投稿させてもらってます。
今作はその別作品と少し対照的なお話なので、好み別れると思いますが、読んでいただけて幸いです。




