わたしは素直に身を引いたりしませんからっ
僕の背中を追いかけるように、ホームズ氏が「シオン君を助けた場所へ行ってみたまえ!」などと叫んで寄越し、僕は素直に忠告に従うことにした。
彼の指摘が外れたことがないためだが、シオンと僕の二人に共通する場所といえば、そういえばあの廃ビルしかない。
街の外れにある、周囲の建物ごと忘れられた場所だが……どうやら当たりらしい。
近付けば近付くほどシオンの香りがしてきて、駆け通しで目的地に着くころには、問題のビル屋上に立つ、シオンが見えた。
ただし立っている場所は、安全のために設けられた金網の外だ。
「来ないでっ」
なんて弱々しく叫んで寄越したが、僕は「せめて話くらいさせてくれっ」と叫び返し、こじ開けられたシャッターをくぐり、中へ入った。
だいたい、今のシオンはこんな数階建て程度のビルから跳んだところで、死ぬ恐れなどないんだが、だからといって放置はできない。
幸い、街外れのここは、市の合併後は完全に忘れられた場所だし、この廃ビルは特に、何年も前から人の出入りすらない。
陽光を浴びまくってかなりうんざりしていたものの、僕は足を緩めることなく階段を駆け上り、あっという間に屋上へ飛び出した。
シオンは金網の向こう側にある狭い縁部分に立っていたが、僕はつかつか歩いて近付くと、簡単に金網を跳び越え、上手くシオンの隣に着地した。
「ひ、昼間なのに、そんなことしてっ」
半泣きのくせに、シオンは僕に説教をくれた。
「もしどこかで見てる人がいたら、どうするんですかーっ」
「その時はその時さ」
僕は肩をすくめた。
「正直に言えば、僕はこのまま永遠に人間として生きていけるとは思ってないんだ。いつか正体がバレて、最後の日が来るだろう。そうなれば、人間達から石持て追われる日がくると思っている」
シオンは答えなかったが、少し驚いたように横目で見ていた。
「だいたい、共存できるわけがない……先生にも行ったけど、僕はほぼ間違いなく、何十年経とうとこの姿のままでそう変化もない。上手くやっている気はしないな」
心の中で思っている通り、暗に「いずれ先生の方から離れていく」と教えてあげたつもりだった――のだが。
シオンは少し考えた後、ため息をついた。
「……子供みたいなことで拗ねて、ごめんなさい……本当は、レイさんが誰を選ぼうと、わたしに文句言う権利なんかないのに」
「いや、だから僕は」
「その人を好きになる可能性はすごく少ないかもしれないけど……ゼロじゃないから、レイさんだって試す気になったんですよね」
今度は僕が沈黙する番だった。
「限りなくゼロに近いと思うけど」
そう呟いたし、実際に「あの時は、先生に諦めてもらうには一番早いと思ったから」というのが偽りない真実である。
しかし、そりゃ確率だけで見るならゼロじゃない。
先生が大嫌いなら、そもそも彼女の提案を受けなかったのだから。
僕が考え込んでいるのを見て、シオンは深々とためいきを付き、その場でふわりと跳んだ。そのまま猫みたいに身体を丸めて回転し、元の屋上へ綺麗に着地した。
早速僕も真似して戻ったけど、思わず揶揄した。
「人目が気になるって話はいいのかな?」
「よく考えたら、近くに人の香りはないですし」
「そうか……そうだな、うん」
僕も頷き、仲直りの印に手を差し出す。
「ホームズ氏に店番任したままだし、そろそろ帰ろうか」
シオンはいつものように素直に手を握ってくれたし、一緒に階段を下りてビルを出てもくれた。ただ、手を繋いで店へ戻る途中、なにかを恐れるように尋ねた。
「血……血をあげただけですよね? 吸血じゃないですよね、ねっ?」
「僕が吸血したのはシオンの時だけだし、二度と同じことはしないつもりだよ」
あえて、厳かに宣言した。
「……逆に言えば、仮に奇蹟が起こって先生と上手くいったとしても……七十年も経てば、否応なく先生は僕の元から去るさ」
自分でも到底、上手い慰め方だとは思えなかったが、案の定、シオンは握った手にきゅっと力を入れた。
……多分、普通の人間なら、手の指が全部砕けたほどのパワーがあったけど。
「わたし、七十年なんて待てませんしっ。わたしにはレイさんしかいないんですから!」
言い切った後、「ホームズさんのアドバイス通り、もっと早くに――」などと呟く。どんなアドバイスか知らないが、またホームズ氏かっ。
僕が苦い顔をすると、なぜかシオンが手を離して――代わりに僕の腕を抱え込んできた。
あたかも、年若い恋人同士のように。
「そ、その先生がどう思おうとっ」
ヤケに力を入れて語り、僕を見上げる……少しつっかえていたけど。
「なに?」
「わたしは素直に身を引いたりしませんからっ」
「……そうか」
珍しくと言ったら怒られるから言わないが、とにかく珍しくシオンがひどく可愛く思え、僕はその場でシオンを抱き上げてやった。
「そ、そこは抱き上げるところじゃなくて、足を止めて熱いキスじゃないですかーっ」
「はははっ」
「笑っちゃだめーーっ」
帰り道の僕らは、多分かなり目立っていただろうな。
たまにはいいさ。




