105手間
シュルシュルとペンを走らせる音だけが響く室内、カランという軽快な音を立ててペンを壺に立てかけ、ひとつ伸びをする。
「彼女…セルカちゃんはどうですかね?」
「どう…とは?今更な話だな」
「確かにそうですが…父さんから見て彼女は…」
自分でも今更なことだと思うが、明日が彼女の結婚式だ、気になってしまったのはしかたがないだろう。
それに最近は、カルンも一緒に仕事することが多くなったから、聞くことも出来なかったというのもある。
「ふむ…まぁ、悪い子ではないのは言わずもがなだな。なんだかんだでそれなりに一緒なのだ、それはお前も分かっているだろう?むしろそこを突くのであれば、お前たちのほうがよっぽどだ」
「は…はは…」
「それに、あれは意外と人見知りでな、初対面の相手にあれほどはしゃいでいたのは初めて見たのだ」
「母さんが…ですか?」
「あぁ…誰にでもあんな感じに見えるが、実はな。それに、あの奥手なカルンが、脈があるかも分からん相手にいきなりプロポーズするくらいなんだ、よっぽど信頼し惚れているんだろう。それを親が止める訳にもいかんよ」
「ですが、彼女が言っていた契約の遺物などは…」
「確かに何か隠している風ではあるが…お前だって人に言えぬ話、ひとつやふたつあるだろう?」
「そ…それは…」
「だろう?それに失せ物を探すなら、それなりの人数が必要になる。なのに彼女の話を聞く限り一人みたいじゃないか、おかしいと思わないか?」
「確かに…それが所在もわからないとなれば尚さら…」
「獣人の里は我々とは全く異なるルールで動いている、失せ物探しという名の体のいい追放という可能性もある以上、下手に突かぬ方がいいだろう」
「はい。けれど、獣人の里は危険な場所にあると聞きます。彼女のような戦力をそう易々と手放すでしょうか?」
「さてな…けれどもそのお蔭で我々は潤い、カルンは嫁を手に入れた、気にすることではなかろう」
「それは…そうですが」
「しかし、あれか…。お前がそんな事を急に聞くなんて、嫁をセルカに取られたのがそんなに悔しいか?」
父さんが今までの真面目な雰囲気を崩し、口角をほんの僅かに上げる。
「ちょ!父さんいきなり何を!」
「ようやく眠気が抜けてきたと思ったら、元気なときはセルカをよく構っていると聞いているからな」
「ぐっ…」
子供が出来た影響か、ずっと眠たそうにしていたのが、最近やっと元気に動き回れる日が増えてきた。
けれど、自分が仕事などで一緒にいれない時間が多いというのもあるが、その間大抵彼女はセルカと一緒にいるみたいで、話をするたびにセルカちゃんは~なので嫉妬心が無いとは言えない。現に今だって母さん共々セルカと一緒らしい。
「ふふふ、結婚式を明日に控えた感想はどう?」
「何と言えば良いかのー。全く実感がわかぬ」
「だよね!私もそうだったわぁ…未だに信じられないもの」
女三人、庭でお茶をしながらそんな事をしゃべる。ライニもいるから正確には女三人というわけでもないが、話に入ってくるわけでもなしノーカンだろう。
「まぁそんなものよねー」
「けれど、衣装合わせをしなくても本当に良いのかの?」
「えぇ、アーシェちゃんの時はあまり時間が無かったから念入りにやったけど、その点セルカちゃんはたっぷり時間があったからサイズ調整は完璧よ!」
サイズでは無く、デザインの事が気になっているだけなのだが、どうせこっちも聞いたところでサプライズだからと言って教えてくれないだろう。
「そうそう、カルンとセルカちゃんは、明日は早めに出ることになるからお願いね。ライニか誰かが呼びに行くと思うから大丈夫だろうけど」
「んむ、わかったのじゃ」
「あとは…そうねぇ…。今日は早めに寝なさい?色々と盛りあがっちゃうかもしれないけど、それは明日にとっておきなさい」
「う…うむ…カルンにも伝えておくのじゃ」
カルンの事だから、その辺りはちゃんとわきまえてくれるだろう…多分…きっと。
「そう、お願いね。ところでセルカちゃん、本当に結婚式が終わったら旅立っちゃうの?やっぱり止めない?」
「そればかりはのう…前々から決めておったことじゃしの」
じっとお母様がワシの目を見つめてくる。
「ふぅ…やっぱり決意は堅いようね、いいわ…けど必ず無事に帰ってきなさい」
「もちろんじゃ、必ず帰ってくるのじゃ」
最終確認の様なやりとりだが、全く同じやりとりをこれまでにも何回かやっている。
けれども、決して茶化しているわけではないのは、お母様の見つめてくる目を見れば分かる。
「よし、それじゃそろそろお開きにしましょうか、日も傾いてきたし体を冷やすのは良くないわ。ライニ、後はよろしくね?」
「かしこまりました」
お開きと言っても、屋敷に戻っての二次会が夕食の時間まで始まるだけだが。
夕食を終え、カルンは書類整理の手伝いが残っていると、ワシだけ先に部屋へと戻る。
「結婚…結婚のぉ…」
明日のことを想い、寝台の上でゴロゴロする。
尻尾があるので仰向け方向ではなく、尻尾を振るような形でうつ伏せになりつつになってしまうが。
然う斯うしている内に大分時間が経ったのか、カルンも部屋に戻ってきた。
「お疲れ様じゃの、カルン」
寝台から降り、立ち上がって出迎えるが、カルンは無言でツカツカと此方に歩いてくると、その勢いのままワシを抱きしめる。
それなりに勢いがあったため、思わずポスンと寝台に尻もちをついてしまう。
「どうしたのじゃ?」
「………」
けれどカルンは何も言わず、ぎゅっと抱きしめる腕に力を込めるだけだった。
カルンの背にそっと手を回し、それ以上何も言わずワシも抱きしめる。
これも良い嫁の務めじゃろうなどと、悦に浸っていたワシに動き出したカルンを止めるすべなぞ無かった。
お母様に釘を刺されていたにも拘らず、結局その日も眠りについたのは、かなり夜も更けた頃だった。




