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追放剣士とピンクの毛玉  作者: みなべゆうり
12.狼たち

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12-9

『お前の存在価値は何だと思う』


 乱雑に切られた白金の髪。痩けた頬に、成長の止まった細い体。淡く輝く藤色の瞳だけがぎょろりと動き、自らを殴り倒した男を睨み上げる。

 男は少年に触れた手袋を外し、おざなりに床へ投げ捨てて言った。


『ネティスによく似ているな。女であればまだ使い道もあったものを……。まぁよい』


 日の光が届かない路地裏は、微かな異臭と湿気に満たされていた。男は落ち着きのない様子で鼻と口を覆うと、従者にひらりと片手を振る。

 少年は有無を言わさず拘束され、質素な馬車に詰め込まれた。


『お前に何か一つでも武器があれば、道も拓けるだろう。せいぜい励むことだ。……ああそうだ、名前は何という?』

『……』

『父親の質問には一度で答えるように』


 至極煩わしげに告げた男に、少年もまた忌々しげな眼差しを向け、答えた。


『……セリル』

『セリルか。お前は今日からスレイマン家の一員となる。次代(・・)の皇帝陛下に仕える忠臣の名、それに見合う働きを頼むぞ』



 ◇



「この愚か者め」


 相変わらず喉の奥でぶつぶつと呻くような喋り方は、扉越しではより聞き取りづらかった。

 腰に佩いた宝剣を握ろうとして、それが先程没収されたことを思い出し、セリルは溜息をつく。少年の鬱屈とした気分など露知らず、外にいる男はなおも叱責に似た言葉を吐き続けた。


「お前をスレイマン家の人間として認め、その腕を見込み〈白狼〉の地位にまで押し上げてやったのは、我々の益になると判断したからだぞ。マーヴィ城の事業を頓挫させるだけに留まらず、よりにもよってこんな事態を招くとは……この恩知らずが」

「事業?」


 聞き捨てならない言葉を捉え、それまで沈黙を維持していたセリルはつい鼻で笑ってしまった。


「狼月の神聖な獣を捕まえて、皮を剥いで、その価値も分からない輩に売り飛ばすことが事業ですか? へえ、卑しい僕には到底理解できない崇高な理念がおありなんでしょうね」

「セリル!!」

「ところで伯爵、風吹き砦で何をしていたんです? マーヴィ城で密猟が出来なくなったから、今度は〈豺狼〉に擦り寄って雑用でもしていたんですか」


 せっかく方々に手を回して〈白狼〉の父親という肩書きと以前よりも高い爵位を得たのに、やっていることは小悪党と変わらないではないかと、セリルは嘲笑を浴びせる。

 この恥知らずな男──セリルにとってはまごうことなき実父──は、息子がマーヴィ城を管理下に置いたと知るや否や、すぐさま文を寄越してきた。何を勘違いしたのか、男はあのまま密猟を独占的に継続できるものと思っていたようで、文にはセリルを褒めそやす言葉が並んでいた。

 無論、罪を自白した伯爵家に多額の罰金を請求して以降、今に至るまで連絡はぶつりと途絶えたが。


「ぐ……お前のような孤児を引き入れるべきじゃなかった。権威を手に入れた途端に調子づきよって……! いいかセリル、お前は本来〈白狼〉などではないのだぞ。お前はただの──」

「知ってますよ。表に出せない〈白狼〉の代わりに、飾りとして据えられた偽物でしょう」


 セリルは嘲るように吐き捨てた。

 自分が偽物の〈白狼〉であることなど、少年はとっくに想像が付いていた。

 伯爵家に引き取られ、剣術の腕を仕込まれ、宮廷でさまざまな知見を得て、歴代の〈白狼〉が成したことを知ったとき、己がその器でないことを直感したのだ。

 〈白狼〉の称号を与えられた者は、端から端まで皇帝の狼だった。彼らは皆、皇帝の危機を予期していたかのように狼月へ現れ、皇帝もまた待ち焦がれたかのように彼らを受け入れた。

 対する自分はどうだろう? デルヴィシュ帝の危機を助けたこともなければ、彼に何か特別な思い入れがあるわけでもなく、その身勝手な振る舞いや横暴な命令に疑問さえ抱く始末。どう好意的に捉えても、セリルはあの皇帝を「守るべきもの」として見れなかった。

 そんなとき、大公宮の地下で見つけてしまったのだ。


 ──牢に幽閉され、原因不明の病に苦しみ続ける、本物の〈白狼〉を。


 ヴォルカンと呼ばれる男は、ニメットの霊術で何とか正気を保っているような状態ではあったが、それでもデルヴィシュの命令を忠実に守った。

 デルヴィシュが野盗に襲われれば即座に彼らを蹴散らし、馬車の事故に遭おうものなら身を挺して守ったとも聞く。そこまでの献身を受けておきながら、デルヴィシュは彼を「気味が悪い」と言って牢に繋いだのだ。

 用事があるときにだけ彼を牢から引きずり出し、まるで肉の盾のように扱うデルヴィシュを、セリルがますます信頼しなくなったのは言うまでもないだろう。


『ヴォルカンは逃げたいと思わないの? どうしてあんな男を守るの?』


 いつの日か、彼が落ち着いている頃合いに尋ねたことがある。

 ヴォルカンは兜の内側で碧色の瞳を瞬かせ、静かに答えた。


『……分からない。ただ、守らなければと、思う』

『酷い扱いを受けても?』

『ああ』

『何も見返りがなくても?』

『それでも……あの人が、死ぬと思うと、恐ろしい』


 彼の言葉を反芻しながら、セリルは溜息をつく。

 ヴォルカンは過去の〈白狼〉と同じだ。主人と定めた人間に強い忠誠心を抱き、主人を守るためなら自己犠牲も厭わない。彼こそが、セリルが今持っているもの全てを享受すべき存在なのだろう、と。


「……僕に恨み言をぶつけても意味はありませんよ。死にたくないならさっさと夜逃げでもしたらどうですか、伯爵」


 捨てるときが来たのだ。何もかも。

 セリルは舌打ちまじりに立ち去る父親の足音を聞きながら、億劫な気分で瞼を閉ざす。


『セリル!』


 そうしてふと、脳裏をよぎるピンク色。


『わたくし、記憶が無くても毎日楽しいですよ。セリルさまみたいにお話してくれる人もいますし』

『はっ、お悩み相談なら乗りますよ! 助けてくれたお礼に!』

『じゃあ、今日を誕生日にしましょう! それから、わたくしがセリルさまのお友達になります!』


 明るく無邪気な声がひとつひとつよみがえり、そのつど丸い輪郭が記憶の中で飛び跳ねる。

 セリルが苦笑をこぼしたのも束の間、次の瞬間には冷淡な声がそれらを遮った。


『皇帝陛下の命に背き、抹殺対象の皇女と繋がっていた裏切り者だ』


 セリルは先程の出来事を思い返しながら、薄暗い天井を仰ぎ見る。


「……毛玉が皇女様って、変なの」


 口から出た感想は、素朴なものだった。

 あの不思議な生き物に「裏切られた」なんて気持ちは特に湧かない。彼女に記憶が無かったのは事実だろうし、嘘一つ吐くのにあれだけ申し訳なさそうな空気を醸し出すのだから、そこに悪意がなかったこともまた事実。

 ゆえに今、セリルが毛玉に思うことと言えば。


「このまま処刑でもされたら、泣いちゃう、よな」


 せっかく友人になってくれたのに、何とも不義理なことだと、彼はそれまでで最も深い溜め息をこぼす。

 その後、廊下から聞こえてきた騒がしい足音を、ゆっくりと振り返ったのだった。



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