その鼠は龍と語らう4
結局、馮則は白龍と共に甘寧の手土産として連れて行かれることになった。
ほとんど脅されて押し切られたようなものではあるが、一つだけ馮則自身が魅力を感じたこともある。
「孫権様は白龍の勇姿を側近くに置きたいと思うはずだ。つまりお前は、栄えある孫権様直属の騎馬隊に入るってことになるな」
甘寧が馮則を納得させようと、そんなことを言ってきたのだ。
ただし馮則は、栄えある、などと言われても全く惹かれない人種だ。栄光では腹は膨れないし、この乱世での安全も手に入らない。
真に魅力を感じたのは、続く甘寧の言葉だった。
「主君の側近くに仕える兵ってのは当然ガッポリもらえるし、そのくせ実は危険も少ねぇんだ。戦では頭をやられるのが一番マズいから、一番安全な配置になるのが普通だな」
(安全に……ガッポリもらえる?)
そんな美味しい話があって良いものだろうか。
しかし甘寧の言うことは理に適っているし、考えてもみれば馮則以外に乗れない白龍など、お飾りくらいしか使い道がないだろう。
そう考えた馮則は、それでも半ば以上嫌々ながらも、甘寧と一緒に孫権のいる揚州へと向かうことにした。
(意外と人が多いんだな)
道中、甘寧に付き従う人々を眺めて馮則はため息を漏らした。数百人はいる。
流浪の末に不遇を囲った甘寧に、数百人がついて来ているのだ。チンピラだという認識は改めて、一角の人物だと思わなければならないだろう。
そしてその認識は、いざ白龍を孫権にお披露目する段になっていっそう強いものとなった。
「孫権様、こちらがお話しておりました稀代の名馬、白龍でございます」
甘寧は新しい主君に恭しく頭を垂れ、そうのたまったのだ。
(ございます!?)
あぁん?、と言って自分のことを脅していた鈴ヤクザから、そんな語尾が発せられるとは夢にも思わなかった。
それに言葉使いだけでなく、孫権への態度、物腰も十分に礼儀正しい君子のそれだ。
後で聞いた話だが、甘寧は齢を重ねるにつれて書に親しむようになり、今では公的な場でも通用するだけの教養を身に着けているらしい。
若い頃は全くそんなことなかったので地は不良のようなものだが、必要とあらばきちんとした礼儀作法ができるとのことだった。
そしてその態度で接せられた孫権はというと、むしろこちらは少年のように目を輝かせて白龍に駆け寄って来た。
「おお!これはまた凄まじい馬だな!」
白龍の側に控える馮則は慌ててその前に立った。いきなり怪我などさせてしまえば、下手すれば白龍共々首が飛ぶことになる。
「お、お待ち下さい!こいつは猛獣のような暴れ馬で……」
「構わん。猛獣の相手なら慣れている」
孫権は小男の制止など気にも留めず、軽く押しのけて横にどかした。
実際、この男は慣れてしまうほどに猛獣の相手をしている。
狩猟が何よりの趣味であり、しかも虎などの危険生物を手ずから仕留めるのが好きという困った嗜好を持っているのだ。
我が身を大事とせねばならない殿様としては問題があるものの、そのおかげで馬相手に物怖じするようなことはない。
ガチンッ
と、噛みつこうとしてきた白龍の歯を危なげなく避けてみせ、
「ハハハッ、この暴れん坊め!」
などと上機嫌に笑った。攻撃されたにも関わらず、好感度は上がっている。
(こ、この殿様も鈴ヤクザも一体どんな神経してやがるんだ!?)
馮則のような臆病者は呆れるしかなかった。
さすがに周囲の臣下が危ないからと止めようとしたが、その声もどこか投げやりだ。こういう時の孫権が自重しないことを知っているのだろう。
結局孫権は巧みな身ごなしで白龍に迫り、軽やかに飛び乗ってみせた。
が、その後は当然、
「うおっ!?」
という驚きの声を上げることになった。
白龍は思い切り飛び跳ねて暴れ回り、孫権を振り落とそうとする。
その力、勢いがあまりに化け物じみていたので、適当に制止していた臣下たちが目の色を変えて集まってきた。
「そ、孫権様!」
「早く押さえろ!」
屈強な兵たちが身を挺して止めようしたが、むしろ孫権がそれを叱った。
「馬鹿者ども!下がれ!この巨体を人間の力で押さえられるものか!殺されるぞ!」
馮則もそれには同意見で、下手に押さえつけようとすれば死人が出てもおかしくはない。
実際に化け物を見上げる兵たちもそれはすぐ理解できたので、ぐるりと囲んだだけで踏みとどまった。
孫権はそれで安心し、なんとか白龍を乗りこなせないか馬上で奮闘してみた。
しかし、やはり無理だ。白龍はまるで落ち着かず、天地がひっくり返ったような状態がずっと続くのだから乗り続けてはいられない。
結局は渋々といった様子で鞍から飛び降りた。
「残念だ……」
地に足をついた孫権は一瞬眉を曇らせたものの、
「……しかし楽しかった!」
と、すぐに明るく言って、満面の笑みに戻った。本懐は遂げられなかったとはいえ、それでも至極満足そうだ。
「期待以上の化け物っぷりだ。良いものをもらった」
あそこまで拒絶されて、なぜそんな顔ができるのか。それに、なぜ化け物なことを喜んでいるのか。
まるで理解不能だった馮則は、孫権という貴人に対して妙な生物を見るような目を向けてしまった。
「お?」
そんな馮則に目をつけ、孫権はにこやかに近づいてくる。
「お前が例の鼠男だな?」
どうやら甘寧からすでに色々と聞いているらしい。
先ほどは白龍への興奮で目に入らなかったようだが、馮則が唯一白龍に乗ることができるという鼠男だと気づいたのだろう。
「ははぁっ」
慌ててひざまずく馮則を、孫権は値踏みするように見回した。
「ふむ……確かに馬から一目置いてもらえそうな雰囲気はまるでないな」
調教師としては恥ずべきことを言われているようではあるが、事実として馮則は馬から畏れられるようなことは滅多にない。その代わり、いつの間にか躾けられているような調教の仕方が得意なのだ。
「というか……お前……何というか……妙に存在感が薄くないか?それが白龍に乗るための条件ということか?」
例の人相見の話からすると、そういうことなのかもしれない。
馮則は曖昧にうなずいた。
「はぁ……自分もよくは分かりませんが、白龍は自分のことを風景のように見ている気がします。ほとんど気にも留めてないから乗せてくれてるのかもしれません」
そう答えてから、貴人に対する受け答えとして今のでいいのか心配になった。世の中には無礼討ちのような話はいくつも転がっている。
しかし孫権は上機嫌な顔のままで白龍を顎でしゃくった。
「よし、とりあえず乗ってみせろ」
馮則は言われた通りに乗ってみせたが、白龍は先ほどの暴れっぷりが嘘のように大人しくしている。
というか、人を乗せたというような素振りすら見せない。まるでそよ風でも吹いたような風情だ。
孫権はそんな白龍の鼻面をまじまじと見つめながら、うーんと唸った。
「なるほど……これは一筋縄ではいきそうもないな。体だけでなく、心の方も普通の馬ではないようだ」
そう言って納得したように一つうなずいたが、自分が乗れなかったという結果には納得しなかったらしい。すぐに言葉を付け足した。
「しかし私は諦めんぞ!白龍の機嫌の良い時を狙ってまた挑戦する!まずは慣らすために、できるだけ側にいよう!よって鼠男、お前は私の外出時には必ず白龍を同行できるよう準備しておくのだ!」
「へ、へい!」
馮則は下げられるだけ頭を下げたが、それでも巨大な白龍の馬上だ。当然孫権よりも高いところになる。
しかしこの殿様はそんなこと気にした様子もなく、満足そうにバンバンと馮則の太ももを叩いた。
孫権の外出時にすぐ側を行くということは、甘寧の言っていた通り直属の騎馬隊が所属になるのだろう。
(つまり、安全に、ガッポリ……)
馮則はその夢のような労働環境に胸を高鳴らせた。
それから弾む心でこれから同僚となる周囲の兵たちへと目を向ける。
どこの職場でも人間関係は重要だ。馮則は人から警戒されないたちなので、今までの仕事仲間とは和気あいあいと過ごせてきた。
そうなるつもりで愛想の良い笑みを振る舞った……のだが。
帰ってきた視線のいくつかには明らかな悪意が感じ取れた。半眼でこちらを睨んでいる者すらいる。
(な……なんで?俺、まだ何もやってねぇよな?)




