おっさん、苦笑しまくる
「さて」
皇帝ソロモアはパチンと両手を鳴らすと、ルイスとアリシアを交互に見やった。
「お遊びはこの辺にして。君たちに謝礼をしたいという話だったね。ささ、こっちに来なよ」
「……は、はい……」
思わず間抜けな返事をしてしまうルイス。
なんだか肩の力が抜けた気分だ。
帝国一番の権力者だから、どんな人物かと思えば――意外にも取っつきやすい性格をしている。
緊張して損した。
「…………」
だが、相手は曲がりなりにも皇帝陛下だ。
短い金髪は、やや硬質で、多方面に逆立っている。顎にも同じく金色の髭が短く伸びているが、不潔な印象はなく、むしろそれがなんとも表現しがたい風格を帯びている。
そう。
拍子抜けしてしまったものの、相手は間違いなく皇帝。気を抜ける人物ではないし、間違っても粗相なぞしてはいけない。
「よっこらせ、っと」
皇帝ソロモアは玉座に腰掛けると、目の前の床を指さした。
「あ、すまないね。いまソファーを持ってこさせるよ」
「ソ、ソファー……」
普通、こういうときは平民たるルイスらがひざまづくものではないのか……?
ルイスが返答に窮していると、隣に立つ皇女プリミラが同情したかのような笑みを発した。
「すみません……。お父様はいつもこうで……。調子、狂いますよね……」
「いやいや、私ゃ話しやすいからいいんですがね……」
「この前なんか、ひとりで夜の街に出かけて……国民に混じって居酒屋で叫んでたんですよ! もう、いい加減にしてほしいです……!」
「まだ怒ってるのかい……。結果的にバレなかったからいいんだよ」
「そういう問題ではありませんっ!」
……なんだかコントを見ているようだ。あのアリシアでさえ苦笑いを浮かべている。
ルイスはふうと息をつくと、皇帝ソロモアの瞳をまっすぐに見つめた。
「お心遣いには感謝致しますが……私は平民の身。敬意を表しまして、ひざまづかせていただきます」
「むむ……」
ソロモアが思案顔で顎を撫でた。
その眼力の強さに、ルイスはどきりとする。
さすがは帝国を束ねる王なだけはある。
強さだけじゃない。
あれは、優しさと思慮深さも備えた、本物の男の眼だ……
ルイスがそこまで思考を巡らせたとき、ソロモアはふっと笑った。
「よかろう。そなたの好きにするがよい」
「ありがとう、ございます……」
ルイスがそう返答すると、アリシアもならって隣に片膝をついた。
皇女プリミラはといえば、ちょこちょこと歩きだし、皇帝の隣でルイスたちを見下ろす格好となった。
「ふう。では本題に入るか」
口火を切ったのは皇帝だった。
「そなたたちには改めて、礼を言わせていただきたい。神聖共和国党とは、かくも恐ろしい相手よ。そなたらがいなければ、余の首は取んでおった」
「は。恐縮です」
「して、帝都を救ったそなたたちに、せめてもの礼をしたいのだが……。なにが欲しい? 金、食べ物、なんでもよいぞ? それとも綺麗な女性が欲しいかな?」
「お父様?」
皇女プリミラがぎろりと父を睨む。
「冗談です、はい……」
「大事な話なんですからね? 真面目になさってください」
「仰る通りでございます……」
「……はは」
思わず苦笑をこぼすルイス。
プリミラは、はぁと大仰なため息をつくと、改めてルイスを見やった。
「ルイスさんはそれ以前にも大きな功績を残してくださいました。あのときの願いも聞けずじまいです。なんでも仰ってくださいな」
「では……」
ルイスはこほんと咳払いをすると、決意を込めて、皇帝と皇女を見上げた。
「かの隣国……ユーラス共和国へ訪問する権利をいただきたいと思っております」
「それくらい、お安いご用ですわ! ただちに――」
「待て」
黄色い声をあげるプリミラを、皇帝が右手を掲げて制した。
「ルイスよ。そなたの願いならなんでも叶えてやりたいところだが――それだけは、簡単にくれてやるわけにはいかぬな。なにしろ国運がかかっておる」
「…………」
あの眼だ、とルイスは思った。
おちゃらけている時とは全然違う、この世のすべてを見通しているかのような眼力。さっきまでのヘラヘラ笑いが嘘のように、真顔でルイスを見つめてくる。
「そなたとてわかっておるだろう? 先の帝都襲撃で、両国はかつてないほど険悪な関係だ。そこに、商人でもなんでもない人間――ましてや神聖共和国党を撃退したそなたが赴く……それを、ユーラス共和国がどう解釈すると思う」
「あ……」
皇女プリミラが気圧されたかのように眉尻を下げる。
――ルイスの訪問を、ユーラス共和国がどう解釈すると思うか――
これは最もな意見だ。
現在、帝国と共和国の間では、自由な行き来が許可されていない。
それができるのは王族と一部の貴族、そして上流の商人のみだ。この理由については二千年前の歴史を遡ることになるが、ざっくらばんに要約すれば、単に不仲が続いているのである。
つまり、ここで一平民たるルイスが共和国に出向けば、絶対に怪しまれる。
しかも神聖共和国党によるテロ事件があった後だ、タイミングも最悪である。
プリミラは自身の軽率な発言を咎めるかのように、しゅんとして言った。
「お恥ずかしい限りです……なにも考えずに、私……」
「構わぬさ。そなたはまだ子どもの身。精進すればよい」
皇帝は優しく娘の背中を叩くと、改めてルイスに視線を戻した。
「ゆえに、それだけは簡単に許可できんのだよ。心苦しくはあるがな」
まあ、仕方のないことだと思う。
ルイスの個人的な申し出で、もし戦争にでも発展したら……それこそ、取り返しのつかないことになる。
ルイスはふうと深呼吸して言った。
「皇帝陛下。私たちの顔と名前は……もう向こうに知られているのでしょうか」
「いや、おそらくまだ気づかれてはおらん。だがユーラス共和国にも手練れがわんさかおるからな。神聖共和国党など、可愛く見えてしまうほどに」
「…………」
ということは、隣国の手の者が、いずれルイスたちの尻尾を掴む可能性はあるわけだ。
「皇帝陛下!!」
ふいに大声が響き渡り、大扉が勢いよく放たれた。
姿を現したのは、痩身の神経質そうな男性――ぱっと見、ソロモアの側近のように思えた。
なにやら尋常でない様子だ。額から汗がダクダクと流れている。
「突然申し訳ありません! ユーラス共和国より、重大なご報告が――あ」
よっぽど慌てていたのだろう。
男はやっとルイスたちの存在に気づいたのか、口を両手で隠し、後退する。
「も、申し訳ありません。取り込み中でしたか」
「よい。ちょうど共和国について話していたところだ」
そこでソロモアはちらりとルイスを見下ろすと、再び側近に視線を戻した。
「して大臣、用件はなにかな。そなたがそこまで慌てているということは、ただならぬ案件だと思うが……」
「は、話してしまってよろしいでしょうか? 一般の者の前ですが……」
「構わぬと言っておろう。話せ」
「で、では……」
大臣は眼鏡の中央をくいっと持ち上げ、呼吸を整えてから、衝撃の発言をした。
「ユーラス共和国の大統領より正式な見解が発表されました。――神聖共和国党については、なにも関知していない、責任は自分たちにはない、よって処分は任せる……だそうです」




