エリックの誓い
エリックは困惑していた。
息を呑むほど美しく、家柄も出自も、その性格以外は何ら問題のない婚約者に、あらゆる不利益を覚悟した上で婚約破棄を突きつけた。
限界だったのだ。
元々エリックは、優しく朗らかで親しみやすい女性が好きだった。
勿論エリックの好みから外れている、という理由だけで破棄したわけではないが、ヒステリーをぶつけられるのは辛かった。
彼の周りにいる女性と言えば母親と妹。
どちらも優柔不断な彼と違って、苛烈で暴れ馬のような性格をしている女性である。見た目はか弱く美しいからタチが悪い。
話を戻そう。
婚約者は昨日まで、高位貴族以外は人間ではないとばかりの高慢で鼻もちならない女性だった。交友関係に口出ししたり、粗相のならない相手のパーティーで帰りたいと駄々をこねられた時は宥めながらも額に青筋が浮かんだ。
貴族社会というのは繋がりが非常に物を言う。ましてやエリックの継ぐフォンドヴォール公爵家は、宰相や高位文官を輩出する名門だ。交友関係を広げるために学園に通っているといっても過言ではないのだ。
また、彼女から嫌がらせを受けているという男爵家の女生徒がいた。
彼女は泣きながら聞くに堪えない嫌がらせをエリックに訴えた。彼女の訴え以外の証拠がなく、疑わしい点がいくつかあったので全て本気にしているわけではないが、やりかねないと思わせるような女性ではあった。
将来、自分の継ぐ公爵家の足を引っ張る存在になることは間違いなかった。
そうして繰り返すが、彼は優しく朗らかで親しみやすい女性が好きなのだ。
だから婚約破棄を告げた時の彼女の変わりようには唖然としたし、恐らく自分との婚約破棄を避けるための芝居だろうがーーこの性格の彼女だったら、自分は生涯この女性を大事にしただろうな、と思った。
帰宅してすぐ、婚約破棄について父に話すつもりだったが、破棄を告げた時の彼女の姿がちらついて離れなかった。そしてタイミング悪く、父は帰りが遅かった。
結局昨日は話せないまま、若干の気まずさを持って彼は登校した。
同じクラスのリリアは、どうせ機嫌が悪いのだろう。
あの女性が、芝居を長く続けられる筈もない。罵倒されたら、女性に恥は掻かせないようーーけれど毅然と、対応せねば。
教室に入ると、クラスがざわついていた。
そのざわめきの中心部に彼女がいる。
「あっ、エリック様、おはようございます!」
にこにことリリアが近づいてきた。天使のように屈託のない笑顔だ。
「あ、お、おはよう……」
ドギマギしながら返して、いや、これは彼女の作戦だ、と思い返す。
リリアがエリックの耳元に顔を寄せる。
ふわり、と香る柔らかな花の香りにエリックの体は固まった。
「婚約破棄の件、いつ頃クラスのみんなに説明してもいいでしょうか?」
誰にも聞こえないよう小声で彼女が囁く。
耳にかかる息がくすぐったい。
「……我が家から正式に連絡があるまで、待っててもらえるだろうか」
平静を装ってそう言うと、リリアはすぐに離れてわかりました、とにっこり笑った。
「これからはクラスメイトとして、仲良くしてくださいね」
笑うリリアに、騙されないぞ、と固く誓った。





