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婚約破棄

 


 私が、前世の記憶を思い出したのは婚約破棄を言い渡されるつい十分前のことだった。

 婚約者のエリック様に呼び出され、人気の少ない礼拝堂に向かう途中、強い頭痛によろめいた。

 その時、今まで全く思い出せなかった記憶の濁流が一気に押し寄せてきた。色鮮やかなそれらに目がちかちかする。あまりの衝撃に、呼吸もままならない。



 前世の私は普通の女子高校生で、まあまあ人生を楽しんでいた。ある日下校中、青信号を渡っていた時トラックが凄い速さで突っ込んでくるのが見えた。強い衝撃を最後に記憶が途切れているので、多分私はその時に死んだのだろう。



 そして昨日までの私――私なんだよね?逆に今実感ないけど――はリリア・セイ・リリエンタール。侯爵家の一人娘であり、公爵家嫡男エリック・レイ・フォンドヴォールの婚約者だ。



 ゆるやかにカールした黒髪に、黒い瞳。前世と違うのは色の白さと、整った顔立ちだった。

 記憶を戻してすぐ、慌てて窓ガラスに映る自分を見つめた。


 素晴らしい美人が立っていた。長い睫毛は柔らかくカールして、潤んだ瞳は黒い宝石のようだ。

 薔薇色の頬に潤んだ瞳、小さく可憐な赤い唇。


 やや控えめに言って、女神。



 エリック様は幸せ者だな。そんなことを思っていると、はたと昨日までの自分の記憶も鮮明に戻ってきた。リリア・セイ・リリエンタールは、ものすごく性格の悪い女だったのだ。



 それはもう、美貌も霞むくらいに。

 というか、美貌と相まって性格の悪さはさらに際立って見えていた筈だ。


 王家に連なる歴史ある名門フォンドヴォール公爵家嫡男の婚約者に収まったリリアは、ただでさえ高い鼻っ柱をさらに高くし、自分より身分の低い人間を見下し、嘲笑うような女だった。


 婚約者のエリック様にも、贈られるドレスにケチをつけたり交流関係を管理しようとした。気に入らないパーティーで帰りたいと駄々をこねたり、およそ未来の公爵夫人に相応しい振る舞いとは言いかねた。



(私がエリック様なら耐えられずに婚約を解消するなあ……)



 そこまで思ったところで、さーーーっと血の気がひいた。


 私は、俗に言う悪役令嬢に転生してしまったのでは?と。






 礼拝堂に着くと、エリック様は先に来ていた。

 記憶を戻して初めて見る彼の瞳から、嫌悪と罪悪感が見て取れる。



 息を呑む私に、固い顔でエリックが告げた。



「リリア。申し訳ないが、君との婚約を破棄したい」



 きっと何度も考えたのだろう。苦渋の決断だったと彼の顔が物語っていた。

 その顰めた眉根から漂う色気に、ぽろっと本音が口から漏れる。



「……かっこいい」


「はっ?」



 目の前の美男子が、驚いたように顔を顰める。



 ステンドグラスから差す柔らかな日差しにきらめく金の髪はため息が出るほど綺麗だった。すっと通った鼻筋も、寄せた眉根の形の良さも、何もかもが整っていた。見たことも想像したこともない美貌だ。

 あまりの格好良さに、口からぽろぽろ本音が溢れる。



「す、すみません、すっごくかっこよかったので」



 透き通った菫色の瞳が戸惑い気味に私を見つめている。先ほどまでの嫌悪と罪悪感は消えたようだが、今は得体の知れない気味の悪い生き物を見ているような眼差しだった。



 ああ、それでもなんてイケメン。



「ええ〜……顔が好きです……付き合いたい……」



 絶世の美男子が、心の底から引いてる様子が伝わってくる。ドン引きである。

 いけない。令嬢の振る舞いではなかった。

 こほん、と咳払いをして、澄ました顔を取り繕う。



「あの、失礼しました。取り乱しまして」



 あ、ああ、と答えるエリック様は胡乱げだ。

 私は慌てて口を開く。



「エリック様、そのお話はどなたかになさいましたか?」


「いや……まずは君に伝えてから、と思っていた」


 目を伏せる彼は、美しい顔立ちに相応しい誠実な人間なのだろう。

 でも貴族的にいいのかな。生き馬の目を抜く貴族社会で、これからこの人生き抜いていけるのかな。心配になってきた。

 フォンドヴォール公爵家って、結構心理戦が得意なお家だと聞いてたけど、そんなこともないみたい。



「婚約破棄って、本当に大変だと思いますよ。考え直す気はありませんか?」


「……決めたことを翻す気はない」



 キッパリと、エリック様が言った。おそらく私が婚約破棄を撤回させるための振る舞いだと思ったのだろう。目に警戒の色が滲む。



 我が家は侯爵家ではあるけれど、所有している領地は豊かな上交易も盛んで、かなりの税収がある。政治への発言力もあるため、名門フォンドヴォール公爵家といえども一方的な婚約破棄は要らない火種になりかねない。

 確か妹さんは王太子の婚約者と聞いた。ならば余計に、揉めたくはないだろう。



 心底悩んだろうな。でも絶対に嫌だったんだろうな。

 高校生だった自分に染まっている私は、目の前の傷ついた子猫みたいなエリック様がかわいそうでならなかった。

 まだ十八歳なのに、嫌いな女と結婚しなければならないなんて辛すぎる。




「わかりました。侯爵家から婚約を破棄することは出来ませんが、そちらからお話を通して頂ければ私もできる限りエリック様の意向に沿えるよう、父に話します」


 なるべく警戒されないようへらっと笑うと、エリック様はひどく驚いた顔をした。



「き、君は……それでいいのか」



 エリック様の言葉に頷く。

 正直言って、気ままに生きてきた記憶を取り戻した今、公爵夫人になるのは尻込みしちゃうし。

 リリアの両親はリリアを溺愛しているから、政略結婚がなくなっても私は怒られたりしないはず。エリック様のほうが大変だと思う。




「私は心を入れ替えました。昨日までとは別人と思ってくださって結構です。エリック様の仰ること、全て受け止めようと思っていますのでご心配されるようなことは致しません。それでは、ご機嫌よう」



 ぺこりと頭を下げて、足早に礼拝堂を出た。



 お手洗いに行って、鏡を見よう。

 めちゃくちゃ好みの美男子に婚約破棄されたのは無念中の無念ではあるけど、こんな美女になったのだ。



 憧れだった美女ライフ、楽しませて頂きます!






読んでくださってありがとうございます!

しばらくゆっくり更新ですが、よろしくお願いします。

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8/12 コミカライズ1巻発売です!
よろしくお願いします!
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