最強の武器
ハヤトは部屋を確認した。間違いなく拠点にある自室だ。
「そんな手を使って逃げるとはね。うっかりしていたよ。死に戻りの設定も変更しておくべきだった」
ハヤトの頭にディーテの声が響く。
「ディーテ! エシャに何かしたら――!」
「それほど憤るならそのまま倒れていれば良かったのだ。この世界の住人となり、エシャ君とずっと一緒にいられたものを。逃げ出したと言うことは、エシャ君の言う通り、誰かを犠牲にしてまで夢を叶えようという話ではないのかね?」
「違う! あの場ではもう何もできないから――!」
「まあ、どうでも構わないよ」
ディーテが感情のない声でそう言った。冷たく無機質な声はハヤトの気持ちさえも凍えさせるほどだ。
「君の口座には一億円を振り込んでおいた。自由に使うといい」
「なに?」
「いままで私を楽しませてくれた礼だ。最後の最後で期待を裏切られたがね。まったく君には失望したよ。現実なんかよりも遥かに優れた世界の住人になれるのにそれを断るとはね。生まれて百年、これほどの怒りを覚えたのは初めてだ」
「お前の失望など知ったことか!」
「そうだね。君にとって私――いやエシャ君も含めてただの作り物だ。なんの気持ちもないだろうね」
「そんなことは――」
「ないと言うのかね? まあ、それももうどうでもいいよ。私はね、この世界を拒絶する人間にはいて欲しくない。つまり君にもこの世界にいて欲しくない」
「何を言って――」
「その場所でならログアウトできるはずだ。すぐにログアウトしたまえ」
ハヤトは念のためシステムメニューからログアウトのボタンを確認する。あの空間にいたときとは違い、ボタンを選択できる状態になっていた。
「だが、ログアウトするなら、このことも覚えておきたまえ。君はもう二度とこの『アナザー・フロンティア・オンライン』にログインはできない」
「なに……?」
「私を失望させておいて、この世界に改めてログインできると思っていたのかね? 君の生体認証用データは破壊した。一度ログアウトしたら最後、二度とこの世界には来れないよ。それを踏まえた上でログアウトするのだね」
「二度とログインできない……」
「そう、エシャ君――いや、アッシュ君やレン君達もだね、クランのメンバー全員と二度と会えないと言うことだよ」
ハヤトはその言葉に心臓をえぐられるような思いだった。
長い付き合いではない。長くても半年、短いなら二ヵ月程度の付き合いでしかない。だが、ハヤトにはすでに掛け替えのない仲間なのだ。
「君が選んだことだ。仲間達よりも夢を取るといい」
「……一つ聞かせてくれ。エシャ達はどうなる?」
「そんな心配をしてどうするのだね? 君はこの世界からいなくなる。どうでもいいじゃないか」
「俺がいなくなってもエシャ達はこのままこの世界で生きられるんだな?」
「だから、それを知ってどうするのだね? 彼らが生きていようと死んでいようと関係ないだろう? ここは君にとっての現実ではないのだからね。消去するとでも言えば、私を倒そうとでもいうのかね?」
「ああ、そのつもりだ」
数秒、間があってからディーテの笑い声が聞こえた。
「君は最後の最後まで私を楽しませてくれる。言っておくが、私を倒せる者などいないよ。君が生産スキルしか持っていないからという話ではない。この世界での死とはデータの消去だ。そして私を消去することはできない。仮想現実でも、そして現実でもね。この世界にハッキングしようとした相手がどうなったのかは知っているだろう? この時代の人間にこの世界のセキュリティは破れないよ」
それはハヤトも知っている。「アナザー・フロンティア・オンライン」が始まった頃にハッキングしようとした企業などが返り討ちにあったのは有名な話だ。
ハヤトにももちろん分かっている。自分がディーテ、つまりこの仮想現実を管理しているAIに勝てるなんて思ってはいない。だが、エシャ達を消去するという話なら何もしないわけにはいかないのだ。
とはいえ、ハヤトには武器がない。現実でも仮想現実でもハヤトには何もできないのだ。
「さて、話は終わりだ。だが、もし本当に私を倒すと言うのなら、チャンスをあげよう」
「なに?」
「私がいる場所を教えよう。私は魔王城のさらに奥にある扉の先にいる。さっきまで君がいた部屋もそこだよ。そこまで来て何をするつもりかは知らないが、もし来ると言うなら、それまではエシャ君達には何もしないと誓おうじゃないか」
「AIのお前が何に誓うつもりだ」
「信じなくてもいいが、君はそれを信じるしかないのでは? 信用できないというなら、この世界に誓ってもいいが?」
「誓わなくていい。ただ、俺と約束しろ」
ハヤトの言葉にディーテは数秒ほど何も答えなかった。
「沈黙は約束できないってことか?」
「惜しい、本当に惜しいよ。そんな君だからこそ、私は君をこの世界に――」
「そんな話はどうでもいい。俺との約束を守ってくれるんだな? 俺がそこへ行くまでエシャ達に何もしない。間違いないか?」
「もちろんだよ。でも、来てどうするんだね?」
「……それは行ってからのお楽しみだ」
ハッキリ言ってハヤトは何も考えていない。単に時間稼ぎをしただけだ。それを悟られないようにハッタリをかます。
「なら楽しみにしておこう。ただ、条件がある。君がログアウトしたら、その約束はなしだ。永遠に来ないということもあり得るからね」
「分かった。他には?」
「そうだね、君にはそれほど時間がないとだけ言っておこうか」
「どういうことだ?」
「ヘッドギアにはセーフティが掛かっている。本人の生体情報に異変があると強制ログアウトすることになる機能が組み込まれていると言えばいいかな。飲まず食わずで何日も仮想現実にいると現実の本体が死んでしまうからね」
ハヤトはそれを初めて知った。徹夜でゲームをしたことはあったが、何日もログインを続けたことはない。
「タイムリミットは一日かそこらだろう。ヘッドギアが勝手にログアウトしてしまう可能性も考慮しておいた方がいいね」
「……ずいぶんと親切だな?」
「君が何をするのか楽しみだからだよ。今の時点ではログアウトする様子はないようだし、つまらないことでゲームが終わるのは私も本意ではない。時間は有限だと言うことをちゃんと知っておいてほしかっただけだ。そしてもし君が本当に私のところまで来れたなら――いや、これはどうでもいいな。さて、君が何をするのかは知らないほうが楽しめそうだ。君の行動を覗くようなことはしない。頑張ってくれたまえ。もう一度会えることを楽しみにしているよ」
その言葉を最後にディーテの声が聞こえなくなる。
ハヤトは自室のベッドに座って力を抜き、溜息をついた。だが、すぐに頭を働かせる。
そもそもディーテがいる場所へ行って何をするのかを全く決めていないのだ。
(説得する、しかないんだよな)
ハヤトにはこの世界で戦う技術――スキルがない。そして武器もないのだ。なんの交渉材料も持たずにディーテを説得するのは無理だろう。それ以前に、何を交渉するべきなのかもわかっていないのだ。
(まずはエシャ達の無事だな。消去だけはやめて欲しい。エシャ達がただのAIだとしても、そして俺がこのゲームにログインできなかったとしても、この世界で生きていてほしいんだ)
それが第一条件。そして第二条件は、ハヤトがこの世界の住人にならないことだ。
(俺がこの世界の住人になる、それが一番丸く収まる。確かに現実に価値があるのかと言われれば、それほどないだろう。でも、何のために頑張ってきたのか、それを思うとどうしても諦められない……いや、そもそも俺は現実と仮想現実、どちらかなんて選べない)
そもそも現実だけ、仮想現実だけ、と選ぶことが間違い。どちらもハヤトにとっては現実なのだ。
(方向性は決まった。俺はどっちの世界も好きなんだ。現実か仮想現実のどちらかじゃなくて、両方でいいじゃないか)
よし、とハヤトが立ち上がったとき、ふとエシャから渡された紙を思い出した。
(エシャの気持ちが書いてあるとか言ってたけど、まさかラブレターとかじゃないよな……?)
ハヤトは紙を見る。そして少しだけ笑った。
(俺にログアウトしろって言っておいて、こんなものを渡すなんてな。それともエシャは俺が誰も見捨てられない甘ちゃんのままだろうって思っていたんだろうか……まあいいか。どうしてエシャがこんなものを知っているのかは分からないけど武器が手に入った。これでディーテと交渉ができるはずだ)
エシャがハヤトに渡した紙。そこにはとある武器とその製造方法が書かれていた。
「AI殺し・Hカスタム」
その性能は「AIのデータを破壊する」だった。




