復活と待機
「ご主人様、とっとと逃げますよ。しっかり立ってください」
エシャにそう言われて、ハヤトは少し落ち着きを取り戻す。いつも通りにメロンジュースを飲んでいるエシャがいることで安心できたのだ。
立場的には本来逆なのだろうが、そんなことを考えている場合ではない。ハヤトは一度だけ深呼吸をしてから立ち上がった。そして入ってきたエシャと合流する。
だが、同時にディーテも立ち上がった。
「エシャ君、酷いじゃないか。いきなり撃つなんて」
「撃つと言ってから撃つ人はいませんよ。だいたい、何をしようとしてたんです? 立派なセクハラですよ?」
「……少しくらいは話を聞いていたのだろう? 君にとってもいい話ではないかね? ハヤト君とずっと一緒にいられるのだ。邪魔をする理由が分からないね」
「何を言っているかなんて全然分かりませんでしたよ。ところどころ単語が抜けているので。ご主人様が襲われているくらいの認識しかありません」
(AI保護で聞こえなかったってことか)
「なるほど。なら言っておこう。ハヤト君は夢のために遠くへ行こうとしている。だから引き留めたのだ。ハヤト君がいなくなるのはエシャ君も嫌だろう?」
エシャが武器を構えたまま、後方にいるハヤトをちらりとだけ見る。
「本当ですか?」
ハヤトは言葉に詰まる。
それは間違いではないのだ。いなくなるわけではない。だが、喫茶店を始めるためには色々な準備が必要だ。ゲームをしている時間は確実に減るだろう。
この場で嘘を吐き、ログアウトできる場所まで逃げる、という選択肢が頭をよぎったが、ハヤトの中でそれは否定した。たとえエシャが敵に回ったとしても嘘を吐きたくないのだ。
「その通りだよ。夢を叶えるために遠くへ行く。ただ、いなくなるわけじゃない。拠点にいる時間は大幅に減るだろうけどいなくなったりはしない」
「そうですか……」
「これで分かっただろう? 私はハヤト君を引き留めているにすぎな――」
「デストロイ」
エシャはデストロイを放つ。大小十個の魔法陣を突き破り、光の弾がレーザーのようになってディーテを貫いた――ように見えたが、そのレーザーはディーテに届かなかった。当たる直前に拡散してしまったのだ。
「エシャ君は私の正体に気づいていたのではないのかね? その攻撃は効かない――ああ、そういうことか。これは一本取られたね」
ハヤトの耳にはそう聞こえた。だが、聞こえたのは微かだ。
ハヤトとエシャはすでに部屋を出ており、逃げ出していたのだ。デストロイを撃った時の衝撃、それを利用して外へ逃げるのが本命。エシャの機転によりハヤト達は無事に部屋の外へ出た。そして走って逃げている。
「ありがとう、エシャ」
「礼はまだ早いですよ。早くここから逃げ出さないと――でも、ここはどこでしょう? 来たときとは道が違いますね」
無機質な黒い壁が続く通路。来た時とはまるで違った感じの通路に二人は首を傾げる。
「二人とも諦めたまえ。私はこの世界の神だぞ? その空間にいる限りログアウトはできない設定だ。そしてその空間に逃げ場などない。つい今しがた空間を閉鎖したからね。まあ、納得がいくまで逃げたまえ。諦めたら声をかけてくれればいい」
空間にディーテの余裕そうな声だけが響く。
ハヤトは念のために確認する。確かにログアウトはできなかった。
どういう理屈で仮想現実の住人になるのかは分からない。ログアウトさえすれば何とかなるはずだと思っていたが、それができないのならどうすればいいのかとハヤトは頭をフル回転させた。
闇雲に通路を逃げ回っていたが、エシャが走るのをやめる。同じようにハヤトも止まった。
「エシャ?」
「この空間から抜け出せれば何とかなりますか?」
「分からないけど、たぶん、何とかなるはず」
この空間以外ならログアウトができる可能性が高い。正確なところは言えないが、ハヤト個人がログアウトできないのではなく、この空間ではログアウトできないとディーテは言っていた。
「ご主人様には夢があるんですよね? どうしても叶えたい夢が」
「いきなりどうしたの? そんなことよりも逃げないと」
「答えてください」
普段とは違った真面目なエシャの顔。今の状況から考えれば当然なのだが、そんな話をしている場合ではない――はずなのだが、エシャの強い視線に負けた。
「そうだね。どうしても叶えたい夢がある」
エシャが笑顔になる。
ハヤトはその笑顔が少しだけ儚いような気がした。
「ご主人様は今の今までずっと甘ちゃんでしたが、卒業するときが来たようです」
「なんの話?」
「どんな犠牲を払ってでも自分の夢を叶える、そういう気概を持った男になるべきだと言ってるんですよ」
「いや、だから一体なんの――」
エシャは何も言わずにハヤトに紙を押し付けた。
「えっと、これは……?」
「見ても見なくてもいいです。まあ、私の気持ちが書いてあるとだけ言っておきましょう。では準備しましょうか……最後の一本ですね」
エシャはアイテムバッグからメロンジュースを取り出した。それをハヤトの目の前で飲む。
何をしているのかをエシャに問いただそうとした瞬間、エシャはベルゼーブをハヤトに向かって構えた。
「エ、エシャ?」
「エシャ! 待て!」
エシャはディーテの驚いた声には何の反応も示さず、ハヤトに対して笑顔を向けた。
「さようなら、ご主人様。楽しかったですよ」
エシャは躊躇することなく、ハヤトを撃つ。
ハヤトはHPが0になり仰向けに倒れた。そしてハヤトの目の前には選択肢が現れる。「復活」と「待機」だ。
「復活を選べば拠点に転送されるはずです」
その場に倒れてはいるが、ハヤトにはエシャの言葉が聞こえる。そういう意図があったのかとハヤトは思ったが、エシャがこの場に取り残されることについて不安を感じた。
それにさっき言っていたエシャの言葉「どんな犠牲を払ってでも自分の夢を叶える」、その意味を理解して、ハヤトは声を出そうとした。だが、HP0の状態で声を出すことはできない。
「何をしているんですか。とっとと拠点へ戻ってログアウトしてください。ご主人様はこんなところにいてはダメですよ」
(馬鹿な、何を言ってる! エシャがこのまま残ったらどうなるか――くそ! 声がでない!)
「早く行ってください。ディーテがここへ来て蘇生でもされたらもう逃げられませんよ……ご主人様の夢がどんなものなのかは知りませんが、それを叶えるのに貢献した超絶美人な女の子がいたって覚えておいてくれれば私は満足ですから。だから早く」
エシャが今までに見た中でも最高の笑顔でそう言った。
そして足音が聞こえてくる。おそらくディーテだろう。
「ハヤト君、逃げても構わないが、その時はエシャ君がどうなるのかを理解しておくべきだ。私が行くまでそこで寝ていたまえ」
(くそ!)
この状態ではどうすることもできない。それにエシャが作ってくれたチャンスを無駄にするわけにもいかない。
ハヤトは「復活」を選択した。
次の瞬間、ハヤトは拠点の自室に立っていた。




