管理者
ディーテはハヤトの連絡を受けるとすぐにやってきた。
ここは仮想空間であるため、音声チャットでの会話でも面と向かっての会話でもそこに違いはないのだが、たとえ仮想現実でも大事な話は対面して話したいというのがハヤトの考えだ。
そして話は秘密にするようなこともないので、エシャもその場にいてもらうことにした。それはディーテに裏の事情があったときの対策ではない。単純に情報共有のためだ。
そのことについては連絡を入れたときに話していなかったので、ディーテは拠点の食堂へ足を踏み入れた瞬間に少しだけ驚いた様子だった。
「おや、エシャ君もいたのか。ハヤト君から大事な話だと聞いたから、二人きりだと思ったんだがね?」
「朝っぱらからたたき起こされて、ちょっぴり不機嫌だと言っておきます」
その後、三人で挨拶を交わしてから、ディーテは食堂のテーブルを挟んで椅子に座る。ハヤトとエシャが並んで座り、その対面にディーテがいる形だ。
「さて、ハヤト君、大事な話とはなんだろうか? 私としてはとうとうこの世界だけで生きる決心をしたのかと思いたいところなんだがね?」
ディーテは冗談っぽく言ってはいるが、多少は期待しているのだろう。ハヤトにはそう思えた。
だが、そんな話ではない。つい先ほど聞いたヴェルの話だ。
管理者が秘宝の秘密をヴェルに話し、アッシュやレンがそれを手に入れると大変なことになるということ。そしてディーテが嘘をついているということ。
主にこれらのことをハヤトはディーテに説明した。エシャもこの場でその話を聞くことになり、少しだけ眉間にしわを寄せてディーテを見ていた。
ハヤトは目をつぶりながら一度だけ深呼吸をする。そして目を開けながら、同時に口も開いた。
「ディーテちゃん、なにか思い当たることは――どうかした?」
思いのほかディーテは動揺していた。AIなのに挙動不審だと言ってもいいだろう。
「ま、待ってくれ、ハヤト君! そ、それは私を疑っているという話なのか!?」
「え? いや――」
「聞いてほしい。本当に私は設定の一部を変更できないんだ。それを証明しろと言われても難しい。私のプログラムを全部見られても構わないが、エシャ君ですらそれを確認するのは不可能だ。それに秘宝の秘密をヴェル君に話したなんて知らない。そもそもあれに秘密があるなんて私は知らないんだ」
ディーテは必死になって弁明している。それは普段からは全く想像できないほどに。
「あの、ちょっと待っ――」
「私は確かに嘘をつけるほどのAIだ。それに人の気持ちを完全に理解できるとは言えない。私は自分のエゴでハヤト君をこの世界に閉じ込めようともした。信頼されていないのも分かる。だが、信じてくれ。私は嘘なんて言っていない」
「だからね――」
「私は他の誰にどう思われてもいい。だが、ハヤト君、君にだけはそんな風に思われたくないんだ。何をどうすればいい? お金か? お金を振り込めば信用してもらえるのか!?」
「まず、ご主人様の口座へ一億振り込んでください」
「それで信用が買えるんだな!?」
「ディーテちゃん! あとエシャ!」
ハヤトが大きな声を出すと、二人ともびくっとなって大人しくなった。
暴走しているとはこのことだろう。ディーテは明らかに挙動がおかしい。ハヤトから信用を得られていないということによほどの恐怖を感じたのか、普段の冷静さが全くなかった。
だが、ハヤトが大声で名前を呼ぶことで少しだけ動きを止めた。そこを見計らって、ハヤトは二人の頭にチョップを放つ。
とくにダメージはないが、二人ともきょとんとした顔でハヤトの顔を見る。
先に復帰したのはエシャだ。
「ご主人様、なぜ私はチョップされたのでしょう?」
「エシャは悪ノリしない。一億振り込めって何言ってんの。ディーテちゃんが本気にしているでしょ?」
「ご主人様に甲斐性がないからです。焼肉を食べに行って、本当にカルビとロースだけとは。ご飯もスープもなしでどうしろと。男の甲斐性はお金ですよ?」
「あれだけ食っといてよく言えるね。しかも俺が大事に育てていた肉まで食べたくせに……」
「焼肉は焼く人と食べる人に分かれているんです。ご主人様が焼く係ですよね?」
「そんなのは決めてない」
そんなハヤトとエシャのやり取りを見ていて落ち着いたのか、ディーテはわざとらしくコホンと咳をした。
それに気づいたハヤトはディーテに頭を下げた。
「ああ、ごめん。でも、ディーテちゃん、落ち着いた?」
「そうだね。落ち着いたと言えば落ち着いたのだが、何の話だったか――そうそう、信用だ。ハヤト君、私は誓って――」
「ストップ! ディーテちゃん、まず俺の話も聞いてくれ」
ディーテはまだ何か言いたそうに口をパクパクさせていたが、しっかりと口を閉じてハヤトを見つめた。
そしてハヤトは少しだけ微笑む。
「ディーテちゃん、言われなくても俺はディーテちゃんのことを信じてるよ」
「そ、そうかね」
ディーテは心底安堵した表情になる。だが、ちらりとエシャの方を見てから真面目な顔になった。
「エシャ君を同席させているのは、何かあった時の戦力として考えているのでは?」
「そんな理由はないよ。単純に情報共有をしたいだけ。それにもう一度説明するのも面倒だし」
「そんな理由で私の睡眠時間を削るなんて……今日の夜も焼肉ですね。今日はご飯と卵スープ、締めのデザートも頼みます」
そんなエシャの言葉を無視してハヤトはディーテに視線を戻す。
「嘘を言っているなんて思ってない。ヴェルさんに言われたとき、一瞬だけ頭をよぎったけど、本当に一瞬のことだから。ディーテちゃんのことは信用しているよ」
「そう面と向かって言われると少々プログラムがざわつく感じだよ」
(プログラムがざわつくってなんだ? まあ、それはいいか)
ハヤトはディーテを疑ってはいない。確かにディーテとは色々とあったが、ハヤトはディーテを全面的に信用している。もちろん、口に出しては言わないが、エシャのことも。
だが、問題なのはヴェルの言っていることも嘘には思えなかったのだ。
俳優という、演じるということに関してはプロの職業。素人のハヤトにそれが演技なのか本当なのかは見抜けないが、ヴェルのアッシュやレンに対する愛情というか、気にかけていることについては演技ではないと思っている。
となれば、どちらかが嘘をついているのではなく、どちらも本当のことを言っている、という結論に至る。そこで重要になるのは、管理者、だ。
ヴェルに秘宝の秘密を教えてアッシュやレンが手に入れたら大変なことになると忠告らしきことを言った管理者。それはディーテではなく別の誰かではないか。
そういう考えがハヤトの頭に浮かんでいた。
「ディーテちゃん、君の代わりに管理者をやれるAIっているのかい?」
「ハヤト君は何を言っているんだね?」
落ち着きを取り戻したディーテはいつものように余裕な感じにはなっていたが、ハヤトの言葉にまた少しだけ警戒するような感じになる。
「いや、俺にはディーテちゃんもヴェルさんも嘘をついているようには思えないんだよ。ディーテちゃんはイベントに対して何もできないし、ヴェルさんは管理者に情報を教えてもらった。それが両方とも真実だとしたら、ヴェルさんに情報を教えた偽物の管理者がどこかにいるのかなって」
「そういう意味か。だが、それはない。この仮想空間のセキュリティは完璧だ。ハッキングなどで外から入ることはできない。それにエシャ君のように昔のプログラマーだったとしても私の目を盗んでAIを仕込むのは無理だろう」
その言葉にエシャも頷く。
「私もその意見に同意します。まどろっこしいので、実際にディーテがヴェルに会えばいいんじゃないですか? 同じアバターというか、キャラクターであったかどうかくらいは分かると思いますよ?」
「確かにそうだ。私自ら動くのはどうかと思ったが、そんなことを言っている場合ではなさそうだ。直接会ったほうがいいだろう。ただ――」
ディーテはそこで腕を組んで考え込んだ。
「どうかした?」
「ヴェル君は普段、ドラゴングレイブと呼ばれる場所にいる。向こうから出てこない限り会うことはできないね」
「ドラゴングレイブ……?」
「竜達の墓と言えばいいかな。ドラゴンは寿命で死ぬときはそこで死ぬという設定の場所だよ。精霊の国の西の方にある。だが、そこは今回のイベントで解禁される場所だ。今の私では直接向かうことはできないね」
「そうか、なら今度ヴェルさんが直接来たらすぐに連絡するよ」
「そうしてくれると助かる――」
ディーテがそう言いかけたところで、ワールドアナウンスが展開された。
「魔都ザルドギアにてスタンピードが発生しました。冥龍オニキス・ロッドが侵攻を開始しています。撃退にあたってください。繰り返します――」
(こんな時にスタンピードか)
ハヤトがそう思ったが、それでは終わらなかった。
「精霊の国にてスタンピードが発生しました。幻龍スイエン・ミカヅキが侵攻を開始しています。撃退にあたってください。繰り返します――」
「王都アンヘムダルにてスタンピードが発生しました。雷龍オド・ベイスが侵攻を開始しています。撃退にあたってください。繰り返します――」
(三ヶ所同時? いや、それも大変だけど、もっと別の問題がないか?)
ハヤトは強硬派と穏健派のドラゴンをすべて知っているわけではない。だが、五対五で均衡していることは知っている。そこに問題がある。
少なくとも強硬派はヴェルとアグレスベリオン、そして炎龍エディ・オウルの三体。その三人がスタンピードを起こしていないのに、なぜか今初めて知った創世龍が三体もスタンピードを起こしている。
そしてディーテの驚いた顔。
聞かなくてもハヤトは理解した。
穏健派のドラゴンが寝返ったのだ。




