7.バルバザン船長
「何だ、黒い竜かよ」
「普通の竜よりひどいじゃねえか」
海賊たちが止まった馬車から降りてきて、ぶつぶつと言い出しました。
アルスはその姿を目にすると、守るようにシロロをぎゅっと抱きしめます。
けれど、海賊たちは虹色でないとはっきりわかって、興味をなくしたのでしょう。そのまま馬車に戻っていき、「船長、黒い竜だったんでさ」と話している声がしました。
海賊船の船長が、荷台の前にある座席でうたた寝していたようです。盛んに話しかける二人と、船長のあくびをしている様子が聞こえてきました。
アルスは心の底からほっと一息つきました。
もうシロロを取られることはないと思いました。
黒い竜だったのには驚きましたが、そのおかげで捕まらずにすんだのです。これからも話ができて一緒に遊ぶこともできるのです。アルスにとっては、それが一番大切なことでした。
だって、卵のときから友だちだったのですから。
「行こうか、シロロ」
シロロを抱いたまま、アルスは声をかけました。
生まれたばかりのシロロは全身が濡れていて、黒い鱗は日差しを受けて光っています。
「きれいに洗ってあげるよ」
「ありがとう」
シロロの瞳がきらめくのを見て、アルスはとても嬉しくなりました。
卵の穴からのぞいていた瞳はそのままそこにあります。黒い竜だとしても、シロロは変わりなくすてきな友だちです。
アルスは、シロロの頭をなでてから、歩き出します。
そのときです。
「おい、待ちな」
野太い声にアルスは振り返りました。
そこには、浅黒い肌をした男の人がひとり立っていました。決して大柄ではないはずです。けれども、何だか重い岩や大木のようにどっしりとして大きく映って見えました。
頬からあごにかけての黒い髭や髪の毛には、白いものが混じっていて、若くはありません。荒海の果てにあるきびしい世界を数多く見てきた目をしています。そこにはするどい光がありました。
アルスは足もとのサンダルが地面に縫いつけられたかのように、急に動けなくなってしまいました。
男の人はアルスに向かって告げます。
「おれは海賊船の船長だ。手下どもが黒い竜だと言うが、おれはそれでもしゃべる竜には価値があると思っている。最初に話ができたんだから、今はおまえがその竜の飼い主でいいんだな。たんまり金をやるから、売るのはどうだ?」
シロロを売る?
思いがけない船長の言葉に、アルスは一瞬気が動転しました。
そんなことできるわけがありません。すぐに首を横に振りました。
船長はこちらに近づいてきました。重々しい声でさらに告げます。
「そうすれば、おまえがこれから虹色竜を探す資金にもなるだろう? こんな小さな島じゃなくて、もっと遠くまで探しに行けるだけの船を買うことも、人を乗せる竜を借りることもできるぞ」
船長の言葉が迫ってくるようです。
その力に、アルスの体は固まったようにひどくこわばってしまいました。そうして、はるか彼方の島で探検したり虹色竜の卵を見つけたりする自分の姿を、いつの間にか思い浮かべていました。
船長は、手下の海賊二人に革製の巾着袋を持ってこさせます。なかには、両手に収まらないくらいの金貨が詰まっていました。
「悪くない取引だぞ」
船長の黒い目がぎらぎらと光っています。それを見てしまうと、アルスは自分の意志がますますかすんでいくような気がしました。
船長は、本気でシロロを買い取ろうとしているのです。二人の手下もかしこまって従っています。
今度こそシロロを取られてしまうかもしれない。
アルスは、ひどく焦りました。
それでも、そのとおりにするわけにはいきません。
「どうだ。いいだろう。さあ、その竜をこっちへ寄越すんだ」
潮風と日差しにさらされた船長の太い腕がシロロに触れようとします。シロロは身じろぎをして、アルスにしがみつきます。
アルスははっとします。一度深呼吸をしようとしますが、のどがつかえるようで、うまくいきません。
「シロロは渡せないよ」
かぼそい声がやっと出ました。何とか伝えられた程度でしょう。
船長がぎろりと睨みます。
「あまり手をわずらわせるなよ、坊主。こっちは名うての海賊だぞ。さっさと渡した方が身のためだぞ」
船長の低い声が響き、アルスは全身から汗が吹き出してきました。その体の震えはシロロにも伝わっているようです。
「アルス……」
シロロに呼びかけられ、アルスは気づきました。
自分がひとりではないことを。
シロロが一緒にいると思えば、力が湧いてくるのです。
ようやくアルスは完全に、自分自身を取り戻しました。
「嫌だ。シロロはぼくの友だちだ。売ったりなんかするもんか!」
アルスは今度こそきっぱりと言い切りました。
ざわざわと草が鳴り、吹きつける風で汗が引いていく気がしました。
すると、船長が少し声を高くして問いかけます。
「その竜はどう思っているんだ?」
シロロがびくりとしました。それでも、シロロははっきりとした言葉を口にします。
「アルスはシロロの友だち。ずっとそばにいたい。一緒に働く」
「よくわかった」
船長の目もとが和らいだように見えました。気のせいでしょうか。
船長は、今度はアルスに尋ねます。
「おまえは、アルスと言うのか」
「そうだよ」
アルスが落ち着いてゆっくり答えると、船長はおだやかな声になって、告げました。
「いい名だな。おれはバルバザン船長。大海をめぐる海賊として名をはせている。おれたちは大金になるものだけしか、取らねえんだ」
それからアルスに向かってにっと笑って見せると、続けます。
「友だちなんか取らんぞ」
「えっ?」
アルスが船長の言葉を心のなかで思い返していると、船長は後ろに控えていた手下たちに向かって声を上げます。
「おい、おまえらとっとと帰るぞ。いい友情を見せてもらったんだ。この島のものには一切手を触れるな。荷馬車もしっかり借り賃を払って返すんだぞ」
二人の手下は、呆然とした顔をします。
けれども、船長の「わかったか」という問いかけに「へいっ」とあわてて返事をしました。
「船長……」
アルスは思わず声をかけました。もうバルバザン船長を恐れる気持ちは全く消えていました。
「友だちは大事だな」
船長は振り返ってアルスを見つめると、目を細めてにこりとしました。
確かにその瞳の奥には、さまざまな大人の知識や経験があります。けれど、子ども時代の経験もどこかに潜んでいるような気がしました。
アルスの見るもの聞くもの感じることを、理解してくれる人のように思えたのです。
「いいか、アルス。黒い竜だろうが何色だろうが、おれの前でやったように、堂々と友だちだと言うんだ。おまえの態度は立派だった。何も臆することはないぞ」
「うん、わかった」
アルスは背筋を伸ばし、しっかりと答えました。
バルバザン船長は一度首を縦に振ってから、手下たちに指示を出します。
「仲間どもが船で退屈してるといけねえ。早く戻るぞ」
「へいっ」
三人はすみやかに荷馬車に乗り込み、すぐに出発しました。
海賊たちの馬車が見えなくなると、アルスはシロロと目を合わせ、うちへ向かって歩き出します。
「ねぇ、アルス」
シロロがアルスに呼びかけました。
「何?」
アルスが返すと、シロロは答えました。
「シロロは、今日からお仕事する。アルスと一緒に働くよ」
「えっ」
ありがたい申し出ではありますが、赤ちゃん竜のシロロに何ができるのか、アルスはすぐには思いつきません。
シロロは、力強く宣言しました。
「ぱりぱりって歌、もう覚えたから、アルスと一緒に歌うよ」
小鳥の鳴き声が遠くから聞こえてきました。
第7話をお読みくださって、ありがとうございます。
次が最終話になります。どうぞよろしくお願いいたします。




