【二周目-07】
※三十行の空行ののち本文。一周目の方は本話スキップ推奨
【リリトの生態:《α, β胞子》の作用及び《萌芽》《誘爆》について】
報告者:王宮総枢研 第02班室長 ■・■■博士
提出先:王宮特査局
機密区分:局内限閲
文書番号:総枢08-520-Zb7
1. 概要
本報告書は、リリト(以下「当該生物」という)の散布する《α胞子》および《β胞子》について、その散布を惹起する要因(以下、総称して「トリガー」という)を整理するとともに、当該生物の特異な生態現象たる《萌芽》および《誘爆》について考察を加えたものである。
なお、各種胞子を散布した個別のリリト個体を「当該個体」と称する。
2.《α, β胞子》
当該生物は、後述するトリガーに応じて《萌芽》を発現させたのち、自身の生活領域に《α胞子》を散布し、さらに選好した人間オス個体の生活領域に対して《β胞子》を散布する。
2-1.《α胞子》
当該生物は生活領域内において《α胞子》を散布し、その作用により家庭環境を改変したうえで、生活領域外で番となる人間オス個体を選別する。その詳細を以下に記載する。
2-1-1.《α胞子》のトリガー
当該生物は、主として以下の条件のいずれか、あるいは複数が満たされた場合、生活領域内への《α胞子》散布を開始する。
・親個体、もしくはそれに準ずる保護者個体の死亡
・自己の生命に対する重大な危機、および人間社会への露出の可能性
・生活領域内での、当該個体と同年代に相当する人間メス個体の存在
これらをトリガーとして開始される《α胞子》散布事象を、《萌芽》と称する。《萌芽》は当該生物の生涯にわたり複数回発生しうる現象であり、二度目以降の発現を《再萌芽》と称する。
報告者の所感ではあるが、同年代の人間メス個体の存在が《萌芽》の主要なトリガーの一つであるという事実は、当該生物が人間少女に擬態してなお、同年代の人間少女と友人関係をほとんど形成しないことの説明となり得る。
2-1-2.《α胞子》の作用
《α胞子》の主な作用は、以下のとおりである。
・《α胞子》を吸入した個体(人間およびリリトを含む)は、当該個体に関する事柄についての認知能力が著しく低下する。
・《α胞子》を吸入した個体(人間およびリリトを含む)は、当該個体に関する詳細な記憶を消失し、その空白を埋める形で、当該生物の生態を排除した虚構の記憶を再構築する。
・《α胞子》を吸入した人間個体は、当該個体に対する激しい敵意および虐待衝動を覚える一方で、当該個体を直接殺害するに至る決定的な殺人衝動は抑制される。
2-1-3.《α胞子》の作用を利用した当該生物の生態行動
当該生物は《α胞子》の散布により、生活領域内において自身の真の存在形態および生態を事実上秘匿しつつ、「虐待される被害者」としての社会的立場を獲得するよう行動する。
この生態行動は、生活領域外に居住する人間オス個体が当該個体を偶然目撃し、その家庭事情を推察した際に、当該個体への強い庇護欲を刺激するとともに、生活領域内の人間メス個体に対する敵意を増幅させることを主目的として発達したものと推定される。
《α胞子》の散布は、当該個体が「強力な」人間オス個体を番の候補として見初めるまで継続され、当該個体が番となる人間オス個体の生活領域へ移動した時点で一旦停止する。
なお、当該生物が生活領域内の人間個体の意思によって、相対的に力量の不足した人間オス個体へ嫁入りさせられた場合、新生活領域において《α胞子》が急激かつ高濃度に散布され、当該個体を含むすべての関係者に対して、記憶の大規模な消失および再構築が惹起されることが確認されている。
加えて、《α胞子》は歪十九点五面体構造をとる蛋白質結晶として生活領域内に長期間残存する性質を有する。これは、後述する《β胞子》を介した選好オス個体による《誘爆》の発現を前提とした適応的特性であると考えられる。
2-2.《β胞子》
当該生物は、選好した人間オス個体の生活領域内において《β胞子》を散布し、当該生物に特有の一連の生態行動を開始する。その詳細を以下に記載する。
2-2-1.《β胞子》のトリガー
当該生物は、以下の条件が満たされた場合に、選好した人間雄個体の生活領域における《β胞子》散布を開始する。
・同年代の人間メス個体が存在していた前生活領域における、十分量の《α胞子》散布の完了
・選好した人間オス個体の生活領域への移動の完了
・新生活領域において、当該個体と同年代に相当する人間メス個体が存在しないことの確認
2-2-2.《β胞子》の作用
《β胞子》の主な作用は以下のとおりである。
・《β胞子》を吸入した人間個体は、当該個体に関する事柄についての認知能力が著しく低下する。
・《β胞子》を吸入した人間個体は、当該個体に対して強い同情の念を抱くようになる。
・当該生物が選好した人間オス個体においては、《β胞子》がフェロモン様の誘引作用を示し、当該個体への接近および接触行動を促進する。
・《β胞子》を保持する人間オス個体が、《α胞子》によって満たされた領域に侵入した場合、両胞子は雄個体の体内で結合反応を起こし、大量のストレス性ホルモンの放出を誘発する。
2-2-3.《β胞子》の作用を利用した当該生物の生態行動
当該生物は、《β胞子》の散布と、前生活領域における《α胞子》による環境改変とを組み合わせることで、「過去に虐待を受けた人間メス個体」としての立場を獲得し、選好オス個体の保護欲および加害者への敵意を最大化するよう行動する。
さらに当該生物は、新生活領域において子育ての準備が整うと、自発的に前生活領域へ赴き、再度の虐待的状況に身を置く生態行動をとることがある。この行動によって、当該個体が選好した「強力な」人間オス個体の使命感が強く刺激される。
当該オス個体は当該個体を追って前生活領域へ侵入し、その体内に保持された《β胞子》と、前生活領域内に長期残存している《α胞子》との結合反応が誘発される。その結果、当該オス個体は前生活領域全体に対して耐え難い不快感および敵意を覚え、領域内に存在する人間個体のうち、《α胞子》負荷の最も高い個体──多くの場合、当該個体と同年代の人間メス個体およびその母親──を殺害する事例が確認されている。
以上の一連の現象を、本報告書では《誘爆》と称する。《誘爆》の進化論的目的については、当該生物の先祖系統である夢魔目が母系社会を形成することを前提に、同年代の人間メス個体およびその母個体を体系的に排除することにより、自身およびその子孫の生存・繁殖に有利な社会構造を維持する点にあると推察される。
3.リリトの管理・運用における《萌芽》・《誘爆》との関係について
前述のとおり、《萌芽》がもたらす認識改変および認知能力の低下は、リリトの管理・運用に携わる者にとって極めて致命的かつ看過しえないリスクである。《萌芽》が一度発現した生活領域においては、当該生物のみならず、周辺人員全体の認知および記憶が改変されうることを、常に念頭に置かねばならない。また、重要男性職員が当該生物に見初められたケースにおける《誘爆》の被害は、もっとも憂慮すべきものである。
リリトの生態行動は、同年代の人間雌個体の存在に大きく依存している。このため、リリトの施設内維持および観察にあたっては、当該条件を人為的に制御する目的から、リリトと年代の近い女性職員を配置し、継続的な観察および干渉を可能とする体制を構築することが推奨される。
補遺:リリトの感覚質について
以下は、科学的に確立された結論ではなく、報告者個人の見解である。
リリトは夢魔目偽人科に属し、人間との生殖が可能であるが、その情動は生殖目的の擬態行動として獲得された可能性が高く、人間が抱く情動様式とは本質的に異なり、一切の感覚質を保持しないことに留意するべきである。リリトが精魂吸収に関わる領域を除く一切の魔術体系に対して本質的な適性を欠いているのはこのためである。
しかしながら、リリトが人間への擬態行動を完全に遂行した際、その「擬態の達成」それ自体に対して示すと観察される“喜び”については、なお検討の余地がある。
一切の感覚質を伴わず、人間に擬態するための選択圧から獲得した「擬態できた喜び」は、非人間的な情動──言ってしまえば、“偽物”の情動──なのだろうか。あるいは、虫の擬態行動と本質的に変わらぬ、自動反応として片づけるべきものなのだろうか
報告者は、そのような単純な解釈には与しない。彼女らは人間とは異なる様式で感じ、考えるものの、その擬態本能がもたらす喜びは、人間的な情動に漸近し得るものである。このような解釈は現行のリリト運用体系では認め難いだろう。しかし、この考察は、魔力という摩訶不思議な力がもたらす根本的な生物境界の揺らぎについて、はるか遠い未来に、人間存在そのものを擁護する大きな足掛かりになると報告者は確信している。




