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第21話 一緒に踊ってくれないか

 王都で戦勝の舞踏会が行われることになった。


 戦争の英雄である旦那様はもちろん呼ばれて、その妻である私もご一緒せねばならない、ということだそうだ。

 私は最初、去年に結婚式で来たドレスをそのまま使う気だった。けれど旦那様にそう言うと、それは趣旨が違うのだと返されてしまった。


「結婚式の来賓は主役でないことを示す意味だとか、儀礼があるだろう。今回の主役は俺と、シーナだぞ」


 主役。

 春になってからロウデン本邸へのお客様が増えて、たまにやりすぎなくらい仰々しく扱われるものだから、もしかするとそういう扱いを受けてしまうのかもしれないと、薄々は想像していたけれど。


 もう考えるだけで頭がくらくらした。


「……目立ちたくない、か?」


 旦那様は優しく聞いてくれる。

 その助け舟に私は一も二もなく飛びつく。


「は、はい! わたくしでは、その」

「だがすまん。戦勝の英雄は他にもいるわけでな。その妻や子供たちもちろん豪華に着飾るから、変に質素だと却って浮くんだ」

「うう……」

「相応しい恰好をするだけだよ。どちらにせよ目立つのだから、覚悟を決めるんだ」

「で、でも、わたくしが、旦那様の隣に、並んでしまっては」


 これは変わらぬ悩みだった。

 旦那様は私の夫で、確かに私を妻だと言ってくれるけれど。

 別にそれで、私が旦那様の隣に並び立てるほどの人間になれたわけじゃない。

 旦那様はこの国のどんな殿方よりも、どんな女性よりも美しくて、格好良くて、もう芸術みたいに人の目を惹く。


 ──私は決して、旦那様に相応しい女じゃない。


 すべてはただただ、旦那様がお優しいから成立しているだけのことだ。


 私が答えられないでいると、旦那様は困った顔をしつつ、一通り言うか言うまいか逡巡するようにしてから、苦々しく口を開いた。


「……俺がいない間、おまえがロウデンへの客人をもてなしてくれていたな?」

「は、はい。僭越、ながら、ですが」

「それで、途中から客が増えたろう。多くは騎士団関係者だったはずだが」

「はい。皆様、旦那様に感謝を述べられておりました」

「で、そのうちにおまえが、男たちの間でなんと呼ばれ始めたか知っているか?」


 心臓がドキリと跳ねた。

 呼ばれ始めた、だなんて。


 何か、粗相があったのかもしれない。


 私の顔が、きっとみるみるうちに青ざめていく中で、旦那様はますます困った顔をして、ため息と一緒に、言った。


「“黒百合の姫君”だ」

「……え?」

「健気に夫の帰りを待つ、憂いた顔が儚いとか、どうもそういうことらしいが」


 旦那様はもう、抱きしめる寸前みたいなふうに肩に手を置いて、真正面からぐっと私の目を見つめる。


「シーナ。いい加減わかってくれ。おまえは美人なんだ」


 耐えられなくなって目を逸らす。

 でも旦那様の目は私を穿って離さず、もう顔がどんどん熱くなる。


「おまえはただおまえというだけで可愛らしくて、魅力的で、華がある。俺の隣がどうとか、気にする必要は──」


 私の口から、ふしゅぅ、と熱い息が漏れていく。

 もう立っていられなくなって、私は床に膝を突いてしまった。



***



 会場に入る前に、私たちだけは「ロウデン夫妻です!」などと紹介されて、まだ姿を見せてもいないのに大歓声に包まれていた。


 私はもう、ダメだと思った。

 格好も恥ずかしい。明るい青色の、もうウェディングドレスかってほど派手なレースに大きく開いた背中の、信じられないくらい決め決めのドレス。


「緊張、しているか?」

「は、はい……」

「大丈夫だよ。シーナ。おまえはちゃんと綺麗だから」


 旦那様はすっと伸びた背を曲げて、少し後ろから、私の右耳に囁いた。


「実は、周りに見せたくは、ないんだけどな」


 そこから先は、ぼーっとしてしまって、よくは覚えていない。

 ただ、入場の途中で旦那様が肩を抱いて寄せてくれて、歓声が上がって、すごく恥ずかしくて、でも、心強くて。


 そして人々の期待に応えて手を振る旦那様の姿は、とっても格好良かった。


 パーティーが始まって最初は、配られたシャンパンを片手に皆さんに挨拶をした。というか、たくさんの人々が列を為し、旦那様に挨拶に来た。第二師団の部下の皆さんだとか、同じく戦場で戦った別の部隊の人々、そして現地の村長だったり。私も旦那様の隣でいろんな人に挨拶をして、マイラさんから習った台詞とか、必要な定型句を頑張って使ってみて、でもすぐぼろが出て、緊張をいじられたりして過ごす。


 落ち着いたころに、音楽がかかった。

 聞いていた通りに男女が分かれて、ホールの片側、もう片側に寄っていく。

 私もそうするはずだった。伝統的なやり方では、とりあえず初めは正面にいる殿方と組んで、ゲストみんなで円状に散らばってワルツを踊る。それから代わる代わる順番に踊る相手を替えていって、最後に夫婦でペアになって、日頃の感謝と愛を伝え合う、というのが定番の流れと聞いていた。


 けれど旦那様は私を、ホールの真ん中で引き留めた。

 驚いて振り向くと、旦那様は私の前で跪いていて、手を差し出してくれている。


 それで照れくさそうに、言ってくれた。


「俺と、踊ってくれないか」


 会場の注目が、真ん中に佇む私たちに集まる。

 予定にないことで驚いて、またまた恥ずかしくなりそうだったけれど。でもなんだかもう、慣れた? というわけでもなくて、いや、確かに慣れてきてはいたんだけれど、ただ。


「……はい」


 私の目にはもう、旦那様しか見えていなかったのだ。


 互いの背に手を置いて、旦那様はすごく綺麗にステップを踏んでくれて、私はただそれについていって。

 王国の戦士、騎士としての体の厚みに、高い背、長い腕に、ずっと抱き締めらているようで、全身で旦那様の存在を感じてた。


 戦争は終わった。旦那様は私のところに帰ってきた。


 誰よりも強くてお優しい旦那様。

 こんなにも愛してくれて、もう、何も心配することなんてない。これからはただただ、幸せな日々が続いていくだけ。


 でも、ふとした時に、私が享受できる幸せというものは、ここが頂なんだと、そういう直感が働いてしまった。

 こんな幸せは私にはそもそも分不相応だった気がする。ロウデン家に来てから、今までの人生の苦しかった部分が全部ちゃらになって、余りあるくらいの、本当に、幸せな日々だった。


 目が捉えたその影は、私が生涯、ずっと恐れていた影だった。


 確かめたはずだった。今日は来ないって聞いていた。

 だって、一族の当主で夫のエルリックさんが、とても大変な状況にあるから。


 私はあの手紙に、旦那様の許可ももらって、「できることはなんでもする」と返事をしたのだ。家での出来事は過去のことで、戦争で消えない傷を受けたというのなら、今はむこうの家の方が、ずっとずっと不運で、可哀想で、誰かに助けられるべきだと思ったから。

 

 ──やつれた顔のミラベルが、ホールの端に佇んで、私を見つめている。


 私にはその姿が、今までの仮初の幸せをすべて取り立てにきた、死神のように見えた。

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