第16話 自然にしてください
次の朝に、マイラさんは使用人の皆さんを談話室に集めて、ちょっとした会議を始めた。
屋敷の男子禁制区画はとても広かったけれど、侯爵様の奥様がいなくなって以来、使われることが躊躇されてきたみたいで、掃除こそされてきたものの、新たに住むにはまたもう一段、整理が必要だそうだ。
それは、冬ごもりに向けて、という意味合いも含めて。
てきぱきとマイラさんが会議を取り仕切って、適宜説明も挟んでくれる中で、私は、ちょっとした剣呑な雰囲気も感じた。
きっと古株の、マイラさん以外のメイドさんたちが、私のふるまいだとか、言うことだとかに、注意を配っている気がする。子供たちだけは静かに、たまに笑い出しそうになっているのをこらえていて、それが談話室の空気を和らげてくれているから助かっているような、そういう雰囲気。
昨日に聞いた経緯からするに、前に来たロウデンの有力者の娘さんだとか、あるいは、私の知らない誰かが女主人になろうとしただとか、そういう歴史の積み重ねが、今、私に向いていたのだった。
「これでよろしいでしょうか、シーナ様?」
部屋の割り振りを決める途中で、マイラさんが言った。
屋敷の地図が示された紙の上に書かれているのは、私の寝室、家政婦長であるマイラさんの寝室兼控室、衣装部屋、化粧部屋、礼拝室、それから裁縫室に、リネン室などなど。そして、使っていない部屋も多数、来客用として置いておくとのこと。
使用人さんたちが私を見ている。それは出方を伺っているようにも思えたし、余計なことを言わないでほしいということにも思えた。一方でマイラさんが私に向ける視線は、そう決めたから「はい」と言ってください、という感じではなくて、どこか、私に新しい判断を求めるかのようだった。
私はこういう使用人の会議みたいなことを久しぶりにして、以前の、ペンフィールドの実家での暮らしを思い出していた。
そのころの私は地下室の倉庫に一人で住んでいた。たぶん、差別されていた形なんだと思う。
使用人さんたちにも何にも取り合ってもらえなくて、意見など汲んでもらったこともなかった。だけど継母やミラベルの突然の思いつきに振り回されたりとか、それで作業が間に合わなかったりしたら、私だけが見せしめのように怒られていたりとか、そういうことだけがあった。
じゃあ改めて今、この屋敷の女主人としてやらなきゃいけないことってなんだろう、というと、すぐに答えは出ない。
でも、マイラさんは「とかく自然体でいてください」と言った。
それなら私には、この屋敷が記された紙を見て、そして、昔から、たまに感じていたことを含めて、思ったことがある。
「あ、あの……皆さんは、普段、どこで、その、寝泊まりを?」
私がそう問うと、ちょっとメイドさんたちがそわっと揺れる。マイラさんは敢えて沈黙を守る中、一人が手を挙げる。
確か名前は、ジェーンさん。
「地下の、使用人部屋です」
やっぱり地下なんだ、と私は思った。
地下室の暮らしは一長一短だ。夏は涼しくてとても良いけれど、強く暖房を焚けないから、冬はとても寒くなってしまう。
「冬は、寒くない、ですか? その、私も昔、地下室で暮らしてて。王都のあたりではとても寒かった、ので」
私はそう言う。
ジェーンさんは少し怪訝そうな顔をするのを我慢しながら、答えてくれる。
「寒くはあります。しかし慣れております」
「で、でも、その、皆さん、個室にお住まいですか? それとも、何人かで?」
「四人一部屋です」
屋敷のメイドさんは総勢十四名。区画の部屋は、あまりに余っている。
つまり、私が思ったことというのは、こうだ。
──大人数で、みんなと暮らしたい。
「なら、冬は寒いですし、皆さんにここに住んでもらう……ことは、できますか」
私はマイラさんの方に向けて、そう言った。
「仰せの通りに。奥様」
マイラさんは満面の笑みで、そう答えた。
***
メイドさんたちが、子供たちも含めて地下室から引っ越してくることになって、作業は予定よりも大がかりになった。
やり方というものは最初が肝心だと思って、迷うに迷って、けれど、私が誰かに指示なんてできるはずもない。
だから自分で、作業のすべてに参加することにした。
大まかな指示とか、流れとかは、すべてマイラさんに任せる。それでまずは私が一番初めにそれをやって見せて、粛々と作業を進めて、聞かれたことには答えて、わからなかったらマイラさんに聞く。そういう感じになればいい気がした。
でも、やっぱり、椅子を運ぼうとしたりなどすると、
「お、奥様、奥様がそんな、力仕事など」
と言われて椅子を持っていかれてしまう。
私はそこで、いつもみたいに謝りそうになる。でも、マイラさんが言ってくれたことを思い出して、なんとか、
「ありがとうございます」
と絞り出す。
使用人さんは最初、それでちょっと、ぽかんとさせてしまう。
反対に子供たちは単純で、一緒にカーテンを持ってくれたり、窓の隅の埃の取り方を教えてくれたり、そういうことから作業を始めていくうちに、私はただの、一作業員のように働かせてもらえた。
結局その日の間に引っ越しも区画の整理も終わらなくて、いったん諸々を置いて、夕食の準備が始まった。
私はそれにも参加した。
献立はもう決まっていたようだったから、ただの下処理だとか、皿洗いだとかに、子供たちと一緒に取り組んだ。
その合間に、ロウデン式の料理の仕方だとか、考え方だとかを聞かせてもらったり、ちょっと盗み聞きさせてもらったりして、ゆっくりと覚えていく。
ただ、食事の作り方自体はマイラさんから教えてもらったことと一緒だったから、そんなに迷惑はかけていなかったと思う。
あとはお肉が焼き終わるのと、スープが煮込み終わるまでとなったころ、キッチンの一部に使用人が集まった小休止があった。私はそこで、マイラさんから改めて紹介を受けるような形で、言った。
「皆さん。改めまして、シーナです。シーナ=ロウデンと名乗らせて、いただきます」
私はそれで、いつも通り頭を下げた。
「わからないことが、たくさんあります。正直に言うと、貴人のふるまいということもよくわかっていません。だから皆さんに、すごくたくさん迷惑をかけることになると思います」
貴人のふるまいとしてそれが適切かはわからない。
少なくとも私にとってはこれが自然だったし、マイラさんも止めなかった。
「だからどうか、よろしくお願いいたします」
また、頭を下げてしばらく。
最初に拍手をしてくれたのは、今日ずっと一緒に作業をしてくれた子供たちだった。
それからマイラさんが続いてくれて、他のメイドさんたちも一緒に拍手をしてくれた。
けれど、私が顔を上げたときに、その拍手は一度止まる。
何か変なことがあったかしらと思って不安になって、それで、子供たちの一人が私にぽつりと言った。
「……おくさま、どうして泣いてるの?」
「え?」
自分の頬に手を当てる。
本当だ。
頬が濡れている。
「あっ、えっ、えっと」
私は、泣いていた。
「ごめんなさい。えっと、じゃなくて、ありがとうございます。じゃなくて、その、えっと、その、わたくし」
自分でもどういう気持ちになって泣いたのか、わからない。
皆さんに受け入れてもらえたから、などと自分で考えたほど、早計で軽率な気持ちがあったのだろうか。
たぶん、気は張っていた。初めて出会うたくさんの人の中で、たとえ手伝うという形だって、頑固に自分の意見を通そうとするだなんて初めてのことだったからだ。
それが、一旦の形だけでも許してもらえて、安心をしたということはきっとある。
「少し、緊張していたかも、しれなくて」
でもそれだけじゃない。
それだけではきっと、なくて。
たぶん私は、ペンフィールドの実家で叶わなかった、欲しかった過去を、やり直せているような気がしていたのだ。
涙はなんだか全然止まらなかった。
せき止めていた何かが漏れ出して止まらないかのようだった。
しばらくすると、拍手をしてくれたメイドさんの中から、午前中に少し話したジェーンさんが歩み出でてきてくれて、彼女もまた、ぺこりと頭を下げた。
「アルヴェンダール様は、本当に素敵な奥様を迎えられました」
私はそれに、微笑んで、また、ありがとうございます、と答える。
「じゃあ、配膳を……」
と言って、立ち上がって鍋の方に行こうとしたら、止められてしまった。
それだけはちょっと、変だそうだ。




