姫様が変わられた 〜行けず後家には……、なりそうもないですわ、オーホホホホ。
難攻不落、峰々が連なるラップ山脈の向こう側には、果ての岩場が広がっているのです、そこはボコボコと大地の熱が湧き上がる地。赤い水の池がありました。
白く煙る死の原、そこを抜けると、ぽつりポツリと白い裸樹が生える荒野、道なき道を進むと、やがて緑溢れる生命の森に巡り会えます。
その森を抜けると、神様がお産まれになったという、聖地ケラートのお国があります。法王が治められている、高貴なるお国があるのでした。
〜 神様のお国のお話から抜粋
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隣国のお方が笑顔でお国に帰られてからしばらく後、珍しくお忍びでここに訪れたお父様から、わたくしにお話がありました。
「御前会議の部屋を知っておるか?」
御前会議、実を言うとわたくしは正殿と呼ばれる、公の場には詳しくありません、小さい頃にお母様と、幾度か訪れていたのですが、その後別離とお姉さまからの不当な扱い、お義母様からの冷遇等で不甲斐ないわたくしは、当時の記憶が薄らぼんやりとしています。なので、知りませんとお応えいたしました。
「……、脇の小部屋に控えて学べ、じい取り計らえ」
そうお言葉を残してお帰りになられました。その日を堺にわたくしの生活は、大忙しになったのです。朝の礼拝を終えると、着替えて朝食を取り、午前中は本を読んだり、わたくしの勉学を教えるよう役目を担う、師匠と呼ばれるお方のお話を聞いたり、じいから宮廷あれこれを学んだり、楽器や歌の練習、お茶を挟んで乗馬にダンスの練習。
昼食のあとはお昼寝、お茶を挟んでから、午後の過ごした方は、日差しがきつい時は、刺繍に絵画を少しばかり嗜んでから、マーヤ達を連れて散歩をしたり、神父様のお話を聞きに行ったり、時々にお父様主催のお茶会に出席したり、など、比較的のんびりとした過ごし方をしていたのですが。
「じい、何を学べと言うのでしょうか?」
お父様が訪れた翌日、朝食をそうそうに済ますと、じいに連れてこられた小さな小部屋。会議が長引いた時に、お父様がご休息するお部屋というお話なのですが。机には筆記用具が置かれています。
「会議の始まる知らせが聞こえれば、お声をなるべく立てぬように、そして知らない事があれば書き留めて置いてくださいませ、後で拙がお教えいたしましょう」
ドキドキとしてきました。これは……御前会議を覗き見るという事。カーテンで仕切られた、一枚向こうは御前広間と呼ばれる場所、なんの為に、とは後で分かることでしょう、わたくしは少しばかり緊張をしながら、密やかなじいの言葉に頷きました。
「これより会議を始める、皇太子、王妃、大臣皆揃っておるか」
「はい、ここに控えておりまする」
お父様が重々しく始まりのお言葉を述べます。全員揃った返答はしきたりなのでしょう、わたくしはペン先をインク壺に入れ、どんな事も聞き漏らさず書き留め様と、気合を入れました。そして初日が終わりわたくしは……、
「じい、わたくしはなんてお馬鹿さんなのでしょう、疑問点を書き出せと言われましても、全てなのです。情けないったら……」
惨敗でした。書き上げれるだけ書きましたけど、用意されていた紙が、無くなってしまったのです。
「最初はそんなものでございます。拙もそうでございました。殿下もよく泣き言を申されてましたよ」
「まぁ……お兄さまが?色々とご提案されていました、わたくし少しばかり驚きましたの。そして他の大臣の皆様は誰が誰やらさっぱり」
頭の中はお花畑で蝶々が飛んでいる様なお兄さまなのですが、会議の時は人が違った様な、しっかりとした発言がありました、それに比べてお義母さまの発言はひとつのみ、
「陛下のよろしいように」
これだけで押し切られておられました。それも半分、欠伸を押し殺した様なお声で。
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「姫様には先ずはこの『地図』を覚えて下さいまし、さすれば自然とおわかりになられます」
惨敗を喫したその日の午後、じいがそれを手渡してくれました、それは近隣諸国の地図、まぁ……何と沢山お国があるのでしょう、大小様々な形……、
ラップ山脈の向こうにあるという、果ての岩場、死の原と、生命の森を有しておられる法王様が統治なさる『ケラート皇国』、大きな湖があるのは隣国『パルカ』、赤海に面しているお義母様の祖国『グルトム』向こう岸には、最近新国王がお立ちになった『ターワン』そのお隣は、大きなタムル川を挟んでひときわ大きい領土の『ダータ』……、わからないままに、書き留めたものと照らし合わせていくと、わたくしは面白くてワクワクといたしました。
――、それからは会議が開かれる時は必ず小部屋に参りました。そして書き留め、戻るとじいから解らぬ事を聞き、地図を照らし合わし、訪れる師匠にあれこれ質問をお聞きしたりを繰り返している内に、国の成り立ち、諸国の事情、内政とは何か、外交とは……法令に刑罰、王のお仕事、官僚の役割、王妃としての努め……、今迄書物でしか知らなかった事が現実として、わたくしの中で輪郭がはっきりとしてきたのです。
「どうだ?少しは慣れたか」
お顔立ちは解りませんが、お声で大臣の皆様のお名前が、ようやく判別出来る様になった頃、お忙しい中時間をつくり、再び訪れたお父様から、そうお言葉を頂きました。
「はい、でもまだ解らぬ事が沢山あります」
世界は広いですわ、疑問点がどんどん増えて行きますもの。
「じいから聞いておる、よう学んでいると」
わたくしが、あれこれと書き散らしている書面を手に取りさらりと読まれたお父様が、満足そうに頷かれております。
「……、明日の会議で大きな報せを言う、声を立てるな、いいな」
そう話すと来た時と同じ様に、慌ただしく帰られました。大きな報せとはなんの事でしょうか、ダーダ近郊で穀物の値が上がっている、戦に備えて買い占めが行われているかもとの、お話をお聞きしたばかり……
「戦争でも始まるのかしら、わたくしの国にも影響が?……お義母様のお国は……、どう動くのかしら……」
わたくしはその夜、大きな報せという言葉に少しばかり酔い、あれこれと考え過ぎてしまい、寝付けぬ時を過してしまいました。
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「……今日の議題は、これで投了とする。そして皇太子、王妃、大臣達に、ここで我が二姫の婚礼が決まった事を宣する」
「はい?」
危ない!声が漏れました。わたくしは慌てて、手で口を塞ぎましたの、お義母さまが居眠りから覚めたようなお声で、して我が娘にはどちらの?と華やいでお聞きしています。
「いちの姫、ドローシアは、ターワンの皇太子妃として嫁いでもらう」
「まぁ!ターワンと言えば、タムル川の淡水白珠が有名なお国柄ですわ、そして確か最近新王が即位された、まあわたくしの娘が皇太子妃に……なんて素晴らしい、陛下、早速、荷の用意を始めてもよろしくて?」
いそいそとされたお義母さま、まぁ……お姉さまが、ターワンに嫁がれますの。
「うむ、手回りの品衣装はお前に任す、母として尽くせ、他の品については表が儀典に基づき用意する故」
ほっとけば宝物庫が空になると思われたのか、お父様が牽制なされたご様子。ターワンと言えば確か……わたくしは記憶をさかのぼります。
確か、穏健派の王である息子と、武闘派の隠居した父が揉めて、父が子に勝ち再び王位についたと。当然、息子一派は処刑され、皇太子としてお立ちになったのは……誰でしたかしら?
……、確かお孫さまが遺されて……、その方でしたかしら、ダメですわ、パッと出てくるようにしなくては、後でじいに聞いてみましょうと思ってましたら、嬉しそうなお兄さまのお声が入ります。
「それはおめでとうございます。では、我がもう一人の妹、アリアネッサの嫁ぎ先は何処でございましょう」
ああ!そうでした、お父様は『二姫』と仰っていた事を忘れていました。息を凝らしてわたくしはその時を待ちました。
「二の姫、アリアネッサは……隣国、パルカの後添、王妃としての話を受けた」
おお!と大臣の声が、なんですって!とお義母さまの甲高い声、わたくしは口を抑え、後ろで控えるじいは小さく、おめでとうございますと囁いてきました。
「……異議があるものは、発言を許す」
お父様のお言葉にお義母さまが異をとなえました。
「アリアネッサの母親はしがない鉱山伯爵の娘、母の身分によって娘の御位は決まります。則を乱してはなりませぬ、陛下、後添といえど他国の王妃とは、身分不相応ですわ」
「隣国が是非にとの申し出だ、もう承諾の信書は送ってある、鉱山伯爵の娘というが、我が国はその鉱山の恵みにより成り立っておるのだが……、王妃よ」
「それはそうですが、いちの姫が皇太子妃、二の姫が後添とはいえ王妃とは……、お断りになられる事は出来ませんの?」
お父様に食い下がるお義母さま。険悪な空気が広がるのを感じます。
「……、確かに、お前の言うことはわかる」
お父様が一歩引きに入りました。
「そうでございましょう、おかしな事をしてはなりません、アリアネッサの為にもなりませんわ」
お義母さまの満足そうな声。
「確かにおかしい、なので鬼籍だが、アリアネッサの母、マリア・ルチャスの身分を引き上げる事にした」
お父様の静かなお声に対し、はい?とお義母さまの素っ頓狂なお声が上がりました。わたくしは息をつめて聞いております。
胸がドキドキとしてきましてよ。どうやら行けず後家にはなりそうもないですわ、オーホホホホホ。




