えぴろーぐ・しわせなお姫様と企む王様
エメラルド、翡翠、金剛石の欠片が散りばめられた木漏れ日の中を、馬が2頭駆け抜ける。
「王妃よ、早駆けをしよう」
森の中で散策を楽しんでいた時に、この国の王である彼が、年離れた若き王妃に勝負を挑んだ。
「陛下は狡いですから嫌ですわ」
そう言った王妃は、愛馬ロクサーヌに軽く鞭を入れると先に走り出す。二度とお約束等致しませんことよ、と先の記憶が蘇る。
……、私が勝ったら共に風呂に入ろう。
嘘でしたわ!まんまと騙されて……、頬に緑色の香を感じつつ進む彼女。無心で前だけを見ていると、届いた手紙の文面が脳裏に浮かんだ。
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『お元気、アリアネッサ、わたくしは名前を変え、今はロージーとなりましてよ、幸せに呆けている貴方、わたくしが今、彼と共に、巡礼団に混ざって聖地を目指していると思ってるでしょう
そんな事は致しておりません、彼とは今は離れておりますの。わたくし達の崇高なる目的と、愛の為に……意味がわから無いでしょうね
わたくしは今、ある修道院にて、下積みを積んでおりますの。知らぬ世界をお勉強してましてよ、何しろあちらにそのままに出向くよりも、少しばかり徳と経験値を積まねば、何時までも下っ端のままですからね。
アリアネッサ、せいぜい長生きなさい、貴方のミサはわたくしが執り行うのですからね。それまで死ぬ事は許さなくてよ。わたくしはとても忙しいのです。ではこれにて、ごきげんよう。ロージー』
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国を出奔した彼女の姉からのそれだった。お姉さまらしいと思うアリアネッサ。王妃にミサを執り行う、それは死の旅の門出の儀式の事。そして王族のそれを執り行う立場とは、聖地にある尼寺『コウリュ・サンミルトン寺院』の総取締役になると明言しているからだ。
では共にされたステファンは、法王でも目指されるのかしら……、彼女は思う。
二人に何があったのかは知らない。しかし少しばかり調べさせたら、ステファンも当初は彼女の姉、ドローシアを手に入れ、今は病についている義母の策略に乗ろうとしていたということだった。
「お姉さまのことですから、愛したお相手ですが、ご自分を踏み台にされたとわかったら……、許せぬものはありますでしょうね」
手綱を操りながらクスクスと笑う若き王妃。その後ろを王がカイザーを操り追いかけていた。後ろをちらりと見る王妃。嫌ですわ、追い立てて来られるのは……、
「ロクサーヌ!行きましょう!」
ハッ!と気を高めると、彼女は愛馬と心合わせ、速さを増し進んで行った。
「……、ふふっこの先にあるのは……泉の畔、カイザーよ、怪しまれぬ様にこのままだ!」
ブヒヒン!ブルル……主の悪戯そうな声に応えたカイザー、こちらも、人馬一体となり跡を追いかけた。
ふう……暑いこと。やがて彼女は森の木々がぽっかり空いた場に出る。小さな泉が有り、畔に涼し気な東屋が創られている。
「ロクサーヌ、素敵な所に来たわ。お水を飲みなさいな、遠くへ行かないでね」
彼女は馬から降りると、水辺に寄り手綱を外した、首を下ろして水面に口を浸けたロクサーヌ。冷ややかなそれが彼女を誘う。しゃがみ込み手を水に沈める。
「冷たい、気持ちのいい事……」
サワサワ、サワサワと風が周囲の木々の葉を揺らす。立ち上がり辺りに人が居ないのを確認すると、彼女は靴を脱ぎ、靴下も外すと裾短なドレスを濡れぬ様に絡げ持つ。
水辺の柔らかい草の場から、水の中に足を踏み入れた、汗が引いていく様な冷たさにホッとする。小さな小さな小魚がスィーと線を描き目の前を通り過ぎた。奥深く暮らしている彼女は、子供の様にそれを目で追う。
よく見ようとふくらはぎ迄、水の中に進む。少しばかり持ち上げていた裾が濡れたのも気にしない。
背後では、水を飲んだロクサーヌが、カポカポと離れ腹が空いたのか草を喰む。小鳥の鳴き声と風の音しかしない……やがてそれに飽いた彼女は、陛下は何処にいらっしゃるのかしら、と思い水から上がろうとした時。
「これはこれは、ニンフが水浴びをしているのかと思ったぞ」
間合いを図った彼が、悠々と姿を現す。カイザーから降り手綱を外す。水を飲む為に進む馬。
「陛下……、ニンフなんてどこにもいません事よ」
何やら妖しい気配を察した彼女。笑いながら近づく王。手を差し出す。
「ここにいるではないか、おや?裾が水に濡れておるな」
「大丈夫ですわ、これくらい平気でしてよ」
差し出されたそれを取ろうとしない王妃。
水を飲み終えたカイザーがロクサーヌに近づく。2頭並び睦まじく草を喰む。時折首を立て、カイザーがロクサーヌの鬣を繕っている。
「仲睦まじいな、馬丁が良い子が出来るのではないかと言っておるぞ」
「そうですの?ロクサーヌも年頃ですが、相手を選びましてよ、あら、ほらご覧になって」
水から上がった彼女。畔で王と共にそちらを見ていると……何かが気高く美しい牝馬の気に触ったのか!
ヒヒヒーン!と雄叫びを上げると、カイザーに蹴りを入れたロクサーヌ。それを避け逃げた雄馬カイザー。大きくその場を駆け回りつつ、主の元へと駆けてくる馬!
「おおう、カイザー、憐れな……」
「ほら!ご覧になって!オーホホホホホ……いけませんロクサーヌ!水辺を走るのは……きゃぁ!」
バシャ!ジャッ!バッ!バシャン!大きな水飛沫を立て
ロクサーヌが彼女の傍らに来た。飛沫から庇うように大きく腕を広げて王は王妃を守る。
「……ああ、陛下、濡れてしまいましたわ、すみませんロクサーヌが……」
「ん、良いよい」
余裕の笑みで、しかと胸に抱く愛する妻に応える夫。
「どう致しましょう、このままでは陛下がお風邪を召されてしまいますわ」
暑い季節とはいえ、森の中の風は冷たい。
「大丈夫、こういう事も有ろうかと、ほらそこの東屋に着替えを用意されてある」
逃さぬ様に腕の中で閉じ込めたまま、顎をそちらに向ける夫。その言葉に目を見開く若き妻。しばらくあれこれと考え……。
「陛下!謀られましたわね!この場にわたくしを追い立てて……!」
「……なんの事かな?ほら着替えねば、身体が冷えてしまうぞ」
しらばっくれる、既に彼女の背に回された手は、怪しい動きが始まっている。
「お付きが来たら困りますわ!」
事の成り行きに気がついた彼女が頬を朱に染め、言い立てる。
「大丈夫さ、人払いしてある」
ネタをバラす動き忙しい彼。
「人払い……!謀られましたわね!この事が目的でしたの!」
「ハーハハハ!ここは盗賊の国ぞ、そなたもまだまだだな」
強く妻の柔かき肢体を抱きしめる夫、離して下さいませ!と妻の言う事など馬耳東風。気にも留めない。
「……、嫌ですわ。恥ずかしいのですわ、もう……ロクサーヌの馬鹿!」
小声で文句を言い立てる彼女だったが、逃げられない事は既に悟っていた……。
「ワーハハハハ!馬鹿ではないぞ!ロクサーヌ、全く、馬に感謝だな!ワーハハハハ!」
王のご機嫌な声が緑深き森の中に響いていた。
そして……
月が満ち、二人に玉の様な男御子が授かったのは、もう少し先のお話。
めでたしめでたし。
長々とお付き合い、ありがとうございました。
キャロライン、ドローシア、サーシェリーのその先を書こうかなと、思っております。




