ゆゆしき問題を忘れてましたの。お義母さまがいるのですわ
泣きながら去った後を、マーヤが追いかけます。彼女が被っていた帽子が落ちています。エレーヌが拾いわたくしに手渡してきましたの。それをわたくしは呆然と立ち尽くしているお兄様に手渡します。
「お兄さま、失礼ながらお言葉が違っておりましてよ」
「……、その、びっくりしたんだよ」
訳のわからぬご様子でそれを受け取ると、しょんぼりと眺めますの。もう……陛下ならば美しい、綺麗になった、驚いたぞとか仰って、直ぐに『馬』ですわよ。
「何故に?キャロラインは、この日の為に頑張りましたのに、失礼ですわよ、それを届けて下さいまし」
ついつい物言いが尖ってしまいますの。ため息をつかれるお兄さま。気不味い空気が広がりました。どうしようかと思ったその時。
「クックックッ……いやはや、若いのぉ、いいのぉ、お久しゅう御座いまする。美しい我が姫よ」
あら、ターワンのお爺様ですわ。見られてたのかしら。にこにこと笑いながらわたくしの手を取り、ひざまずかれます。
「ご機嫌よう、あちらを抜けられてよろしいのですか?」
「無礼講と言われてな、皆礼は要らぬ。ククク……ネズミを仕留めたので満足じゃ……、麗しき王妃様、どうで御座いましょう……、我の妃になってくださらんかのお……今宵忍びに行ってよろしいかの?」
「お断り致します」
手を引きながら、即座にお断りをいたしましたわ。ネズミ?野ねずみなのかしら?それとも……意味有りげなお言葉に首を傾げました。そんなわたくしに残念だのぉと言いつつ立ち上がられる国王陛下。
「……、ネズミの話は後でな。それより今は、ほうほう、大樽みたいなのが、美しゅうなってからに……娘は恋をするとひと夜で天女になるという……、お主、すみにおけんのぉ、こう……抱き心地、柔らかそうで、良いのぉぉ」
キャロラインが去った方向を見られますの。
「天女……」
お兄さまが切なそうに、ポツリと呟きます。
「失礼でございましてよ。キャロラインはクッションではありませんの、それに決まった身で御座います」
釘を刺しておかないといけませんわね。そんな事など気にも止めないターワンのお方。お兄さまにお近づきになられ、何やら話を始めましたの。わたくしはキャロラインが心配な事でもあり、少々心配ではありますが、二人を残してその場を離れました。
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「……、お義母さま、わたくしは病ではありませんの、なのになのに、酷いのですの」
「はいはい、わかっていてよ。ほら涙をお拭きなさい」
程なく離れた木いちごの繁みで、しゃがみ込み涙に暮れているキャロライン。わたくしがなだめておりますと……
「これはこれは、ご機嫌よう、アリアネッサ」
ふいに名前を呼ばれましたの。そうですわ、うっかりと忘れておりましたが、ここは祖国。お義母さまのお声です。ふ……フフフ、失礼の無い様に、直ぐに立ち上がるキャロライン、礼を取ります。マーヤと私と共にしているエレーヌも、深く頭を下げました。
わたくしは……、フフフ、フフフフ。そうですわ。今のわたくしは『王妃』なのですわ。年上、なさぬ中ではありますが親子ではございますが、立場としては対等。なので無礼のない様に、立ちのまま軽く会釈を返しますの
「ご機嫌麗しゅうございます。お久しぶりですわ。お義母さま」
お互い日よけの為、ヴェール越しでございますが、視線がぶつかるのを感じましてよ。
「病とか、お聞きしましてよ」
キャロラインを目にされ話してこられます。
「いいえ、その様な事は御座いません」
わたくしが返します。
「以前お会いしたときより……お痩せになられた?お体を悪くしておられるのかしら……」
「いえ。病と言うならば……そう、キャロラインは恋の病に罹ってただけですの、それも今日にて完治しましてよ。それはそうと……、お姉さまは今日は留守居ですの?」
話の矛先を変えましてよ。ピクッと顔が引きつるのが見えました。
「いえ……、わたくしの天幕に連れて来ておりますわ。お会いになる?アリアネッサ」
……、今日ここにてアンが仕入れた話によると、お姉さまは城から抜け出そうと、幾度か試されたそうですの。なのでお独りで留守居をさせられなかったのでしょうね。
「ええ、後でご挨拶に伺いますわ、よしなにお伝え下さいまし」
「では……、落ち着かれましたらいらっしゃいませ、飲み物を用意しておきましょう、ではご機嫌よう」
そう話を終えると離れて行かれましたの。トゲトゲしい空気が解けますわ。それにしても……、お兄様は何をされておられるのか。決められた事とはいえ、このままでは形になりません。
それに、お兄様においては何を隠そう『方向音痴』なのですわ。側仕えもおりますが、今日に限り彼らが、先達するわけにもいかず……、こちらから迎えを差し出すわけにもいかず……、それ程離れてない場所なので、大丈夫とは思いますけど……。
「……、王妃様、失礼では御座いますが、些か遅くは御座いませんか?」
よく知っているマーヤが心配そうに聞いてきますの。わたしは何か手が無いかと考えましたの。そうですわ!耳の敏い彼女ならば……パティに頼る事に致しましょう。久しぶりですもの、きっと応えてくれずはず。
「パティ、パトリシアぁぁ!こちらにいらして」
声をはりあげましたの。驚くキャロライン、その後じっと耳をすませておりますと……、ヒヒヒーン!といななき応える声が。
「わわ!」
あら、案外お近くにおられたのね。お兄様の慌てるお声も聴こえましてよ。ザザザ!ザザ!彼女がこちらに近づく音がしますの。




