過去を振り返って……るちあん、王都へ移り住む②
「ぱぱ!あれ!おっちい!」
馬車の窓にほっぺをむぎゅっとくっ付けてルシアンが言った。
「ああ、アレは王宮だよ」
「おきゅう?」
「王様と王子様(笑)が住んでいるお家だ」
「おーしゃま!おーじしゃま!しゅごい!」
絵本に出てきた様な王様と王子様を想像しているのかルシアンは大興奮で喜んだ。
その様子を見てフェリックスは小さく嘆息する。
それに気付いたハノンがフェリックスに訊ねた。
「どうしたの?」
「既にハノンとルシーを見せろと陛下が煩くてな。落ち着くまでは嫌だと言っているが、そのうち駄々をこね出すだろう……」
「嫌って言ったの?国王陛下に?それに駄々をこねるって……」
フランクというには無遠慮なもの言いにハノンは驚く。
「小さい頃から可愛がって貰っているからな、ついプライベートではこんな感じになってしまう」
「そう……」
恐るべし名門侯爵家。
子爵家風情では到底あり得ない君主との距離感にハノンは内心舌を巻く。
自分が侯爵家の令息に嫁ぐ事になっただけでも天と地がひっくり返るほどの驚きなのに。
王都での貴族然とした暮らしに今さら馴染めるか、いや、それ以前に領民とさほど変わらない生活をしていたそんな自分が……庶民過ぎてフェリックスが驚くのではないかとハノンは少し不安になった。
ハイレンで息子と二人、小さなアパートで慎ましやかに暮らす。
あのくらいが自分にはとても合っていたから。
ーーもう料理は出来ないのかしら。
お菓子作りくらいなら、貴婦人もキッチンに立つわよね?
でもわたし、お掃除も好きなのよね……。
乾いた雑巾でピカピカに磨きあげるあの作業、無心になれてストレス発散にもなるし。
洗濯物がお日様の下で風を受けてはためく様を見るのも好きなのよ……。
「着いたよ」
馬車が停まりフェリックスがそう告げて、ハノンはハッと思考の旅から連れ戻された。
フェリックスが先に馬車を降りた。
そしてハノンをエスコートして降ろし、ルシアンを抱っこで降ろす。
親子三人で住むためにフェリックスが購入したという家を見て、ハノンは驚いた。
どんなお屋敷に……と戦々恐々としていたが、連れて来られたのは少し裕福な庶民が住むような一軒家であった。
「ここ……?」
ハノンは家を見渡しながら呟くようにフェリックスに訊ねた。
「そうだよ。ルシー、お家に入ってもいいぞ」
「うん!わーい!」
ルシアンは嬉しそうに駆け出して、馭者が開けてくれている玄関ドアから家の中に入って行く。
ルシアンのその様子と家を眺めているハノンを、フェリックスは徐に横抱きにした。
「きゃっ、フェリックスっ?」
突然抱き上げられ、ハノンは目を丸くしてフェリックスを見る。
「新婚の夫婦が最初に新居に足を踏み入れる時、夫が妻を抱き上げて家に入ると幸せな家庭になるそうだよ」
「そ、そうなの?」
恥ずかしさで頬を染めるハノンを眩しそうに見つめ、フェリックスは家の中へと入って行った。
「っ……まぁ……!」
ハノンは思わず感嘆の声を上げた。
外観だけでなく室内もハノンが思い描いていたような理想の家だったからだ。
華美な装飾が一切ないシンプルな内装。
二階へ繋がる階段や手摺り、腰壁や窓枠に使われた木は長年磨き込まれた艶と深い色合いを醸し出している。
ただの白壁と思いきや白地の壁紙に同じく白の小花柄が透かしのように入っていた。
「素敵……」
「壁紙は新しくしたんだ。あと水回りも古かったから新しくしている。ハノンの好きなキッチンはこっちだよ」
「え?」
フェリックスはハノンを抱き上げたまま移動した。
思えば玄関を入ってからずっと横抱きにされ続けているのだが、今のハノンはその事に気付かない。
ダイニングと続きになっているキッチンには既にルシアンが来ていた。
「まま、ぱぱにだっこ?しゅき?」
「え?あ、も、もう下ろしてフェリックス……!」
「残念だ。ずっと抱いたままでいたかったのに」
「もう!そんな事をしたら明日、剣を触れない腕になってしまうわよ」
「ならないよ。ハノンは羽のように軽いから」
「そんなわけないじゃないっ」
ハノンは気恥ずかしくてぷいっとそっぽを向いた。
「ぱぱ!ぼくだっこ!」
代わりにルシアンが父親に抱きついた。
フェリックスが嬉しそうに息子を抱き上げる。
「ほらハノン、キッチンを見てごらん」
恥ずかしさを誤魔化すためにツンとするハノンにフェリックスは言った。
「わ……」
そこにもハノン好みのキッチンが設えてあった。
流し台の前には小さな窓があり、日中は手元を明るく照らしてくれそうだ。
その窓辺には小さなスペースもある。
小さなハーブの鉢植えや可愛い小物を置くのに良さそうだ。
使い勝手の良さそうなオーブンや薪の代わりに魔石で熱を起こすストーブ。
そして大きな食器棚の奥にはパントリーもある。
保冷庫もあり傷みやすい食材の保存にも重宝しそうだ。
料理好きのハノンを唸らせる、理想的なキッチンがそこにあった。
キッチンを見て、ハノンは気に掛かっていた事を夫に訊いてみた。
「フェリックス……わたし、料理をしてもいいの?わたしは嬉しいけれど、こんな庶民の様な暮らしをして、その……いずれ伯爵位を譲られる貴方の評判が落ちたりしないかしら……?」
ハノンの言葉にフェリックスは笑った。
「妻が料理や家事をしたくらいで貶められるくらいの権威ならそんなものは要らないさ。ハノンにはこれまでと同じように、自分らしくのびのびと暮らして欲しい。本当はメイドを雇って楽をして貰いたいけど、それは嫌なんだろ?」
「そうね……ルーセル子爵家は使用人は暇を出してしまっていたし、ルシアンと平民の暮らしも長かったから、今さら人に傅かれては暮らせないわ」
「実は義兄さんとメロディさんに聞いてそうじゃないかと思っていたんだ。だから敢えて邸ではなくこの小さな家を選んだ。イヤか?」
「イヤな訳ないじゃない!最高の家よ!ありがとうフェリックス!」
ルシアンを抱いているフェリックスにハノンは抱きついた。
小さな庭にバックヤードには洗濯場。
ルシアンが遊べるブランコもある。
一階はダイニングとキッチンと小さな応接間とトイレ。
二階には主寝室と子ども部屋と客間。
そしてバスルームと二つ目のトイレがあった。
既に置いてある調度品も内装もハノンの好みドンピシャであった。
これもメロディに聞いて用意したのだとフェリックスは言った。
隅から隅までハノンの理想とする家がここにある。
あの短期間でよくここまで……。
きっと必死に動いてくれたであろうフェリックスに、ハノンは心から感謝した。
そして貴族らしくない自分をそのまま受け入れてくれる事にも。
「ままー!ぼくのおへやー!くましゃんいっぱいー!」
ルシアンも新しい家に大満足の様子である。
他とはちょっと違うハノンたち家族の、
新しい暮らしが始まろうとしていた。
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ちなみにるちあんのお部屋には
超特大のクマさんぬいぐるみが守護神のように鎮座しているという。
壁紙も寝具も全てクマさん柄。
るちあんが絵本を読む時に座る子ども用の小さな椅子の背もたれはクマさんの顔の形までしているという徹底ぶり。
そしてまだ見ぬ孫が大のクマ好きと聞いた祖父のアルドンが、昔猟で仕留めた熊の剥製をプレゼントしたいと言ったそうだが、当然妻のアメリアに却下されたそうな……。




