ポレットの婚礼 ⑦ 挙式当日 花嫁の父
アデリオールには西方大陸で二番目に古く、そして大きい大聖堂がある。
代々、王家の婚儀が執り行われてきた大陸国教会アデリオール大聖堂。
古代から受け継がれる国独自の旧暦も、時代の流れにより他国間同士で新たに制定された新暦も、双方に共通して吉日とされる善き日にこの大聖堂にて今、王太子嫡男デイビッドとポレット・ワイズ伯爵令嬢の婚儀が始まろうとしていた。
ポレットは花嫁の控えの間でもう一度入念に化粧直しをして、定刻だと告げる王宮の女官に手を引かれ、侍従や近衛騎士たちに伴われて会場へ向かう。
母はすでに、参列席に着いている。
静かだ。
会場に通ずる長い廊下はしんとした静寂に包まれている。
絨毯が敷かれた廊下なので足音は響かない。
祈りを捧げる場において、不要な音で祈りを妨げないようにとの配慮なのだろう。
そのせいか自身の鼓動の音が、妙に大きく感じられた。
幼い頃、デイビッドの婚約者になってからというもの、公の場には慣れているポレットだが、さすがに婚礼の儀ともなると緊張の糸が張り詰め、いつものように上手く呼吸ができない気分になる。
(大丈夫……大丈夫よ。ただ足を動かして、デイ様の元へ行けばいいの。それだけよ、だから大丈夫)
ポレットは荘厳な空気に呑まれそうになる自身の心にそう言い聞かせた。
それでも鼓動は大きな音をたてて打つ。
大丈夫、大丈夫。
ポレットは意識して心を落ち着かせながら歩き続けた。
だが……
会場の入り口、
見上げるほど大きく重厚な扉の前に立つ人を見た途端に、忙しなく胸を打つ鼓動が静まった。
父のフェリックスが、先程まで近衛騎士の騎士装束に身を包んでいた父が、今は花嫁の父ワイズ伯爵としての正装姿で扉の前に立っている。
その姿を見て、自分の心が穏やかな春の海のように静かに凪いでゆくのがわかった。
父の姿を見ただけで安心感に包まれるなど、まるで幼な子のようであると自嘲するも、胸の内に広がる暖かな安堵感に心地良さを感じる。
父は一心にポレットを見つめていた。
とても、とても優しい眼差しで。
慈愛に満ちた母の眼差しともまた違う、温かで柔らく大きな愛を宿したその瞳で、向かってくる娘を見守ってくれている。
ポレットはゆっくりと父の元へと歩み寄った。
自身の傍まで来た娘を間近で見て、フェリックスは眩しそうに目を細めた。
「自邸を出る時も思っていたんだが……とても美しい、綺麗だよポレット」
「ありがとう、お父様」
「母さまの若い頃にそっくりだ」
「ふふ。お父様はどんな時も思考がお母様に向かうのね」
「当然だな。唯一の存在なのだから。……でも子ども達も母さまに負けないくらい、父さまの心の中を満たしている」
「わかっているわ……」
開式間際。
扉の前に立つ父と娘。
扉が開けば、二人でバージンロードを共に歩む。
その直前のほんの一瞬の時間。
「……お父様、」
ポレットは扉を見据えながら、父を呼んだ。
「なんだ?」
同じく扉を見据えながら父が応える。
「今まで、これまで大切に育ててくださって、守り慈しんでくださって、本当にありがとうございました……」
父が、はくと小さく息を呑んだのがわかった。
そして穏やかな声で言う。
「……ああ。……しかし、礼を言うのはこちらの方だな」
「どうして?」
その言葉にポレットが隣に立つ父を見上げる。
「父さまと、母さまの娘に生まれてくれて……ありがとう」
「お父様……」
「お前が生まれて、本当に幸せだった。父さまと母さまに幸せをくれた分、今度はお前もうんと幸せになるんだ」
「……っ、」
「悔しいが……誠に悔しいが、デイビッド殿下はいい青年だ。彼ならきっと、お前を幸せにして守り抜いてくれると確信している。……だから、」
フェリックスはゆっくりと娘の方へ向き直る。
「だから、安心して幸せになりなさい」
「お父、様……」
「おめでとうポレット。良かった、お前が見つけた唯一と結ばれることができて……」
「はいっ…ありがとう…ございます……!」
ポレットの大きな、輝く真紅の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
フェリックスがハンカチを取り出し、優しく化粧を崩さないように拭いてくれる。
ポレットはされるがままで父に言う。
「私っ……私、お父様とお母様の娘に生まれて本当に良かったっ……幸せでした、本当に幸せでした……!」
「あぁ……ありがとう……」
父の手はどこまでも温かかった。
この手に守られてきた。
そして今この手により最愛の人の元へと送り届けられ、新たな人生が始まろうとしている。
「開式のお時間です」
侍従が父と娘に告げる。
フェリックスは小さく頷き、ポレットに腕を差し出した。
ポレットも小さく頷き、その腕にそっと手を添える。
そして二人、静かに扉の方へと向き直った。
大聖堂の司祭と王宮の侍従、数名掛りで大きな扉が開かれた。
扉の外も静かであったが、大聖堂の中もまた静寂に包まれてている。
参列客の視線が一斉に花嫁とその父親へと集まると同時に、大陸有形文化財として名高いパイプオルガンの壮大な調べが流れ出す。
それを合図に、父娘は足を踏み出した。
一歩一歩を静かに。
一歩一歩をゆっくりと、だが確かな足取りでポレットは父と共に歩んで行った。
参列席には国内外から訪れた王侯貴族や要人たちが立ち並ぶ。
その錚々たる顔ぶれはさすがはアデリオール王家の婚儀であると言えよう。
そして慣れ親しんだ友人たちや親族の姿も見つけた。
友人たちはキラキラとした眼差しを父娘に向け、親族の女性陣は凛とした佇まいで温かな笑みを浮かべていた。
ワイズ家門の男性陣も……宝である家門の娘の晴れ姿を満足そうに見つめていたのであった。
さすがは名門ワイズ一門。
この期に及んで、各国の主要人物が集うこの公の場で不甲斐ない涙を流す者など一人もいない。
ましてや嫁に行ってくれるなと駄々を捏ねる者など言語道断といわんばかりに、威風堂々たる立ち姿で参列していた。
その親族席に当たり前のようにいる、メロディ一家。
メロディのパートナーであるダンノ氏は少々居心地が悪そうだが、メロディも娘のリズムもギラギラとキラキラの瞳で一心にポレットを見つめていた。
メロディの唇が無音で“オ・シ・ア・ワ・セ・ニ・ネ♡”と形取った。
思わず吹き出しそうになるも笑みを浮かべるだけに留めたポレットが次に最前列の席に立つ家族の方へと視線を巡らせる。
遠く北の地より駆けつけてくれた伯父ファビアンと義伯母ランツェと従弟のファニアス。
そして従姉妹でありながら姉妹のように育ったミシェル。
それから大好きな兄ルシアンと小さな可愛い妹のノエルに、この世で一番大好きな女性である母のハノン。
そして、そしてその最奥、細く長く続くバージンロードの先に立つ、最愛の人。
(デイ様……)
大聖堂の最奥に立つデイビッドの姿を、ポレットは只々じっと見つめた。
婚礼用の正装に身を包んデイビッド。
白を貴重とした詰襟の衣装と白金の肩章や飾緒にサッシュを身につけている
いつもはナチュラルに下ろしている前髪も、今日は形よく整髪されてその秀でた額を惜しげなく披露していた。
幼い頃からの彼を知るポレットでさえ惚れ惚れと見蕩れてしまう、美しい青年王族の姿がそこにあった。
ポレットの最愛。
ポレットの唯一。
その彼の元に、大好きな父に手を引かれながら向かう。
言い様のない、とても言葉では言い表せない多幸感にポレットは包まれた。
そしてやがて新郎の元へと辿り着く。
父がそっと自分の腕からポレットの手を取り、新郎の手に引き渡す。
「……みなまで言いますまい。殿下、どうぞ娘をよろしくお願いいたします」
穏やかな声でそう告げたフェリックス。
デイビッドに託し、その手が娘の手からゆっくりと離された。
デイビッドはゆっくりとだが確と頷く。
「生涯、大切にすると。必ず幸せにすると誓います」
二人のやり取りを聞き、ポレットの瞳からまた粒のような涙が零れた。
フェリックスはまたゆっくりと頷き、参列席にいる妻の元へと向かった。
自分の隣に来た夫に、ハノンは小さな声で告げる。
「素敵だったわ。……もう、泣いてもいいからね」
ハノンのその言葉を聞き、フェリックスは小さく「……うん……」と言い、その瞳に溢れんばかりの涙を浮かべた。
声もなく男泣きに泣き、静かに涙するフェリックスに、ハノンは優しく寄り添ったのであった。
そうして、ポレットとデイビッドの式が執り行われた。
あ、クリフォードたちデイくんの家族である王家の面々も勿論参列しています。
別席の貴賓席に居ましたよ。
次回、花嫁の兄。




