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第八十六話 決闘

 クロノスは変わり果てていた。

 パーティーハウスが炎上したときよりなお酷い。


 頬は痩せこけ、髪型は崩れきって、全身は土と煤で汚れきっている。

 満足に物を食べられてないのがわかるくらい足取りは拙く、それでいて変にところどころに力が入っている。


 前の面影はない。

 良くて冒険者崩れの野盗、浮浪者と見間違えてもおかしくない。


 だがそれがかえって追い詰められた獣のような生命力を強調していた。

 夜の闇の中で血走った目が強い輝きを放っていて、全身全霊を込めて俺を斬りにくるということが窺える形相だった。


「その、久しぶりだね」


「……よお」


 久々の受け答え。


 こんな声をしていたっけ、と思う。


 少なくとも前はもっと溌剌として自信に溢れていた。

 それが今はずいぶん低く、掠れるような喉の震えが混じっている。


 気分がちょっとへりくだってしまう。

 関係の感覚としてはやはり俺の方が下のままだ。

 クロノスの側の怒りもそういう前提があってのことだろう。


 思えば俺は、追放されてからもずっとクロノスを意識していた。


 全部の体験を【竜の翼(ドラハンフルーグ)】の日々と照らし合わせていた。


 きっと過去というのはそういうものだ。

 積もる話がたくさんあった。



「殺してやるよ」



 だけどクロノスは両手で剣を握り、刃を思いきり俺に向けていた。


「あの、その、言い訳みたいになるけど、俺は」


「知ってる。ソフィーアだろ」


 存外に話が通じて肩透かしを食らった気分になる。


 クロノスは冷静なようだった。

 雑なその場の衝動に身を任せているんじゃない、俺を呼び出して周りを警戒し、完全に一対一で戦う心づもりでここに来ている。


 (なだ)めたり説得したりで変わるような半端さなど一片たりとも見えなかった。



「そんなことはわかってるんだ! 構えろ!」



 山刀(マチェット)を二本抜いて、両手に構えた。


 殺意が刺さる。

 どうしたって引いてしまう。

 こんなにも剥き出しの憎悪を全身で受けた経験なんてない。


 やるしかない、もともとそのつもりでここに来ている。



 見合う。


 互いの間合いを測りつつ、左右の隙を探す。

 結果じりじりと円形に回ることになる。



 クロノスの武器は両刃の両手剣。

 間合いは大きく一撃が重い。鍔迫り合いにでもなったら勝てないかもしれない。


 そもそも俺の弱点として、扱える物体の質量がそこまで大きくないというものがある。

 高速で動いて威力は出せるものの、そもそも重い物がある程度の範囲を持って攻撃したときに迎え撃つのが難しい。

 カウンターのような形を取られると為す術なくやられる。


 隙だらけに見えた。

 だけどわざとか否か判断が付かない。

 自分の命を勘定に入れずに俺を殺しに来ているなら、あえて体で刃を受けるなんてこともされかねない。


 俺は待った。

 仕掛けようとしているが隙が見つからないフリをして、足を慎重に運び続けた。


 そしてわざと、踏み出す足を間違えた。

 極々一瞬だけ、重心を後ろに逸らす。



「死ね!」



 十分な隙に映ったようだった。

 クロノスは腹の底から声を出し、気を爆発させるように大きく俺に突進する。


 俺が誘ったんだから対処の準備はできていた。

 だけど実のところ本当に受け止めきれるかは微妙。

 最大限の速度を想定し、剣筋を逸らして隙を作るべく右手の山刀(マチェット)を添えにかかる。


 ……だけど、あれ?


 一撃が来ない。



 想定していた感触と違ったおかげで全身に警報が響く。

 しまった、この突進は(ブラフ)だ。剣の軌道は途中で──



 ──変わって、ない。



 目がクロノスの剣筋を捉えていた。


 それはまだ振り下ろされている途中だった。

 俺が添えようとしていた山刀(マチェット)は空を切っていた。



 つまり、クロノスの剣は()()()()



 なんとでもなった。

 右手首だけを外旋させて、峰で両手剣の根本を打った。


 するとクロノスはいとも簡単に、右側に大きく弾かれて、こけた。



「……は?」



 何が起きたかわからないようだった。


 俺もわからない。


 違う、わからないことなんてない。俺には全部見えていた。


 認識の枷があっという間に外れる。

 俺がクロノスを評価するときに無意識に作り出していたしがらみが、音を立てて剝がれ落ちる。



 こいつ、こんなに弱かったか?



 俺がそう思ったのが伝わったらしい。

 クロノスはさっきまでの慎重さとは打って変わって、立ち上がるなり叫びながら、横から剣を出して大振りで突撃してきた。


 普通に避けた。

 屈みながら右に一歩踏み出せば剣は宙を斬った。


 まさしく隙だらけ。

 全身のどこだって斬れる。

 今すぐ頭を落とすことだって可能。



 だけどまあ、殺すのは俺の役目じゃない。



 見定めて、まず両足の脛骨を峰で叩き割った。


 両脚は打たれた勢いのまま弾かれて、クロノスは剣で支える暇もなく、回るように顔面を地面にぶつけた。



「がっ、ああああぁあああ!」



 叫んでいた。

 痛みを誤魔化すように、一心不乱に叫んでいた。


 静寂の中、情けない声が広場に響き渡る。

 月明かりが俺たちを見守っているだけで辺りはがらんとしていて、ちょっと反響したのが耳に入った。


 まだ警戒を解いてはいけないと思いながらも、力が抜けてしまった。

 すぐに一歩引いた目線になってしまった。


 こんな状態になってもクロノスはまだ諦めていなかった。

 転がりながら、落とした両手剣を拾おうとしていた。



「ダメだって」



 小走りで追いついて、剣を遠くに蹴り飛ばした。

 ついでに両手を踏んで、また山刀(マチェット)の峰を使って両前腕の骨を叩き割った。



 クロノスはまた叫んで転げまわった。


 転がると脚なり腕なりの折れた場所がまた圧迫され、余計に痛むみたいだ。


 立ち上がろうとすればまたもんどり打って転がって、さらに痛みが走って以下繰り返し。

 せっかく治りやすいよう綺麗に骨を割ったつもりだったのに、このままでは放っておいても勝手に重傷になって死にそうだった。


「くそっ! くそっ!」


 叫びに徐々に悔しさが混じり始める。



「ふざけんな! ふざけんな! ありえない! くそっ、ああああああああ!」



 クロノスは俺を睨みつけていた。

 両腕両脚が使えないから、胴体と首を懸命に回して俺を見て叫んでいた。


 綺麗だった顔は汚れている上に、潰れた鼻から大量の鼻血が出ていて無様だった。


 腹の底からため息が出た。



 ──俺は、これにずっと縛られてたのかぁ。



 完全に決着はついていた。


 憲兵はもう呼んである。

 でも思ったより早く終わってしまった。

 遅れてくるように言っていた分、まだちょっと時間があるようだった。



「お前がっ! お前のせいで!」



 クロノスの叫びは完全に恨み節に変わっていた。


 顔を真っ赤にしていた。

 俺の側にもう緊張はなく、絶対的に優位な立場に立っていた。

 視覚的にも俺はクロノスを見下ろしていた。



「……その、君に関しては、それはさすがに違うと思う。自業自得だよ」



 いつの間にか、口が動いていた。



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― 新着の感想 ―
[一言] ほんとだよ馬鹿無能クロノス。てめぇがもっと早くヴィムの力、功績、働きを認めてあげられてれば全部がうまく回ったのに(その場合黄昏の梟に対処できなかった可能性は置いといて)
[良い点] 割とアッサリと終わらせたところ。長々と引きずって、因縁の対決みたいなのを後でするのも好きだけど、明らかに格下として描かれてるのにそれをされても興ざめなので [気になる点] 気持ち悪いコメン…
[良い点] かませ犬というかざまぁされる側における退場間際の馬鹿騒ぎというか悪足掻きというものは、主人公の不遇からの逆転劇における一番のターニングポイントであり、劇中に一度しか訪れない最高の山場だとは…
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