第七十五話 祭り市
中央市は昼間からなかなかの活気だった。
道の両側にまだ骨組みだけの屋台もちらほら、建物の高いところから高いところへ連なった国旗がかけられていて、数歩歩くだけで多種多様な香辛料の香りが移ろっていく。
フィールブロンは香辛料の産地ではないが、迷宮がもたらす富と交換され、一種の交易地のような形で中央市に集まってくるのだ。
酒の音頭に使われる話だが、踏破祭とは全員が儲かる不思議な祭りだそうだ。
儲かるのは商人と料理人、昼に商いで儲けた者は夜は飲み食いで散財し、夜に飲み食いで儲けた者は昼に市場で散財する。
しかし両者の金は尽きることなく増える一方、いったいこのお金はどこから来たんでしょうか、と言って、最後に迷宮に感謝して〆る。
この活気があれば納得してしまう。
財布の紐が緩くなるのもなんとなくわかる。
次いつあるかもわからない不定期の祭り、というのも特別感に加わっているのだろう。
グレーテさんに三人でぞろぞろとついていき、ちょっと二、三の路地を行けば、色とりどりの布に囲まれた空間があった。
市場の中でも本格的な店が並ぶ一角だということは素人目にもわかった。
さすがはグレーテさん。
生まれついてのフィールブロンっ子ということで前回の踏破祭にも参加していたみたいなので、やはり慣れているのだろう。
「グレーテさんグレーテさん! あの帽子はなんですか」
「あれはボンボン帽子です。最近ちょっとフィールブロンでも流行り始めた南部の民族衣装ですね。未婚の女性は赤色、既婚の女性は黒色のボンボンを付けます」
「おー!」
「つまり赤いボンボン帽子を被るとナンパ待ちってことです!」
「おー!」
ラウラはグレーテさんにすっかり懐いているようだった。
姉役というか、頼れる年上の女性に巡り合ったのが久しぶりだったりするのだろうか。
やはり【夜蜻蛉】の人たちは前線で活躍しているだけあってピリッとしてる人も多いし、すぐには慣れないのかもしれない。
「チッ、所詮乳の大きさでしか年齢を測れない四つ足が」
「そういうところだと思うよ……?」
ハイデマリーはそんなラウラを見てずっとこんな調子だ。
特に懐かれるような言動をしていないくせにいざ他の人に懐くとキレる。厄介極まりない。
ちなみに亜人族に対して『四つ足』と言うのは出るところ出るタイプの差別用語である。
本当はもうちょっと仲良くしたいような気配があるってことなんだろうけど、にしては不器用だよなぁ……不器用なのかなぁ? 性格に難があるだけかなぁ?
「グレーテさんグレーテさん、なんでハイデマリーさんをスーちゃんって呼んでるんですか」
「あー、ラウラちゃん、それはねー、年がら年中ヴィムさんを」
「素敵なスーちゃんさ! ははは! ラウラ! 君もそう呼んでくれ!」
お、ハイデマリーも走って混ざりに行った。やるな。
女性陣、というか俺以外、何やらいろいろ着せ替えなんかしていて楽しそうである。
頼んだ身でこう形容するのも恐縮だが、グレーテさんも嬉しそうに見える。
「うーん、ラウラちゃんはやっぱり成長期ですし、絶妙に合うサイズがないですねぇ。やはりゆったりしたものの方が」
「あ、牛娘。ラウラは体格を変えられるんだ」
「……へ?」
「“獣化”って言ってね。幼児から大人までなんでもござれらしい」
ハイデマリーがそう言うと、ラウラは腕を横に伸ばして、んー、と喉を鳴らした。
しゃがんだみたいに、小っちゃくなった。
次は両腕を斜めに上げて、伸びをするようにもう一度んー、と喉を鳴らす。
今度は立ち上がったように大きくなった。
グレーテさんの身長を少し越して、風船が膨らんだみたいに体の線も太くなって大人の女性と遜色ないくらいになっている。
というか凄いな。ここまでできるのか。
理屈はどこまで解明されているのだろう。
「お、おおー! これは、可能性に満ち溢れていますよ!」
「君、そこまで自由自在だったのか……え、ちょっと揉んでいい?」
グレーテさんが感心する一方ハイデマリーは絶句している。
三人は一旦店の奥に入っていって、そしてラウラだけ着替えて戻ってきた。
背丈は調整されてさっきよりちょっと小さく、十五、六歳くらいの感じで多少幼さが残されたような具合。
給仕服からエプロンがなくなった感じ?
ダメだ語彙がない。
半袖でスカートは軽く膝が隠れるくらいっていうのはわかる。
……誰でもわかるか。
「えへん!」
「ほら、ヴィムさん、感想を」
「あ、青い、ね……? あ、綺麗だと、思います……」
あっ、これはダメだ。目が冷たい。
「いいでしょう、そっちがその気なら! ラウラちゃん! 小っちゃくなってください!」
「はい!んー!」
小っちゃくなった。
さっきは膝が隠れるくらいだったスカートがくるぶしまで覆うロングスカートになり、ちょっとした法衣みたいな趣だ。
童話に出てくる主人公の少女みたい。
「はい、感想は!?」
「とても可愛らしいと思います!」
「よっしゃ!」
「いえーい!」
また店の奥に引っ込んでいった。
あ、今度はハイデマリーがギャーギャー言ってる。
「……」
自信満々で出てきたグレーテさんとは対照的に、ハイデマリーの目は死んでいた。
ってか誰だこれ。
服装と髪型でここまで変わるものか。
長い髪が巻いて編み込まれて流行っぽい雰囲気が出ていて、いつもは絶対穿かないであろうフリフリのついた緑色のスカートを穿いている。
横暴な印象はすっかり引っ込んで、おしとやかな印象すら受ける。
「……言えばいいよ、似合わないと」
「いや、似合ってると思うけど、その」
「……本当かい?」
「その、髪型とか。そのヤギみたいなやつ」
ちょっと一瞬持ち上がったハイデマリーの顔がいっそう沈んだ。また冷たい視線が飛んできた。
「ヴィムさん、さすがにそれはないと思いますが」
「いや、それは違くて! その……とても可愛らしいと言いますか! すみません! 服に詳しくないもので! 形容し難い美しさでありまして! 部屋に飾っておきたいくらいのお人形さんと言いますか!」
「えぇ……」
グレーテさんドン引きである。
俺も他でもない自らの口から出た台詞に引いている。
「え、そうかい? 仕方ないなぁ、そこまでお褒めに与ってはね、えへへ」
「……スーちゃんがそれでいいならいいですけど」
なんとかなったらしい。
また三人は店の奥に引っ込んでいった。
「……ふう」
正直疲れる。帰りたい。
まあでもいいかな、総じて凄く楽しそうだ。
特にラウラが笑顔なのは嬉しい。
三人とも俺を審査員に使ってみてるくらいの感じなので、特に何かが求められているというわけでもなさそうだし大きな重圧もない。
あんまりど真ん中でわちゃわちゃされてるのじゃなくて、こんな感じで傍から眺めているのは安定している気がする。
疲れはすれど息苦しさはそんなにない。
ちょっと心当たりがあった。
それはきっと、あんまり積極的な気持ちじゃないよな。
買い物を一通り終え、俺もおもちゃにされ終わった頃には夕方だった。
みんなくたくただった。
グレーテさんと別れたあとの前夜祭も軽く眺めるくらいが精々で、食べたり踊ったりは明日以降ということになって、帰ることになった。
「……あの、ラウラちゃん? ちゃんと寮に戻って」
「カミラさんから許可はいただいてますので!」
ますので! と反響する。カミラさん何やってんだ。
こちとら断る気力もない。
家の扉を開ける。
すると扉に挟まっていた何かが落ちかけたのに気付いた。
地面につく前に取る。
普通のチラシに見えた。
だけどすぐに違和感に気付いた。
二枚だ、同じチラシが二枚重なっている。
こんなもの相場が決まっている。
見比べればすぐに差異は見つかって、文字列を多少弄れば簡単にメッセージは見つかった。
誰からのメッセージかもアタリが付いた。その目的も。
「ごめん、ラウラちゃん。明日は無理だ」
一気に現実に引き戻された。
今日一日の自分が、逃避をしていただけのように思えた。






