第六十六話 事態
俺とハイデマリーとラウラという少女の三人は、とぼとぼとフィールブロンの石畳を歩いていた。
夜明けの光とひんやりとした外気を浴びて、頭が整理されてくる。
もう完全に我に返った。
いい加減に自覚する。
俺はとんでもないことをしていた。
とても正気じゃなかった。
──いいや、問題はそうじゃない。
何よりも、それを受け入れてしまっていた。
今もだ。気分がすっかり淀んでいるのに、すっきりした感じが否めない。
こんな状態でどの面下げてみんなに会えばいいのかわからない。
屋敷に戻る頃にはもう朝だった。
カミラさんなら起きて朝の鍛錬を行っている時間だ。
そして、屋敷の門の前でそのカミラさんが仁王立ちしていた。
これは、知っているんだろうな。
何を話せば良いのだろう。
俺の心中か? それとも戦いの感想か?
そんなわけがない。許されない。
当面の問題は謝罪と、何よりこのラウラのことだ。
俺の解釈が合っているなら【夜蜻蛉】にも無関係な話じゃない。
場合によっては保護しないと。
「ヴィム少年」
声をかけられて背がビクッと震えた。
何を言われてもいいと覚悟した。
「良かった。本当に……戻ってこられて」
でも、違った。俺はカミラさんに抱きしめられていた。
鎧が当たって痛い。筋力と体格相応に苦しい。
だけど優しい抱擁だった。
「捜索隊を組んでいたんだ。これ以上音沙汰がなければ向かうところだった」
恐縮する。
誰も死なないと思っていたけど、多大な迷惑をかける寸前だったみたいだ。
「大事な話がある。君が恐らく聞いているであろう──」
しかし、カミラさんは途中で話すのをやめた。
「ちょっと待て。その娘はなんだ? 亜人族か?」
「えっと、その、第九十九階層で木の陰に隠れているところを救出しまして」
説明する。
「話を聞いた感じ、恐らく闇地図の被害者です。業者らしき三名も目撃しています。宝物庫の道が利用されていたみたいで」
俺が辿りついた結論はこれだった。
宝物庫で見かけたあの三人の人影は、ラウラを利用して闇地図を作っていた連中だろう。
【夜蜻蛉】が秘匿している経路を、俺たちが迷宮にいない時間を見計らって利用した。
俺がたまたまトチ狂って通常ではありえない変則的な時間帯に迷宮潜を行ったから鉢合わせたのだ。
……そして、もしも俺の想像が合っているなら。
もっと最悪なことが起こっていたことになる。
カミラさんの顔色が、急に変わった。
「それは、緊急を要するぞ」
俺とは声色のテンションがまったく違った。
認識に差があることがすぐにわかった。
どうも俺の側が想像が及んでいない明確な事情があるみたいで、それはカミラさんから見ればかなり悠長なものであるらしかった。
「君、確認だが、もしかして“獣化”を使えるのか?」
ラウラはこくこくと首を縦に振る。
「ヴィム少年、ここに来るまでに怪しい人影は!?」
「い、いえ、気にも留めていませんでした」
わずかな時間。
カミラさんの疑念は確信に変わっていた。
「すぐ屋敷に入れ! そして、大広間、じゃない、執務室だ! そこでしばらく待機していろ!」
*
とてとて。という音が聞こえてきそうだ。
「あの、魔法使いさま。何かお飲み物は」
「いや、いいかな、なんて」
「はっ!」
とてとてとてとて。
「あの、ラウラちゃん? 治ったとはいえ、怪我してたんだし、もうちょっとゆっくり」
「いえ! 村では魔法使いさまがいらっしゃったときはおもてなしする決まりですので!」
ですので!ともう一回反響しそうな元気具合だった。
とてとてとて、とまた執務室を歩き回る。座布団を持ってうろちょろ。
おお、ずいぶん可愛らしいけど、なんかやりにくいな。
ソファーに座っているだけなのが罪悪感がある。
知らない部屋でおもてなしも何もないと思うんだけど、手持ちの何かでいろいろやってくれようとしているから邪険にもできない。
俺たち三人は執務室に通されて、そして出ることを一切禁じられていた。
しかも扉には複数の警備付き。
詳細はすぐ説明してくれると言っていたが、どうも幹部の方で協議が必要なことらしい。
「ハイデマリー、どういうことかわかる?」
ハイデマリーは顎に手を当てて姿勢を低く、前の方を見つめながら言った。
「……事態は私たちが考えていたものより深刻かもしれない。多分謀略みたいな方向だ」
「というと?」
「警備の人が全員古株なんだ。盾職のアーベルあたりを寄越してもいいはずなのに、カミラさんの古い知り合いばかり。意図的にここ数年で【夜蜻蛉】に入った人間が省かれてる」
執務室のドアが開かれた。
カミラさんが入ってくる。
その顔には明らかな焦りが見えた。
「事態はあまりに急を要する。時間がないから手短にいく」
彼女は向かいのソファーに座った。
「まずヴィム少年。君のことについてだ。我々【夜蜻蛉】としてはこちらも死活問題だがあとに回さざるを得ない。しかし先に言っておかねばならないことだから単刀直入に聞く」
俺の目が見据えられた。
「君は、“声”を聞いたんだな?」
頷いた。
カミラさんはあの“声”について知っていた。
それだけで驚くべきことで、次々と疑問が湧き上がる。
「それは“迷宮の呼び声”と言われる現象だ。その特性上“呼ぶ”という意味がわずかでも伝わってしまうことが危険なので、存在はごく一部の人間にしか共有されていない。だが君はもう一人で迷宮に行ってしまった。隠す意味もないだろう」
しかしゆっくり質問できる雰囲気じゃなかった。
まずはできるだけ理解に努めようと思考を切り替える。
「呼び声について詳しいことは何もわかっていない。だがこの声を聞いた者の末路は基本的に二つ。一つは妻子や仲間を捨て単身で迷宮に潜り、行方不明になるか後々死体で発見される。そしてもう一つは──」
カミラさんは人差し指を立てたあと、二本目に中指を立てた。
「──【黄昏の梟】に取り込まれるか、だ」
その言葉が聞こえた瞬間、ラウラが俺の袖を握った。
「なのでヴィム少年、君の規律違反に関しての処分は、しばらく監視付きかつ迷宮潜の全面禁止になる。これは謹慎というより呼び声に対処するための意味合いが大きい。踏破祭もある。緊張を解いて羽を伸ばせ。これは命令だ」
もう一度、頷く。
「そして、【黄昏の梟】に気をつけろ。君の行動を見れば呼び声を聞いたことは明白だ。間違いなくリタの奴が接触してくる。絶対に耳を貸すな。強化を駆使してもいい。攻撃しても構わない。物理的に全力で逃げ切れ」
一息が置かれた。
情報量が多い。
だけどこれですらまだ本題じゃない。
今、緊急を要しているのは次の話の方だ。
「そして、次だ。ここからはラウラ君のことだ」
ラウラに視線が集まった。
「命が危ない。準備ができ次第、彼女をフィールブロンから脱出させることになる」






