第五十七話 ちゃんと
久々の泊まり枝。
もともとときどきしか来ていなかったけど、期間が空きすぎてちょっと気まずい。
「ども」
扉を押すと、カランコロンと鳴った。
「おおー! ヴィムさんじゃないですか。お久しぶりです」
グレーテさんは変わらずそこにいた。
溌剌とした看板娘っぷりもそのままだ。
「ご活躍は伺ってますよ! もう有名になりすぎてこんな小さな居酒屋来てくれないんじゃないかと思ってました」
「いえいえ」
「マスターなんてここをあのヴィム=シュトラウスのかつての行きつけ、として売り出そうとしてたくらいで」
「そんな大げさな……」
「表情もすっかり良くなって! 前来たときはいつにも増して死人みたいな顔してましたから……」
そんな顔してたのか、俺。
しかし、表情が良くなっているのか。
グレーテさんが言うならそうなのかな?
俺もちゃんと真人間っぽくなれてるってことだろうか。
なんだか自信が湧いてきた。
今日はあまりあれこれ考えずにはっきり喋れる気がする。
「はい、じゃあお一人様カウンターで」
「いえ、今日は同僚といいますか、【夜蜻蛉】のみんなと一緒に来まして」
「へ?」
「結構人数いますけど、入れますか? 特に予約とかなければ貸し切りでお願いしたいくらいなんですが」
俺がそう言って後ろにいるみんなを横目で見ると、グレーテさんは数秒固まった。
「マスター、大変です! その、【夜蜻蛉】の方々が!」
「はあ? ああ、ハイデマリーさん? 何を騒がしそうに」
「たくさんいらしてます! えっと、その、なんだったっけ、“熱戦”のハンスさん、“鉄壁”のアーベルさん、えっと」
「お、おう? そんな大物が……ん? あ、本当だ」
え、二人ともそんな二つ名あったの?
「落ち着け馬鹿娘! フィールブロンの居酒屋ってなぁ、いつ何時も冒険者を全員お相手すんだ!」
「落ち着いとるわ! ご案内します!」
*
あれよあれよという間にみんなは手慣れた感じで席につき、俺は出口と反対側の席の奥の方に押し込められた。ハンスさんが隣だ。
「いやー、なかなか良い店じゃないか」
「はい」
「おすすめは何かあるのか?」
「名物は腸詰めです」
「王道だな。名物というのは」
「極太なんです。腕くらいはあります」
「ほお……よしみんな! その極太腸詰めをいただこうじゃないか !俺の奢りだ!」
おおー! と男どもの歓声と拍手喝采である。ごちそうになります! とも聞こえてくる。おっ、アーベル君も言ってるから若めの衆はそんな感じに言うものなのか。
「ハンスさん!」
「ん?」
「ごちそうになります!」
「お、……おう! いっぱい食え!」
*
「いやぁ、しかし、ヴィム君は良い店を知っているな。これなら一人でも来たいくらいだ」
泊まり枝の料理はかなり好評だった。
俺は行きつけと言っても一種類の注文しかしたことがなかったので知らなかったけど、結構な種類があってそれがすべて美味しいらしい。
俺も久しぶりで当然その分美味しかったのだが、みんなを見ていると基本的なメニューというのはなんだか味気ないというか薄味なものだというのがわかった。
次からは新しいものに挑戦してもいいかもしれない。
「娘さんも若くて美人じゃないか。同じ年頃だろう?」
「だと思います」
ハンスさんは少し小声になった。
「狙ってるのか?」
「……? あぁ、いえいえいえ」
「またまた。別に恥ずかしいことでもあるまいに。君も名を上げたんだし身を固めることを考えてたりもするんだろう?」
そういうことが普通なのか、冒険者は。
うーん、この店の魅力はどっちかというとあんまり話しかけてこないことだからなぁ。
グレーテさんも店の出入りとお会計のときにちょっとやり取りをするくらいで、むしろ俺が静かにしたいと察して動いてくれたりする。
「あんまりそういうのは、考えてないです」
「そうかー……まだそういうこともあるかー」
残念そうにしている。
「じゃあハイデマリーちゃんはどうなんだ? その、なんだ。露骨にそういう雰囲気というわけでもないし聞くのが憚られてたんだが」
「いやぁ、そういう感じではないですね。同郷の盟友、みたいな」
俺は友達だと思っているけど、ハイデマリーの側がどう思っているかは実のところ微妙だったりする。
「まあ人の距離感があるからなぁ、どうこう言うつもりはないが。でも一緒になりたいと思ったときは躊躇しない方がいい。ガーッと行くんだ」
あんまり想像がつかない話だ。
「ときにヴィム君、ハイデマリーちゃんと同郷ってことは、君も学院にはいかず独学で鍛えたクチか?」
「はい。自分でいろいろ」
「実は俺もなんだよ! ド田舎からフィールブロンに憧れてこの身一つでやってきてなぁ。苦労したもんだ」
素直に意外だった。
ハンスさんって結構落ち着いている感じだったので、もっとエリートみたいな経歴を想像していた。
カミラさんがこの人を副団長に置いているということは、そういうバランスも鑑みてのことなのかな。
あんまり貴族出身とかで固めて先鋭化するのは良くない、みたいな発想だろうか。
「貧乏地主の三男坊でな。多少の援助は貰えたがまあ最初は酷いもんだった。装備も中古しか用意できなくてなあ。毎日迷宮の外でも働いたもんだったよ」
……うん?
それって割と普通というか恵まれた方では。
でもこの話を聞いている周りの反応はそうでもない。
普通に貧乏話っぽい。特にハンスさんと同年代の人たちは、うんうん、ハンスは苦労してた、みたいな感じだ。
「団長に見出してもらえてなんとか【夜蜻蛉】の下部組織でやってたんだが、地獄みたいな日々だったよ。天井にぶち当たって、才能の限界を感じてな。自分はここまでの男かと落ち込んださ」
おお、まあ、そういうものか。
苦労もあったんだろうな。あるに決まっている。
スタート地点は違えどそういう苦悩には覚えがある。
今もそうだ。己の限界に立ち向かうとき、人はいつも孤独だ。
世間や他人はそういう個人の苦悩に興味がないし、自分の問題は自分の裁量で最後まで面倒を見なければならない。
「でも、妻が支えてくれた」
……奥さんいらしたんですね。
「あんまり伺ったことなかったんですけど、もしかして【夜蜻蛉】って結婚してる方が多かったりするんでしょうか」
「ん? ああ、まあな。若手じゃなかったら男衆は大体既婚者なんじゃないか? マルクとかも子供がいるし」
おおー、まったく意識してなかったけど、そう思うと変な気分だ。
そうか、そういうものか。
今まで為した会話も、既婚者相手だったと思うと微妙に意味合いというか気持ちが変わる。
ちょっと引いた目でテーブルを見回してみた。
なんというか、円滑だ。
こうやって一緒にご飯を食べて空気感を共有して、決まったやり取りとか笑いどころがあって。
こういう会話が意外と重要だということをみんなわかっている。
そして自然にできている。
なるほど、みんな迷宮の外では夫だったり誰かの恋人だったりで、ちゃんと社会の一員をやっているわけだ。
大人だな。
あ、アーベル君もうぇーいとか言ってる。
気付けば俺の方にも何回目かの乾杯の盃が差し出されている。
「うぇーい!」
「うぇ、うぇーい」
俺も言ってみた。そしてゴクゴクと麦酒を流し込む。
大丈夫だろうか。
ちゃんとできているだろうか。
不自然じゃないだろうか。
楽しいけれど、慣れないことだから気疲れしてしまう。
そしてこのあともあるかもしれない。
仕事の付き合いでもあるわけだし、断りにくかったらどうしよう。自分がどこでヘマするかもわからないし。
と、思ったら。
特に二次会とかはなかった。飲み直したい人が数人集まってやるくらいで、特に強制させる気配もない。
おお、本当にできた人ばかりだなぁ、【夜蜻蛉】は。
◇
階層主と遭遇したのに、誰一人死傷者が出なかった。
この事実の大きさをヴィム少年はどこまで理解しているだろうか。
数多の冒険者が階層主を恐れ、避けるよう努め、そしてあえなく散ってきた。
この恐怖がどれほどの冒険者の足を止めてきたか。
一つの階層の踏破に何年もかかってきたのはそれゆえだ。
階層主との接敵を恐れずに済むのは革命的ですらある。
そして今日で確信した。
ヴィム少年のあの戦闘力は再現可能なのだ。
彼が言うような偶然の産物ではない。
意図的かつ有効に作用する、強力無比な絶対的戦力。
やはり私は間違っていなかった。
大当たりだ。
すでに彼に提示した給料を補って余りある利益が出ている。
これから先も金に糸目はつけまい。
しかしそれだけでは足りない。
金だけで繋ぎ止められると思っていては、他のパーティーに足をすくわれる。
人を繋ぎ止めるのに必要なのも、また人だ。






