第五十五話 仕方ない
広葉樹の隙間に見える影。
その動きの規則性が見え始めた。
左右に満遍なく気配を匂わせては消え、匂わせては消えを繰り返す。
そうすることで的を絞らせないようにかつこちらを疲弊させるようにしているのだろう。
統率を取っている群れのリーダーがいる。
となればそいつが階層主に違いない。
【竜の翼】の報告を経てつけられたその名前は“角猿”。
大型モンスターほどの体躯はないが、速さによる圧倒的攻撃力を持つという触れ込みである。
『ヴィム少年、間違いないのか』
『はい』
半分は経験則を応用した推測だ。
不確かと言えば不確かだが、しかし直感は間違いようがないと叫んでいた。
「તમે કેમ છો」
だって耳元でずっとうるさい。
脚も震えておかしい。
命の危機が目の前に迫っていた。
この瞬間の判断にみんなの命がかかっている。
早くこの場を離れたい。
『では撤退だ。君の案を聞きたい』
俺が報告した以上、作戦も俺が考えるのが筋。
冷静になれ。
この感情を抑え込め。
慌てて背を向けるでも突っ込むでもない。必要な要素を明確にしろ。
『引き返す撤退は難しいと思います。霊長の類のモンスターなので、恐らく誘い込まれる形になります。他の大型に当てられるかもしれません』
『そうか。では』
『はい。僕が行きます』
『具体的にどうする?』
報告書の記述から考えるやつらの基本戦術は、囲い込んで混乱させたあとに角猿が背後から中央を襲い、パーティーを分断させるというものだ。
『僕たち全員がある一方向を向いていれば、階層主だけは動きの予測が可能です。恐らく背後から中央付近に来ます。そこを迎え撃ちます』
『……よし、それでいこう』
カミラさんは全体伝達でてきぱきと指示を出す。
俺も中央後方に位置を変えて戦闘に備える。
『いいか、撃破する必要はない。無茶はするなよ』
『はい』
『とにかく、初撃だ。初見で対応できる可能性があるのは君しかいない』
ある程度想定していた状況。
【夜蜻蛉】のみんななら、ある程度動きを目に入れさえすれば対応はできる。
俺の仕事は最初の数秒の攻撃を防ぎきることだ。
そこさえ凌げば全員で多対一に持ち込める。
今、俺たちは“演技”をしていた。
警戒をしながらも注意は前方に集まっているように見せかけていた。
だから足もそれに合わせて前に進んでいる。
後ろを向ける回数が限られている以上、視界の端と耳で情報を拾う。
木々の配置を記憶しながら、どこに何がいるのか、音を立体的に捉えて足りない部分を想像で補う。
かえって感覚が鋭敏になって、心臓の鼓動が邪魔に感じるようになる。
そして、見えた。
木々の隙間に大きな人影。
人影といっても人間じゃない。少なくともカミラさんと同等以上の体格がある。
角猿だ。
疑いようがない。
読んで字の如く角が生えていて、何よりも階層主特有の圧倒的存在感と重圧。
人間の命の小ささをこれでもかと見せつけてくる。
みんなもはっきりとその恐怖を感じていた。
動けない。隙を見せた瞬間にその長い腕と爪で首を飛ばされるのが生々しく想像された。
だけど、今日は少しだけ様子が違う。
視線を感じる。しかも横から。
これは、みんなが俺を見ているのか。
頼りにされている?
当然だ、俺がそういう作戦を組んだ。
俺には戦う責務がある。これが一番効率的な自信もある。
これは最善、最も安全な作戦だ。
──だから、やっていいんだよな?
「移行:『傀儡師』」
角猿は喉の奥からキッ、と声を出した。
ご丁寧にこちらの誰がどうするか見ていてくれたみたいだ。
これは、もしかしてお望みの通りに動いてしまったのかな。
よく見れば余裕たっぷりに仁王立ちしている。
もはや決闘に臨む騎士然とした出で立ちですらある。
いつの間にか景色の速度が落ちていた。
この光景もずいぶん慣れたものだ。
使う度に死ぬかもしれない付与だったけど、もう疑いようがない。
俺はこれを使える。低確率の綱渡りといっても安定しているからほとんど危険を感じない。
だからきっと違うのだ。
この付与の真髄は、いかなる状況でも超低確率の勝ちの目があることじゃない。
……ダメだな。なまじ頭が回るようになるから、こんな状況でも考え事をしてしまう。
「『瞬間増強・五十倍がけ』」
両手に山刀を握る。
角猿が脚で地面を踏みなおそうとするのがわかった。だから、俺もそれに応じた。
あいさつ代わりの一撃。
角猿が詰めようとしていたであろう距離の半分の地点で衝突する。
俺は山刀を、むこうは爪を十字に重ね合わせてぶつかり合う。
火花が散る。
なんとか動きを捉えきれた。
脳を強化していなければ不可能な処理だった。
一度互いの衝撃を分け合って間合いの外に後退する。
また地面を蹴って、二つの振り子が揺り戻るようにもう一度肉薄。
角猿は跳ぶと同時に右腕を振りかぶっていた。
左腕は防御に回っていて抜け目がない。
なら俺が取るべき選択は回避一択。袈裟に薙いだ腕を左に体を大きく倒して避ける。
角猿は勢い余って回りすぎる格好になり、右肩が俺の方に向く。
倒した体をひねり戻しながら、すかさず左の山刀を脇腹に突き立てる。
だが思ったよりも固い上に勢いが足りない。
そして角猿は反応を示していない。
防御に回していた左腕は二撃目の布石だと気付く。
このままでは攻防が入れ替わる。
唯一動かせる右腕に頼ることにする。
両腕を広げ胴体をがら空きにすることになるが、挙動が予想できているなら悪い賭けじゃない。
剣尖をわずかに遊ばせながら、迫りくる左の爪に添える。
膝を曲げて空に浮き、手首、肘、肩と固定して、この攻撃のエネルギーをすべて後退に使う。
つまり、わざと吹っ飛ばされる。
成功。距離を取れた。
なかなか動けている。戦えている。
これは、行けるんじゃないか?
一.〇〇〇〇一倍をもうちょっとくらい、できる気がする。
どうだ? 意識を失うか?
いや、むしろやらなきゃいけないんじゃないか?
みんなの命が懸かってるんだ。
ここで躊躇するのは、自分の命欲しさに出し惜しみするということにならないか?
なら、仕方ない、か?
少しだけ、危険を許容した。
──来た。
来た来た来た来た。
「──『瞬間増強・百倍がけ』」
景色がよりいっそう鮮明に、ゆっくりになった。






