第五十三話 期待
朝。
自室で装備を固めて、一階の大広間に下りていく。
今日も迷宮潜だ。
繁忙期はまだ続いている。
第九十八階層が完全に攻略されれば次は当然第九十九階層だ。
一通り安全な地帯を開拓しつくすまでは立ち止まるわけにはいかなかった。
もういい加減忙しい時期が長いが、ここが踏ん張りどころだとカミラさんは言っていた。
ならば俺も応えねばならないだろう。
大広間に出る前に深呼吸をする。
あーいーうーと口を動かして、咳払いして喉を整える。
むこう側からがやがや音が聞こえてきて、そこに割り込むような気がして尻込みする。
堂々としてろ、ヴィム=シュトラウス。
カミラさんは俺をエースと言ってくれた。なら相応しい態度がある。
「おはようございます!」
少し響いた。
一瞬静かになって、何かおかしかったかと不安になる。
「おう! おはよう!」
「はざっす」
「うぃーす」
「おはようございます!」
みんな口々に挨拶を返してくれて安心した。
よかった、普通にできたみたいだ。
そのまま空いている箇所に座って、待機する。
出発まではまだ少しあって、今大広間にいるのは前衛部隊の人たちだ。
得物や装備が大きいせいで自室では準備が難しい人が、こうして一足早く大広間に来る。
手持ち無沙汰だったので、周りを見回した。
今日の選抜メンバーの名前はしっかり覚えてきたはずなので、顔と一致させるべく確認する。
えっと、あれがカールさんで、ライムントさん、フリッツさん、あの人は前衛部隊唯一の女性だからマリアンネさんか。アーベル君もいる。
みなさん半分談笑、半分事務的のような感じで和気あいあいと話をしている。
内部に入ってみて感じることだが、【夜蜻蛉】のみんなの目は輝いている。
なんというか、みんなハキハキ喋る。
成功体験に裏付けされた信念を持っているというか、今いるこの場所と仲間を疑っていないような。
そしてどことなく気品が漂っている人が多い。
生まれや育ちが良いのか、言葉遣いも平均的に良いように感じるし、口調が粗雑な人もあえて親しみやすさを出してくれているような含みがわかる。
冒険者には荒くれものが多いけど、ここの人たちは違う。ありがとうとどういたしましてがたくさん聞こえる。
改めて考えてみれば、場違い感が凄い。
でも、俺はここでエースを張らなきゃいけないんだよな。
一人で考えて自信をなくしちゃダメだ。
どっしりと構えて、もらった評価と給料分の仕事はしなくては。
*
第九十九階層は輪をかけて特殊な階層だった。
密林で埋め尽くされているのは言わずもがな、そもそも規格というか枠組みが迷宮のそれじゃない。
洞窟のように通路が限定されているんじゃなくて、あるのはひたすら高い壁に囲まれた一つのだだっ広い穴のような空間。
そこに密林が敷き詰められている。
木々に囲まれていれば地上とほとんど見分けがつかないだろう。
そしてこの階層にも“空”があった。
第九十八階層と違うのは真っ暗ではないというところ。若干光源のような、星のようなものが薄く見える。
このような階層は【夜蜻蛉】も含めどのようなパーティーにとっても初めてだった。
今まで積み重ねてきた方法は通路がわかりやすい場合が多い。
広間が多かった階層や、植物系のモンスターへの対応を応用させるのが主になるだろう。
しかし、この階層では少々特殊な、かつ俺としても意外な要素があった。
ここ最近の【竜の翼】の進撃である。
多くのパーティーが第九十八階層の開拓に躍起になっている間に先んじてこの階層で迷宮潜を行い、死者が出る大失態を犯して非難轟々だったのは記憶に新しい。
この話を聞いて俺は激しく動揺した。
もしも俺がクロノスを糾弾していれば守れた命があったんじゃないかと考えないわけにはいかなかった。
亡くなった冒険者も自己責任で最前線への同行に同意したのだし、俺がどうこう言うべき話ではないという理屈を捏ねた。
だけどそんな俺の言い訳をよそに、ここしばらく聞こえてくる【竜の翼】の成果は芳しくなり始めていた。
最初の一回は最前線に一番に飛び出たからと言わんばかりの成果の挙げ方だった。
他の噂もあるし、街の人たちの心証は未だに良くないだろう。
だが冒険者の立場からすればその無謀さも冒険心の一つであり、言ってしまえば身銭を切って真っ先に危険を解き明かしてくれたパーティーを糾弾する意味もない。
いきなり森を焼き払って資源を多く消し飛ばしたのはさすがに賛否が出たみたいだけど。
さて、そういうわけで実はこの階層の情報は階層主を始めすでに整理されていた。
要となる問題は今までの階層に比べて死角が多いところだ。
考えてみれば意外でもないのだが、地形が整理されている迷路では死角は少ない。
対して密林ともなれば、少し歩く間にもいくらでも障害物がある。
ゆえに、安易に走力付与で動くのは得策ではない。
ある程度間隔を保ち、互いに守りあえる状態でゆっくり進んでいくのが無難だ。
なので俺の役目は情報収集が主になるはずなのだが……
チラチラと向けられる視線は、違う。
みんなが俺に期待しているのはそれじゃない。配置もそんな感じだ。
新情報に触れるべきということで最前列にいるが、隣にいるのは魔術師のモニカさんと盾職のアーベル君。もろに戦闘向きの人たち。
そのときに備えているのだ。だからあえて、手が空いた状態にされている。
重圧の反面ちょっと申し訳なくて、できる限り持って帰る情報を多くしようと思った。
木の種類に生育している虫、あるいはモンスターらしき小動物など見るべき兆候はいくらでもあった。






