第百二話 神木
カミラさんは続けて問うてくる。
「ハイデマリー、二時半の方向には何がある」
「猿の巣、だと思われます。ただ、それ以上に──」
確認のため、後ろの索敵部隊の方を向く。非戦闘員である彼らがゆっくりと起き上がっている中、小柄なジーモンさんだけは涼しい顔で手元に地図を投影していた。
「索敵部隊長!」
「お、どうしたの、相談役」
「二時半の方向って何もなかったよね? 巨大な物体とか、地形の変化みたいなものは」
「巨大な物体か地形? うん。前見た調査報告にも上がってないし、今回の定期索敵でも何もかかってない。ちょっと盛り上がってはいるけど」
それを聞いて、カミラさんは口元に手を当てて少し考えるようにして、言った。
「探知はできず、事前に目撃されることもなかった巨大物体……そして、猿たちの巣か。どう考えても特異だな」
「おそらく、地図を作った後に出現したものと考えるのが妥当でしょう」
「となると」
「はい。宝物庫だと思います」
宝物庫、と言った私の声が響いて、団員たちに歓喜の輪が広がる。
今回の調査の目的はこの宝物庫だ。半年の間に第百階層の攻略が進められていた一方で、未だに第九十九階層の深奥たる宝物庫は見つかっていなかった。
それは冒険総体が密林を踏破する術、もしくは実力を完全には身に着けていない段階で次の階層──第百階層という圧倒的な資源、への扉が開かれてしまったからだ。そういう不均衡な状態が今のフィールブロンの実情であり、迷宮からの収穫と一緒におびただしい数の犠牲者も出ている。
団員たちの喜びが落ち着くのを待って、カミラさんは全体伝達に切り替えた。
『総員、被害状況を報告の後、態勢を整え、二時半の方向に直進だ』
◆
密林は相も変わらず攻略を妨げる。羊歯植物の葉が掌のように視界を奪い、板根が足をかけるように歩みを邪魔してくる。蒸し暑さは身を守ってくれる装備への嫌悪を煽るし、湿気と汗の境目がわからないのは不快で仕方がない。
ただ、不思議に様相だけは変わったように思えた。密林の動きがどうにも悪戯っぽい。モンスターが一掃された今、真剣に何かを隠し通そうとするのではなくて、最後にはその何かを出す前提で、まぁだだよ、と言われている気分だった。
次なる敵への警戒しつつ、互いを見失わないようにこまめに伝達を取りながら進んでいると、突如、私たちの目の前に真っ白な壁が立ちはだかった。
『総員、止まれ!』
全体伝達からカミラさんの指示が飛ぶ。
「これは、壁か?」
彼女が呟くと、ジーモンさんが走って前に出てきて、両手を前に出して索敵魔術を発動させた。彼にしては珍しく困惑しているようだった。
「そんなはずはないんだが……」
第九十九階層は密林を壁で囲った構造をしている。もしも壁に当たったとしたのなら、それはどこかで方角を間違えて、階層の一番端まで来たということになってしまう。
探知を終えると、ジーモンさんはもう一段困惑したように報告する。
「魔力波が壁に反応していない……? ずっとずっと奥の別の木しか見えません。探知の上では、ここは平坦な道として表示されます」
私も見上げて、じっくりと確認する。壁の一番上は森の天蓋に突き刺さって見えない。下の方も、草むらに隠れて見えづらい。冷静に横を向いて、葉の隙間の奥を見渡す。この壁はずっとなだらかだったけれど、奥まで続いてはいなかった。つまり、どこかで切れているか、こちらに柱状に張り出しているような形をしていることになる。たぶん、後者だ。
殊更に目を引いたのが壁面だった。人工の平面ではないように見える。ゆるやかな凹凸がだけがあって、信じられないくらい滑らかだった。陶器のようでもはや陶器という言葉を超えた、数千年かけて自然が研磨し、もはや不自然に見えるようになってしまった滑らかさだろうか。
とても綺麗だった。何かの観光地にしてもいいんじゃないかというくらい。あ、確か北方の海岸にこういう石灰の壁みたいなのがあるらしいね、なんて思ってみた。
そう、それは、美しく巨大な壁で、壮観だった。いつの間にか私は立ち尽くして、次第にこれがただの壁じゃないことを確信し、小さく、ため息をつくように感嘆する。
「すご……」
誰に報告することもなく、一歩踏み出していた。壁まで歩いていき、止まって、ゆっくりと掌を壁の表面に置く。
「……あったかい」
掌から予感していた無機物の冷たさがやってこなかった。むしろ私の手首から脈と呼応するような、生温かい生命の息吹を感じた。
見ると、足元には根がある。少し離れると見えづらいけれど、ここら一帯の地面はすべてこの根の上に張り付いているようだった。
一度後ろを振り返って、言った。
「これ、樹です」
言うなれば神木か。猿たちはこれを守っていたのか。
この神木の周りを確かめる気になった。どっちでもよかったけれど、とりあえず時計回りに見ようと思ったのか、体が左に向いていた。
ぐんぐんと早歩きで行く。後ろのみんなの方は見ていない。
「──」
そのとき、少し頭痛がした。でも私は無視をした。
木肌を支えにしながら、根を乗り越える。複数歩で行けばいいところも無理やり一歩で進む。
吸い込まれるように私はそこに辿り着いた。神木の一部が裂けて、穴が空き、中から黄緑色の光が漏れている。
これは、樹の洞だ。
自然物のはずが、まるで仕立てられたかのように、入り口としておあつらえ向きだった。
中には巨大な空間があるようだ。洞の入り口は少し高い場所にあったので、根の上に乗り上げ、木肌の凹凸に指を引っかけて登ろうとする。
「ハイデマリー! 何かあったか!?」
カミラさんが追いついてきて、私の肩に手を置いて制止した。
パッと引き戻されて、視界が開けるようだった。
私はここで初めて、列から飛び出て走っていたことを自覚した。それで、平静を装って誤魔化しながら、洞の中を見て、呟いた。
「ありました」
指さすと、カミラさんは洞の方を向く。それからゆっくりと目を開いて、判断を下すように言う。
「宝物庫だな、本当に」
彼女は努めて、駆け寄ってくるみんなの反対側を向いて、顔を見せないようにする。でも私には見えていた。私より遥かに高いところにある顔が、心底安心したように綻んでいるのを。
次第に他の団員たちも追いついてきて、騒がしくなってくる。
いつもの掛け声かな、と思っていたら、カミラさんは気を取り直して、今度は私の方を見た。
「音頭は君に任せてもいいのだがな」
え、私?
「性に合わないので、お願いします」
「……なあ、ハイデマリー」
即座に断ると、カミラさんは気まずそうに続ける。
「少し、よそよそしくないかね? その、私に対して」
「……はい?」
「その、なんだ、つまりだな」
彼女はごほん、と一息ついた。
「君とは良い関係を築いてきたつもりだが、あんまりにも事務的だと、その、なんだ……君には君の距離感があるわけだが、うん。もはや君は指揮権を持てるくらいの立場なわけで、私とはツートップという形だろう。だからその、なんだ」
一瞬だけちらっと私の方を向いて、すぐ視線を団員たちに戻したのを見て、笑ってしまった。
返答の代わりに軽く頷き、後ろを向いて、たっ、と一段降りる。
今か今かと待つ団員たちの顔が映る。こういうのは苦手じゃないけれど、得意じゃない。でもせっかくだしやってみてもいいと思う。
息を吸って、言った。
「来たぞ諸君! 宝物庫だ!」
【夜蜻蛉】がワッ、と湧いて、それから諸手を上げて盛り上がった。






