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第四十八話 不意の資質

『付与術と、基本魔術の知識はどの程度ありますか?』


「最低限です。えっと、指南書に目を通したことはあります。あと、定義の詠唱はできます」


『そう、ですね。定義詠唱だ。本当にそこから始めねばなりませんね』


 一瞬の猶予もない。浮遊する賢者の依り代と並んで走って、厩舎の方へ向かう。動ける使用人たちと、神父様が手帳を片手についてくる。


 賢者様は淡々と俺に付与術の詠唱と説明を語り続ける。後ろで神父様がそれを書き留めている。俺はなんとか一回で覚えようと全力で集中する。


 訓練の時間もない。説明未満の、精々紹介くらいの付与術の指南(レクチャー)で俺は戦わねばならない。


 馬力の強化(バフ)を覚えたら、あとはほんの初歩的な強化(バフ)を三つ。


『それでも相当上出来の部類に入る。あなたほどの付与術師の適性がなかったら、賭けの算段すら立たないところです』


 それが賢者様が言う最大限の見込みだった。


 厩舎に着いた。灯りはある分だけで、薄暗い中ほとんど手探りで鐙を取る。賢者様の説明を聞きながら、一番入り口の近くにいた一頭を乗れる状態にする。


 ああもう、手が定まらない。引っ張る革帯(ベルト)が勝手に()れる。


『さらに言えば、馬力の強化(バフ)はそれなりに高度です。通常、職業を取得したての付与術師が満足に扱えるものではない。覚悟して、集中して挑んでください』


 なんとか、馬に乗る。視点が高くなって、浮遊している賢者の依り代と、目線が合った。


『焦らないでください。馬力の強化(バフ)は馬の側の承認が必要な他者への強化(バフ)と、あなた自身の感覚の延長、武器や衣服への強化(バフ)の合わせ技です。心が乱れていてはまったくもって不可能だ』


「……はい」


 息を吐く。


『まずは少し手綱を繰って歩いてください。その命令の授受を承認宣言とみなせます』


 言われた通り、手綱を軽く広げる。指示通りに馬は数歩前に出て、部屋から少しだけ顔を出す格好になる。


『よし。では、唱えてください。まずは魔術公理の定義詠唱から』


「『定義(ディフィニション)我が承認せし(ディ・グニーミコン)理において(アクシオン)双線は永久にディ・ドッペリーニ・イーヴィ相交わらない(ヴァリューラニヒト)』」


 しゅん、と自分の周りの空気が整理されたような感覚になった。


 これは魔術の本詠唱の前段階。今から行う魔術の公理を宣言し、術師本人の状態をその魔術体系に馴染むよう整える作用がある。


 言葉だけで起こる現象の摩訶不思議さに舌鼓を打ちたいところだけど、そんな場合じゃない。神父様からもらったメモを取り出す。わずかな光を拾いながら、顔を近づけて読み上げる。


「『先達の神馬に畏んで申し上げるには かの双頭七尾の英雄の 愛馬が踏み抜いた八十日の天原に在りし神事 禍つ事強いて平けく安けく聞食して──」


 ああ、長い、もどかしい。


 訓練もなしに高度な魔術を使うには、このように長大な詠唱をひたすら読み上げるのが第一条件になってしまう。


 メモにはちょっとした短編小説くらいの分量の詠唱が走り書きで延々と並んでいる。右目でその詠唱を追って、左目で行間に書かれた意識、魔力の動かし方を読み、同時に実行する。


 しかもこのメモは難解も難解。「腹の中にある手を想像して、十字を切る(この原理は今は省略。考えない方が良い)」みたいなわけのわからないことが延々と書いてある。


 焦るあまり少し飛ばして唱えたくなる。でもそれじゃきっと失敗する。一つ一つ、忠実に、従うしかない。


『余計なことは考えない。詠唱の意味、作用、動かす魔力の形に敏感になって』


 指示から逸れそうになった気を元に戻し、集中し直す。


 動かす魔力の形、ってなんだ。


 そう疑問に思うのが半分、しかしもう半分は驚くことに、俺はメモの行間の法則を掴み始めていた。


 気分が妙だ。言葉を聴き慣れていく感じ。雑多な情報のまとまりにしか見えなかったものが、規則に従っていることがわかって、規則がわかったのならその先の予測も経つ。


 動かす魔力の形、という表現が便宜的なものであることがわかる。これはきっと、体内の別の次元に図形を描くとか、そういうことだ。我ながらこの言語化もわけがわからないが、とにかく、合っていると思う。


「──精錬を以て 汝は斯く強かに 天馬の如く(ヴィ・ペガスス)』」


 唱え、終わった。


 体から何か消えて胃が収縮する感覚があった。


 乗っている馬を、淡い光が包み込んで、綿のように広がって、その発露が落ち着くかのように内部に光が消えていった。


付与済み(エンチャンテッド)、ですね』


 成功、したらしい。


 その上でまた一つ、不思議な感覚が俺を支配していた。


 俺はこの現象を、当然の如く感じていたのである。


『本当に成功するとは。見事です』


 賢者様が素直に賞賛してくれる。


「これで……行けます、か?」


『はい、しかし十中八九落馬しますから、前腕に強化(バフ)をかけてしっかり掴まれるようにするのをおすすめします』


 そうか、そうだよな。

 えっと、腕力の強化(バフ)の詠唱は。


 コツだったり言われたことだったりを必死に思い出しながらメモをめくっていると、途中で手が止まった。


 俺は歩きながら聞いていた賢者様の詠唱を覚えていた。


 さらに思う。


「承認宣言。ヴィム=シュトラウスは付与術師ヴィム=シュトラウスの付与を承認する」


 こんなに長く言わなくても、よくないか?


「『我が手に宿れブライン・メイデン・ヘンデン』」


 口からすっと、詠唱が出てきた。


 光が両腕を纏う。そしてまた内部に消えていく。


 その様子を見て、賢者様が驚嘆の声を上げた。


『才能、ですね』


「……才能あるんですか、俺。付与術の」


『空前絶後かもしれません』


 複雑な気分だ。


 そして、嬉しさより先にそれならばと欲が出る。


「あの、賢者様。この馬力の強化(バフ)って、もう一頭にもかけられると思うんですが。二頭以上持っていけたら、できることは増える」


『……やってみなさい』


 隣の馬に目を遣る。ちょっと声をかけて前に出てもらう。それを承認宣言とみなす。


 今度はもっと短く。端的に。


「『天馬の如く(ヴィ・ペガスス)』」


 さっきとまったく同じ光が、もう一頭の馬を包み込んだ。

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― 新着の感想 ―
ヴィムもヴィムで才能の塊だったんだよね
[良い点] まさに、水を得た魚のように、それが当然だったかの如く、転職直後なのに付与術を使うこなすヴィム。 [気になる点] 他の、一般的な付与術師はどんな感じに付与術師になっていくのだろうか。数年単位…
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