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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 1
6/95

賭けの続き

 


 


 最初に用意したのはインターネット環境と電卓。ホテルに缶詰になりながら、眞咲は大量の資料と顔を突きあわせていた。 


(……削りに削っても、2億5000万円か……)


 選手年俸は削れない。チームを立て直すなら、試合の魅力はどうしても必要になるからだ。それがなければ営業収入を上げるにも限界がある。そもそも、弱体化を招いたのは経営難による選手の放出だったようだから、二の轍を踏むわけにはいかない。

 フロントの人員が余剰気味だったのでそこを削るにしても、経費を落とすのはこの辺りが限度だろう。


 対して収入は、入場料とサポーター会費で1割、Jリーグからの配分金が1割、自治体からの援助が1割。残りは広告収入だが、そのほとんどは親会社である中国電工に依存している。

 仮にスポンサーとしての契約が取れたとしても、大幅な減額は免れないから、そこをどう補填するかにかかっているだろう。


(上げられるとしたら、入場料収入くらいね。スタジアムの収容人数は……って、サッカー専用スタジアム!? しかも市営(ミュニシパル)? なんでこんなものが……)


 収容人数は1万6000人。昨季の平均動員数が1700人だから、さぞかしスタジアムはガラガラだったことだろう。

 満席にするのは無理にしても、倍増すれば入場料で7000万。ここから会場使用料などの興行原価を差っ引くことになるが、人を呼ぶのが一番の増収になるのは明らかだ。――それを期待しすぎてコケたのが、J2参入当初の経営陣なのだが。


 それでも確かに、これは有利な材料だった。

 陸上競技場としての機能がない専用スタジアムには、トラックがない。つまり選手との距離が近いので、試合の迫力がほぼそのまま観客席に伝わる。アイスホッケーの例を引き合いに出すまでもなく、距離というのは重要な要素だ。


(あの試合を毎回できるなら、人を呼ぶことはできるはずだわ)


 もうひとつ有利な材料として、鳥取が田舎だということが挙げられる。

 県内にあるプロスポーツはサッカーだけだ。野球などとの競合はない。これを面白いと感じさせることができれば、週に一度の試合観戦は娯楽として定位置を得ることができるはずだ。


 問題は、その方法。


(……話題性はある。マスコミを呼ぶには十分。Jリーグのサッカークラブが解散した例はほとんどないし、ここにこだわってる日本代表の若手がいて、あとは……新社長が小娘だし、ね)


 缶詰も三日目になるとさすがにカロリーメイトに飽きてきて、ホテルの売店で特産らしい豆腐のちくわを買った。

 残念ながら、牛乳とは合わなかった。


(もろもろを勘案しても……厳しいな。単年度の黒字が出ない)


 見通しを甘く立てるつもりは全くない。やってみたけどダメでした、では意味がないのだ。

 はあ、と大きくため息を吐く。

 ベッドに転がって、疲れた目を伏せた。体に溜まった疲労が、重力に負けて沈殿していくようだ。


(……お金は沸いて出てこない……必要なものを削ることはできない。そうなったら、あとは、選手年俸に手をつけるしか……)


 はたと目を開けて、眞咲は瞬きを繰り返した。


(あ)


 勢いよく跳ね起きて、ノートパソコンを引き寄せる。

 インターネットで大雑把な情報を集め、経理の資料をめくり、電卓を叩いて――やがて弾き出された数字に、思わずガッツポーズを作った。


「……よしっ。行ける!」


 見通しは立った。甘いと言えば甘いが、後は細かい部分を詰めるだけだ。

 今度は安堵からベッドに倒れこんで、眞咲はため息を吐いた。


 


 


 


 


 

 芯を捉えられなかったシュートに、ボールが大きく枠を外れてフェンスに当たった。

 ――まるで練習になっていない。

 白田は乱雑に頭を掻いて、その場にしゃがみこんだ。

 長すぎるため息が落ちる。


「あー、ったく……アホか俺は」


 自分はもっと図太い人間だと思っていたのだが、どうも買いかぶりだったらしい。音沙汰のない三日間ですっかり消耗してしまっている。

 ただでさえ大口を叩いて負けを喫したわけだ。さすがに自己嫌悪に陥りもする。


(ガキの頃はこのくらいの年って、結構何でもできるようになってる気がしてたのにな。 ……現実ってやつか)


 冬の日没は早い。練習場のライトを個人練習で使わせてもらえるような金はないから、そろそろ引き上げどきだった。


 冷たい風が吹きつける。それは、本格的な冬の訪れを感じさせた。もうすぐ雪かきの季節だ。

 土のグラウンドに転がったボールを小突いて集めていた白田は、ふと土手の上に目を上げた。


 一人の少女が立っていた。

 上等な白いコートはそれだけで鳥取の景色から浮いている。細いラインが余計に寒々しい。栗色の長い髪を梳くように、強い風が吹き抜けていく。


 もっと平静でいられるかと思っていたが、とっさに、挑むように睨み上げていた。

 眞咲(きざし)は、目が合うとわずかに小首を傾げた。


「こんにちは。……いえ、こんばんは、かしら」

「……どーも」


 無愛想な返事に頓着した様子はない。

 一段一段、ゆっくりと土手を降りてきた眞咲は、フェンスの中に足を踏み入れると、まっすぐに白田の視線を受け止めた。


「あなたにJ1クラブからオファーが来てるわ。川崎と、名古屋と、それから広島」

「興味はないが、光栄だね」

「……もう一度聞くわ。移籍する気はないのね?」


 問いかけに、白田は怪訝な目を向けた。まな板の上の鯉でいるつもりだっただけに、はなから選択肢はないと思っていたのだが。


「ないね」


 きっぱりとした答えは揺るがない。

 眞咲は目を伏せて、細く息を吐いた。


「いいわ。だったら、馬車馬のごとく働いてもらうわよ。文句は言わせない。……そのかわり、わたしは、ガイナスを存続させるためにすべてを賭けるわ」


 白田は大きく目を見張った。

 固まっていた気持ちの奥から、じわじわと喜びが競り上がってきて、爆発する。


「……やった! マジかよ、恩に着る!」

「きゃっ!?」


 ひょいと無造作に抱え上げられて、眞咲が悲鳴をあげた。

 勢いのままその場でぐるぐる回る。白田の肩をつかんだ眞咲が、あわてた声で抗議してきた。


「ちょ、ちょっと、降ろしてよ!」

「あ、悪い。喜びすぎた」


 謝ったものの、顔がにやけているのがわかる。どうしても引き締められない。

 悪びれない白田の態度に、眞咲が顔をしかめた。


「気が早いわ。まだ、わたしが方針を変えただけよ。問題はこれからでしょう」


 にやりと口角を持ち上げて、白田は眞咲に指を向けた。


「目の下、クマができてる」

「う……し、しかたないじゃない」


 眞咲が隠すように目元に手をやる。

 素の反応に思わず笑った。こうしてみると、普通の女の子だ。

 それでもその頭脳は、想像がつかないくらいに優秀なのだという。――だからきっと、賭けていい。今度のオッズは、きっとそこまで低くない。


「冷静に考えて、計算して、それで、できるって決めたんだろ? だったらそれで十分だ。俺は、あんたを信じる」


 眞咲が軽く目をみはる。

 やがて、硬かった表情が綻んだ。面映そうな、嬉しさをかみ締めるような、はにかんだ笑顔が浮かぶ。


「……うん」


 心臓が、強く跳ねた。

 なぜかあせって目を逸らし、白田は手持ち無沙汰に後ろ頭を掻く。


「あー、まあ、あれだ。……ひとつ馬車馬レベルに働くか」

「当然よ。オフだからって休めると思わないでね」

「了解、ボス」


 勝気に笑う顔にほっとして、さっきの感情を打ち消した。

 

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