夫婦(仮)の始まりの日
「どうぞ、よろしく」
困り顔かつとても気弱な回答だ。メイナはもうちょっと確約が欲しかったが、初対面に近いからと諦めることにした。
あまり詰めると逃げ出されるかもしれない。そうなるともう発見は不可能になり、メイナはいかず後家か未亡人である。まあ、それはそれでいいかもしれないが、できれば誰かと面白おかしく生きていきたいものだ。
「よろしくお願いします。
では、旦那様とおよび」
「無理です」
クライは食い気味で否定してきた。穏やかそうで押し切れるかと思えばそうでもないらしい。メイナは他にふさわしい候補を考えた。
「クライ様」
「やめて」
恥ずかしいというより恐れ多いというニュアンスがあった。
それならばと渾身の呼び方をメイナは繰り出す。
「だーりん」
はぁとがつきそうなくらいに甘く呼んだつもりだった。
今なんて言いました? といいそうなくらいの真顔で、ちょっとメイナはくじけた。
「クライ、でいいです。本当に、勘弁してください」
「では、私ははにーと」
「ええと、冗談?」
「ダメですか、はにー」
「…………メイナさん」
「メイナ」
黙って見つめ合うこと数秒。
メイナはクライの表情を見て諦めた。意外と頑固と彼女は小さく笑った。ますます好ましい。
「妥協しましょう。そのうちに呼び捨てしてください。そして、気が向いたらぜひハニーと」
「……き、気が向いたら」
表情を引きつらせながらもクライからの同意を得た。
メイナは最低限の目標を達成し、気分がいい。この家に来てからはいいことしか起きていない。面倒な主も助けてと言えば助けてもらえると思っているような小娘もいないのがいい。手遅れ寸前でどうにかしてくださいと喚く同僚もできませぇんと媚び売る後輩もいない。
メイナはにこにこしながら、草を食む。
「あの、もしかして、はにだー、お好きですか?」
「愛読書です」
はにー&だーりんは男女のバディもので、カップルを装うことで他人の油断を誘い任務を遂行する、という本である。タイトルにある通り、はにーとだーりんというコードネームを使用している。なお、ビジネスカップルから最終的には本物の恋人までなった。今後の続刊での進展が期待されるところである。
メイナは強い女と言われていても一応恋人くらい作れるんじゃないかと夢見ながら読んでいた。という話は墓場まで持参するつもりである。
「書庫に揃ってましたよ。最新刊まで」
「この館の主とは趣味が合いそうです」
「それは、良かった、……のかな」
「少なくとも本日は泊まらせていただきたいところですし。
一時的に荷物を置いておくような部屋はありますか? さすがに野ざらしは困りますから」
「玄関は広いですが……」
「少々手狭になると思います」
不思議そうな表情のクライ。まあ、普通は手鞄一つくらいだろうと思うだろう。メイナはそれ以上は言わずにいた。現物を見れば、すぐにわかる。
メイナの予想どおりクライは荷物を確認し驚愕していた。
「え、うま、とかいた?」
「いません」
え? え? とメイナと荷車をクライは見比べている。
荷車だけがそこにあった。荷物が山盛りである。厳選したつもりで、あれもこれもと詰め込んでしまったのだ。あれ? 入らない? と首をかしげるメイナを見かねて馬車の御者がプロの技術でまとめたものだ。
メイナは御者からねぇちゃん意外と抜けてんのなという半笑いももらった。新鮮な評価である。
「恥ずかしながら、体力と力には自信があります」
「そーですかー」
何もかもを飲み込んだような、相槌だった。メイナは大体この辺りでドン引きされるんだよなぁと遠い目をした。力が強いってもんじゃねぇだろ、と。家の都合で兵士をやっていたころも同部隊のものにあいつはやべぇという一線を引かれてもいたモノだ。
機嫌を損ねてはいけないナニカ扱いで、それはそれで面倒もなかったのだが。
「たしかにこれは部屋がいりますね。ちょっと確認してくるので、その間……」
そう言って、クライはメイナをじっと見た。
「家を案内しましょうか」
一緒に廻ったほうが早いと判断したようだ。メイナも否はなかった。
「よろしくお願いします」
メイナとクライは屋敷を一回りすることにした。長居するつもりはあまりないが、せっかくなので見回りたくはあった。
古くからあるしっかりとした屋敷である。使用人は片手では足りぬほど必要で、それも勤勉で優秀なものばかりをそろえる必要があるだろう。
というのに、人の気配はどこにもなかった。ただ、視界の端に赤い袖と青い袖が見えることがあった。人よりも視界の広いメイナだから気がついたのだろう。クライは全く気がついていないようだった。
衣裳部屋もあるんですよねと言って開けた部屋には、女物の服も置いてあった。若い娘向けからもっと落ち着いた奥方向けものまで。そのどれもがメイナのような長身の女性に似合いそうな丈だ。普通サイズではない。
なにかを察したようなクライがあーと呟いていた。
「どうしました?」
「いやぁなんていうか。
他の部屋も見て見ましょう」
明らかに隠し事があるような態度だが、メイナは追及しなかった。どう考えてもこの屋敷はおかしい。それを言うならもう山に入った時点でおかしくあったのだが。
メイナは三度、同じ道に戻され、野営をすることになってしまった。その翌日にちょっと歩いたらある位置に屋敷があったのである。
ほんのわずかに目印を見落としただけで入れなかった、みたいに見えた。しかし、入った屋敷がこれほどおかしいのならば、神隠しする寂しがり屋の山神がいるというのも本当にそれっぽい雰囲気がしてきた。
まあ、現世にそれほど興味も未練もないし、いいかとメイナはそう片付けることにした。それなら、新居も探さなくても良さそうでもあるし。
「……あ」
「どうしました?」
「い、いえ」
メイナは野営して、その前も肉体労働して汗をかいたということも思い出してしまった。夫となる人に会うというのに、全くそんなこと気にも留めなかった自分の失態にメイナは絶望した。
乙女ならば気にしてしかるべきポイントである。メイナはいまさらながら服を嗅いで確認した。臭わない、気がした。しかし、一度気になったらもう耐えがたい。
「その、お風呂とか、あります?」
「ええ。
広い浴槽がありますよ。足伸ばし放題」
「それはいいですね」
少しばかり打ち解けたようなクライの言葉にメイナは小さく笑った。
案内された風呂は広かった。湯があふれんばかりに張られた浴槽は良い木を使っているのかいい匂いがした。
「今、入ります?」
「あ、そ、その……臭います?」
「そんなことは! お疲れかなぁと思って、先に休んでもらったらよかったなぁって思って!」
大慌てで否定されたが、メイナは余計なことを言ったと死にたくなった。黙っていれば気まずくもなかったのに。
気を取りなおして、メイナは苦笑を浮かべた。
「お気遣いありがとうございます。でも、荷物を運ぶので後のほうが」
「そこは僕がします。
そのメイナさんが嫌でなければ、ですが」
え? なんで? とメイナは見返した。
「僕もそれなりに力ありますし、その時に指示してくだされば大丈夫ですよ」
優しく穏やかに言われてメイナは返答をためらった。荷運びくらいなんともない。しかし、ここは気遣いをありがたく受け取るべきだろう。ただ、なんだか素直にうなずきがたいのは、なんだろうかと。
借りを作ってしまうようで、気が進まないのかもしれない。あるいはその程度できないと思われているのかと腹が立つということろもあるだろう。
ただ、ここは職場でもないし、争いの場でもない。
この先もこれでは一緒に暮らしていくどころでもないだろう。上官と部下で暮らしていくわけではないのだから。
クライはメイナの返事を待ってくれた。早く答えよとも、勝手になにか判断されることもなく。ちゃんとメイナの言葉を聞くつもりがある、というところだけでとても良い。
「先に片付けてしまいましょう。
お手伝いをお願いしてもいいでしょうか」
メイナがそう頼むのはとても珍しい。そうクライが知ることはたぶんないだろう。
「はい」
気負いのない返答にメイナはほっとした。そして、なぜほっとしたのだろうと自分でも内心首を傾げた。




