結婚式に花嫁に逃げられた男
不名誉な称号というのは、世の中に色々ある。
その中でも別格だろう。
結婚式に花嫁に逃げられた男。
なお、駆け落ち。
すべてが通り過ぎた後で、結婚相手には相思相愛の相手がいてそれが父親に知られ許さんとなった結果の縁談だった。ということをクライは知った。知らないのはクライだけではなくて、両親も驚愕していたので周知の事実ではなかったらしい。
表立っては花嫁が攫われたということにしたかった、らしいがあれほど皆が見ていたことで難しかった。
攫われたにしても不名誉称号の授与待ったなしである。
クライは最初は同情された。ヒトに連れていかれたなら仕方ない。殴られたのもかわいそうと。
それがいつの間にか、ヒトに連れていかれた情けない男となり、結婚しなくてよかったまで言われるようになった。
両親は縁談相手に抗議に行ってはくれたが、うなだれて帰ってきた。
それだけでクライは察した。
縁談相手は竜種のお嬢様。それを悪く言うわけにはいかない。そのしわ寄せはすべてクライが負うことになる。
「おまえの新しい縁談は用意してくれるし、迷惑料も払っていただけるそうだよ」
それは相手の誠意というよりは、投げつけられた手切れ金のように思えた。これで黙れと。
クライは両親と親戚のすすめにより、田舎に静養にでることになった。長いものに巻かれてるな、竜種相手だけに、などと思いつつ大人しくクライは従った。
外に出るたびにくすくす笑われたり、指さされたりするのはこりごりだった。
そしてたどりついた田舎というのは、度を越えて田舎だった。
そこ、山奥って言わない? というところにある豪奢な屋敷にようやくたどり着いたのは夜更け。管理人が掃除はしているが、常駐はしていないと聞いていたのでクライはそのまま屋敷に入り、客間らしきところに敷かれた布団に倒れ込んだ。
ふかふかで上等の布団に即眠りに落ちたことすら、疑問に思わないほど疲れていた。
『おやおや、お客さんかね』
小さく笑う声に気がつくこともなかった。
そこが変な場所だと気がついたのは翌日のことだった。
クライはふかふかの布団で爆睡し、昼も過ぎに目覚め、そこに置いてあった着替えに袖を通す。染められていない素朴なシャツは見た目に反して肌触りが良かった。
こんなの持ってきてないぞと寝ぼけた頭で気がつく。持ってきたかばんはクライの視界の隅で転がったままで開けられてもいない。
誰かがこれを用意したということである。
誰もいないと聞いていたし、実際、昨夜は誰もいなかったはずである。
クライは首をひねりながらもシャツだけは着た。もう着てしまったのだから仕方がない。だが、ズボンは昨日のままにしておく。
もしかしたら通いの使用人がいたのかもしれないと屋敷の中をクライは見回った。
台所には人がいるかもと最初に覗いたが、誰もいなかった。しかし、中央にあったテーブルには出来立ての目玉焼きとトーストが乗った皿があった。水滴のついたガラスのコップには溶けかけた氷。
誰かが、先ほどまでいて、用意していたという風だ。
おいしそうな匂いに誘われるがクライはぐっとがまんして、ほかの場所をめぐる。裏口から出れば、洗濯物が干され風になびいていた。白いシーツとタオルは誰か二人ほどの滞在を予感させた。
そこにも誰もいない。戻し忘れたように空っぽのかごがあったが、これに洗濯ものを入れてきたのだろう。ひとまず転がってしまわないようにクライはそれを抱えた。
洗濯かごといっしょに裏手を回る。洗濯場があるはずだ。
そこには水桶がひっくり返されており、もう洗濯は終わった様子だった。井戸もそばにあり、桶は上のへりに置いてある。
ここにかごを戻すかクライは迷ったが、風呂の方にまで持っていくことにした。かごはキレイで野ざらしになっていそうな雰囲気がしなかったからだ。
勝手口から戻ると今度はテーブルに新聞が置いてあった。これはまだ誰も読んでないように紙がずれていることもない。
変化はもう一つあり、剥かれたリンゴが置いてあった。
「……どーぞ、って感じなんだよな」
思わずクライは呟いた。
しかし、誰にも断らず食べるわけにもいかない。だが、ちょっと興味を惹かれて冷蔵庫を覗く。冷蔵庫が氷室から氷を補充して保冷するというのはかなり昔の話で、今は保冷石の入れ替えで済んでいる。保冷石というのは微量の魔力を冷気に変換する石のことで、古い冷蔵庫のほうが質の良いものを使っていることがよくある。
興味を惹かれてクライは確認したが、見なかったことにした。
巨大だった。それと比べらた実家にあったものは小さかった。それなりの良い家だったし、ケチったりしていなかったはずだが。
気を取り直して冷蔵庫を確認した。
すみません、ちょっと見せてもらいますと誰にともなく一言断りを入れてクライは冷蔵庫を開けた。
なんだ、普通かと思って扉を閉めてから、首を傾げた。もう一度中身をみる。
「……嘘だろ」
クライが実家で見たものと同じような品揃えだった。この、山奥、で。
いよいよなにかに化かされているのではないかというところだ。
クライは丁寧に冷蔵庫を閉めて、他の部屋を確認しにいく。板張りの床は磨かれ、埃一つない。窓も汚れもなく、拭き忘れなどない。
窓枠の隅など少しうっかりするようなところも大変きれいだ。まるで全く時間が流れていないように。
ぶるりとクライは身震いをしたが、ここを出て他に行くところもない。半分泣きそうな気分で他の場所をめぐる。
風呂は広く、湯船には湯がたっぷり用意されていた。手を入れれば十分に温かく、石鹸もいい匂いがするものが置いてある。
衣裳部屋のようなものもあり、色々な服が用意されていた。その中にちらりと人影が見えた。
「待って」
そう声をかけて、慌ててその場を確かめれば鏡だった。途方にくれた男が、見返している。もちろん、クライ本人である。
「……いた、と思ったんだけどな」
あたりをきょろきょろ見回してもやはりなにもいなかった。床に近いところをさっと駆け抜けたように見えたが、そんなに位置に人がいるわけもない。
ネズミでもいると安心できるなとクライは頭を掻いた。
あまりにもここは静かすぎる。
クライはきれいでおかしな屋敷を一回りしてまた台所に戻ってきた。
空腹が耐えがたく、用意されていた食事をありがたくいただくことにしたのだ。本来の持ち主が現れたら誠心誠意謝罪するつもりだ。
食事はそこにそのままあった。
さらにジャムとはちみつの瓶が並んで置いてある。
「どなたのものかはわかりませんが、いただいてしまってもよろしいでしょうか。
とても、おいしそうで、私は空腹でひもじいのです」
誰もいないとは思うが、とても、内気で人前に出られない誰かがいるかもしれない。クライはそう声をかけた。
返答はなかった。
「いただきます」
クライは腹をくくってトーストにかぶりついた。かりふわだった。いま、温めましたよ、と言わんばかりの穏やかな温かさ。
気がつけば無心で食事を終えていた。
「ごちそうさまでした」
やはり答えはないが、礼儀は守るべきだろう。クライは食器を洗うために水場に運び、瓶に用意されていた水を汲む。洗うための柔らかい布は驚くほどきれいだったが他に使えそうになくそのまま泡を立てる。
すべて洗って伏せておいたところで振り返ればテーブルに何かが置いてあった。
クッキーが二枚ほど。
ぴーっとヤカンが音を立てた。いつの間に誰が沸かしたのかもわからない。お茶も飲んでいきなよとでも言いたいようだ。
「お気遣いありがとうございます」
クライはありがたくいただくことにした。すぐに追い出されることもなさそうである。
屋敷はしんと静かで、でも、人がいたような気配はする。
さらに歓迎でもされているかのように色々なものが用意されていた。
それに合致するおとぎ話をクライは思い出した。
マヨイガ。
人のいない、人の気配だけがする屋敷。一つなにかを持ち帰ると良いことが起こるという。
つまり、クライは本来行くべき家ではなく別の家にお邪魔してしまった、ということだ。
本来行くべき家に誰もいなくて探されているだろうかとクライは考えたが、すぐにそれはないと思った。
家を出された時点で、クライはもう家族でもない。ようやく邪魔者がいなくなってほっとした、というところだろう。
「いっそ、ここに住みたいな」
至れり尽くせりのお屋敷である。すべて自分でやるよりはずっと楽だ。
クライの思いを見透かしたように誰かのため息を聞いた気がした。
「二日、二日ほど静養させてください。過酷な旅だったんです」
どこかで聞いてるかもしれない主にクライは懇願する。どこにいっても駆け落ちの話でもちきりで、あの男、馬鹿だなぁとか、弱っちいとか、倒して守れよとか、無能だから連れていかれるのだとか、そういう話ばかり聞いた。
クライが当事者と知らずにあちこちでネタにされ、愛想笑いですべて受け流した。胃がきりきりと痛む旅路だった。
ぺらりと天井から紙が降ってきた。
「いてっ」
こんとペンも降ってきた。クライの頭の上に。
紙には、たいくつ、面白い話、あるうちは泊めてやる。そう書いてあった。
クライは天井を見上げたが、ただの天井だった。何かが隠れていそうにもない。
「面白いかは、わからないですけど」
そうクライは前置きして、ここにくることになった話を書き始めた。




