方向性
僕がお風呂から上がって30分後、夏菜も僕の部屋に戻ってきた。
無地のTシャツに相変わらずの短パン姿。部屋着にしているTシャツもサイズが大きく肩からブラの白い紐が覗ける。今更ながら寝るときも付けるだと感想を抱く。
風呂上がりの火照った肢体も相変わらず艶かしい。
かなりの薄着、秋をとおり冬に近い季節。
身体が冷えればパーカーを着るだろうが、こんなラフな姿でいる彼女は出会った時のスポーツ少女を思い出させてくれる。
今もあどけなさは残っているが洗練されてきて色気のほうが強い。
僕の視線に気付き微笑むだけで、小さな鏡の前に座り慣れた手付きでスキンケアを始めた。
化粧水に乳液、ボディークリームと多岐にわたる。
「それって気持ちいい?」
「化粧水の肌に浸透する感覚は少し気持ちいいかもしれません」
「ほーん」
「やってみますか?」
「いいの?」
「ちょうど終わりましたのでこちらに」
手招きをされたのでベッドから降りると彼女の対面に座る。
「先輩も髪伸びましたね」
夏菜が朝の洗顔時に使っている猫耳のついたヘアバンドをつけられ視界がクリアになる。
「そろそろ切らないとね」
ヘアワックスで誤魔かしてきたが目の下、鼻先の少し上ぐらいまで伸びてきている。
いくら面倒くさがりとは言え、夏菜の彼氏なのだもう少し気を使うべきか。
「どうせ面倒だなって思ってたんですよね」
「正解」
「先輩猫耳似合いますよ」
「嬉しくない」
夏菜は先程使ったばかりの化粧水をもう一度手にして、数度にわたり馴染ませるようにしてから僕の顔を包み込むようにして優しく押さえつける。
「結構気持ちいいかも」
化粧水もさることながら、夏菜の手が心地よい。
「そうですか、よかったです。このあと乳液もつけますので」
「うん」
化粧水と同じ瓶であり違う色。
100円玉サイズほど白い液体を手に取り出して、手のひらで伸ばしている。
「目、閉じてください」
顔の中心から外側へと円を描くように塗られていく。
終わったのか手が離れていくのを感じ瞼を開いた。
「こっちは苦手」
「ベタつきますからね。浸透した化粧水を逃さないためですから我慢してください」
「女性って大変だね」
「先輩の前ではずっと綺麗でいたいですから」
当たり前のことを当たり前だと言う微笑み。
見惚れてしまって息をのむ。
最近彼女の表情が豊かになっていると感じるのだ。
駄目だな、どんどん愛おしく想う。
「何か欲しい物ある?」
「なんですか唐突に」
「努力に対して報いたいから」
「いいですよ、そんな別に」
「そっか」
「隣にさえ居てくれれば」
「夏菜っていい女過ぎるよね」
「ようやく気付いてくれましたか? なんてね……」
自分で言って自爆している。
髪をタオルで纏めているせいで両耳が晒されているからモロバレである。
「そう言えば風呂に入る前、なんで僕の部屋に閉じこもっていたの? 水着でも探していたのかと思ってたんだけれど」
「それはですね、下着選んでただけです」
「?」
「いえ先輩が積極的なってきてくれたので、いつそういうことになってもいいようにと」
「……」
「最後までされるとは思ってませんが、その脱がされた時に色気のないもので萎えられると、私も凹みますから」
聞かなきゃよかった。
「あ、」
唐突に声を上げる夏菜。
表情からしてロクでもないことを言いそうなのがわかる。
「欲しいものあります」
「はいはい、下着ね。今度一緒にいく?」
「理解のある彼氏で嬉しいです」
「流れからして絶対それだと思ったよ。卑猥なの選んでやる」
「いいですけど」
「学校にもつけてきて貰うからな」
「先輩結構Sですね」
僕の中で彼女が身に着ける下着のイメージはスポーツに最適なモノの記憶。
薄い体操服が汗で透けて散々見てきた。
洗濯物でどのようなモノを着けているかは知っているがあまり記憶に残っていない。
怖じ気付いてくれるかと思っての発言をそのまま流それてどうしよう。
本当に選ばなきゃ駄目かな。
卑猥、下着。検索。
セクシーランジェリーの画像がズラリと並ぶ。
「こんな種類あんのか」
夏菜は僕の背に抱きつくようにしてスマホを覗き込む。
先程直で触れ合ったばかり。
スキンシップが激しい。
「酔う」
種類が多くカラフル。目に優しくない。
電源ボタンを押す。
真っ暗になったディスプレイが僕ら二人を映す。
仲睦まじい恋人のようで、もう一度電源を入れてカメラを起動。
すぐさま、シャッター切った。
「あ、あ……。送ってくださいっ」
「うん」
明らかに喜んでいるみたいで言葉尻がはねている。
「先輩の猫耳素顔ゲットです」
「そっちかよ」
「アプリのサムネはこのツーショットにします」
「お好きにどうぞ」
静かにはしゃぐ夏菜の頭を後ろ手で撫でる。
起動したままのカメラに嬉しそうに目を細める彼女が映りもう一枚記録に残しておく。
「最近嫌なこと続きでしたけれど、今日の終わりは素敵な思い出になりました」
「それは僕もだよ」
どちらともなく二人、口付けを交わす。
思い切って舌先で彼女の唇を突くと受け入れてくれた。
少し長く濃厚。
唇を離し顔を遠ざける、そこでようやく目を開く。
恍惚とした表情。
「幸せです」
「そっか」
なんでもない日常が幸せというのであれば先程挑まれた勝負はすでに破綻している。
「夏菜」
「はい」
「さっきの勝負の件だけどさ別のにしない?」
「と言いますと?」
「受け身な勝負だけはしたくないなって。代替案はないんだけど」
「それが先輩の考えるであるなら仕方ありませんね。私としても自分自身に挑むようなモノだったので、改めてかんがえると勝負というより誓いなのかもしれません」
思いついたことを口に出して見る。
「だったらお互いに別の目標を決めて先に叶えた方の勝利とかどう?」
「そうですね」
うーんっと声に出しながら悩む彼女の姿。
「先輩の目標はあるんですか?」
「自立かな」
「自立ですか?」
「このままだと夏菜に依存していく気がしてね。それだけは嫌なんだよ僕も対等ありたいって考えてる。一人の男として成長したいかな」
支え合うというのであればそれが一番正しい関係性だと考えている。
それこそ春人さんと冬乃さんのような。
お互いを信じて支え合い、時には甘ったるい空気を醸し出す。
今だからこそ理解できる二人の関係。
「それであれば私も目標を見つけて勝負の土台に乗らないといけないですね。先輩が前を見ているのであれば応援するのが彼女の役目です」
「ふっ」
「どうして笑うんですか……」
「いや、可愛いなって」
「もう、真剣に考えているんですよ」
「それがわかってるからだよ」
「んっ」
いつも僕が使っている枕で殴ってくる。
「自分のためになって、最終的に先輩のためになるようなこと……」
この子は本当に真っ直ぐに、僕のことを一番に考えてくれている。
「すぐに答えを出すので、少し考えさせてください」
「もちろん」
夏菜が考えている間に紅茶とコーヒーをそれぞれ淹れる。
部屋に戻ると彼女は僕を殴るために使った枕を胸に抱きかかえ唸っている。
ガラス製の小さなテーブルに紅茶を置いて、僕は自分の机に着いて参考書に目を通す。
「んー。やっぱり先輩を幸せにするというのが目標です」
「あはは……」
愛想笑いではなく苦笑い。
「私を幸せにしたのは先輩です。以前にも言いましたがつまらないと思っていた人生に色彩を与えたのは貴方ですから」
彼女の彼氏として夏菜を幸せにしたい。
夏菜に甘えている今の僕は自分を誇れない。
だから言えない。
男の子の意地。
「これでも僕は幸せだからさ、それだと既に勝負にならないんじゃない?」
「ではもっと幸せにします」
子供みたいに駄々をこねるような言い方。
本当にそれしかないようだ。
「それなら二人で幸せになりたいとは僕は思うんだけどね」
「……っ。卑怯です」
枕が飛んできた。
枕だけではなくぬいぐるみまで飛んできた。
手加減はしてくれているのだろうが、めちゃくちゃ早い。
「夏菜が僕に与えたい幸せってどんなの?」
飛んでくる枕やぬいぐるみを空中で掴み、夏菜に投げて返す。
「気を悪くしないで聞いてくださいね」
「うん」
「先輩は家族に恵まれてこなかったじゃないですか」
静かに頷く。
実際その通りだと思う。
今は父さんと親子の関係を築けているがぎこちない。
「そういった普通の、あって当たり前の幸せを」
「……」
「今は特に恋人としての楽しくて甘くて掛け替えのない日常をあげたいなって」
言葉が出なかった。
「先輩が私にくれたものってそれほどのことなんですよ。それほどに毎日が楽しいです。イジケたり泣いたことも含めて今までなかった感情ですから」
平坦な口調で言う彼女。
「そうですね。私の目標は二人で誰にも負けないほど、父さんや母さんにだって負けないぐらい愛をもって幸せになることですね」
笑顔はなくつまらなさそう。
そんな夏菜が美しく見えた。
「あ、先輩との話が楽しくて夕食のこと忘れてました」
飛び上がりキッチンに走っていく。
ちょっと締まらない。
※
いつもよりかなり遅い夕食。
手抜きでごめんなさいと謝られたが、相変わらず美味で感謝しかない。
食器を洗うのは僕の譲れない仕事。
汚れをきっちり落とすために丁寧さを心がける。
あとは水で流してカゴに立てかけるだけなのだが、テーブルに置いてあった僕のスマホが激しく揺れる。
「夏菜、出てくれる?」
「あ、はい。いいんですか?」
「お願い」
「わかりました」
耳をそばだてながら家事を再開する。
「……はい。どうしました? 神楽さん」
神楽先輩からの連絡は滅多にない。
司と付き合い始めてから更に減ったと思う。
あいつらまだ仲直り出来ていないのか?
「先輩の携帯であってます。はい、彼は今食器を洗っていてお願いされたので私が出ました」
「明日、私もですか? はい、少し待っていてください」
スマホのマイクに手を置き僕に声を掛ける。
「明日、相談したいので放課後に部室に来てほしいそうですが?」
「わかった」
意識は僕から通話先へ。
なんだか夫婦のやりとりみたいだ。
「まだ仲直りしてないんでしょうか」
僕と同じことを考えていたようだ。
「かもね」
「早く仲直り出来るといいですね」
「そうだね。二人の問題だし僕らは出来ることはあまりないかもしれないけど」




