表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/177

知らないこと。

 リビングに置き去りにして自室。

 夏菜は自分の布団をアレに渡すために今は居ない。



「私には勿体ない素敵な彼氏ね……」



 彼女の言っていた言葉を繰り返した。

 自信はなかったけれど言われて嬉しくないわけもなく。その言葉に応え続けるために努力しようと改めて誓う。



「なんですか? 本音ですよ」



 扉のすぐそこに彼女はいて、耳に赤みを加えながらこちらを見ることなく答える。

 タイミングが悪く聞こえてしまったようだ。

 自分の膝を叩く。



「先輩こそ甘えたがりですね」

「ちょっとね」



 聞いていて面白い話でもないし、メンタルがすり減る。

 言葉に表してないが夏菜は微笑みを浮かべながら膝に座った。

 膝枕か座るのかよくわかるな。

 背後から抱きしめたい気持ちだった。



「安心するし、癒される……」



 肌寒い夜。

 暖房をつけるにはまだ少し早い季節。

 人の温もりが心地良い。

 感情のストックが切れたような感覚で今日はもう出し尽くした。

 彼女が隣にいることに救われる。


 表情は変えられるし、別にロボットのような人間でもないから感情はある。

 僕は少しオーバーに表現するのがちょうどいい。それに慣れてそれが普通。

 お店で営業スマイルも意識せずに出来るようになるのと同じこと。

 笑顔は相手に警戒心を薄くさせる。

 処世術でもある。

 怒りはその逆。

 感情に振り回されるのは疲れる。



「……好きなだけどうぞ」



 ハグをすることでストレスを下げるという研究データがあるが、本当だと実感する。

 夏菜は抱えられたままスマホで麗奈ちゃんとメッセージのやりとりをしている。

 どこどこのスイーツが美味しかったとか、このコスメ試してみようとか他愛無い会話。



「見えるんだけどいいの?」

「平気ですよ」

「麗奈ちゃんに悪くないか」

「麗奈も気にしないと思います」



 出来るだけ見ないようにと目を閉じて全身で夏菜を感じる。

 彼女の型に顔を乗せ一層強く抱きしめる。実際に甘えている、親に出来なかった幼少期を取り戻しているような妙な感覚。でも、愛おしさもあってとろける。

 思わず首の匂いを嗅いでしまった。

 汗をかくような季節ではないから、濃厚な甘い香りはしないけどしっかりと感じ取れてしまう。

 まだお風呂にも入ってなかった。



「恥ずかしいのであまりニオイは嗅がないでください」

「夏菜の匂い好きなんだよね」

「言われて嬉しくないわけではないですが、まだお風呂に入ってないのでやっぱり恥ずかしいです」



 匂いを嗅ぐのはやめて、彼女を抱いたまま横になる。



「ちょ、え。あ、待って」



 珍しく驚いた声。



「このまま眠って良い?」

「入らないんですか?」

「朝一で入るよ」

「わかりました。おやすみなさい」

「うん。おやすみ」



 夢の中。

 これが夢だとわかる明晰夢。

 ただ自由に身体を動かせることは出来ず、目の前で繰り広げられる光景を眺めるだけ。


 登場人物は僕に夏菜、司に神楽先輩。そして知らない男性。

 顔をよく見ようとするが霧が掛かったように見えない。

 舞台は見慣れた梅ヶ丘高校。

 今は部室のようだ。


 司と神楽先輩は仲睦まじい様子で談笑している。

 夏菜も楽しそう話している様子が伺える。相手は僕ではなく知らない男と。

 僕はどうしているのかいうと少し離れた位置で彼らを眺めているだけ。彼らと僕の間に見えない壁があるように感じる。


 ふと夢の中の夏菜と目が合う。

 不特定多数の人間を相手にする時の目。ただそこにあるだけの置物をなんとなしに見たような、なんの感情もない。映るものをただ視覚情報として捉えただけのそんな視線。

 すぐに霧が掛かった男に向き直ると、無表情ながらも穏やかさか感じ取れる。


 第三者視点だと余計にわかる。

 僕に向けていたもの。こんなにも違いがあるのだと理解した。

 夢は脳の情報整理だという、だから色々なものが入り交じる。



「夏菜」



 夢の中の僕が呼ぶ。

 返ってきた言葉は辛辣で他人へ対するもの。

 夢が作り上げた幻想なので何を言っているか聞き取れていないがそう感じただけ。


 その言葉と同時に現実へ。

 辺りはまだ暗い。

 時間は朝5時過ぎ。

 夢だとわかっていても正直辛さがある。久しぶりにどんよりとした曇天な心模様。

 昨日の話と彼女を抱えて眠ってしまったからか変な夢を見た。


 隣には後頭部しか見えず、布団の中に潜り込んでいる状態の夏菜の姿。

 思わず力を込めて抱きしめてしまった。

 自分で考えるより僕は彼女のことが好きだったらしい。

 他人の浮気話を聞いて揺さぶられたりもしたけれど、一晩経ってもちゃんと夏菜に対する好意がある。僕は結構冷めた人間で、手のひらを返したように彼女さえも興味を失うのではないかと考えていた。

 唯一無二。

 得難い存在になっている。

 そして何よりも自分が自分のことを信じていないのだと。



「んっ……。もう起きたんですか?」



 布団の中から視線の定まらない顔が覗かせる。

 寝癖のせいでおでこが露出している。

 言われなければ気づかないほどの小さな傷、小学生の頃にいじめられた時についたと言っていた。いや、やり返したときについたと言っていた。

 その傷を指先でなぞると、少しくすぐったそう。



「寝てて大丈夫だよ」

「ん」



 素直に従いもぞもぞと布団の中に戻るとまた後頭部だけになった。

 モグラみたいだな。

 少し寒いのか抱きついてくる。

 眠っている時や寝起きの反応は警戒出来ず素になるという話は誰かが言っていた。

 正直あまり変わらない裏表のない性格。

 だからこそ惹かれたんだろうなって思う。

 他の女の子じゃ信用すら出来ず、付き合うには至らないと考える。

 夏菜しかいなかったわけね。

 なんだよ、出会った時点で最初から負けてるじゃん。

 仕返しというわけではないが起き上がるついでに力の入っていないデコピンをお見舞いした。



「あう……」



 予想よりもいい音が響いてしまった。

 追い焚きした風呂に入ってからリビングに出ると、ぐちゃぐちゃにされたままの布団がある。使ったであろう人間の姿はなく書き置きもない。

 せめて畳んでおけよと嘆息する。小さな仕返しだろうか? それだとしても子供過ぎる。

 やれやれと愚痴を溢しながら布団を畳む。

 夏菜が起きてきたら布団でも干そう。

 午前中から出勤予定だった筈だけれど、午後からにしてもらったと言っていた。もうしばらくは寝ているかもしれない。


 僕の予定は家事を除けば空白。

 今優先的に考えるのは進路。

 来月の月末には期末試験が控えている、そろそろ勉強もしておかないといけない。

 昼食はダリアで済ませて、冬乃さんが家にいるのか聞いてみて相談するのもありかもしれない。


 朝食は簡単な物を作っておいた。

 オムレツにオニオンスープ。

 夏菜には遠く及ばないものの、それなりに上手く出来たと誇れる出来前。

 最近は彼女が泊まりにくるのは週1程度なので台所に立つ時間もそれなり長い。昔のように作り置きを大量に作ることもしなくなったので腕は上がっているとは思う。


 何時に起こしたらいいのか聞いておけばよかった。

 あのふわふわな状態でちゃんと答えてくれるか怪しいけれど。

 一足先に朝食を摂り片付けを始めると、ばたばたと珍しく慌ただしい音が響く。

 寝癖がついたまま。



「お風呂沸かし直してるから、入ってきたら? 寝癖すごいよ」

「あ、え。……はい。じゃなくて、どうして起こしてくれなかったですか」

「バイト結構ぎりぎり?」

「12時から入ることになったので大丈夫ですけど」

「夏菜が上がる頃にスープも温め直しとくから」

「そう、それですよ。私の役割奪わないでくださいよ」

「ごめん、今日だけだからさ。次からちゃんと起こす」



 料理に強い拘りがあるのは知っていたが、ここまでだったか。悪いことをした。



「怒っているわけではないので謝らなくても大丈夫です。私がいるときは絶対に先輩のご飯は私が作りますので」

「おぉう……」



 強い意思表明。

 口調も表情も普段と変わらない。でも、言葉に重みを感じる。

 僕が気後れしてしまう程に。



「作ってくれたのは嬉しいですけれどね」



 フォローもばっちり。

 それだけ言うと一度僕の部屋に戻っていった。



 ※



 夏菜がバイトに向かって、一通りの家事をこなす。

 といっても洗濯物を干してついでに布団も干す。掃除機をかければもうやることはない。

 自分がものぐさなのは理解しているので、放っておけばさらなる汚れとして余計に面倒なことになる。だからこそ綺麗な状態を維持している。


 散らかしても夏菜は何も言わずに掃除しくれるだろうけれど甘えてばかりはいられない。


 先に買い出しを済ませるか。

 部屋に戻り財布をポケットに突っ込みながら、『先輩でも作れる料理ノート』を捲る。

 簡単に作れるレシピシリーズ。

 夏休みの終わりに夏菜が用意してくれた物。

 非常に助かっております。

 この中からなんとなく食べたい物を選んで、必要な食材の欄をスマホの写真に残しておけば迷うことなく買い物がスムーズになる。


 自転車でスーパーへ。

 自宅の近くにも別のスーパーがあるけれど、夏菜に案内されて以来配置を覚えていることもあってこちらに来てしまう。なんならポイントカードもあるので遠くてもこちらのほうがお得。

 買い物カゴを手に取った瞬間に見慣れた後ろ姿を見つけた。

 長い黒髪。

 夏菜以上に豊満な胸で身長も彼女より高い。

 夏菜が月と表現するならその人は太陽。



「冬乃さん」

「渉君? どうしたのこんなところでって買い物か」

「よかったです。冬乃さんに会いたかったので」

「夏菜がたまに不安げに愚痴ってたのこのことね。駄目よ、そういう風に女の人に声掛けたら」



 首を捻り、自分の発言を思い返す。



「そういうわけじゃ」

「わかってる。それでどんな用?」

「シラフの冬乃さんに聞きたいことがあって」

「あっははは~……」



 気まずそうに笑いを浮かべながら冬乃さんは謝罪してくれた。

 とりあえず先に買い物を済ませてからダリアで話しをしようということになり、一度解散してスーパーの出入り口で集合することになる。

 一週間分の食材を買うつもりではいたけれど、冬乃さんを待たせるのも悪いと思い三日分だけ買い込むことにした。


 カフェダリア。

 樫の扉を開くと小さな鐘の音。

 今日のフロアのバイトは大学生の男子と結婚2年目だという女性。

 出迎えてくれたが、相手が僕と冬乃さんだと知ると好きな席にどうぞと一言だけ。


 ここにも随分とお世話になってきている。

 そもそも夏菜と知り合う前から訪れていた。

 中学の帰宅途中、バスケットゴールのある公園から自宅に戻る途中にあるお店。

 外観も落ち着いており、試験勉強や昼食とよく通っていた。

 窓から一番遠いテーブル席。

 ここで受験勉強もしたっけな。

 その時に手伝いにきていた夏菜にドリンクをぶっ掛けられたことが切っ掛けで彼女の家に行くことになった。

 ここのオーナーが夏菜の親であることもその時に知ったのである。

 市ノ瀬と呼ぶと二人して反応したのを今でも覚えいる。



「で、話しって進路のことだよね?」

「そうです。冬乃さんは小学校の教諭ですよね」

「うん」

「昔から目指してたって感じですか?」

「そうだね。子供が好きだったから、幼稚園の先生か小学校のーって考えてた」



 春人さんとは別の参考にならないタイプだった。

 昔からの夢を叶えた。



「でも一度諦めたこともあったんだけど」

「どうしてですか?」



 いや、一度大学を休学して働いていたって春人さんから聞いた。

 その時に諦めたことがあったのだろう。



「その顔から知ってるみたいだね」

「春人さんから。……すみません」

「いいよ。別に昔のことだし、失うものもそんなになかったから」



 詳しい事まで聞いていなかったが、発言して結構重たそう。



「結構ヘビーな話しですか?」

「あれ、そこまで聞いてないの」

「えぇまあ」

「あは、はやとちりだったみたい。渉君も家族なんだからそのうち話すかもね」



 にっこりと優しく微笑む冬乃さん。

 表情豊かでこちらまで包み込まれて穏やかになるような笑い方。

 質素で清楚。

 動きは色気を感じさせることもなく嫋やか。

 なるほど。

 娘が母親に憧れるのもわかる気がするし、春人さんが心から愛するのもわかる気がした。

 夏菜は黙っているだけで憂いを帯びた表情になり、泣きぼくろからどうしても色気がある。

 美人はどちらにしてもお得だな。



「渉君」

「はい」

「もう少し迷ってもいいし、休んでもいいと思うよ」

「……余裕がないように見えますか?」

「そうね。昔の私をみているよう」

「はぁ」



 同じ片親で育ってきたからこそ共通点だろうか。

 でも僕は金銭的に余裕がないということもない。

 父さんはかなり稼いでいるし、毎月しっかり振り込んでくれる。大学も進学するなら出すと言ってくれていた。



「急いで考えても空回りするし、しっかりゆっくりどっしりと構えて考えたほうがいいと思うよ。迷ったら夏菜に相談してもいいし、私たちだっているんだから。それとも夏菜に頼りたくない?」

「今でも十分頼ってます。というより頼り切ってますね」

「でも生活の基盤を支えてもらってるだけで、本心から頼っているってわけじゃなさそう」



 なんだろうこの人。

 思った以上によく人のことを見ている。

 すべてを見透かされているような気がして居心地が悪い。

 でも冬乃さんの持つ雰囲気がそれを中和させる。



「迷惑ばかりを掛けたくないですし、自分の道を歩き出した彼女に追いつきたいって思ってますね」

「あぁ、なるほど。男の子だね」

「置いていかれるわけじゃないですけれど、焦る気持ちがあったのは確かです」



 恋愛に置いては並んでスタートを切ったと思う。

 でもそれ以外のことでは遥か遠く霞むような先に彼女がいる気がしてならない。

 不安と孤独。

 なんとなく感じてしまう。

 そんなわけもないのに見捨てられるのでは? という妄想。



「あの子、優秀すぎるものね」

「はい」

「でも渉君もかなり優秀でしょ」

「どうなんですかね」



 成績も上から数えたほうが早いし、運動も出来る。

 だけどどんなに努力したところで夏菜には一歩及ばない。天才が努力するのだ、追いつけるビジョンが浮かばない。



「最近夏菜が渉君と同じことをしないって知ってる?」

「そういえば別のことをやってお互いの足りないところを補いたいとは言ってましたね」

「そう。実は夏菜、渉君に置いていかれるって思って、自分にしか出来ないことを見つけて必要とされたいみたいよ」

「……?」



 僕が置いていく。

 何を言っているのだろうか。



「本人は絶対口を割らないだろうけれど、渉君相手にはすごいムキになるもの」



 テーブルから夏菜がいるであろう厨房に目を向ける。

 身を乗り出してこちらを見ていた。

 気づいてすぐに引っ込んでしまったが。



「ふふっ。あの子のあんな姿見れるなんてね、渉君さまさま」

「はぁ」

「渉君は夏菜の一個年上でしょ、つまり人生の一歩先を歩いているのよ」

「言わんとしてることはわかりますが」



 僕が大学にいけば会える時間も減るだろうとは思う。

 大学次第では本当の一人暮らしが始まるかもしれない。



「夏菜も普通の女の子ってことを知っておいて」

「はい」

「話しがずれちゃったけど、大学に行ってからでも進む道を決めても良いと思うよ。高校よりも自由があって見識を広める機会なんてたくさんあるんだから」

「そうですね」

「もちろん自分から動かないと、ただの時間の浪費だけれど。選択肢が広がっでまた悩むこともあるだろうけれど、悩まないっことがそもそも難しいから、思う存分悩めばいいと思う」



 それから少しだけ雑談をして自宅に戻った。

 少しだけ気持ちが軽くなった気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ