愚かさと未熟さ
もう少し夏菜とデートを楽しむ予定だったけれど切り上げて、自宅に連れ帰り未だに思い出しては泣いてしまう岡本さんを落ち着かせる。
美味しいごはんと温かいお風呂。安直な思考をしている。
失恋の痛みは僕は知らない。
「私の服貸しますので」
「あ、うん。どうも」
自分よりも大きいサイズのものを愛用しているから岡本さんも着られる。
下着は適当にコンビニで買ってきている。
費用は僕が建て替えており、そのうち返してもらう。
無言のまま脱衣所に向かった岡本さんを二人で見送りそのままソファに深く沈む。
「はぁ……」
夏菜のため息が漏れる。
「デートが台無しです」
「ごめん。ちゃんと埋め合わせするから」
「んー。今貰いますね」
そう言いながらソファに寝転ぶと僕の太ももに頭を乗っける。
「よしよし」
シロにするように指の甲で頬を撫でる。
「ペット扱いですか? 頭がいいです」
「司がさぁ」
「なんですか突然」
言われるままに頬から髪へと移る、満足そうに太ももを頬で擦る。
彼女が突然と言うのも無理はないが、一つ思い出したことがあった。
「神楽先輩の頭を撫でたら怒られたって」
「場所と相手によりますからね。人間も動物である以上警戒します。特に女の子は」
「相手はクリアしてると思うんだけど」
「場所が悪かったんじゃないですか? それか折角彼のためにセットした髪を崩されたとか」
「なるほど。場所は何処だと怒る?」
基本的に夏菜は髪型を弄らない。
たまにセットすることもあるから、その時は気をつけよう。
「わかりません」
「え」
「私は神楽さんではないので。私はどこであっても嬉しいと思えるタイプですから」
「甘えん坊」
「そうですよ。問題あります?」
誂うように言ったのに何でもないことのように頷く。
彼女を膝に乗せたまま話題を変える。
「なんでフラれたんだろ」
「もっともわかりやすいのは浮気とか二股とかじゃないでしょうか?」
「まぁ、考えたくない事だけどそうだね」
浮気という言葉に過剰に反応してしてしまい身体が強張るが、彼女が手を伸ばし後頭部を撫でてくれると直ぐに落ち着く。
「単純に気持ちが冷めたか他に好きな人が出来るとかもありそうです」
「それならまだ誠意がありそう」
「どうですかね? キープという可能性もありますよ。ようやく本命と付き合うことが出来て別れを告げられるってことも、これは麗奈の体験談ですが」
どこかで聞いたこともある。
僕にはわからない。
「その時麗奈ちゃんは?」
「あっそ。らしいです」
「?」
「お互いに興味ないし、なんとなく付き合ってただけって」
学食でそのようなことを聞いた。
彼女の昔の価値観。
周りの影響は馬鹿にならず、夏菜と知り合えたことで彼女の考え方も変わっていっているらしい。逆もしかり類は友を呼ぶと言うが、お互いに影響を与えあった結果だと思う。
夏菜の場合は何者にも染められない確固たる意思があるから例外。
いや、僕に影響されているって言っていたっけな。
「本人がお風呂から上がってきて話を聞かないことにはわからないですけどね」
「それもそうか」
「はい」
考えても仕方ない。
「あ、そうでした」
「なに?」
「お義父さん宛に封筒が届いていたので、お義父さんの部屋の机に置いてしまいましたがよかったですか?」
「ありがとう」
父さん宛に届くのは珍しい。
仕事で家を空けていることのほうが多いから滅多なことでは届かない。
一応連絡を入れることにしよう。
夏菜に一言入れてからスマホを操作しメッセージを送る。
「夕飯どうしますか? 私が作ってもいいのですが、一度買い出しに行かないと3人分は足りないですよ?」
「帰りにスーパーに寄る予定だったしな。外食しようか」
「それが無難ですね。その帰りに私だけスーパーに寄ります」
「いや僕も行くよ、一人じゃ重いだろ」
「あの人はいいんですか?」
自宅に戻ってから改めて自己紹介したのだけれど、覚える気がないのが今ので理解した。
「一人残すとまずい?」
「悲恋中の女の子は何を仕出かすかわからないですよ」
淡々として感情の捉えづらい口調。
不思議と声に重みがあり説得力があった。
同じ女性だからわかることだろうか。
「やっぱり予定変更。悪いけど今のうちに買い物に行ってくれる?」
財布を夏菜に渡す。
「信用してくれているのはわかりますが、先輩不用心すぎませんか?」
「夏菜以外にはしないから」
「スマホは?」
「……夏菜以外にはしないようにします」
「はい」
「足りない分だけでいいから、明日改めて買い出し行くから」
「はい。任せてください」
夏菜が出ていってから暫くすると岡本さんがお風呂から上がってくる。
血行が良くなり上気した顔。表情はまだ暗いままで目も兎のように赤いけれど、それでも道端で遭遇した時よりは幾分マシになっている。
「岡本さん夕飯食べれる?」
「あ、うん。少しなら」
返ってくる言葉も力が戻りつつあるようだ。
夏菜のパーカーにジャージ。
裾の長さが足りてない。
「話も聞こうと思うんだけど、夏菜が帰ってきてからでもいい?」
僕一人では荷が重い。
「彼女さんどっか行ったの?」
「うん。ちょっと買い物に」
「あ、そう」
「コーヒー飲める?」
飲み物出してなかったなと思って聞いてみた。
「馬鹿にしてる?」
「してないしてない」
怒ったような反応。
悲しみ以外があるならそれでいいや。
慣れた手付きで、いつものようにゆっくりとコーヒーを淹れる。
バイト先からわけてもらった豆をミルで砕き、二人分の粉をセットしたフィルターの中に入れて平になるように机で軽く叩きながら整える。
店でやるように予めカップなどは温めず、少しだけ手抜き。
沸騰したお湯を乗せるように注ぎ、粉全体に均一に含ませる。蒸らす作業に入り、コーヒーが膨らむ姿をぼーっと眺める。
「え? 豆から淹れてるの?」
驚きながら興味を示したようで僕の隣に岡本さんが。
「そうだけど」
答えながらも目線は手元からずらさない。
のの字を描くように回数を分けて抽出する。
「はぁー。柊くんって思った以上に大人」
「こんなんで大人認定って」
「彼女さんのは淹れなくいいの?」
「時間経つと酸化するし、何より夏菜苦いの苦手だからなぁ」
「うわっ惚気? あたしに対する仕打ちひどくない?」
「惚気じゃないし」
紅茶用のポッドなんかもあるけれど、あれはもう完全に夏菜専用みたいになっている。
淹れたばかりのコーヒーを岡本さんに渡して、テーブルに着く。
彼女も僕に習い向かいの席に。
「……なにこれ」
「口に合わなかった?」
「その逆、めっちゃうまいじゃん」
なんか元気を取り戻して、クラスにいるときのような反応。
「そりゃよかった」
「柊くんって不思議だよねぇ」
「変人扱いはされるね」
「うける」
直ぐにカップの中は空に。
いい飲みっぷり。
胃が驚かなればいいが。
「彼女さん羨ましい。あ、飲めないんだっけ?」
「砂糖とミルク入れれば飲める」
「なにそれ可愛い」
夏菜が他人から褒められるのはなぜだか嬉しい。
「あたしもこんなカレシ欲しかったなぁ……」
「岡本さんいい人だし、すぐ出来るんじゃない?」
「口説いてる?」
「口説かないって」
前にも似たようなやりとりをした。
「あたしって魅力ない?」
「さぁ」
「うわっ、慰める気ぜろじゃん」
身近に夏菜や冬乃さん、神楽先輩がいるから僕の基準がかなり高い。
その
「先輩は嘘つけない人ですからね」
「おかえり」
「はい。ただいま戻りました」
いつも夏菜が座っている席を一瞥し、今日は岡本さんが座っているのが気に食わないのか一瞬だけ片方の眉がつり上がった。
僕の財布を何も言わずに目の前に置いては、買ってきた物をキッチンの空きスペースに、冷蔵庫から今日使う物を取り出して並べた。
エプロンをつけてから手を丁寧に洗い調理に入った。
「彼女さんがいつも作ってんの?」
「いつもじゃないけど、休日は大体」
「手伝わないの?」
「追い返されるから」
「尻に敷かれてやんの」
「否定はしないよ」
だからこそ僕らの関係は上手くいっている。
適当に雑談をしながら夏菜の料理を待つ。
いつもより遅い時間から調理を始めたのにクオリティの高い物が出される。
手を合わせて早速頂くことにした。
「どうですか?」
僕が口に運ぶまで最近の夏菜は見守り、感想を求めてくる。
何という料理か知らないが少しスパイシーな香りのするチキンがメインの料理。
彼女の中にあるレシピはもう数え切れないほどありそう。
「もう少し辛いほうが好きかも。これはこれで物凄く美味しいんだけど」
「先輩にしては珍しく自分の意見が出ましたね」
「夏菜が求めてるものってこういうことだろ?」
「そうですけど、満点を得られなかったのは悔しいです」
「いや満点だよ」
「え? あぁ、120点みたいなことですか」
「心の内バレ過ぎだな僕」
少しだけ食べられると言っていた岡本さんも綺麗に平らげるほど。
美味しいご飯はやはりメンタルを回復されせる。
唾液もでるが脳汁もでる。
幸せを感じるのだ。
僕が食器を片付けている間に隣で夏菜が紅茶とコーヒーを淹れてくれる。
一人分の食器が増えたところで作業時間は変わらず、タオルで手を拭い元の席に戻ると淹れたばかりのコーヒーを一口。
コーヒーを淹れる実力は夏菜と同じぐらいだと思っていたのに、少し見ない間に実力が上がっていた。
「さて、話そうか」
「あ、うん」
トーンが落ちたものの見た目は元気だ。
「どっちからがいい?」
「家のほうかな」
彼と別れたというだけなら、まだ家に泊まらせるようなことはしなかった。
ただ家庭内のいざこざなら僕も他人事ではないので気になるというのが正直な気持ち。
「結構簡単な話で、よくあるようなことだよ」
教育熱心な母親のもとに育てられて、出来る姉と比較され続けてついには見放されたという。
「うちの高校偏差値高いんだけどな」
県内で上から数えたほうが早い。
ただ地方都市で公立の高校で学区制、その中でも梅ヶ丘は二番目に偏差値が高い。
岡本さんの姉はその上の高校を出て、国公立大学に受かり上京した。
「柊くんはどうしてこの高校に」
「近い公立だから」
「ちなみに彼女さんは?」
「私は先輩がいるからですね」
「そうなの?」
「なんで先輩が驚くんですか……」
言われてみれば確かに納得した。
夏菜は満点しか取ったことないような子、岡本さんの姉が通った高校も通えたはず。
単純に僕と同じ理由だと思っていた。
「まぁ、それで放任されたまま居ないもの扱いってわけ。着替え取りに帰った時、あたしの部屋物置にされた時は流石にショックだった」
「そっか」
「え? それだけ?」
「何を言ってほしいのかわからないけど、まぁそんなこともあるよなって」
隣に座っている夏菜は静観している。
「同棲してたから住むところは困らなかったと」
「そう」
同棲については正直どうでもよかった。
「相手年上だよね」
僕のようにほぼ一人暮らしのような状況で、尚且つ春人さんたちのように理解がある両親がいる場合を除けば、大体大学生以上の一人暮らしをしていないと同棲は難しい。
「うん大学生」
「それにしても女の人って年上好きだよね」
勝手なイメージでなく実際に。
もちろん同世代や年下と付き合っている人はいる。
「女性は身籠るので本能的に安心して産める環境を作ってくれる相手を求めるそうですよ」
夏菜が僕の疑問に答えてくれる。
「そうなんだ。だから年上?」
心理学的に生物学的にそうであるのならば、僕はその環境を作れそうにないんだけど。
学生の色恋なんてそんなものか。
でも夏菜は将来を見据えているし、う~ん。
「大人っぽく見えるからじゃないですか。男性はいくつになっても中身子供ですけれど」
「あはは……」
否定は出来ない。
僕もそうだし、春人さんもその通り。
歳を重ねるごとに僕の中にあった大人のイメージが崩れていく、こんなものなんだって。
もちろん尊敬できる人もいる。
子供でなく大人でもない僕らの世代。
目標とする大人像がない。
それはいい。
「で、別れた理由は?」
「あたしの浮気」
「あぁ」
思わず変な声が出た。
「先輩、目が怖いです」
「そんなに?」
「死んだ魚の目っていうんですか感情消えてます」
怒りはわかないし同情もない。
もう正直どうでもいい。
目の前の人が僕を見て驚いたような表情を浮かべているが、それもどうでもいい。
「先輩が貴女に興味を失ったので、ここからは私が話しを聞きますね」
「あ、うん。どうも」
「浮気した理由は?」
そこから淡々とした話し合いがされる。
夏菜に任せてしまった以上離れるわけにもいかず、耳だけで情報が勝手に入ってくる。
曰く、最初に浮気したの相手のほう。
自分も意趣返しのつもりだったけれど、何度か会って惹かれてしまった。
夏菜の機嫌が悪くなっている。
無表情はいつもどおりだけれど、指先の動きでわかる。
突くのではなく円を描くようにぐりぐりと。
「同棲していた彼に気はまだある?」
「あるよ。本当に好きなのは彼だったし」
「浮気相手と身体の関係は?」
「何度か」
敬語が消えている。
僕もわかりやすいように彼女もわかりやすい。
「終わり。諦めて」
「もちろん悪いをしたし後悔もしてる。でも――」
「男性と女性の考え方は違う」
「当たり前じゃん」
「その当たり前を貴女は理解していない。浮気することでどうなるかって貴女もその彼も考えてない。愚劣。どっちも本当に愛してないんじゃ」
「なんでアンタにそこまで言われなきゃいけないの」
怒号が聞こえたことで一瞬身構える。
声だけで手は出しそうにない。
「そう言われるぐらいのことをしたってこと。今日は泊めてあげますから朝になったら早々に出ていって。衣類は返さなくていい」
「アンタの家じゃないでしょ」
「そうだけど、先輩もそう思ってますよ」
ちらりとこちらを見てくるので頷く。
本音を言えばすぐにでも出ていってくれても構わない、それをしないのは一応は文化祭の時の恩があったから。それを返したのであればもうただの他人。
目の前の人は舌打ちして立ち上がる。
「布団は貸してあげるから、リビングで寝て」
「どうもっ。いいよね、アンタは素敵な彼氏が居て」
皮肉だとわかるが、夏菜は動じない。
「はい、私には勿体ない素敵な人ですよ」
恋愛には正解はない。でも間違いはある。
けれど夏菜はそんな問題でも正解を当てそうだなと横目で眺めながら、そんなことを思った。




