表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/177

線香花火

 帰宅の途中、一度夏菜は自宅戻ってやることがあると言って別れた。僕は荷物を持って一人でマンションに戻ることに。

 冷蔵庫に買ってきたものを仕舞う。

 整頓された中身。

 野菜室なんどは最近見ていなかったが、こちらも綺麗になっている。

 旅行で贈ったヘアピンで恩を返せたとは思っていない。

 僕が彼女に贈れる物。



「愛とか?」



 はっず……。

 夏までは恋愛のれの字も知らないような人間が愛だの恋だの。

 ソファで倒れて悶絶する。



「先輩何やってるんですか?」

「特になにも、ってこのソファ夏菜の香りついてるな……」

「ついに壊れましたか」

「壊れてないって」



 実際、微妙にソファの左側には彼女の匂いがする。

 右側は無臭。

 自分の匂いだから気づかないだけかもしれないが。

 彼女もソファの匂いを嗅ぐ。



「確かに先輩の匂いしますね」

「するんだ……」

「はい。石鹸みたいな優しい匂いですね」



 襟を持ち上げて匂いを嗅いでみるが、良くわからなかった。



「嗅ぎます?」



 オーバーサイズのTシャツを前後にパタパタと煽る。

 うっすらと青い肩紐が見えて、ちょっと吃る。 



「……嗅がないよ」

「ちょっと悩みましたね?」

「うっさい」

「まぁ、嗅がせませんけど」



 近くにいたのに回るように後ろ姿を見せた。

 Tシャツがスカートのようにふわりと舞う。



「なんで聞いた」

「もちろん先輩を誂うためです」

「ですよね」



 夏菜に乱された心を落ち着かせるためにコーヒーを淹れる。

 ゆっくりと匂いが充満していき安らぎを得る。



「コーヒーでも大丈夫?」

「はい」



 外から帰ってきたばかりの彼女。

 アイスにして差し出す。

 水出しコーヒーは手間が掛かりすぎて、もう夏が終わることもあって作っていない。



「それで何をしてたんですか?」

「夏菜に受けた恩をどうやって返そうかと」



 最初から考えはあるようで口を開きかけるが、しっかりと言語化するために口に指を当てた。



「その気持ちはわかりますが、答えは簡単です。『返さなくていい』です」

「というと?」

「昔は私も先輩と同じことを考えていましたが、私たちは持ちつ持たれつ」



 グラスをテーブルの上にそっと置き、僕を真っ直ぐと視界に捉える。



「先輩が困っていれば私が手を出しますし、私が困っているのであれば先輩が手を貸してくれます」

「そうだね。僕も夏菜になにかあればすぐに駆けつけると思う」

「はい、わかってます。私たちの関係はすでに友達より親友というよりも絆深いものだと思います」

「夏菜が困りそうなこともなさそうだけどね」



 いつかのように指先で僕の胸を円を描くようになぞる。

 くすぐったいが嫌ではない。



「どうでしょう?」

「力になれるようには努力はしていくよ」

「はい」



 指が離れていく。

 残ったのは彼女のやさしさ。



「私の夢やしたい事ってどれも一人では出来ないことばかりのほうが多いので、どうしたって先輩の力は必要になりますから」

「そっか」

「そうです」



 くすりと笑う。

 一部の人間にしかわからない、その微笑みは夜の大輪の花、夕暮れの海辺の景色よりも美しく輝いてみえた。

 それもすぐ消えてしまう、刹那的な笑顔。

 たまらず衝動的に彼女の真っ白で綺麗になった首筋に跡を残す。



「……もう。学校も始まりますよ?」

「そうだね」



 僕にしては考えなしの行動。

 でも後悔はしていない。



「余裕の表情ですね。それでは、お返しです」



 言って僕の首に熱が。

 旅行を終えて何度か試してもらった結果。

 平気になっていた。

 夏菜からの親和の証だと思うと嬉しくなるという想いが、母親だったもののビジョンをかき消してくれていた。



「学校の前にお義父さんが帰ってくるんですけどね」



 ちょっとだけ後悔した。



 ※



 ひぐらしの声とともに夕方が訪れたことを知る。

 夏菜の料理は準備万端。

 主食の肉に副菜として煮物にきんぴらごぼう。

 僕の父親が好きだと言っていたお刺身も買ってきてあった。

 エプロンをラックに掛けると、緊張した面持ちで席に着く。

 テーブルの下で指輪をくるくると回している。



「向かえに行ったほうがいいですかね?」

「子供じゃないから大丈夫じゃないかな。何かあれば連絡くると思うし」

「そうですよね」

「落ち着いたら?」

「落ち着いてます」



 予定より少しだけ早い時間。

 鍵が開く音。

 暫く静かになり、扉が開く。



「おかえり」

「あぁ、ただ……いま」



 父さんの視線は僕を通り越して隣の夏菜に。



「渉の彼女か」

「あぁ、うん。えっと、まぁそう」



 説明しようがないからな。

 隣から脇腹を突いてくるのがいるが無視しようにも、こちらを覗き込んでくるのでそうは出来なかった。

 とても嬉しそう。

 見たことがないレベルで頬がゆっるゆる。

 ちなみに僕は着替えていて、襟の高いシャツを羽織っている。なので、そちらの心配は一先ずといったところ。



「はじめまして、市ノ瀬夏菜です」



 ちゃんと席を立ち、深いお辞儀。



「どうも渉の父です」



 それを受けて父は挨拶を返し、手の身振りだけで着席を促す。



「夏菜さんって呼んでもいいのかな?」

「はい」

「私はなんとお呼びすれば」

「好きなように呼んでくれて構わないよ」



 名乗ってはいない。

 柊仁。

 これが父さんの名前。



「ではお義父さんと」

「あぁ」

「……」

「……」



 気まずい雰囲気が流れている。

 夏菜は先程からの緊張を残しているし、父はどう接して良いのか戸惑っている。

 助け舟を出すというわけでもないが、旅行先で買ったお土産を渡す。



「父さんって日本酒好きだよね」

「あぁ、普段はビールばっかりだが」

「これ旅行のお土産」



 地酒の3本セットを手渡す。



「ありがとう。じゃ俺からも」



 紙袋を渡される。

 中身はミルフィーユの詰め合わせ。



「甘いもの好きだろ」

「ありがとう」

「夏菜さんと一緒に食べな」

「うん、そうする」



 冷蔵庫に仕舞いすぐに席に戻る。



「ご飯先でいいよね、このあと花火するつもりだからお風呂まだ沸かしてないんだよね」

「あぁ、頂こうか。ついでにお酒も早速」



 ようやく父さんも席につき夕食が始まる。



「お酌したほうがいいですかね?」

「夏菜はやめとけ」



 絶対に酔う。

 これまでの経験上わかりきっていた。



「そうだよ、俺に気を使わなくていい。渉のただの父親ってだけだ」

「気を使っているわけではないのですが」

「敬語も大丈夫だ」



 それは元々である。



「そういえば僕にもずっと敬語だよね?」

「はい。今までそうだったので抜けないだけなんですが」

「ちょっと言ってみ?」

「何をでしょう」

「そっからかな。何を? って感じで、春人さんたちと話す時みたいに」



 箸が止まり俯く。

 すぐにこちらに顔を見上げた。



「先輩、……美味しい?」



 緊張のためか潤んだ瞳。それも上目遣いで棘のない年相応の言葉遣い。



「やっぱ普段通りで」



 破壊力がある。

 可愛さが乗算される。

 自爆してしまった。



「なんでですかっ。先輩がやれって言ったんですけど」

「……ご飯美味しいわ」

「それはありがとうございます。でも、流さないでください」

「父さんはどう?」

「……」



 無言で睨みつけてくる少女。

 困っている父。

 でも父は少し楽しそうに見ている。



「あぁ、美味いよ。全部夏菜さんが?」

「そうだよ。すごくない?」



 凝った物ではない。

 最初はかなり凝った物を作るつもりだったらしいが、僕のお願いで普段通りのものを用意してもらっていた。



「なんで先輩が誇らしげなんですか」

「え? だって嬉しいじゃん。夏菜が褒められるのって」



 黙り込み。

 またもや俯く。



「自分の彼女が褒められるのは嬉しいもんだよ」



 彼女ではない。

 友達が褒められても嬉しいんだけど、大事な存在が家族に認めれているようで誇らしさもある。



「……ありがとうございます」



 耳どころか顔まで真っ赤に染まる。



「良かったな、渉」

「うん」

「こんな料理上手で可憐な彼女が出来て」

「あ、そっち?」

「え、どっち?」



 会話が噛み合っていない。



「先輩ってお義父さんに似たんですね。天然同士の会話って怖いです」

「「そう?」」

「……」

「「どうした?」」

「エコー掛けて話さないでください」



 ただ首を傾げる僕ら。

 見合わせて、更に深く訝しむ。


 二人で夏菜を褒め合いながら食事は進み。

 全員の皿が空になったところで僕は片付けに入る。

 ついでだからここでバケツに水を汲んでよう。どうせ大した量はいらない。



「先輩、ちょっと着替えてきますね」

「? わかった」



 僕の部屋に夏菜が向かっていった。

 まだゆっくりとお酒を楽しむ父に声を掛ける。



「父さんもよかったら花火どう?」

「花火?」

「今日スーパーで買ってきたんだけど、線香花火でもどうかなって」

「そうだな……。折角だから混ぜてもらえるか」

「うん、ありがとう。疲れているところ悪いね。夏菜が戻ってきたら公園に行こう」

「あぁ」



 食器を洗い専用のカゴに立て掛ける。

 3人分の食器ということもあり、普段よりは少しだけ時間が掛かるがそれでもまだ夏菜は戻ってこない。

 着替えってそんなに掛かるものだろうか。

 いつ戻ってくるかわからないので、食後はコーヒーを淹れずに麦茶で済ませる。

 ちょうどコップ一杯分を飲み終わる頃にようやく夏菜の姿がリビングに現れた。


 今年の夏祭りで見た浴衣姿。

 髪もその時と同じように纏めている。



「すみません、お待たせしました」

「……浴衣」

「折角なので自宅から持ってきたのですが」

「一年に一回だけだと勿体ないし、似合っててとても可愛いよ」

「ありがとうございます、お義父さんの前ですが腕を貸してもらえますか?」

「もちろん。バケツは持つから花火は持ってもらえる?」

「はい」



 戸締まりをしてから、自宅を出る。

 僕の隣に夏菜。少し後ろに父さんがついて来る。

 徒歩3分程で目的の公園。

 園内には明かりはなく、街灯だけが頼り。


 ベンチのすぐ傍を陣取り3人で輪になる。

 ローソクとマッチは持ってきていたのだけれど、湿気っているのかいくら擦ってもマッチに火がつかない。



「渉これ使え」



 渡されたのはジッポライター。

 着火すると辺りが少しだけ明るくなる。

 それで気づいたのだが、このライター結構な使用感がある。



「父さんってタバコ吸うんだ」

「あぁ、人の前では吸わなかったし。渉が身ごもってから禁煙してたんだけどな」

「そうだったんだ」

「最近になってまた吸い始めた。渉も大きくなって頼りになるようになって、もういいかなって」



 ローソクに火を灯す。

 父さんにライターを返そうと手を伸ばすが。



「このライターそのうち貰ってもいいかな」

「渉タバコ吸うのか」

「僕、未成年だけど」



 隠れて吸ってる高校生もいるだろうが、僕はそっち側ではない。



「びっくりした。どうしてまた?」

「父さんの物、なんだか持っておきたくて」



 家族の証ではないが、なんだか父からの贈り物をもらいたくなった。

 確かな絆が欲しいのかもしれない。



「そうだな。渉の誕生日に新しいの買ってあげるよ。もう8月も終わるし、あと一ヶ月ってところだろう」

「うん」



 憶えていてくれたんだ、と。

 誕生日が近いことも、甘い物が好きだということを知っていてくれてとても嬉しい。

 少し涙が出そうになるのを堪える。

 父さんのものではないが、誕生日に父からのプレゼント。

 これも確かな家族の絆。



「始めよっか」

「あぁ」

「はい」



 封を切ってみんな渡していく。

 細長い紐のような花火。

 火に近づける。



「先輩逆ですよ」

「え? こっちのビラビラじゃないの」

「……言い方」



 僕だけ短くなった線香花火。

 初心者にやさしくないと思う。



「ベタだけど言って良い?」

「どちらが長く点いているか勝負ですね」

「……はい。そうです、その通りです」

「そんな顔しないでくださいよ」



 きっと苦い顔をしている。



「私もちょうど同じことを考えていただけですから」

「じゃあベタな物にはベタな罰ゲームということで、相変わらず芸がないけど。父さんも加えたら新鮮かもだし」

「そうですね。お義父さんもそれでいいですか?」



 僕だけの会話のような展開で父さんは困り顔。



「勝者は敗者にお願いを聞いてもらえる感じ。でも3人いるし、最初に消えた人はもちろん敗者だけど」

「そうですね、次に消えた人は1番最初に消えた人に。最後まで残った人は両方にというのでどうですか」

「わかった。父さんもそれでいい?」

「あぁ」



 せーので同時に火を点ける。

 微妙にずれはあるものの、誰も文句を言わない。


 線香花火は一生を表すと言う。

 着火直後の丸い火を牡丹。

 産まれたばかりの火は頼りなく小さく未来がある。

 僕はこの状態を脱したのだろうか。そうだといいな。


 やがてパチパチと音を立て、枝分かれしたような火花。

 松葉。

 元気があり未だに激しい火花がながく続く。

 ここは夏菜だろうか。

 僕の先を行く彼女の姿。


 長く続いた松葉も角がとれて丸くなったように枝が細長く垂れる。

 見た目のままの柳。

 父さんかな。春人さんたちはどちらかというとまだ松葉のような気がする。


 そしてみんなの花火が最終である菊へと移る。

 残された時間は少なく、後は散るだけ。

 それも静かに最後を――



「ふぅ」

「おい、夏菜」



 僕の手元に風が起きると誰よりも早く落ちて消えてなくなる。

 風の正体は夏菜が息を吹きかけてきた。



「邪道でもなんでも先輩にはもう負けませんから」

「正々堂々としている相手には邪道はしないんじゃなかったのか」

「すみません、本当のことを言うとあまりにも真剣に花火を見る先輩の表情が暗かったもので」

「そんなに暗かった?」

「はい。こちらが悲しくなるような」



 最後、つまり死。

 誰にもで訪れる物。

 どんな金持ちでもどんなに貧乏でも、優れている者でも劣っている者でも最後には平等な物が与えられる。

 そんなことを考えていたからだろうか。



「またですよ。私を見るようで見てないその瞳。結構悲しくなるのでほどほどでお願いします」

「大したことじゃないから」



 きっと花火の所為。

 誰でも考えたことはあるだろうこと、でも彼女を心配させてしまった。

 この場で考えることじゃないかもな。

 彼女の頬を手のひらでくすぐる。

 微笑み返してくれるから、この話はこれでお仕舞。


 卑怯な手を使われたとしても負けは負けである。素直に花火を楽しめばって……これも線香花火の楽しみ方じゃないか?

 釈然としない。

 程なくして父さんの花火も散り、最後に夏菜の花火も静かに息を引き取った。



「じゃ、先輩へのお願いは保留にして」

「なんで……」

「特にお願いすることもないんです。なので持ち越します」



 散々負けてるからな。

 ここぞという時にお願いしてきそうでちょっと怖い。



「お義父さんにはそうですね、後でお話をさせてください。この人、結構肝心なこと黙っているのでお義父さんの知っている先輩のことなど色々と」

「構わないよ」



 素直に頷く父。

 意外とえげつないことを聞きそうな。



「ではお義父さんのお願いを先輩に」

「そうだなぁ……」



 困ったように考え込む。



「孫が出来たら二人の次に抱かせてほしい、とか」

「いいですね。それ、私はもちろん了承します」

「なんで夏菜が許可だしてるのさ……」



 まぁいいけど。

 いつか来るかもしれない未来。

 そうなった時はお願いを叶えよう。

 その為には課題がある。



「んじゃ、終わりかな。あとは素直に花火を楽しもうか」

「はい」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ