旅行 一日の終わりに
「どういうことなんですかね」
場所は変わらず広縁。
隙間に収まっているように置いてある鏡で、首筋を撫でながら跡を確認している。
後ろ姿では表情の確認は出来ないが、声から察するに怒ってはないようだ。
「3つ付いてます」
「そうだね」
元からあったモノと先ほど出来たモノ。
左右の首筋に一つずつ。鎖骨よりの場所に一つ。
「それでどうなんですか?」
対面に座り直すが無言、無表情。
ご立腹というわけではなく単純に説明を聞く体勢。
夏菜のことを知らなければ勘違いしそうである。
「一回目、今日のね」
「はい」
「何も感じなかったから、寧ろ夏菜の仕草や挙動が鮮明に見えて」
「つまり、克服でもしたのかと思って追撃してきたと?」
「追撃とはまた物騒な」
「そんな気持ちですよ私には。先輩は私の予想外のことをしてくるから困ります」
それはすんません。
つい嬉しさのあまり。
「いいんですよ? 先輩が私だけにそういうことをするのは」
「現状で夏菜以外にはするわけないよね」
今後はどうなるかわからないが、夏菜以外にするとも思えない。
「それは、ありがとうございます?」
自分でお礼を述べて疑問を抱いている。
「夏菜のお陰ちょっと希望が持てたよ。しばらくはやらなくて済みそうだね」
「そうですか」
「ちょっと残念そう」
意図した言葉ではなかったが、名残惜しそうにも見えた。
「まだ僕からするのは大丈夫になっただけで、夏菜からはしてもらう予定」
「そうですね」
「嬉しそうだね」
「そんなにわかりやすいですか? 私」
昔とくらべて表情に出やすくなったということも含めて、わかりやすい子だと思う。
元々が素直な性格をしているのだから余計に。
こういうところは猫というよりは犬っぽい。
「普段僕らがいないところでの夏菜を知らないからわからないけれど、僕の眼の前にいる夏菜は表情豊かでわかりやすくて可愛いよ」
「……可愛いは余計です」
「甘やかせって夏菜が言ったんだけどね」
「いいましたけど、なんか違います……。こうもっと優しくしていただけるのかと」
「優しくない?」
「優しいですけど、意地悪です」
それは自覚がある。
攻めることになれて、受け手になると弱いという彼女。
反応が楽しくて仕方がない。
「嫌いになった?」
「そんなことはありえませんけど、お手柔らかにお願いします」
いじけたように俯いたまま、彼女の視線は指先のリング。
反対の手でくるくると回している。
「いつもつけてるけど外さないの?」
「流石に今日は温泉に入るので外しますが、それ以外はずっとつけたままですね」
「そう」
贈った側としては嬉しい。
高校生の僕としては高い買い物だったけれど、改めて贈って良かったと。
「先輩は誕生日何か欲しいものありますか?」
「気が早くない?」
あと2ヶ月以上は先だ。
文化祭が終わったあとにやってくる。
夏菜から貰った財布は今でも愛用しているし、もちろんこの旅行でも共にしている。
「あっという間ですよ。この旅行が終われば夏休みも終わりに近づきます」
夏休みの宿題は問題ない。
僕も夏菜も初日に終わらせている。
去年の夏とくらべて集中出来たおかげもあるし、飽きて休んでも向かいの席で黙ってこなしている彼女を見ると僕も、という気持ちになった。
「そしたらこの同棲も終わりか」
「寂しいですか?」
「ちょっとね」
一ヶ月一緒に暮らしたのだ、また誰もいない静かで真っ暗な部屋を想像すると寂しくないわけがない。
バイト終わりの夜に明かりがついていて、扉を開くと夏菜が待ってくれているのだ。
温かい料理にやさしい空気。
それがあと少しで終わる。
「先輩は私がいないと駄目ですね」
「そうかもね」
少しまでは何も考えてなかったというか、考える必要がなかった。
けれど今は――。
居てくれたほうが嬉しいし楽しい。
なにより安心できる。
一緒にいるだけで幸せを感じている。
「誕生日は夏菜が選んでくれたものなら」
「わかりました、楽しみにしててください」
「プレゼントは私ですっていうベタなのはやめてね」
心臓に悪いから。
使い古されて、もう使われなくなったこういうシチュエーションを彼女はたまに口出す。
インパクトはあるからな……。
だからこそかもしれない。
流石に僕の現状を知っているから、やらないとは思う。
「ご希望ですか?」
「ネタ振りじゃないから……」
「流石の私でも恥ずかしいのでやらないですけどね」
「本当だろうな」
「やってほしいならやりますよ? でもその場合、ちゃんと責任とって頂いてもらいますから」
余計なことは言わないようにしよう。
本当にやりかねない。
会話をしているうちに1時間は経った。夏菜はお風呂を確認するために立ち上がる。客間の襖、その下段に浴衣が収納されており、紫色の浴衣を手に取り去っていく。
そのまま温泉に浸かるのだろうと僕も判断し、畳の上で寝転ぶ。
静かな離れ。
ひぐらしの鳴き声と、浴室から漏れ聞こえる水の音だけになる。
ちょうどかけ湯をしているのか一段と水の音が大きくなった。
疲れていたのか意識は音に溶け込み消えてなくなる。
傍に温もりを感じて目を覚ます。
見上げれば天井ではなく、ド至近距離に紫色の何か。
湯上がりでほんのりと香る彼女の匂いで正体がわかるが、これを真下から眺めるのは3回目だろうか。ある意味僕の特権かな。
学校では僕らが付き合っているという話になっている。
二人して否定はしない、というか僕は聞かれてないから否定のしようもないのだけれど。
今となってはそれが正解だと思うが、夏菜は未だに告白を受けていると言っていた。昔とくらべて減ったようなので効果はある。
「ごめん、寝てた」
「知ってます」
「だよね。どれくらい寝てた?」
会話をしているが、彼女の顔は見えない。
僕たちの間に山脈がそびえ立ち視界を阻害している。
「寝始めがわからないのですが、私が上がってから30分は経ちましたね」
彼女のことだ1時間以上は入っているに違いない。更に温泉ということであればもっと長く使った可能性もある。
「結構寝ちゃったな」
「新幹線の中で寝れませんでしたからね」
「誰のせいだろうね」
「こうして膝枕してあげてるんですから許してください」
「僕も温泉に入る時間あるかな」
頭上にある胸に当たらないようにゆっくり上体を起こす。
目をこすりながら胡座をかいて向き合う。
まだ働かない思考を持ってしても、浴衣を着た夏菜の姿は艶っぽく見える。
まだ少女といって差し支えない年齢だけれど、この半年で可愛らしさを残したまま大人っぽく成長している。
「少し遅れても問題ないでしょうし、入ってきても大丈夫だと思いますよ。私から父さんに連絡しておきますので」
「そっか、ありがとう。目を覚ますついでに入ってくるよ」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
夏菜から浴衣を受け取り、立ち上がる。
今日の進捗からしてお願いしようと思っていたこと。
風呂上がり前後はあんまり気にしない。
「折角だから、首に跡を残しとく?」
自分の首を突いて誂ってみる。
「馬鹿言ってないで早く入ってきてください」
「うっす」
案外ドライな反応。
自分がする番となればこんなものか。
「寝る前にも温泉入るでしょ?」
「はい。よくわかりますね」
「夏菜だしね」
普段だって1日2回は入ることもあった。
温泉ともなれば予想の範疇。
「その前後でいいからよろしく」
「……はい」
客室を出る。
少しだけ微温い廊下。
窓から差し込む光はまだ少しだけ明るく夜になりきれていない。
昼間は生憎の空模様だったけれど、予報は外れてどうやら晴れている。
遠くの空は茜色。紫がそれを覆うように、こちらに近づくにつれて漆黒となる。
輝ける月の姿も見えて、なんとも幻想的。
温泉に浸かりながらもその景色を楽しめてなんとも贅沢。
惜しむべくはこれを一人で独占していることだろうか。
※
温泉から上がり、一日中ついていたヘアワックスも落としてすっきりとした気分になる。
いいお湯だった。
髪を乾かしてから夏菜と共に春人さんたちと合流する。
すでに料理は並べられて旬の食材たちで彩られた豪勢な食卓。
しかし焼き魚はどうしたものかと考えていると、夏菜が自分の魚を綺麗に解し、骨と身を完全に切り離したモノを僕のモノと交換する。
「これなら先輩でも食べれますよね」
「お手数をおかけします」
「いえいえ」
夏菜を甘やかすどころか、甘やかされてしまっている。
これでようやくと言ったところで4人で手を合わせて、夕食を頂く。
僕ら未成年のドリンクは烏龍茶だったが、大人2人はお酒でも呑むのだろうかと思ったが、冬乃さんだけ日本酒で春人さんは僕たちと同じ物。
というか冬乃さんの隣にはもう空瓶が2本転がっているところを見ると、結構前から呑んでいたようだ。
「夏菜ほどじゃないけど、俺もアルコールに弱いんだよ。その変わり冬乃は強いんだけどね」
「そうなんだよね、春人くんお酒呑むとすぐに酔っ払って襲ってくるもんね」
完全に遺伝してます。
「やめろ……。絶対言うなよ」
「何をかな?」
2人見つめ合ったまま、時が流れていく。
僕にはわからない攻防が繰り広げられているらしい。
「普段大人で理知的なのにお酒呑むと甘えてくるもんね」
「だから言うなって……」
頭を抱えてうなだれる。
「俺威厳が……」
最初からないっす。
しかし、冬乃さんは春人さんのことをそういう風に見えているのか。
僕としては大人であるのは間違いないが、性格は子供っぽく映っている。でも、甘えている姿は少し想像出来ない。
冬乃さんのほうが彼に甘えている姿をよくみるからこそ不思議。
少し見てみたい気もしてきた。
「見せられないからね」
僕の考えを読み取ったのか、冬乃さんは釘を刺してきた。
「18禁というのもあるけど、私だけの春人くんだから。夏菜だって見せないから」
娘にすら独占欲……。
冬乃さんとはあまり関わりがないが、こんな人だったのか。
「見たくないし」
まぁ、僕が言えたことじゃないが親のそういう姿はあまり見たくはないだろう。
「普段と違って可愛い春人くんだよ? 見たくないの?」
「興味ない」
興味ないと言われるのはそれはそれでご立腹だったようで、冬乃さんの頬が子供みたいに膨れる。
童顔だからこそ違和感がない。
ちなみに話題に挙げられている春人さんは居心地が悪そうに外を眺めながら、黙々と料理を口に運んでいる。
「私には先輩がいるし。先輩だって普段ぼんやりしてるのに、決めたことは真っ直ぐ突き通す男らしさもあって集中しているときの顔だって凛々しくて格好いいの」
素直に聞き流せばいいのに、何故か対抗し始めた。
夏菜も負けず嫌い。
でも、こんなところで張り合わなくても。
「春人くんだって普段優しいのに、夜は力強いの」
負けじと冬乃さんも言い返す。
言い終わると同時にコップ一杯のお酒を煽るように、喉を鳴らす。
空になればすぐに注ぎ足す。
「先輩だって優しいですよ。でも最近は積極的で意地悪で私を弄ぶんだから」
「それのどこが」
「母さんにはわからない良さがあるってこと」
2人のやりとりを途中まで聞いていたが、居た堪れなくなり春人さん同様に外を眺めた。
「すまん」
ガラス越しに映った春人さんからの謝罪。
「こちらこそなんか」
すんません。
決して僕らは悪くない。
ここに被害者の会が誕生して、細々と会食を続けることにした。
謎の一体感。
「って聞いてる? 春人くん。夏菜に言ってあげて」
「先輩も私の味方ですよね」
さらに被害を被る。
肩を掴まれて左右に揺らされる。
冬乃さんと夏菜の目は完全に据わっていて酔っている。
言い合いながらも食事は進んでいたようで、次々と綺麗な皿が並んでいる。
「……え?」
酔ってる?
「え? じゃないです。先輩も母さんに言ってあげてください、先輩のほうが父さんより格好いいんだってこと」
「酔ってる?」
「何を言ってるんですか?」
ほんのりと頬が桜色になっていて、呂律はしっかりとしているが視線が定まっていない。
部屋は微かにアルコールの匂いがする。
これか。
「まじかよ」
ここまで弱いなんてことがあるのか。
お菓子で酔うぐらいだしな……。今更か。
常識では計り知れないこともある。
お酒を呑まなくても雰囲気で酔うという話も聞いたことある。
「ほら、黙って食べようね。喧嘩してたら美味しい食事も勿体ないよ」
適当に皿にあった新鮮な野菜を箸で摘み、彼女の口元へ。
「あ~ん」
「あむっ」
飛びつくように口に咥えて咀嚼。
「美味しい?」
「美味しいです。やっぱり先輩優しい……」
優しいうちに入るかのだろうか。
被害を抑えようとしているだけなんだけれど。
それに旅行中は夏菜を甘やかすつもりでもある。
「ずるい。春人くん私たちもっ」
「はいはい」
僕と春人さんは食べ終えているし、彼女たちが食べ終われば解散になるだろう。
それまでは付き合う。
隣の彼女の勝ち誇った顔が少しだけ面白い。
夏菜と一緒になったらこんなことが何度も起こるのだろうか。
先行きが不安になってきた。




