旅行 一つの結果
温泉街まではタクシーで移動して、今は石畳の上を徒歩で歩いている。
街並みもレトロな雰囲気で日常から切り離された感覚に。
歩くこと数分。
本日からお世話になる宿の姿が現れる。
外観は少し古くちょっと出そうな感じがするの昔ながらの大きな旅館。
「幽霊が出そうな外観してるね」
「……」
無言で睨まれた。
掴んでいる僕の腕に力が増し、……結構痛い。
彼女のたった一つあるかどうかの弱点。
ホラー。
ただし和に限る。
外観はともかくとして中に入ると、白い壁に板張り。
アンティーク家具が鎮座していてる様は大正ロマン。まるで時が停まったかのようなロビーだった。
歌に出てくるような柱時計もあり、静かな中で響き渡る振り子の音が心地いい。
部屋の鍵を受け取るために受付でやりとりをしている春人さんの隣に並んでいると、視界端に名簿が見えた。
市ノ瀬春人、市ノ瀬冬乃。柊渉に柊夏菜。
やたらと冬の文字が多い。
春人さんから鍵を二つを受け取ると、荷物を一時的に預けた夏菜の元に戻る。
「予約って春人さんがしたんだよね」
「そうですが、何かあったんですか?」
「人の名前で遊んでただけだよ」
何も考えず当たり前のように同じ部屋の鍵を二つ受け取ったけれど、親としてあれは正解なのだろうか。
同棲を許しているような親だから今さら考えることじゃないか。
それだけ信用されていると考えると荷が重い。
「僕ら楓の間だって」
鍵と一緒に貰った地図も描かれているパンフレットを開く。
「渉、先行ってるぞ。夕食は俺らの部屋に運んでもらうことにしてるから7時に合流な」
「うっす」
本館を眺めているが春人さんたちの『桔梗の間』はあったものの、僕らの部屋が見つからない。
中居さんに案内を頼もうにも、お盆のこの時期は繁盛期で既に別のお客の対応をしている。だからこそパンフレットを渡されたのだと思う。
「先輩、楓の間は離れみたいです」
「本当だ」
夏菜が僕とパンフレットとの間に潜り込むようにして入り込むと、渡り廊下の先になる別館とはまた別の離れを指さした。
かなり広い旅館のようで、離れも楓の間を含めた5つ存在。
温泉には卓球が付き物だと勝手に思っていたがなかった。夏菜と久しぶりにスポーツで勝負出来るかもなんて考えていたが外れてしまった。
案内に従って廊下を進む。
単純な移動距離が伸びて少し怠いなと考えていたけれど、渡り廊下まで来るとその考えは変わっていた。
木製の橋のようになっており古さは感じさせるもののしっかりとしている。
瓦の屋根を支える柱には提灯が飾られており夜には綺麗な物になっているだろうと想像に難くない。
なにより橋の下は池になっており鯉の姿も見える。
「広いな」
楓の間にようやつ着いた僕らは荷物を一箇所に纏めて置くと部屋を散策することにした。
余裕で僕の家より広い。
「先輩、ここも温泉だそうですよ」
呼ばれて脱衣所を通り、浴槽があるであろう場所を眺めるが。
「露天か」
至れり尽くせりというか。
本館からそこそこ離れた場所にあるため、大浴場も遠い。
ここ一室だけで全て賄えるのであれば、割りとものぐさな僕にはありがたい。
それにいつでも入れるというメリットがある。
「夏菜が1番嬉しいんじゃない?」
「はい」
見た目はいつも通りだけれど、醸し出す雰囲気がうきうきしているように見える。
「一緒に入る? 誰も見てないことだし」
「……え?」
「冗談だけどさ」
「先輩2回目です。次に言ったら本当に一緒に入ってもらいますからね」
「はぁい」
今回は素直に引き下がる。
未知の領域。
まだ僕には早い。
一人先に客室に戻りテーブルの上にある茶箱の中から急須と茶葉を取り出して、お茶を淹れることにした。流石は良い旅館というべきかティーパックではない。
僕が広縁に行き障子を開き、外の景色を満喫する。
茶菓子に置いてある温泉饅頭が甘くて美味しい……。
「一人で何黄昏れてるんですか」
「夏菜も飲む?」
「あ、頂きます」
茶托ごと湯呑を持ち上げ息を吹きかけると、ゆっくりと口に含む。
ようやく僕たちも一息。
早くからチェックインして、夕食までの空き時間はどうしようかと考える。
明日は温泉街を歩き回りたいからこそ一日ゆっくりするのもあり。
「夕食もだけど、大浴場が開くまで時間あるけどどうする?」
いつもの思案顔。
パンフレットを開き大浴場の説明を読んでいる。
「今日は部屋にある温泉に入りますよ。サウナの有無ぐらいですから、折角部屋にあるのであれば活用しない手はないと思います」
「今から動くのも正直かったるいからありがたいけど」
「相変わらずものぐさですね」
「僕は省エネなんだよ」
「物は言いよう……」
冷めた目。
取り繕うように話題を戻す。
「なら早く沸かさないとね」
3人が脚を伸ばせて入れるぐらいのスペースはあった。
自宅にあるようなバスタブであれば30分で沸くけれど、ここの露天風呂だとそれなりに時間は掛かりそう。
メリット・デメリットはあるもの。
「もう沸かしてます」
「あ、そう。早いね……」
よほど楽しみだったらしい。
「先輩どうぞ」
夏菜の分の茶菓子を僕に寄越す。
「いいの?」
「えぇ、先輩の美味しそうに食べる姿が見れますので」
「和菓子って美容にいいらしいよ」
「……」
少し悩んで見せる。
視線が温泉饅頭と僕を行き来する。
やはりというか、夏菜もやっぱり女の子。
美容という言葉には弱いらしい。
「低カロリーで美肌にも効果あるらしいよ」
「……先輩は食べたくないんですか?」
「食べたいけど、夏菜の悩む姿が見てて面白いなって」
自分の分は食べたのだ。
夏菜で遊ぶほうが今は楽しい。
「最近、先輩ちょっと意地悪です」
「まぁまぁ」
僕は宥めるように言うと、お茶請けをそのまま差し出す。
「これあげるから」
「もとから私の分ですよ」
一口サイズの饅頭だからこそ、夏菜の小さな口でも一瞬で見えなくなってしまう。
機嫌を取るという訳では無いが、この旅行のメインは夏菜が楽しめること。
「この旅行、夏菜の誕生日に春人さんが用意したものだけど、僕だって一つぐらいなら可能な範囲で言うこと聞くよ」
「先輩がそういう事を言うのは珍しいですが、日和ってるのも先輩らしいですね」
「何でもって言うと夏菜ならえぐい要求してきそうだし」
半分冗談で半分本気。
夏菜もわかっているとは思うが、ギリギリのラインを攻めてきそうな気がする。
それにわざわざ離れの宿に泊めたということは、春人さんが僕らの仲の進展を企んでいるのではないかという邪推すら沸く。
「そんなお願いしませんよ」
「そんなって?」
「言いません。その手には掛かりませんから」
僕も夏菜が素直に言うとは思ってなかった。
羞恥に染まっていたり、気が動転していたりすれば話は変わっていただろうが。
「で、どうする? 何してほしい?」
「急に言われると困りますね」
いつもの癖を見せるが、すぐに腕を下ろした。
ある程度、候補がありそのうちの一つを選んだだけというような。
「それでは旅行中、私を甘やかしてくれたらいいです」
「具体的にどうすればいいのさ」
抽象的で判りづらい。
「頭を撫でてくれたり、膝に乗せてくれたりですかね」
「普段と変わらないよね」
「そうですねぇ……。私にとっては幸せな一時ですので」
目を細めて優しく微笑む。
慈しむようにも見えた。
「わかるよ。わかんないけど」
「なんですかそれ」
やってる側の僕としても安らぎの時間で、される側の夏菜の気持ちはわからない。そう言いたかったのだが、これはこれで夏菜がくすりと嘲笑ってくれたので良しとする。
「じゃさっそく膝に乗る?」
「せめて温泉に浸かってからがいいです」
「別に汗臭いとは思わないけど。寧ろ僕が臭い?」
温泉に着いてから少し歩いたけれど、結構標高の高い土地で暑さはそこまで観じなかった。けれど夏の真っ只中、歩けば自然と汗はかく。
襟を掴み鼻元へ近づけてみる。
「多分、平気?」
「先輩の汗の匂いは嫌いじゃないと言いますか、私にとっては猫のマタタビみたいなものですけど」
「酔うのか……」
1番危険かもしれない。
「そういうわけじゃないです。今のは先輩は臭くないと言いたかっただけです」
「ならいいけど」
「私、女の子ですよ?」
「知ってる」
「まぁ、先輩ですからね……」
言葉の続きはなかった。
諦めないでもう少し頑張って。
「言いたいことは分かったけど。僕も夏菜の汗なら嫌いじゃないけど」
寧ろ甘いバニラムスクの香りが際立つ。
髪はバニラ、身体は石鹸の香り。
イメージとしての夏菜の匂いはホワイト。
「……変態」
「素直な気持ちなのに」
「余計に駄目じゃないですか」
「夏菜も人の事言えないけどねぇ」
茶化して言うが、みるみるうちに彼女の顔まで朱に染まる。自分の言ったこと思い出したのであろう。
僕も夏菜も会話中、深く考えたりはしない。お互いの素の部分が出ているのだと思う。
「わかりました。そこまで言うのであれば構いません。本日の日課です」
彼女は怒った風を装いながらも耳は未だに赤く、羽織っていたネルシャツを脱ぎ捨てると、首を少し反り瞼を閉じた。
「いつでもどうぞ」
目元が薄く震えていて、もう片手では数え切れないほどしているというのに緊張している。
そんな夏菜が可愛く、愛おしく感じる。
せっかくの旅行だから今日は遠慮しておこうと考えていたけれど、ここまでされてしまってはやらないという選択肢は消え失せている。
「じゃ遠慮なく」
肩に掛かった赤茶色の髪をそっと掬い耳の裏に宛がうように固定する。
普段通りに手順に、彼女が強張るのもいつも通り。
僕を誂ったり、その気にさせようと挑発してくるが、それは彼女にとっても未知の体験であり、受けてになると途端に初心な反応を見せる。
そんな反応をされると僕も嗜虐心が湧いてくる。
首筋に舌先を這わせ少しだけ舐める。
「……っ」
びくりっと身体を震わせたが、それはいつもと違った感触で驚いただけで、まだ瞳は閉じられたまま。
確かに汗ばんでいたようだったが、僕らの唾液と混じりわからなくなる。
舐めた場所よりやや下。
首と肩の境目に唇を押しあて、優しく吸い付く。
誰がやっても似たような音になるのだと思うが、雰囲気により少し卑猥で、少し可愛らしい音が静かな部屋で響く。
「ありがとう。もう目を開けてもいいよ」
「……はい」
片目をゆっくりあける。
僕がまだ彼女髪に触れているからこそ警戒しているようだった。
単純に肌触りがよくて離すの忘れてただけなんだけどね。
「舐めましたよね?」
「うん」
「……」
僕が素直に頷くとは思っていなかったようで、無言で睨まれてしまった。
そのままの視線で僕に問いかける。
「で、どうでした?」
「どうって」
言われてみれば、特に何も。
というよりは、目の前の夏菜だけを見ていて思い出すことすらなかった。
まだ片手は彼女に触れていることをいいことに、試すように首に口づけを。
「……んっ。ちょっ、先輩不意打ちは」
俯き、髪で顔が隠れる。
僕の手を払いのけることなく耳は晒したままで、感情は伝わる。
「……卑怯です」




