不満
気が付けば期末テスト最終日。
一人でも勉強をしつつも、司提案のもと部室で勉強会を何度も開いた。
今回は中間のようなどっち中途半端なことはしていない。
体調も万全でテストに集中出来た。
あとは結果を待つだけとなっていた。
夏菜との関係も普段と同じようでいて少しだけ違うものが続いているが、今週は彼女と僕のバイトのシフトがずれているおかげで、放課後は顔を合わせることはなかった。
ただ今日はバイトも休みで放課後の予定もなく、暇つぶしに部室へ。
そこには珍しい光景があった。
「あれ? みんな居る」
「おう、渉。お前も来たのか」
司は僕に気づくと手を軽く振りながら、雑誌を枕にしながら机にうつ伏せになる。
神楽先輩も勿論いて、ベースを抱えていた。
何か演奏していたのかもしれない。
「麗奈ちゃんもいるの珍しいね」
名前貸し程度の部員。
幽霊部員みたいなものだと思っていた。
「私だって部員ですよっ。部室ぐらい来ますよ」
「そこまで言ってないって」
もちろん夏菜もいて、隅っこで外を眺めていた。
麗奈ちゃんが誘った形で連れてこられたのだろう、すこし不満気に見える。
でもそれだけで機嫌が悪くなるような子ではないはず。
「夏菜どうかした?」
僕に話しかけられるまで気付かない。
少しだけ左の眉がぴくりと動く。
「あ、先輩。いえ考え事しているだけです」
「何かあったら話、聞くけど」
「そう、ですね。先輩は最近何か嫌なことあったりしました?」
「別になにもないけど」
どういう意図の質問だろうか。
ここ数日であれば特質することなかったはずだ。
彼女の最近がどこからどこまでなのか、それがわからないから答えようがない。
「そうですか。それならいいですけど」
首を撚るが頭も撚る。
答えは出ず、夏菜に聞き出そうと口を開きかけるが部屋にあるアンプから重低音が響く。
重い腰の据えた音。
しっかりとした地盤。
でも少しだけ泥臭くて粘り気がある。
「神楽先輩のベースいいよな」
「私にはあまりわからないです。先輩の影響で音楽を聴き始めましたけど」
ピアノの良さ。
音ではなく演奏の。
僕がそちらに疎いように夏菜はこちらに疎い。
「でもベース弾く女性って格好いいよな。なんかギャップもあって」
楽器に限らず、バイクに乗る女性だったり。
男らしいと言えば語弊があるかもしれないが、そんな趣味を持った女性たち。
なんとなく格好いいという感想が思わず出る。
「そうですね」
ぽつり呟くように同意してくれているが、神楽先輩を眺める夏菜の瞳は神楽先輩を映していない。
考え事に意識を持っていかれているようだ。
麗奈ちゃんも神楽先輩を眺めていたが、ぼくらの会話が聞こえていたのかこちらを気にするような素振りをみせている。
僕と目が合うと『わかりません』と、声に出さずに口パクと手振りで教えてくれた。
雰囲気を変えようとしたのか、麗奈ちゃんは大げさに手をぽんっと叩き、思い付きましたとでも言うように身を乗り出してくる。
「そうだ、渉先輩。私に軽くギター教えてくださいっ。なんか弾いてみたい」
「いいけど」
ストラトを手にしてチューニングだけして渡す。
僕が持っているムスタングは調整しているが、それでもアームを使うとすぐに狂ってしまうギターなので、チューニングには慣れてしまっている。
歯切れの良く、荒っぽい音が僕は好きだけど。
結構敬遠されがち。
さて。
コードを教えて弾かせるのもいいが、どうせなら楽しんで貰いたい。
「神楽先輩、SG借りてもいいっすか?」
「あぁ、いつものところにあるから、自由に使ってくれ」
「ありがとうございます」
麗奈ちゃんに、簡単なリフを教える。
ディープパープルのスモーク・オン・ザ・ウォーター。
ギターのリフと言えば間違いなくこれ。誰でも知っている。
これ一つでギターを弾いた気になるというもの。
簡単な部類で、知らないところは僕が弾けばいい。
ずっと繰り返される同じリフだからこそ、初心者にはうってつけ。
僕の意図を察して、神楽先輩も司も様子を見てくる。
参加してくれるらしい。
麗奈ちゃんはすぐに覚えて、掻き鳴らしてくれる。
それほど簡単。
アンプをつないで適当にゲインをあげて歪ませる。
「じゃ、最初から弾いてみて。合図するときに目を合わせるから、その合図で止めたり弾いたりしてね」
「はいっ」
部室の中にいる人間で誰よりもいい返事。
「さんー、にー、いち」
麗奈ちゃんの目を見て頷く。
彼女が有名リフを繰り返し、司がそのへんに置いてあったマラカスを振る。
マラカスなんてこの部室にあったのか。
何度も繰り返し、僕と神楽先輩が参加する。
合図を送り、僕とスイッチして更に歌い始める。
うろ覚えだがフィーリングで誤魔化すと、また合図を送る。
ギターソロに入るが彼女には弾かせたまま。
二つのギターが合わさることで音に厚みが出る。
「こんなところかな。どうだった?」
「いえ、なんていうか楽しかったです。ちょっと指が痛いけど」
「ほら」
僕は麗奈ちゃんに手を出す。
指先に彼女が触れて少し揉む。
「こんな硬くなるんだ」
「うん。やりすぎると皮が捲れたりするからね、それでどんどん硬くなる」
僕と麗奈ちゃんが話していると。
「すみません。私、お先に失礼します」
と、夏菜が立ち上がって部室を出ていった。
首を傾げるが。
麗奈ちゃんは、少しバツの悪そう顔をする。
「ちょっとやっちゃったかも」
「?」
「そうだな」
「そうだね」
理解してないのは僕だけ。
部室に入った時から機嫌が悪そうではあったけど。
「渉、追いかけてきな」
「え? あ、うん」
言われるがまま、追いかける。
部室棟と本校者を繋ぐ渡り廊下。
軽く走って追いついた。
「夏菜」
名前を呼んで、腕をそっと掴む。
けれど振り向きざまに振り払われた。
「なんですか?」
本当に機嫌が悪い。
あからさまな態度。
長いこと一緒にいるけれど、こんなことは初めて。
「どうした? 機嫌悪そうだけど」
「それを先輩が言いますか?」
「僕なにかした? したのなら謝るから言ってほしい」
「はぁー」
大きなため息。
「別になにもされてませんけど」
「じゃ、なんで怒ってるの」
「怒ってないですから、そっとしておいてください」
「そういうわけにも行かないよ」
「どうしてですか?」
「どうしてって、夏菜の機嫌が悪いのならなんとかしてあげたいじゃん」
「そんな言葉が聞きたいわけじゃないですよ」
「ごめん」
「はぁ。今日は帰ります。送ってくれなくていいですから」
僕のもとを去っていく彼女の後ろ姿。
「いや、やっぱ待った」
春人さんに言われてたこともあるが、やっぱり僕個人としても気になる。
すぐに駆けより肩を軽く握る。
「だから、やめてくださいって」
いくら怒っていようと彼女の声は静かで抑揚があまりない。
でも瞳をよく見ればわかる。
「やっぱり聞かせてほしい」
「わかりましたよ」
しつこい僕に、もう一度ため息をつきながらも折れてくれた。
「話してくれる?」
「話しますから、触らないでください」
「そんなに触れられるの嫌だったんだ、ごめん」
これに対しては本気で頭を下げて謝罪する。
「頭を下げるのもやめて下さい。私がただの嫌な女みたいじゃないですか」
「どうしたらいいかわからないけど、自販機のあるベンチに行こうか」
「はい」
しぶしぶという感じで、僕の後ろをついて来てくれる。
言ったことは律儀に守る。
そんな彼女の変わらない姿にほっとする。
お茶を2つ。
1つを彼女に手渡す。
「ありがとうございます」
失礼だが、笑ってしまった。
ちゃんとお礼も言うところに。
「なんですか?」
怒らせるつもりはなかったが、彼女には似合わないほど凶悪な目つき。
「いや、ごめん。他意はないんだけど、怒っていても礼儀正しくて律儀なところが本当にいい子だなって」
「そうですか」
日陰にあるベンチ。
夏菜との間に人一人分だけ間を開けて座る。
外に出てきたことで暑さを直に感じるが、たまに頬を撫でる風が気持ちいい。
それに園芸が丹精込めて育てた草花の香りが鼻孔をくすぐる。
土と草花、そして日の匂いは夏を感じさせる。
「夏菜らしくなかったけど、どうしたの?」
「私らしくない、ですか。自分でもそう思います」
「自覚あるなら――」
「ちゃんと答えますから、先輩も私の質問に答えてくれますか?」
夏菜はこちらを見ずに手元のペットボトルに焦点を合わせて、くるくるとゆっくりと回している。
水滴が手に落ちて、地面へと流れていく。
「わかった」
「先輩、私のこと少し避けてますよね?」
「僕が夏菜を?」
否定しようと口を開こうとするが、先に彼女の言葉で蓋された。
「心の距離的な意味ではないです。物理的に」
僕に手を差し伸べる。
夏菜の少し濡れた手が僕の唇に触れそうになる。
僕が彼女の手首をそっと掴むことで、彼女の手は虚空を掴む。
「ほら。私から先輩に触れるようとすると避けてますよね? 先輩からは触れてくれますけど」
「……」
肯定の沈黙。
意図的なものもあるが、無意識もある。
どう答えれば理解されるだろうか。
「どうしてですか? やっぱり誕生日の前日の夜が関係してます、よね? あの日から先輩が少しだけ遠くなったような感じがします」
「気付いてたんだ」
「そりゃ気付きますよ。今までずっと見てきましたし、先輩との距離がゆっくりでも近づいてたって確信めいたものもありましたし。でも急に私から触れようとすると離れていくし」
僕を見上げる彼女の瞳にうっすらと涙のようなものが溜まっている。
「最初は気の所為だと思ったんです、先輩はいつも通りでしたし」
彼女の接触からは避けていたが、それ以外は何も意識していない。
だからそう感じたのだろうと思う。
「いつからだろうって考えて、考えて。けれどやっぱり身に覚えがない。だったらあの日になにかあったとしか。私何をしたんですか? 先輩を傷つけましたか?」
言葉は淡々と、でも感情は篭っている。
悲しみと憤り。それと不安。
いつも自信満々で僕を挑発してくる彼女の姿は今はない。
溜まった涙は一筋の線を描く。
真摯に向き合ってくれる彼女には、紳士でいたいよね。
彼女の頬を触れて親指で跡を拭き取る。
僕の成長が遅れているせいで、僕の知らないところでも彼女を泣かせていたかもしれないと思うと、自分に嫌気がさす。
「あの日、そうだね夏菜は酔っていていつも以上に積極的というよりは欲情的だった」
それから夜のことを話した。
嘘偽りなく全てを。
「それ、だけで?」
夏菜は単純に驚いているだけ。
唇に触れて深く考え込んだ。いつもより真剣に深い思考に泳ぐ彼女は、人差し指を左右に揺らしながらぷっくりとした小さな唇を弄ぶ。
ある程度は夏菜も僕の事情を知っている。
聞かれれば全ての質問に答えるつもりではあったが。
彼女を怒らせてた誠意として。
「母親……」
小さくともはっきりと呟く。
ほらやっぱり。
時間にして3分にも満たない。
「どうする?」
こんな面倒くさい状態の僕。
今なら無効試合として受け入れる。
「私を舐めないでください」
新たな怒り。
私を舐めるなと、そう言うように目を釣り上げる。
「憤ったり戸惑ったりもしますけど、それでも諦めるわけないじゃないですか」
夏菜らしい解答。
「こんな姿を見せたくなかったので帰りたかったんです。先輩のせいですよ」




