父
夏菜の家から帰宅。
鍵を差し込み違和感を覚える。
確かにそろそろ帰ってくる時期でもあったが、この時間に戻ってくるのは珍しい。
大体、僕が学校にいる時間に帰ってきて自室で眠っていた。
夜になると一緒に外食をして、翌日の朝には仕事を向かっていく。
どんな仕事をしているかは知らない。
聞いたことがないからだ。
日本中を転々としているとは思う。
お土産から北は北海道、南は沖縄まで幅広いことに小学校高学年の時に気付いた。
「……おかえり」
リビングの明かり。
扉を開けると父がソファに深く沈むように座っていた。
こちらを見ていないようで、扉と足音だけで近くにいると予想をつけたのだろう。
「うん」
自宅に僕が居ないこと、日付が変わるまであと2時間と少し。
父の前にはカップラーメンと缶ビールの空きが転がっている。
「じゃあ、僕。寝るから」
「渉、ちょっといいか」
父親の仕事の都合で盆休みが前倒しなったと告げられ、期末の前には戻れるようなので僕も父親についていく。
平日の昼間から堂々と休み。
なんとなくワクワクするがこの帰省は祖母の墓参りがメイン。
幼少期、少しだけお世話になった。
夏休みなどの長期休暇では祖父の家に預けられて、亡くなった祖母にはお世話になりっぱなしなってしまった。
恩を返すことなく他界。
翌朝、いつもより遅い時間に起きる。
出かけることが決まった昨夜に荷物を不備がないかの確認だけをして、外に出る。
父は先にマンションのロビーで待っているようで、自宅の鍵を閉め直す。
最寄り駅から都市部へ、そして一度降りてから新幹線のチケットを二人分。
結構遠くの県に祖父の家はあるため、結構長旅になる。
そして、途中の駅で弁当と飲み物を買い込み、新幹線で親子二人で昼食を摂る。
会話はなく黙々と。
いや駅弁を買う時に「お菓子はいらないのか?」と聞かれた。
なんと返しただろうか。
聞こえていたのに、聞こえてない振りをしたような気もする。
親子ニ年目みたいなもの。
無くした時間のほうが長い、気まずさはあれど嫌なわけじゃない。
その沈黙を破ったのは珍しく父からだった。
「学校は楽しいか?」
「うん」
「そうか」
以上、3時間ぶりの会話でした。
僕ももっと何か言えただろうに、上手く言葉にならない。
この時期、新幹線の中は人が少なく僕ら以外の客はあまり見えず静か。
ビルの間を抜け街を外れて行き、トンネルを越えると遠くに見える海さえも過ぎていく。
父は窓の景色を眺めながら小さな声で僕に話を掛ける。
なんだか話し方の雰囲気が夏菜に似ていた。ただ、違うのは小さく抑揚のない声は疲れから来ているものだ。
あとは僕と同様に緊張も混入している。
「彼女と上手くいってるか?」
父が尋ねてきたのは予想外のこと。
「え?」
「家に女性物の、衣類や道具があったから」
「あぁ、夏菜か」
顔を合わせるタイミングがないだけで、父はちょくちょく帰ってきていた。
風呂場や洗濯物に夏菜の私物が混じっているし、食器にだって彼女専用のものがあるから、気づかないわけがない。
なんと言えばいいのだろう、あの関係。
この場はとりあえず。
「問題ないよ。いい子だから」
「そうか、良かったな」
「うん」
本人に聞かれたくないな。
この場だけとは言え、彼女を恋人だということにしてしまった。
何を言われるかわかったもんじゃない。
それにしても、父親とこんな会話になるなんて想像出来なかった。
であれば、こちらからも前々から気になっていたことを尋ねた。
いい機会だから。
「父さんはどうして結婚したの?」
「お前たち結婚考えているのか?」
「その予定は今の所ないけど。で、どうなの実際」
「そうだな……」
困り顔の父。
「あれも昔はちゃんとした娘だったんだ、目立つわけじゃないけど童顔で可愛く優しくて、だから惹かれた。一生この娘と幸せになると誓って付き合い始めて、結婚したんだよ」
記憶に残るあの女の姿。
地味とは程遠い、明るい髪に露出の高い服装。
「想像も出来ないんだけど」
僕の正直な返しに、驚きながらも苦笑いを浮かべる父。
不躾な質問でごめんと謝罪する。
頬を掻きながらも父は頷き、会話を繋げた。
「知らなかった、としか言えない。私の前ではいい妻を演じていたし。ただ、そうだな。入学式の日に渉が言わなかったら本当に気づかなかっただろう」
「僕に父さんの記憶がなかったからね」
「仕事が忙しくて、家に帰っても渉は眠っていたし」
「そうだったんだ」
「妻と子供の顔を見て、辛い仕事も頑張るぞって」
初めての見る父親の恥ずかしがる顔。
春人さんとは違い、少しぎこちない。
「でも、あの日。渉の喋り方やあの台詞を聞いて足元から全て崩れ落ちた」
「ごめんね」
「渉は謝るな。あれは私が、私達二人が悪かったものだ。仕事を言い訳にして妻を見てなかった」
「父さんも被害者だよ」
家のことを振り返らなかった責任はあるかもしれないが、記憶の中であの女性が働いているところなんて見ていない。
一人で稼いで家計を支えていた。
それなのにこの仕打。
父の稼いだお金はあの男にも使われていたことにもなる。
僕なら耐えられそうにないな。
「そうだろうか」
「うん、僕はそう思うよ」
僕の言葉に涙を浮べる父。
憑き物が晴れたような、でも寂しさを覚えているような、複雑な顔。
「結局あの男なんだったの?」
「あぁ、あれか元嫁が通ってた美容室の店員だ」
「え?」
もっと近しい人間かと思っていた。
「問い詰めてメールを全て見せてもらったが、美容室でプライベートを話すようになって意気投合。それから遊ぶようになり、二人で呑んだあとから始まったそうだ」
映画でも小説でもあるような展開。
つまりよくあること。
僕が産まれる前から始まっていて、何年も続いていたことになる。
よく隠し通せたものだと思う。
多分最初の頃は家に連れ込んでいなかったのだとは思うが、相手が最初から最後まで一緒だとも限らない。
気が緩み、慣れて、それが日常になった。
「渉の想像通り」
「あぁ」
そんなに顔に出やすいだろうか。
「それからずるずると。一度身体を預けたら情が湧き、次第に心も完全に移っていたという流れだった。今まで遊んでこなかった子だ。たった一度の火遊びで」
「そんなんで」
今までの関係値を壊すのか。
「もう手遅れだった」
「父さん大丈夫だったの? いや」
駄目だったから僕からも逃げた。
「すまない」
「いいよ、もう過去の話だし」
今やり直している途中だ。
「すまない」
何度もすまないと謝る父親の姿。
心からの謝罪。
目的地までずっと傍にいることしか僕には出来なかった。
父が落ち着いてからも道中はその話が続く。
街灯も少なく、見渡す限りの田んぼ。
舗装されていない道を行くタクシーの中、こんな話を聞かされている運転手には頭が下がる思いだ。
「離婚まで凄く早かったよね」
「あれはもう耐えられなかった」
息子である僕ですら、トラウマを残している。
当人である父の想いは計り知れない。
「あいつが気持ち悪いなにかに見えたし、その子供である渉も直視は出来なかった」
それに当時は本当に自分の子供なのかわからない。
「でもよく僕を家に残したね」
「あいつの最後の言葉、縋るように『あの子は貴方の子よ。この子を妊娠してから、避妊しなくなったもの』って」
嫌なことを想像した。
ちょっと嘔き気が。
聞かなきゃよかったかもしれない。
「信じたわけ?」
「いや、完全に信じたわけじゃない。それでも、子供を一人アレに任せられるわけもなかった、理性が留めたんだと思う」
「そっか、ありがとう」
そのままあの女に任せていたら、多分僕はこの世にいなかったんじゃないかな。
母の味は残飯。
主にコンビニ弁当。
しおしおになったポテトなんかもよく食べさせられたっけ。
思い返すと、たまに風呂に入れてもらえて普通の食事が出てくることもあった。
その日だけは父親だと思っていた間男は家におらず、リビングで過ごすことを許されていた。
あれは本来の父親が帰ってくる日だったのだろう。
「でも僕が父さんの子じゃなかったらどうなってたんだろう」
中学の卒業式、DNA鑑定を行い、ほぼ97%父の子供である保証が出来た。
そんなに気になるなら調べればいいんじゃない? と、春人さんが言ってくれたお陰もある。
親子関係が気になりだしたのは、市ノ瀬一家。
あの家族が眩しいものでしかなかったから、歪なまま過ごすよりは修復したいと思う気持ちと、どうせならいっそ壊してゼロから始めるほうがいいと思ったからだ。
当時はどちらでも構わなかったが、今は血の繋がりがあってよかったと考えている。
「どうだろうか。自分の子供じゃないものを育てきる器は私にはない。けど、手放すような気概も私にはない。距離を保ったまま続いてたんじゃないだろうか。結局は常識的にしか私は生きていけないから」
「それでも僕は感謝してるよ」
「あぁ……。市ノ瀬さんに」
「春人さん?」
同じことを思い出していたのか、父があまり関わりのない春人さんの名を呼ぶ。
「そう、彼が。渉のことがどうしても辛いのであれば、私たちが育てますよって言ってくれたりもしてたな」
「そんな話があったんだ」
「でも良かった。渉がいてくれて、ありがとう。本当に」
どうなんだろう。
出来た息子ではない。
「渉がいるから完全に絶望せずに済んだの確かだ。家に子供がいるから、頑張ってきた仕事も投げ出さずに済んだ。目的、理由があったのは私にとっては救いだったよ」
「父さんなら僕がいなくても大丈夫だったんじゃないかな?」
「そうかもしないけど、そうじゃなかったかもしれない」
「ふーん、まだ父さん若いんだし、再婚とか考えないの?」
春人さんより実は年下。
老けて見えるは疲れているからか。
「今まで考えていなかったな」
「父さんがいいなら好きにしたらいいと思う」
「そうだな」
家に女性がいても僕はもう大丈夫だし、父にも当然幸せを手に入れる権利はある。
道中の会話がそうさせたのか、祖父の家では普通の親子のような関係になっていた。
といっても、ぎこちなさは完全に抜けているわけではない。
けれど関係は進む。
そう感じた一時だった。
辛いことがあっても酒にも溺れることなく仕事に取り組み、こんな僕を育ててくれた父。
控えめにいって尊敬している。




