七夕
昨日起きたことは現実だと。
朝。
市ノ瀬家のリビングで目を覚ましたことで記憶が戻る。
どこでも寝れる体質のお陰で、快眠とはいかずとも気分は悪くない。
カーテンの締まりきった薄暗いリビング。
冷房の音と、コーヒーの少し土っぽい匂いが部屋に満たされていた。
この家では1番最初に起きて、1番最後に眠るのは春人さんだ。
上体を起こして伸びをする。
あまり寝返りも打てなかったので身体は硬いが不調はない。
「渉はもう起きてたのか」
「はい」
「眠れなかった?」
「いえ、ぐっすりですね」
これは本当。
神経自体は図太いのだ。
「七夕祭りはどうする?」
毎年恒例の夏祭り。
夕食を屋台で済ませて、夜に誕生日ケーキだけを食べる。
「行きますよ、約束もしてるので」
「そうか、頼むな」
何をとは聞かない。
夏菜のことしかない。
「うっす」
お金を払う価値のあるコーヒーを受け取る。
僕も夏菜もバイトで腕を上げているが、今でも春人さんには敵わない。
「ありがとうございます」
「何度も言っているが、職場以外で俺に敬語使わなくていいぞ」
「なんとなく」
緊張するのだ。
大人と接することも僕らの歳ではバイトや、学校の教師たちばかりだ。
けれど、その中でも春人さんの雰囲気は他の大人たちと違い雰囲気が違う。
穏やかで優しい性格ではあるのは知っているのだけれど。
夏菜も似たような雰囲気を持っているが、彼女の場合は冬乃さんのなんだか傍にいると落ち着くような雰囲気も合わさっていて不思議な感じがする。
春人さんが朝食を作り始めた頃に、リビングと廊下を繋ぐドアがゆっくりと開いた。
「おはよう、父さん。ちょっと水とって」
僕がここにいることに気付いていないのか、寝起きで乱れた服装のまま。
顔は顰めていて、頭を辛そうに押さえている。
「二日酔いの冬乃みたいだな」
「実際そうだと思う、部屋にアルコール入りチョコ全部空いてたから」
「頭痛がするならコーヒー飲んどけ」
「ミルクと砂糖いれてよ」
「わかってるって、ソファでゆっくりしとけ」
重い足取りでこちらに向かってくる。
「え、あ? 先輩」
僕に気づくとさっとカーディガンを羽織り直す。
「おはよう」
「おはようございます、客間にいなかったので早めに自宅に戻られたのかと」
いつもの表情を取り繕う彼女を手を制する。
「辛そうなら喋らなくて大丈夫だよ。おいで」
「はい。すみません」
僕の隣、クッションを間に置いて夏菜を招く。
起きてそのまま、いつもの自分というわけにはいかなかった。
彼女は春人さんからミルクたっぷりのコーヒーを受け取り、冷やすように息を吹きかけている。
薬指のリングを思い出したかのように眺めて、頬が緩みきっていた。
贈ったほうとしてもこれは嬉しいものだ。
しばらくすると冬乃さんも起きてくると、まっすぐに春人さんの背に抱きつく。
なだめられて彼の手伝いを始めた。
料理を受け取りテーブルに並べていく二人の馴れた共同作業。
普段なら夏菜も加わり家族で朝食を並べている。
隣を見れば少し落ち着いたようだけど、それでも顔色の悪い美少女が一人。時々呻いているのが怖い。
※
夕方になると夏菜の体調も戻り、自室で着付けを行っている。
春人さんと冬乃さんはもう既に二人で出かけてしまった。
何かあれば連絡してくれていいと言ってくれていたが、今年は司たちも一緒だからかそこまでの心配はしていない。
リビングでいつものように待っていると、白を基調として青や水色の花模様が散りばめられた涼し気な浴衣。
髪はサイドで纏められている。
「どうですか?」
「去年と真逆の色だね」
「はい、それでどうですか?」
「黒で大人っぽいのもいいけど、明るい色だと優しげに見えていいね」
「私ってそんな冷たそうな外見してます?」
「眠そうには見える」
「そんな私より先輩のほうが常日頃から眠そうですけどね」
実際、寝ている。
ぐうの音も出ない反論である。
「似合っていて可愛いと思うよ。見てるこっちも涼しげ」
「最初からそう言えばいいんですよ」
彼女の準備が終わると揃って家を出た。
僕はスマホを片手に司と連絡を取り合う。
彼らが到着する頃には僕らも間に合いそう。
「じゃ、行こうか」
「はい。……あれ?」
「何か忘れ物?」
「違いますけど、えっと先輩」
僕の横に並び、身長差もあって見上げてくる。
「腕、お願いします」
「あぁ、うん。そうだったね」
腕を差し出す。
そっと右手だけを僕の腕を掴む。
去年は何も考えていなかったけれど、今年はそうも行かない。
昨日のことも頭を過る。
無意識で拒絶したわけじゃない。
日和っただけ。
「昨日の記憶ってある?」
「いいえ、もしかして私何かしてしまいましたか?」
「いや、特には」
覚えているかどうかだけの確認。
これは僕だけの問題。
彼女に責任はない。
「本当ですか?」
「僕の言葉が信じられない?」
「そういうことでは、記憶がないって結構不安なので」
「まぁ危ないよね」
成人したら飲み会だったり、大学のサークルのコンパとかあるだろうし。
彼女は付いて行かなそう。
「先輩がいれば安心ですけど。起きたら自分の部屋でも先輩の部屋でもなく、客間で先輩の姿もないので混乱しましたけど」
「大人になっても飲まないようにね」
「先輩が居ても?」
大人になっても一緒にいること前提。
「僕が席から外れただけでどっかに連れて行かれそうだからね」
「私ってそんなになんだ……」
落ち込んでいる。
どうだっただろうか。
自分が必死すぎてあまり思い出せない。
思い出さなくて良い。
「そんなわけで禁止ね」
「……はい」
素直に頷く彼女を連れ添って、屋台の並ぶ河川敷へ。
会場は神社の境内がメインステージで、短冊もここで書けることになっている。
書いたことないな。
鳥居の前で5時に集合。
こちらが早く着いたようで司たちの姿は見えない。
先に着いたことをメッセージで伝えて、暫しの休憩。
「足は大丈夫?」
「はい」
鼻緒ずれとか起きそうなイメージ。
だけど、彼女は一度もなったことがない。
「丈夫だね」
「そうなんですかね。可愛げがないとか思います?」
「楽だなとは思う」
「……楽って」
「だって、背負って家まで送らないといけなくなるし」
「怪我していいですか?」
「馬鹿言うな」
「馬鹿なのは先輩ですけどね。私にそんな隙を与えようだなんて」
冗談を言い合う。
この距離感が1番丁度いい。
気を使わず、気を使われない。
そんな関係が心地いいのだ。
だからこのままでいいような。
※
「二人ともお待たせ」
少し遅れること司たちも鳥居の前に。
司は甚兵衛でサンダル、神楽先輩は大人しめの色合いの浴衣。
僕だけ完全に私服で浮いている。
「いえ、先輩と二人きりでしたので」
「あはは……。素直だね市ノ瀬ちゃん、もう少し遅れてくればよかった?」
言葉を濁さない夏菜の発言に驚きを見せつつも、なんだか眩しいものでも見るような。
神楽先輩も同様の眼差しを送っている。
「変な気は使わなくても大丈夫です」
「まぁまぁ、七夕祭りだし。なんか御加護あるといいね」
「毎年来てますけど、そんなのはないですよ」
「ずっと渉と来ているの?」
「二年前からですね」
「いや、多分効果あったんじゃないか? 雅もそう思わない?」
「私は柊くんとは短い付き合いだからな」
なんだか楽しそうに話しているので遠くで見守る。
ただ僕の話題はやめてほしい。
「んじゃ行くか。雅はどこからいきたい?」
「そうだな、市ノ瀬さんオススメはあるかい」
「ないです。お二人が行きたいところで」
そう言いながら僕の隣に戻ってくると自然と腕を掴もうとする。
わかっていれば物怖じしない。
「とりあえず見て回るか」
司の提案とともに僕らは人混みの中を彷徨う。
目の前を彼らが歩き、その後ろを僕らがついて行く。
茜色の空を見渡す限り夜の花火はさぞ綺麗な大輪の花を咲かせるだろうと、期待に胸を膨らませる。
僕らのことは置いて、この二人が上手くいくように見守ろう。
「夏菜、この二人にもう一つの神社か、丘上の公園勧めてもいい?」
「はい、どうぞ。私の許可はいらないと思いますが、先輩も律儀ですよね。なんだかんだ」
「そんなことはないと思うけど」
夏菜との会話を続けながらも、スマホを取り出し地図を開く。
その住所を司にメッセージで送る。
『なにこの公園』
『夜の花火が綺麗に見えるところだよ』
『マジか、じゃあ雅を誘うわ。渉たちはどうする?』
「僕らはどうしようか?」
「二人きりのほうが雰囲気もあっていいと思いますが」
「ますが?」
「先輩が見てないとあんまり意味がないかと」
そういえば僕らが司に協力するのはそんな理由だったっけね。
「忘れてましたね」
「あは」
「笑って誤魔化さないでください」
初めて夏菜と一緒に行ったルートで良さそうだ。
ただいつもより早く空も明るいうちに来たこともあって、みんなで短冊に願いを込めることにした。
筆ペンを借りて、何を願うか頭を悩ませる。
正直特にない。
女性陣はすでに書き終えており、笹に吊るしてもらっている最中だ。
夏菜が書きそうなことはなんとなく予測はつくけれど、神楽先輩は想像もつかない。
「司は何を書いた?」
「雅と一生一緒にいれますように」
「恥ずかしくないの?」
「言うなよ……。渉だから教えたんだからな」
元々決まってそうな願いだったけれど、悩むふりして二人を見送った後に書き始めたのだろう。
女性遍歴はあるのに純粋なところがある親友に好感がもてた。
「渉は?」
「なんも思いつかなくて困ってる」
「市ノ瀬ちゃんのこと書かけよ」
「う~ん。そうだね」
夏菜の健康祈願でもするか。
しかし七夕の願い事はどういうからくりなんだろうかと不思議に思う。
織姫と彦星が叶えてくれるのだろうか。
一年に一回しか再会できないのに、たくさんの人々から願いを託されるとなると憂鬱で仕方なさそうで、なんなら邪魔しないでくれと憤慨しそうなもの。
「なんで私の健康願ってるんですか……」
いつの間にか女性陣が戻ってきていて、変わりに司がいなかった。
「特になにも思いつかなくて」
「自分のでも良かったのでは……」
「七夕だし、夏菜の誕生日でしょ」
「プレゼント余計に頂いた形になりましたね、うれしいですけど」
「じゃあ、僕も預けてくるからさ、司に今後のルートを相談しといてくれない?」
「わかりました」
係の人に短冊を渡すだけで良かったようだが、結構人が並んでいるので少し時間が掛かった。
僕が3人のところに戻る頃には夏菜が所在なさげに、薬指のリングを弄っている。
残る二人は楽しそうに会話を繰り広げていて、遠くからでも司の冗談に神楽先輩が笑っている様子が見て取れた。
「お待たせ」
「おう、じゃあ完全に暗くなる前にお互い別れて好きなものを買いに行こうか」
「うん、また鳥居の前で集合でいい?」
「おっけー。じゃあ、雅行こうぜ」
小さく頷いた神楽先輩の手を引き司たちが離れていく。
傍からみれば僕と夏菜は恋人のように見えるらしいが、この二人も同様。
既に僕らに隠れて付き合ってるんじゃないかという疑念すら沸く。
まぁ、そんなわけがないことは司との付き合いでわかっていることだ。
「先輩?」
「僕らもいこうか」
今でも人が多いのに、さらに夜の気配が近づけば近づくほど、どこからか人々が沸いてくる。
甘いものは外せないとして、少し味の濃いものが食べたい。
焼き鳥があったのを思い出して、屋台の方へと足を進める。
「先輩待ってください」
「あ、ごめん」
謝罪と同時に腕を差し出す。
困惑しながらも夏菜は腕を握る。
「考え事ですか?」
「そうだね。あの二人、うまくいくと良いなって」
「はい」
理解したような、してないような。
まだ僕を見る瞳に疑問が宿っている。
「あと、お腹すいたなって」
「早く言ってくれれば先に何か買っておいたんですが」
「そこまでじゃないから大丈夫。行こうか、綿菓子とかベビーカステラとか買いたい」
お祭りぐらいじゃないと食べないからな。
「胸焼けしそう」
疑いは晴れたようで、真っ直ぐ僕を見て微笑む。
その瞳を僕は見つめ返すことが出来ないでいる。




