いつもと少しだけ違う朝
熱が下がり、ようやくまとも歩くことが出来るようになったのは水曜日のこと。
土日と一緒にいてくれた夏菜も、火曜日の放課後だけ顔を出してくれた。
恩に恩を重ねてしまった。
今度、何かしらの形で恩を返したい。
今日から登校すると連絡を入れていたので、改札口を出たすぐの所。予想通りに夏菜は円形の柱の前で、時計を眺めながら待っていた。
改札から通学、通勤する人の流れ出だすと彼女はこちらに目を向ける。
「ごめん待った?」
「今きたところです」
「絶対嘘だよね。寝坊していつもより一つ後の電車に乗ったから」
「……人の願望を踏みにじるの好きですね」
「待ち合わせでよくあるやつ?」
僕も早めに待ち合わせの場所にいくし、彼女だって僕か同等かそれ以上に早く来てくれる。
だからこんなベタな会話をすることなどなかった。
微笑ましくて、彼女に暖かい視線を送ると。
鞄で腰を殴られた。
机に教科書を入れっぱなしにしてない彼女の真面目な性格。
かなり重たい。ゆえに痛い。
まだ完全とはいえない身体、踏ん張りがきかずちょっとだけ崩れる。
「病み上がりなんですが」
「知りませんよ」
「あんなに優しかったのに」
「いつも優しいですよ」
目が笑っていない笑顔。
器用なことだが作り笑顔なだけに、初めて見る。
恐怖しかない。
「そうだね」
「……あ、そこ頷くんですね」
「実際いい子だからな」
「じゃ、どうぞ」
目の前ににょきっと生える赤茶色の頭。
一瞬頭突きでもかまされるのかとびっくりしたが、そうでもないご様子。
「撫でていいですよ。いい子には褒美があるものです」
「こんなんが褒美になるの?」
「なりますよ」
「そっか」
細くやわらかい髪質を楽しむ。
家の近くにいる、人に馴れた野良猫を撫でているような気分。
僕のほうが褒美を貰っているようにも思える。
「もしかして目立つ?」
「何がですか?」
「周りにすごい見られてる」
坂道を登る様々な生徒たち。
僕を羨ましそうに眺めたり、微笑ましいものを、恨めしそうにも、人によって様々な視線が産まれる。
「実際、迷惑な恋人みたいなことしてますから」
「え?」
そうなの?
「……駄目だこの人」
「冗談だよ。さすがにそれっぽいなって僕にもわかる」
「先輩が言うと冗談なのかどうなのか判断つきません」
最後にぐしゃぐしゃと髪を撫で回し、おしまいにする。
「ちょっと、先輩?」
「終わり」
髪型が崩れて、片目だけしか見えない。
軽くホラー。
井戸の中から出てきそう。
しかし、流石は女の子。
手鏡を持ち歩いており、すばやく髪型を整える。
「先輩じゃなきゃ怒ってますよ」
「僕以外で触る人いるんだ」
「いますけど」
「え、本当?」
誰だろう。
僕が知らないだけで、夏菜と仲のいい男って。
「嫉妬ですか?」
「……」
スマホ取り出して検索。
自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと。
自分の愛する者の愛情が、他の人に向けられるのを恨み憎むこと。やきもち。悋気。
もやもやとしたこれを表すには1番近いかもしれない。
検索しなくても、ニュアンスでわかっているが、文字を読むことで理解する。
あれかな、同担拒否。
なんか違うな。
「そうかも」
「……え?」
「なんで言ってきた本人がびっくりしてるのさ」
動物が尻尾を踏まれたような驚き方。
ビクッと身体が震えたかと思うと、夏菜の歩みが止まる。
「あぁ、やっぱりそういうことですか」
「どうしたの?」
「私は先輩のモノでしたね」
「なにそれ?」
眉間に皺が寄っている。
何か怒らせるような事を言っただろうか。
「体育館で言ってましたよね? 私以外の、あそこにいた生徒全員が聞きましたよ?」
「あんまり覚えてないんだよね。熱があったのもそうなんだけど、怒りに任せて思ったことそのまま言ったんじゃないかな」
今度は茹で上がったように真っ赤になっている。
忙しそう。
「うぅっ」
「どうした?」
「いや、あの、その、えっと……」
「大丈夫?」
「駄目かもです」
夏菜はそれだけを言うと走り去ってしまった。
一人取り残される僕。
どうしたらいいんでしょう?
追いかけてみたものの、彼女の姿は小さいまま。
結局誰なのか、教えてもらってない。
※
「え? 何事?」
彼女の追跡を諦めて校内に入る。
教室に入室すると、クラスの女子生徒に囲まれてしまった。
初めて話すクラスメイトも何人かいた。
「柊くんかっこよかったよ!」
「わたしも見たかったなぁ」
「憧れるよね、あたしも女としてあんな風に大事にされたい」
「でも、柊くんの彼女も可愛いかったよね。倒れそうになる柊くんをギュッと抱きしめて、みんなが見てる中で膝枕で山辺くんたちがくるまで大事そうに」
僕が倒れた後の話を聞けるのはありがたいが、居心地が悪い。
どうしようか。
無理矢理突破して、自分の席に着くのも忍びない。
「ごめん、病み上がりだから席に座ってもいいかな?」
「あ、そうだよね。うん、また今度彼女のこと聞かせてね」
なんとか切り抜けて、席に座ると寝たふり。
圧倒された。
冗談抜きに疲れた。
寝たふりにも構わず僕に話しかけてくる輩が一人。
こんな風に話しかけてくる奴なんて一人しかない。
「で、学園公認のカップルになった感想は」
「司か。まだ付き合ってないよ」
「ふーん。でも、もう他の連中はそうとしか思ってないぞ」
「どこまで広がってんのそれ」
「冗談抜きで学園中」
なんでそんなことに。
「誰かが動画取ってたらしくてさ」
スマホを僕に見せると、画面の中央をタップ。
動画が流れる。
勝負の初めから、中村はほとんど映っておらず僕の独壇場。
そして、ボリュームが小さいけれど、会話の内容もばっちりと。
「僕こんな事言ってたんだ」
「すぐ倒れたし、馬鹿みたいな熱だしてたからな」
「そうだ、運んでくれたの司だよね」
「お、おう」
「ありがとう」
「おう。お前、そういうところ変わんないな」
司が言うには、僕の発言は概ね女子に好評であり、こんな彼氏がほしいと言われるまでになっている。
僕も出世したものだな。
夏菜も映されていることで、全ての女子が敵わないとして、学園公認のカップルとして見守っていくらしい。
「勘弁してくれ」
「あと、中村だっけ? お前の後輩」
「司の後輩でもあるよ」
「揚げ足とるなよ、素直に聞けって」
追加情報として、中村は逆にバッシング。
僕が熱で倒れてしまったのも、中村が無理に長いこと僕に試合をさせていたことが、何故か原因に。
中村の評価は地の底に落ちたらしい。
そこだけは哀れに感じる。
クラスでも浮いた存在になっているらしい。
感想は特段なにもない。
そうなんだーの一言で済ませる。
動画の会話内容を、再度聞いていた。
疑問に思ったこと司に訊ねてみる。
「これさ」
「ん?」
「キープってするもんなの?」
「あぁ、俺はしないけど。するやつはするんじゃね」
「そうなの?」
「一人って寂しいじゃん、本命が出来るまでの穴埋めって感じじゃねーかな」
「ふーん」
「ま、モテる人間だけだそんなことするの。渉の言ってることが正しくて格好いいもんだよ」
「そっか。司が友達でよかったよ」
「真っ直ぐ見つめて、そんなこと言う恥ずいからやめろ」
「ごめん」
僕らの会話が一段落したところで予鈴が鳴り、各々の持ち場へ。
司に動画を貰って、イヤホンで改めて聞く。
夏菜は僕のモノ。
なんでこんな事言ったのか、行き場の無い感情が僕の胸に爪痕を残す。
独占欲か支配欲か、依存心。
どれも前までの僕にはなかったもの。
ただ、夏菜の気持ちに引きずられていることは自覚する。




