流れ星に約束を
朝は柊渉として、午後には市ノ瀬渉となった。
場所は市役所。
本日は日曜日。
婚姻届けは三六五日受理される。
通常窓口ではなく、時間外受付にて提出してきたばかり。
色々と面倒な手続きとか必要なのかと思ったが、身分証明書と必要事項に記入し印鑑を押しただけの婚姻届を提出するだけ、あっさりと名字が変わってしまった。
夏菜に至っては必要な物が僕よりも多かったわけだけれど、不備もなく受理された。
昔は違ったようだが、現役高校生の夏菜は親の同意も必要ないようで、校則に違反しなければいいという話。
事務的な祝福を受けて、市役所を後にする。
本日は綺麗な青空。
雲ひとつなく僕らの門出を祝っているかのようだ。
眩い空に目を細めて見上げていると。
「本当によかったんですか?」
「何が?」
私で、とか夏菜が言うはずがない。
僕には夏菜、夏菜には僕が必要でお似合いだと自信を持って言う。
僕もまた同じことを思う。
でも、何がよかったんだろう? と首を傾げて見せると、夏菜は間を空けることなく口を開いた。
「市ノ瀬で」
「そこなんだ」
籍を入れるに当たって決めることというのはいくつかあった。
そのうちの一つがこれ。
「柊夏菜は冬虫夏草みたいで嫌だって言ったの夏菜でしょ?」
「ただの雑談だったのに覚えていたんですか」
「そりゃね。どんなことだって夏菜との思い出なんだから」
「んふふ」
夏菜の腕が絡みつく。
それも力強く。
豊かな胸に腕が沈み込む。
腕を組み、市ノ瀬の家へと歩き出した。
初夏の爽やかな風が吹く。
暑い日差しでうっすらとかいていた汗がひいていく。
彼女もその風が気持ちいいのか、目を細めて風に身体を預けていた。
「それで、先輩。本当のところは?」
「なんでもお見通しだね」
「当たり前じゃないですか、先輩の妻ですよ。妻ではないとしても、彼女のままでも気づいてましたけどね」
「じゃあ、僕の妻ならもう先輩はないんじゃない? 対等な関係だよ」
「そう言われてしまうと。……っ、……えーっと。渉」
今まで意地でも絶対に先輩としか呼ばなかった彼女の牙城が崩れる。
完全に初めてというわけではないから、そこまで動揺しないかなって思っていたが、呼ばれたほうもなんか……、うん、嬉しい。
「大好きだよ。夏菜」
「私のほうが愛してますよ」
「なんで張り合うんだよ」
彼女の物言いに笑ってしまう。
「えぇ、私が、せ、じゃなくて……。わ、渉を好き過ぎたばかりに負けてしまったので」
「根に持ってるんだ」
「意外ですか?」
「そうでもないかな」
「ふふっ。今後もこの勝負に関しては負け続けようと思ってますので、期待しててください」
勝っても負けてもそれはそれで幸福な勝負。
いいな、幸せの張り合い。
これからもっと二人で幸せになるってことだ。
「夏菜は結婚式どうしたい?」
「私はやらなくても良いと思っている派ではありますが」
う~ん、と唸りだして考え始めた。
「結婚初夜って今日なんでしょうか、それとも式の後なんでしょうか」
「僕も考えたことなかったな」
「はい、私も」
スマホを片手に調べてみる。
表示された画面を夏菜にも見えやすいように位置を調整。
「納得です」
「確かに市役所に提出するってのは現代の様式だしね。結婚式の後の方が初夜と考えると、こんなところにも歴史を感じるね」
「はい。でも、そうすると私たちには初夜がないことになりますが」
「んー。気にしなくてもいいんじゃない、時代によって言葉が変わるのであれば、今日も初夜だし、式の後も初夜ってことで。二度楽しめるんじゃない?」
「入籍初夜と結婚初夜ということですか」
「うん」
「いいですね。結婚生活を楽しもうとする気概」
「今までも楽しかったけれど、今後もっと楽しくなりそうだね」
「はい。父さんと母さんにも負けないよう、幸せな家庭を見せつけましょう」
「あぁ」
力強く頷き、目指す先は通常営業中のカフェ・ダリア。
本日は客として。
少し重い木製の扉を開くと、店員さんが出迎えてくれるが夏菜を見るなり下がっていく。
カウンターに居た春人さんが親指だけでとある席を示す。
司に雅先輩、そして少し大きくなった女の子。
見ない間にすくすく育ち幼子。
子供成長って凄いんだなーって実感させられた。
手を振って彼らの元へ向かう。
「大きくなったね」
「だろ」
まるで自分のことのように喜ぶ司。
「わざわざ来てもらって悪いね」
「渉、お前電話だけで済まそうとしてたろ。水臭いぞ」
「いやぁー、そりゃね」
育児で忙しい二人をわざわざ呼び出すようなことでもないと思ったのだ。
言ってしまえば僕と夏菜が結婚することは予定調和のようなもの。
彼らだって二人はいつか一緒になるとわかり切っていたはず。
「別に大学でだってよかったわけじゃん」
「それだと市ノ瀬ちゃん……、今は柊ちゃん? に会えないだろ」
「市ノ瀬ちゃんで合ってるよ」
「ということは婿入りか」
「そう」
「あ、そうだ。渉、少ないけど受け取ってくれ」
差し出された祝儀袋。
突き返すのは無礼だし、祝ってもらえる気持ちを大事にした。
「ありがとう」
「これからも宜しくな」
「もちろん」
「夫婦生活とか困ったことあったら相談に乗るぞって言おうと思ったが、お前らなら大丈夫だろうな……。寧ろこっちが相談したりしそう」
男二人で話している。
女性陣は女性陣で話していた。
ちらりと見てみると、子供をあやそうとしてしている夏菜の姿。しかし子供に近づく程、女の子の顔が歪み、涙目になり、とうとう泣き出してしまった。
しかも夏菜も落ち込み、俯いてしまった。
「ごめんね、夏菜ちゃん。うちの子人見知りだから……」
「いえ、大丈夫です。子供とか動物に何故か嫌われるので……」
ちょっとだけ空気が重い。
そんな様子を見ている僕ら。
「お前ら子供とかって」
「あー」
苦笑い気味の僕。
夏菜の企みを思い出していた。
「自然に出来たらいいなって話しになったよ」
子供は授かりもの。
作ろうと思って出来るものじゃない。
「それこそ何かあったら相談しろな。俺も一人の父親として教えれることがあるかもしれない」
「うん。頼りにしてるよ」
「渉に頼りにされるって何か……、照れくさいな」
「そう? 僕は司のこと掛け替えのない友達だと思ってるから、頼りにしてるよ」
「うわ、出た出た。久々に渉の恥ずかしいセリフ聞くと、破壊力たけぇーな」
「そんなこと言われてもな」
「いや悪い意味じゃないから、お前の良いところだよ。言われるこっちとしても勿論嬉しいからさ。お前と友達で良かったって」
「ありがとう」
「そこでスッとお礼でてくるのすげぇーよ」
前置きに「さてと」と司が言い、雅先輩に声を掛ける。
両者は通じ合っているようで、雅先輩がこくりと頷くと子供を抱きかかえなおして立ち上がる。司は支えつつも、替えのオムツなどが入っているカバンを肩に掛けた。
「俺らの用事は終わったし帰るわ」
「うん。気をつけてね」
「山辺さん、ありがとうございました」
「あはは、市ノ瀬ちゃんもお幸せにね」
「はい」
「じゃあ、渉。また学校でな」
「うん」
親友との短い親交。
祝福を受け取り、心が暖かくなる。
店の外まで出て彼らの姿が見えなくなるまで見送り、店の中に戻る。
日曜日ということもあり、店は繁盛している。
忙しい中なのに春人さんがやってきて、コーヒーと紅茶のおかわりを出してくれる。
お礼を言い、香りを楽しむ。
ホッとする匂い。
やはり、春人さんが淹れたコーヒーが一番好きだ。
彼本人の優しさと店の雰囲気にあった落ち着く味。
「先輩、いい友達もってますね」
「……」
「先輩?」
「……」
「渉」
「そうだね」
「うぅ゛。渉は相変わらず意地悪ですよ」
「こうでもしないと夏菜はいつまでも先輩って呼びそうだし」
「いいじゃないですか」
「いいんだけどね」
「どっちなんですか」
「でも暫くは夏菜に名前を呼ばれる事を味わせてくれ」
「そういう理由でしたか。えぇ、それならいくらでも」
一息入れて、カフェ・ダリアを出る。
じりじりと肌を焦がす太陽を受けながら家路を歩く。
目の前の道には陽炎が揺らめき、余計に暑さを感じさせる。
家の前。
この暑さの中でもレモンバームの涼しげな香りが、庭から漂ってくる。
「それでは、私は準備してきますので」
「うん、僕もやることやったらリビングで待ってる」
「はい」
玄関先で夏菜と別れる。
今日は彼女の誕生日でもあり、七夕の日曜日。
毎年一緒に行っているお祭りも開催されている。
部屋で冬乃さんと一緒に浴衣に着替えているだろう。
僕は玄関には入らず裏手に回る。
レモンバームの香りのする庭へと。
確か冬乃さんの趣味で飾られている庭具と草花。背の低い木々。
足場はレンガで道が作られ、その道をまっすぐ進むと二人がゆっくり座れる程度のベンチが鎮座している。
正直、初めて庭に入ったが。
いいな。
冬乃さん、いい趣味をしている。
ベンチに座りスマホを取り出す。
登録されている連絡先を開く。
あとはディスプレイに表示された緑色のダイヤルを押すのみ。
手短に事実を伝えるだけでいいかな。
そうと決まればあとは押すだけ。
一コール、二コール、三コール目の途中で画面が切り替わる。
表示された名前は『父親』とだけ。
『どうした? 渉から連絡が来るとは思わなかった。何かあったのか?』
電波を伝って届けられる声は、低い声ながらも落ち着いている。
それでも節々に心配そうな声色が混じる。
「久しぶり」
『あぁ』
「伝えることがあったからそれだけなんだけれど」
返事がない。
聞く体勢になっているのだろう。
「僕、結婚したから」
『……そうか。相手は夏菜さんかな?』
「うん」
憶えていたんだと、少し驚いた。
『おめでとう』
「ありがとう」
無言のまま秒数が進む。
どう切り上げたらいいんだろうと考えたが、口から出たのはこんな言葉だった。
「それであの人は?」
『あぁ、部屋で娘と一緒に寝ている』
「あ、もしかして起こした?」
『私は元々起きていた』
「そっか。元気にしてる?」
『みんな元気だ』
「えっと……、じゃあ、そんだけだから」
『そうか。連絡ありがとうな』
「うん。また掛けるよ」
『そうか。用がなくても連絡してくれていい』
「気が向いたらね。あと、子供が出来たら、そのうち連れて行くから」
約束は約束。
違えることは絶対にしない。
それにこの人。ただ不器用なだけなんじゃないかって、最近思うようになった。
『……わかった。楽しみにしている』
「じゃあ、切るよ」
『幸せにな』
通話が切れて、静かになる。
セミの鳴く声が遠くから響いてくる。
話している間は聞こえなかったような気がするが、この騒がしさをみるとずっと鳴いていたようにも思う。
「ふぅ……」
「渉、お疲れ様です」
頬にひんやりとした感触。
その正体はコップに注がれた麦茶。
「ありがとう」
「どういたしまして」
浴衣姿の夏菜が隣に座る。
去年と同じ物だが一年でそう見られる回数は多くなく、とても新鮮に映り脳裏に焼き付く。
「夏がきたって感じするよね。夏菜の浴衣姿を見ると」
「そうですか?」
「うん。でも一年で一番特別な日になったね」
「……はい」
ベンチに座りながら身を寄せ合う。
木陰で風の通り道になっているのか、真夏の昼下がりでも思いの外涼しくて、夏菜と密着しても暑くはなかった。
どれくらいそうしていただろうか。
陰の位置がズレていき、日がうっすらと傾く。
「そろそろ行きましょうか」
「うん」
「本日のデートは私にリードさせてください」
「勿論」
何か考えがあってのことだろうと任せる。
「それじゃ会場に向かいましょうか」
「おっけー」
お互いの手のひらを固く結び家を後にした。
長く伸びた陰は仲睦まじく、幸せそうな色を示す。




