惚れたほうの負け
七月七日、七夕。
の前日である土曜日。
天気は梅雨でありながらの快晴。
海をも思わせるような青。
カフェダリアには臨時休業の看板が掛けられている。
申し訳ないことをしたなぁと考えつつも、彼らの優しさに感謝の意を伝える。
自前で持ってきた食材を厨房に並べ確認をすると、すぐには使わない材料を冷蔵庫へと仕舞う。
物を選ぶところから勝負は始まっている。
春人さんもただただ静かに黙って僕らの行動を見守っているが、やや真剣であり既に審査をしていると言ってもいい目つき。
優しさと真剣さが同居している。
そして少し離れた場所にいる夏菜は涼しげで落ち着いている。
けれど、今日のタレ目は一味違う。僅かに釣り上がり爛々と瞳の奥を鋭く輝かせていた。
こちらも本気。
彼女との間に今日合流してから挨拶以外の会話はない。
自分が作るものだけに集中している証でもある。
全く同じ動作をしてる彼女が視界の端に映る。
僕も彼女と色違いのハーフエプロンの尾を結び直し、深呼吸を一つ、気合を入れ直した。
「さて」
僕がいつでも動ける準備が出来た事に春人さんが気づいて声を掛ける。
僕らは揃って彼へと耳を傾く。
「お題はご存知の通りカフェで出す品。で、間違いないな?」
同時に頷く。
満足したように春人さんも頷き返して席を立った。
「カフェと言っても色々あるのはわかるよな? でも、ここで言うカフェはきっとお前達で作り上げたいと考えているものだとも思う」
更に同時に頷く。
顔を見合わせることなく。
「仲がよろしくて結構。んでだ、渉と夏菜にはこうしたいっていうカフェ像はあるのか? そこで出すってことならそのお店で出す品にして採点すべきかと思ったんだが」
春人さんは僕らの顔を交互に見渡す。
「その様子だと考えてはいるが、決まってないってところだな」
僕と夏菜が二人で話したのは料理と菓子、それにコーヒーと紅茶が上手いカフェ。
内装などはまったく考えていない。
ちなみに言うと夏菜は暇潰し程度にお店の製図などを書いていたりもする。
何処で学んだのか本格的なやつで、初めて見た時は驚いた。
聞けば図書館で聞きかじった程度だと言う。
素直にすごいなぁという感想が湧いて出てきたのを今でも覚えている。
「そうだなぁ……。分かりやすくこの店と同じ規模感としようか」
顎をいじりながら考えつつ、春人さんはそう提案した。
こくりと頷く両者。
お題が具体的になったけれど、僕の構想はあまり変わらない。
ある程度対応出来るように素材も用意していた。
「じゃあ、始めてくれ」
合図ともに夏菜は下ごしらえから始まっていた。
材料からある程度予測は出来る。
相手のことをばかりを見ている余裕はない。
僕も手を綺麗に洗うことから始め、オーブンを温める。
この店の器具の癖も身体が覚えている。
何度も練習で使わせてもらった、春人さんに教えられながら。
銀色に光る調理台の上。
細かな傷や擦れ跡。
それなりの歴史を感じる。
今の僕の出来る全力を。
卵に上白糖、薄力粉、そしてココアパウダー。
牛乳はどこにでもある普通の物。
今まで散々作ってきたチョコケーキ。
何度も何度も試行錯誤してきたものだから、僕の実力で一番高く自信を持てるのはこれだ。
まずはスポンジから焼き上げる。
粉類は一度をふるいにかけて、可能性としては低いがこれでゴミなどを取る。
温度や湿度に気を配りながら、そして一グラムの誤差も許さず心血を注ぎ測ることにした。
この一グラムの誤差を許してしまえば全てが狂う。
それがお菓子というものだ。
バターを溶かしつつ牛乳を投入。
大体六十℃程度になるまで温める。
卵は全卵。
黄身だけ分けるとスポンジがやや色味が濃くなり美味しそうなスポンジになるが、今回はチョコレートケーキなので不要。
卵をかき混ぜながら上白糖を入れ、ハンドミキサーでなじませてからスイッチを入れかき混ぜる。
自宅でただ作るだけならば最速スピードで大体五分から七分ほど。
そこから低速にすることにより、更にキメ細かくなっていく。
時間は掛かるがこだわりのため。
味も大事だが見た目も大事。
そこでようやくふるった粉物を混ぜわせる。
きめ細かく整った証拠に投入した薄力粉とココアパウダーは一気に沈んでいかない。
ここからは機械を使わずヘラを使って粉合わせを行う。中心から底をすくい上げるようにし、下の生地を返すように合わせる。艶が出てくるまで時間を掛けずに合わせていく。
満足出来るところまで行くと溶かしたバターを持ってきて、生地の一部をバターの中に入れて比重を近づけてしっかり乳化させる。
バターは油分が多い、この工程をしないと今までの苦労が水の泡。
そしてまた更に混ぜていくことになる。
ケーキ作りは思っている以上に重労働である。
油分が増えたことにより、気泡がどんどん潰れていく光景が目の前で広がる。
一部すくい上げてその場で垂らして程度を確認する。
今回はスポンジケーキで型に入れて焼き上げる。
ロールケーキなどシートを使って焼くのであれば、垂らした後が残らないほどかき混ぜても良い。どれくらい混ぜるかはその時々で、素材との相談である。
後は型に流し込み、十センチ程度の高さから落とす。そうすることで大きな気泡を潰すことが出来る。
スポンジとの層に挟むクリームを作る。
カフェ・ダリアは料理は勿論のことだが、コーヒーと紅茶も美味しいお店。
それに合うような味が好まれる。
特にこの店を利用するお客さんたちは食後のコーヒーと紅茶のお供に楽しんでいる。
フランボワーズの果肉を残した、ややピンク色をしたクリームを作ってそれを挟む。
残りはチョコレートでコーティングして余ったフランボワーズの果実を宝石のように添えれば完成となる。
今まで努力してきた物は無駄にはならなかった。
頭で記憶し身体が覚えている。
このお店のコーヒーの味も知っているからこそ、わずかながら味の調整も出来る。
チョコレートケーキの独特の甘さとフランボワーズの甘酸っぱさ。
程よい酸味でコーヒーと合わせて楽しむことが出来る。
後は審査をする春人さんに委ねるだけだ。
……。
自分の作業で全く気づかなかったが、肉の焼ける香ばしい匂いに香辛料の食欲を誘うビーフシチューの匂いが漂ってきている。
あ、やばい。
あまりにも美味しそうな匂いにくすぐられて、お腹が鳴ってしまった。
僕の腹の音が聞こえたのか、夏菜はこちらを見るとくすりと笑う。
口パクで僕に何かを伝える。
『もうすぐ仕上がりますので』
言い残すようにして口を閉じ、目の前の鍋に集中し始めた。
そして僕が仕上がると同時に夏菜も完成させたのだった。
※
「まぁ、まずは夏菜からだろう。メニュー的にも」
と、テーブルに並ぶビーフシチューセットとも呼ぶべき夏菜の品。
メインであるビーフシチューとローストビーフのサラダ、オニオンスープ。
しかし主食の姿がない。
「パンかご飯を選んでもらおうと思ってます」
「ふん? 普通の米か?」
「いえ、バターライスにしようかと」
カフェというより洋食店並み。
「パンは?」
「焼いたガーリックフランスパンです」
「ちなみに父さんには選択肢はないから」
「え?」
審査員である春人さんは呆気にとられる。
夏菜がこちらを向く。
「先輩はどちらがいいですか?」
「あ、そういうこと」
春人さんは納得したように頷くと黙ってしまった。
「じゃあ、僕はライスでお願いするよ」
「はい」
春人さんの向かいに立っていたが、彼の隣に座るように夏菜に誘導されたので、導かれるまま席につく。そして全く同じ物が僕の前にも並べられた。
座って、見て、香りを嗅ぐだけでわかる。
これが絶品であると。
唾液が予想以上に分泌されてしまった。
それに僕の好物であるビーフシチュー。
夏場で今はあまり食べていないが、やっぱり好物はいつ食べても美味しいものである。
「では、二人ともご賞味あれ」
「いただきます」
メインであるシチューから頂く。
濃厚な香りを嗅ぎながら、スプーンですくって口へと運ぶ。
ガツンっとくる濃厚な味。
人参や玉ねぎといった素材もしっかりと短時間ながら染み込み、ほろほろととろけていく。そして、ごろごろとしたお肉が入っている。
外は炙っており、中からしっかりと肉汁が飛び出す。
それがシチューと合わさり舌が喜んでいるのを実感する。
ラーメンやすき焼き。
一口目からガツンとくる味。
けれどクドい訳じゃなくて、舌に残りつつも尾を引かない。
だからこそ、次へ次へと口へと運んでしまうのだろう。
気づいたら皿の中は空っぽ。
「やっば、なにこれうまぁ……」
これが素直な僕の感想。
あまりにも美味しい物を食べると簡単な感想しか出てこなくなる。
貧相な語彙力。
思考を退化させる。
正直、今までの短い人生。
好物中の好物である食べ物、多分自分でも散々作ってきたし、市ノ瀬の家でも食べてきた物の中で一番美味しい。
春人さんや夏菜ほどではないにしても、僕も市ノ瀬家にお世話になっていて舌が肥えている。
素材にもこだわり抜いているのが分かる。
普段家庭で出る品質よりも二段階程上だろうと予測。
本気で勝ちに来ているのがわかって僕もちょっと頬が緩む。
「うん。大体わかった」
と、春人さんは先に食べ終えスプーンをそっと置いた。
それから僕の出した皿に手をつける。
「じゃあ、次は渉」
「うっす。お願いします」
「先輩、私のも」
「あいよ」
ホールで作ってそれを切り分けるだけ。
夏菜にも寸分違わず同じ物を差し出すと、彼女は首を傾げる。
「ずっと練習していたあれじゃないんですね」
「あぁアレね」
僕から見える夏菜を模った物。
名前をつけるなら夏の花といったところか。
「まぁそれは明日のお楽しみということで」
「はぁ、わかりました」
納得いかなような仕草を見せた。
理由はわかる。
何度も作ったケーキ達に比べると、僕が春人さんたちに出したケーキは平凡。
持てる限りの技術を注いだが、それでも比べてしまうと見劣りしてしまう。
ケーキだけではない。
夏菜のメニュー。
素材にこだわり、手間を掛けている。
見てわかるレベルでの差。
親子が同時に僕のケーキを手に取る。
春人さんは相変わらず何も言わず無言のまま咀嚼。
夏菜は一口食べるとすぐに手が止まり僕を睨む。
言いたいことは伝わる。
指先がこめかみに触れている。
「ふざけてます?」
夏菜の声が低い。
僕が手を抜いたように感じられて、本気で怒っている。
けれど、すぐに表情は緩和。
「いえ、すみません」
と、一言謝罪を述べた。
「ですよね……、先輩が勝負事で手を抜くとは思えません。考えずともわかることなのに、どうやら私も熱を上げすぎたみたいですね」
「そっか」
冷静になった彼女でもまだ疑問が残っているようだ。
「本当にこれで勝てると? 先輩も食べたのでおわかりかと思いますが、先輩がこれまでに食した物の中でも一番美味しいと思える物を作ったはずです」
「僕らは審査を受ける側だ。もし、これで夏菜に勝てなかったら僕の落ち度だ」
「それもそうですね」
「もう勝ったつもりか?」
「いえ、先輩相手に油断するほうが馬鹿なので」
会話はなくなり、春人さんの皿も空になる。
口元を拭き、彼が次に口を開くのを緊張しながら待つ。
ゆっくりとしたその動きが、時が止まったと勘違いするほどスローモーションに見える。彼が動く度に心拍数が上がっていくのを実感する。
散々努力してきた結果が出る。
今まで結果はすぐに自分に帰ってくるものだった。
スコアとして表れ優劣がすぐに決する。
が、今回は他人が決める。
自分の能力に他人が点数をつける。
緊張してもしかなたないことだった。
「さて、結論から言おう」
春人さんが水を飲み、そっとテーブルに置く。
「カフェのオーナーとしての独断と偏見、採点は公平にしたつもりだ。勝者は――」
気をつけたつもりでも油断してたからそうなのか、マスクをつける人が減ったからそうなのか。
コロナになるとは思わなかったです。
医者によると実際に患者は増えているらしいので、お気をつけて。




