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夏の花⑥

 落ち着いた外観に落ち着いた内装。

 日当たりのいい席から少し離れてお店の隅。

 お店全体を一方的に見渡せる席が僕のお気に入り。


 カフェ・ダリア。

 春人さんの営む喫茶店。

 外の暑さから守られるように、中の空調は静かで涼しく快適。


 静けさの中に人の息遣いと食器同士が当たる小さな音。

 漂う香りはコーヒーの芳醇な物がメインで、ここに通うようになって僕もコーヒーが美味しいと知った。


 中学生が通ってもお腹いっぱいになるほどリーズナブル。

 偏った学生時代の食事を支えていたのは間違いなくこのお店だった。

 迎え入れる春人さんの優しさと温かさもまたこのカフェの居心地を良くするもの。


「珍しいな、お前が客としてこの店に来るなんて。しかも夏菜を連れてデートしに来る場所でもないだろう」

「働く側でしたからね」


 自分の娘とか家族でなければデートスポットとしても問題ないカフェではあると思う。


「で、今日は何にする?」


 メニューは頭に入っている。


「カルボナーラとブレンドコーヒーで、スイーツは後でまた注文します。夏菜は?」

「オムライスとアールグレイで」

「ドリンクは自分で淹れろ」

「お客さんに向かってとんでも無いこと言いますね」

「お前ら半分客じゃないだろ」

「めちゃくちゃ暴論」

「お前らから金取るつもりないから、客じゃないだろ」

「いや、払いますよ」

「馬鹿言え、自分の子供からお金を取る親がいるかっての」

「たかってるみたいで嫌なんですが」

「ばーかっ、お前に子供出来たら渉もお金取らないって。親ってそういうもんだ。だから気にするな」


 ここで駄々をこねても困らせるだけだし、春人さんは譲らないだろう。


「ありがとうございます」

「おう、それで良い。じゃあ、ドリンクは自分で淹れて待ってろ」

「うっす」


 彼は満足そうに頷き厨房へと歩いていく。

 バイトの子が居たにも関わらず接客してくれたことにも感謝だ。


「私が淹れて来ましょうか?」

「いや僕が淹れる。この店でコーヒー淹れるのも久しぶりだし」


 今の職場よりも慣れた場所である。

 どこに何があるのか理解している。

 蒸らす時間は暇でカウンターの中をぼんやりと見回すと、ショーケースの中で艶やかに並ぶスイーツが目に入る。


 今泉さんの叔父さんが卸しているケーキ。

 当たり前だが春人さんが仕入れている時点で味は保証済み。

 しかもどれもが五百円以内。

 ニーズに合わせた値段設定。

 仕入れ値も知っているから、いくらの儲けまでも知ってしまっている。


 意識を目の前の物に移す。

 最近チョコレートケーキばかりだったから、シンプルにショートケーキでも食べようか。

 そう決めて、丁度いいタイミングの紅茶をポットからカップへと注ぐ。先に抽出していたコーヒーとともに移動する。アールグレイの独特の香り高い紅茶を夏菜の手元に置いた。

 夏菜からのお礼を受け取りつつ隣に座り直す。


「ケーキ、何を食べるか決めました?」


 僕がショーケースを凝視していたからの質問。

 なんだか恥ずかしい。


「うん。苺のショートケーキ」

「先輩って苺を最後まで残すタイプですよね」

「そうだね」

「知ってますか? 苺を最後まで残す人って大事なモノを最後まで大切にする人だって」

「へぇ……、知らなかった」

「今思いついたんですけどね」


 心理テストだろうか。

 彼女が言うのだからそうなんだろうなって勝手に納得してしまった。


「騙された」

「先輩って素直ですよね。でも、適当に言ったつもりじゃなくて本当にそうじゃないかって」

「というと?」

「私も同じで。そして家族もそうです」

「そう言われると余計に説得力が」


 注文した食事が届くまで雑談に花を咲かせる。

 僕は大学に夏菜は高校生で、二人で会う時間は一年前に比べれば大分減ってしまった。

 だけれど週末に会うと、取りとめない会話ですら楽しい。


 春人さんではなく見知らぬバイトの子が僕らに食事を届けてくれて、それからは静かに食事を楽しんだ。

 一足先に僕は食べ終わり、その子にショートケーキとコーヒーのおかわりを頼んだ。

 先にケーキが僕の前に鎮座する。


 輝く苺が白いクリームに映える。

 控え目な甘さで、苺の甘酸っぱさと溶け合う。


「本当に美味しそうに食べますね」

「一口食べる?」

「はい」


 小さく切り取り彼女に口に運ぼうとするが、夏菜は手のひらで静止させる。


「こちらのほうを頂きます」


 そう言うと夏菜のしなやかな指先が僕の唇の横に触れて、クリームをすくいそのまま自身の口へと運び、「あむ」と言う言葉の後に指先を舐める姿。


「美味しいです」

「絶対普通に食べたほうが美味しいだろ」

「先輩はロマンがないですね」

「いやぁ、見てみ春人さんの顔」

「……? いつも通りの間抜けな顔してますよ」

「僕らを見て間が抜けたんだろうね……。いつになくいい笑顔を浮かべてるよ」

「あの人も母さんとやっているんですからいいんじゃないですか? 先輩が引っ越してから、あれ見ると無償に腹が立つんですよね」


 そんな事を言われても困る。

 でも想像できるなぁ。


 夏菜も紅茶のおかわりを注文し、今度は自分で淹れに行ってしまった。

 彼女は現役で働いているので、バイトの子とも二言程度話しているようだった。


「渉が心配するかと思って女の子しか入れてないからな」


 入れ替わるように春人さんが目の前の席に座った。

 手にはコーヒーを持っており、行儀悪いが啜る音が聞こえる。


「春人さんの趣味だったりします?」

「お前冗談でも言うなよっ。冬乃に聞かれたらとんでもないお仕置きされるんだからな。冬乃の遺伝子を継いだ夏菜と付き合ってるならわかるだろ?」

「……、お互いこういう冗談は言わないようにしましょう」

「だろ?」


 僕も春人さんもコーヒーを飲む。


「で、どうしたんだ?」

「考え事するためっすかね」

「答えは見つかったのか?」

「案外、この店に来たらすぐにみつりましたよ」


 ヒントはこの店だけではなく、今泉さんの洋菓子店にもあり、それに気づくかどうかは見ようとしないとわからないことでもあった。

 当たり前過ぎて気づくのが遅かった。

 だとすれば確かに僕のチョコレートケーキはあの店では売れない。


「良かったじゃないか」

「ですねー。でも、またやり直しっす」


 望むところではあるが。

 期間の残り時間は少ない。

 僕にやれることとすれば基本を積み上げるだけ。

 今まで努力した物は決して裏切らなくて、土台が着実に強固になっている。


「春人さん七月六日、よろしくお願いしますね」

「どっちにも媚びないからな。あくまで審査は公平にするから」


 だからこそ彼にお願いした。


「お前らの今回の勝負って先を見据えつつ、今を楽しむって感じでいいな」

「わりと思いつきですけどね」

「夏菜もバイト休みの日は色々と試行錯誤してるぞ。内容まで言わないが」

「彼女も楽しんでます?」

「あぁ、俺とまともに調理とかレシピの会話を毎日する程度にはな」

「なら良かった」


 僕が楽しいだけで、彼女が嫌がってたらなんの意味もないしな。

 無理やり付き合わせているようなもんだし。

 うん、良かった。


「なんの話しですか?」


 タイミングよく夏菜が戻ってくる。


「探しものはなんですかって話」

「見つけにくいものだったんですか」

「よく知ってるね……」

「流石にこれぐらいは。先輩のチョイスはいつも謎ですが」

「それは言わないで、最近曲とかってあんまり聴かないから」


 何かノリについていけない。

 SNSで消化されていく楽曲を見ると萎える。今のトレンドはいかにその場でバズらせるかということを念頭に置かれている。


「で、お前らアパートに戻るのか? それともこっちに帰ってくるのか?」

「夏菜はどうしたい?」

「私はどちらの家でやることは変わらないので、先輩はいいんですか? やりたことが出来たんだと思ってましたが」

「まぁーね」

「それでも私を優先していただけるのはありがたいですが」

「あと、やっぱり市ノ瀬の家が落ち着くからもあるんだよねぇ。悩みどころだよ」

「先輩の家でもありますからね。落ち着くのは当たり前ですよ」

「そんなものか」

「えぇ」

「なら完全に今日はオフ日でダラッと過ごしてみようか」

「そんな日があってもいいですね」



 ※



 空は悲しげな表情を見せており、テレビの情報通りに梅雨はまだ明けていないようだった。

 今年は比較的、青空が広がっている景色が多く過ごしやすいと思っていたが、休日の雨であれば雨音をBGMにした、穏やかな日を過ごすのも嫌いじゃない。


 遅く起きた朝は雨が屋根を叩く音が続いてた。

 雨が外の騒々しさを吸収しているのか、しっとりとしていて静かで雨音しか聞こえない。

 隣を見ても彼女の顔はなく、布団の中がもぞもぞと蠢いている。


 夏から秋にかけては彼女も寝起きは悪くなく、中で丸まって眠っており横向きに眠っていた僕のお腹のあたりすぽっと入り込んでいる。

 お腹が温かいというか暑いので、そろそろ起きるんじゃないかなぁーって、思ってるうちに布団の端から僕の頭の反対側から赤茶色の髪が出てきた。


 どうやって寝たらそうなるだよと思うものの、まぁいつものことだしなぁー……。


「……」


 寝癖でぐねぐねした前髪の隙間から、いつもの半分以下しか開いていないタレ目がこちらを向く。ちょっとだけ嗜虐心を煽る顔つき。

 鼻筋がまっすぐ通っている彼女の先端を、身体を起こして突く。


 口を開いたり閉じたりしているので、何か言いたげではあるがその声は音にもなっていなかった。

 四方八方に飛び出た寝癖を手ぐしで整えてあげると、気持ちよさそうにしながら近づいてきて、身を預けてきた。


 ベッドの脇に移動してスペースを作ってあげると、膝に頭を乗せてくるのでそのまま優しく撫で回していると、動物でも飼っている気分になってくる。

 夏菜の文化祭にでも遊びに行けば、またシロと戯れることも出来るかな。

 猫カフェに彼女と行っても、集られる僕と無視される夏菜という構図が出来上がるだけ。

 なんだかんだ夏菜も楽しそうだったけど、求めているのはそれじゃないと思った。


 脚が痺れてきた頃、目線を下げると完全に目が冷めた夏菜と視線が合う。

 話しかけると無視されたので、もう暫くこのままで居たいらしい。


 三十分後、本当にそろそろ限界がきて夏菜の肩を叩くと渋々ながら頭を下ろしてくれた。

 なんで僕が悪いみたいな雰囲気なんだろうか。

 整った顔で無言の圧力を受けると、本当に僕が悪いみたいな気がしてくる。

 美人が得ってそういう意味か。


「なんだか、変なこと考えてません?」

「そんなことないよ。美人だなーって思っただけ」

「ふ~ん。先輩のことだから嘘は言ってないんでしょうけれど」


 嘘を言ってもバレるしね。

 それはお互い様である。


「にしても、もう六月も終わりますね」

「だねぇ」


 梅雨があければ夏真っ盛りだ。

 濃い濃い青。

 風鈴の音チリンと鳴り、たまに吹く涼しい風に青い匂いが混じれば夏が始まる合図。


「なんでしょうね」


 静かな声が戸惑いを乗せる。


「独身でいられる時間があと少しだと考えると、不思議と寂しいって感じてしまいますね」

「僕はその間、覚悟と責任を負うための準備だって思ってた」

「先輩はすごいですね」

「そうでもないよ。普通の日も特別な日も隣には夏菜がいるから大事な思い出なのは変わりないけれどね」

「……先輩は変わらないですね」

「変わったよ」


 夏菜がベッドから起き上がり、正面に座り直す。

 真面目な顔つき。


「確かに髪、伸びましたね」

「あ、そっち?」


 彼女が手を伸ばして前髪をいじる。

 確かに邪魔だなぁと感じ始めた頃合い。


「冗談です。思ったことを素直に、素敵な言葉で伝えてくれるっていう先輩の良さでもあり、悪さでもあるところが」

「悪いところでもあるんだ」

「えぇ、その言葉の先は私だけにして欲しいって、ちょっとだけ我儘を」

「我儘でもなんでもないけど、それが出来るかどうかは頑張り次第ということで」


 相手の意図を汲み、自分の心根を伝える。

 それが大事であり、我儘なんてことはない。


「期待してます。それはそれとして、先輩の髪。私が切りましょうか?」

「出来るの?」

「出来ないとお思いですか?」


 そう言うと準備をし始める。

 タオルを僕の首に巻き洗濯バサミで止める。

 フローリングの上に新聞を乗せ、その上に椅子を設置した。

 僕が椅子に座ると彼女は引き出しから普通のハサミを取り出す。


 鏡越しに映った髪をスプレーで濡らし、髪を一房取りまとめて切り出した。

 いくら夏菜でもちょっとだけ心配。

 ただそんな心配を他所に丁寧にしかも手早く綺麗にカットしていく。


「少し短くして整えるぐらいでいいですよね」

「うん」


 気心しれた相手に髪を弄られるというのは、かなり気持ちがいいもので朝から得した気分になる。夏菜のことをペットに比喩したが人のことを言えないのは、ここでも同じらしい。


「前に私の髪をアレンジしてもらった事あったじゃないですか?」

「編み込みカチューシャ?」


 僕はそれしか出来ないんだけれどね。


「そうです。あの時から私も似たようなことしたいなーって思っていたんですが、それが叶いましたね」

「予想以上に上手くて安心した」

「練習しましたから。いきなりの本番で先輩で試すわけないじゃないですか」

「でもバスケの試合の時、ぶっつけ本番じゃなかった?」

「それは……。ああでもしないと負けると思ったからですよ」

「センスに負けたわけか」


 ならしょうが無い。

 僕も最後の戦いは拮抗していた。

 お互いに死力を尽くしたと言っても過言ではなかった。

 いっそ清々しいや。


「はい、終わりです」


 夏菜が机に向かい、小さなポーチを手にして戻ってくると、中からスタンドにもなるタイプの折りたたみ式の鏡を取り出した。それを僕の後ろで開いて、合わせ鏡にして見せてくれる。


「ありがとう。すっきりした」

「いえ。私がやりたいと思っただけですから」

「また頼むかも」

「はい。お待ちしております」


 二人で片付けを行う。

 準備するよりもあっという間に終わり、静かな時間が流れる。

 しとしとと落ちる雨の音が世界を支配していた。


 ベッドに腰掛け、指先同士を重ねるだけの触れ合い。

 たまにはこういうのいいなぁ……、心の内だけ呟く。


「先程の話に戻るのですが」

「うん」

「先輩は私との結婚に不安とかはないのでしょうか」


 ただの意思確認。


「不安はないけど、少しだけ重く受け止めてる」


 僕もまた正直に話す。


「きっと僕らは結婚してもしなくても関係は変わらない。でも、一枚の紙切れによる責任は互いに伸し掛かるものだと思う。でも、相手の責任を負えるって凄いことだよね。赤の他人同士が相手を想いあって出来た関係性……」


 いや、よく考えたら。

 気づかないだけ、知らないだけで交際していても責任は負っているのかもしれない。

 相手の時間を貰っている。


「結婚しなくても幸せになれる時代に君と結婚出来ることが僕の幸せの一つだから」

「……先輩ってたまに良いこと言いますね」

「たまにでも良いこと言えてるいるのであれば良かったな」

「んふ」


 来週はついに七月にはいる。

 今まで準備してきたものを出し尽くす。

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