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夏の花⑤

 薄着の上からエプロンを羽織り、キッチンに立つ夏菜の姿。

 後ろから見える分には良いが、前から見ると裸エプロンに見える具合。

 昔も似たことを思った気がするが、成長するにつれて更に艷やかになる彼女のせいで妙に緊張する時があったりする。


「噂以上に夏菜ちゃんって綺麗で可愛くてびっくりした」


 水出しコーヒーを彼女の分まで入れてテーブルの席に着くと、対面に座った今泉さんが夏菜の感想を口出してきた。


「しかも頭もいいんでしょ? バグってない」

「壊れてますね」

「君も大概だけどね……」

「まぁ、先にアレを見ると霞みますけどね」


 僕のは完全に努力の結晶。

 繰り返し何度もやらないと身につかない僕が必死で磨いてきた武器。

 いっせーのーせ、で同じ物チャレンジしても差が開く。

 僕が一覚える間に十もいってしまう。


「でも渉くん運動出来るじゃん」

「夏菜も出来ますよ。なんなら一度も勝ったことないし」


 もしかしたらバスケではもう勝てるかもしれないが、それは男女の差。

 それも生まれ持っての才能の一つかもしれない。でも、公式でもあるようにスポーツは基本男女ともに分かれる。

 つまり公平ではないということ。


 今更何を言ってるんだと思われるかもしれない。

 僕が満足出来ないだけ。


「……化け物?」

「だから凄いんですよ」


 女の子に使う言葉としては間違っている気がするが化け物類ではある。


「でも普通の女の子に違いはないです」


 感動する映画を見れば泣くし、和製ホラーが苦手でビビり散らかすし、理不尽な物を見れば憤る。


「しかもなにあれ」


 今泉さんの視線を追って行き着く先は夏菜の豊かな胸。ついでに下へと移動して尻まで見ている。


「ばっかでかい。触り心地よさそう」


 今泉さんが虚空を手で揉む仕草を見せた。

 是非ともやめて頂きたい。

 夏菜よりも大きい人は冬乃さんぐらいしか見たことない。

 そもそも女性の胸を凝視することなんてないし、他人と比較することもなかった。


 大は小を兼ねると言うが、大きさも程々が良いような気もする。


 運動していても肩が凝ると言うし、何より一番驚いたのは食事をする前に調味料を取ってほしいと夏菜に頼んだ時のことである。

 僕は座っていて、夏菜はカウンター前に立っていた。

 彼女が僕がお願いした醤油の入った容器を手に取り振り返った瞬間、遅れてやってきた胸に顔を思い切りビンタされ椅子からコケたことがあった。

 当時の記憶を思い起こし、思わず自分の頬を擦ってしまった。


「小玉メロンぐらいあるんじゃない?」

「……」


 最近というより洋菓子店に勤めてよく目にするから余計にわかりやすかった。

 ちょうど今が旬ということもあり、メロンを使ったフルーツタルトにも使っている。サイズもさることながら重さも似ている。


「普段から見てるからって反応わかりやすいよ」


 答えづらくて無言を貫く僕だったが、構わず今泉さんは続ける。


「そこそこ自信のある女のわたしから見てもあの子は勝てないってレベルの容姿してるから、鼻が高いんじゃないの? 彼氏として」

「どうですかね。見た目で好きになったわけじゃないですし。あ、勿論今は容姿も含めて大好きですよ」


 見た目が誇らしいというより、存在そのものが誇らしい。

 そして隣にいて愛されている実感。

 支えて支えられる関係性になりたい。

 健康的な後ろ姿を眺めながらそう思う。

 彼女が急に振り返り、半眼でこちらを睨んできた。


「二人とも聞こえてますからね」


 垂れた横髪を耳に掛ける仕草を見せると、綺麗に赤く染まっていた。

 この耳は一番夏菜の見た目でわかりやすい表情をしている。


「夏菜ちゃんも愛されてて良かったね」

「……まぁ、先輩が私を愛していることぐらい知ってますよ」


 少しドヤ顔の誇らしげなレア表情。

 それがなんだとばかりにうっすらと毒を忍ばせる夏菜。

 あれで一応威嚇しているらしい。


 そんなことを言いながらも木製のトレーに夕飯を並べ、テーブルまで運んできてくれる。

 本日の献立は焼き鮭の炊き込みご飯とお味噌汁。

 豚バラ肉と大根にじゃがいもの煮物。

 後はほうれん草のおひたしというザ和食。

 魚が苦手な僕でも鮭フレークのような物は食べられるので炊き込みご飯にしてくれたようだ。


「今泉さんのは申し訳ないんですが、有り合わせです」


 玄関先で圧力のあった自己紹介があり、僕とどういう関係なのか理解し何故家に来たのかという理由まで伝えてある。

 連絡を出来なかったことについても謝りはしたが、単純にバッテリーが切れただけということでお叱りはなく、単純に心配したということをそれとなく言われて申し訳なかった。


「用意してくれるだけでありがたいよ。ありがとう、夏菜ちゃん」

「いえ、料理は好きなので構いませんが」


 少し含みを持たせる夏菜。


「どうしたの? 夏菜ちゃん」

「お礼というか、食事を出すので引き換えに職場での先輩の話を聞きたいと思いまして」

「ほほ~ん」


 夏菜と話しているのに、今泉さんのねちっこい視線がこちらに牙をむく。職場で頼りがいのある人なのにプラベートでは中々いい性格。


「相思相愛ってこういうことか」

「はい。そうですよ」


 夏菜が答えた。

 それも自信満々に。


「それで、職場の先輩ってどんな感じなんでしょうか」

「そうだねぇ、仕事中の渉くんはなんか瞳が綺麗だよね。新しいことを教えると、もうキラキラになって夢中になっちゃうんだよね」

「ぁぁ」


 思うことがあったのか、夏菜は惚けたような声をあげる。


「集中してるとこっちの声が聞こえてないっていうか、あの姿を見せられるとこっちも黙ってしまうというか目を離せなくなるんだよね。本当に不思議な子って印象かな」

「んふふ」


 夏菜が嬉しそうに喜びの笑みを浮かべるのと引き換えに、今泉さんが困惑の表情を見せる。僕も似たような顔をしていそう。


「あ、やっぱり嬉しくないです」

「急な意見の変更……」

「よく考えたら、私だけに見せる先輩の姿ってなくないですか?」


 拗ねたように唇を尖らせる勢い。


「そんなことないと思うけどなぁ」


 どんな時と言われても思い浮かばないが、彼女の前では完全に気を緩ませている。ともすれば緩みきった僕を見せるのは夏菜だけじゃないだろうか。


「あ、一つだけありました」

「何?」

「私を虐めているときの嬉しそうな顔ですよ」

「確かに恋人以上の関係にしか見せない顔だね……。それを言ったら夏菜だってそうだし」


 静かに話を聞いていた今泉さんの目が冷たい。

 視線を避けるように手を合わせて、夏菜の作ってくれた夕飯に手を付けた。

 いただきます。


「母さんと父さんにも私たちに見せない、二人だけの顔ってあるんでしょうね」

「……なんか想像しちゃったんだけど」

「どっちを?」

「言いたくない」


 勿論どちらもだよ。

 世話になっている年上の人の夜を想像するとなんとも言えない気持ちになる。


「まぁ私は子供の頃に見てしまったんですけどね」

「トラウマにならなかった?」

「性の知識もない頃だったんで、喧嘩してるのかと思って泣いちゃいましたね」

「なにその可愛いエピソード」


 僕にとってのトラウマの一つ。

 母親と他人の情事。

 当時は母親が喜んでいるからという理由で遊んでいると思ってたっけ。

 ……こんな会話をするまでトラウマだった物を思い出すとは思わなかった。

 知らない間に完全に克服出来ていたようだ。

 なんかそんな過去があったなぁーと、今日のようにたまに思い出すぐらいになるのだろう。


「どうしました先輩?」

「なんにも」

「変な先輩」

「いつもありがとうな」

「ほんと、変な先輩」


 夏菜の指が愛おしそうに僕の唇に触れた。


「こちらこそ。とだけは言わせてもらいます」


 お互いに無言で見つめ合う。

 短い時間。

 夏菜の表情が変わり、何かを思いついたようだ。


「はい、あ~ん」


 迷うことなく口に入れて咀嚼する。


「うまっ」


 今泉さんのジト目が突き刺さる。

 今まで長い付き合いになった夏菜にあ~んしてもらったのは初めてであり、そのことに幸福を覚えていたので些細な問題。

 しかし、よくある構図なのにどうして今までしたことなかったのだろう。恋人同士ですることって案外取りこぼしているのかもしれない。


「おほんっ。わたしのこと忘れてない? なんで他人のイチャつきを見せられないといけないのかという疑問が残るけれど……、貴方たちの聖域にお邪魔してるのはこっちだものね」


 随分遠い目をする。


「忘れてませんよ。貴女が居ても私と先輩はいつもこんな風なので」

「当てられたのか、二人を見ているとちょっとだけ羨ましい気持ちになるわね」

「そうですか?」

「えぇ、友達を見ていてもそうは思わなかったし、自分の恋愛もこうじゃなかったし。ちゃんと向き合えばこんな光景があったのかなぁーって今になって思う」

「どうでしょう」


 それにしても夏菜が初対面の人にこんなに話しをするのは結構意外。

 僕は夕飯に集中して味わいつつ、二人の会話に耳を傾けることにした。


「まぁ、ないものねだりしてもねぇ。わたしには仕事があるし」

「仕事に生きるってそれはそれで私は尊敬しますけど。私は強欲なのでどちらも欲してますし」

「おぉ、噂の夏菜ちゃんに褒められるって結構レアでは?」

「私は結構褒めるタイプですよ」


 褒めるべき相手が少ないと言いたいらしい。


「仕事に生きるとか格好いい女目指すかぁー」

「応援しますよ」

「夏菜ちゃんは恋に生きる女って感じ?」

「間違ってはないですけど……。ちょっと嫌ですね、その言い方だと」

「恋多き女って感じで?」

「そうです」

「わたしの周りは皆そっち系ばっかだけどね。一度きりの人生好きなことしなきゃ損だって言ってさぁー」

「そうですか」


 夏菜がつまらなそうな顔する。


「私は生涯一人の男性を愛し続けたって方が格好いいと思いますけどね。一度きりの人生だからこそ、後悔のないように言うには賛同しますが。でも、それを言う人たちって基本的には信用できませんけどね。その人のほうが後悔する選択肢とってそうで。自分の汚さを肯定する詭弁にしているような気がして」

「そう言えるのは夏菜ちゃんみたいに意思が強い人ぐらいじゃない?」

「そんなもんですかね。うちの母さんもずっと父さんのことを唯一人だけ愛していますし」

「本当に良い家庭で育ったのね」

「それはそう思います」


 ちらりと夏菜がこちらを向いた。

 比較対象は僕。

 その幸せな家族のおすそ分けを貰えている身としては何も言うことはない。

 不幸があったからこそ、幸せを夏菜以上に実感出来ると自負している。


「人の意思って結構弱いものだと思うんだよね。快楽に流されやすいというか、楽しそうなことあったらやるべきことを後回しにして」

「先輩から聞いてますよ。今泉さんはずっと菓子職人を幼い頃から目指してたって」

「それが?」

「それこそ意思の強さだと思います。まだ私は道半ばですし叶えられる自信もあります。ですが、私の場合は一人ではなく二人の夢。それを今泉さんは一人で叶えたわけですよね」

「環境が良かったのはあるかもね。叔父さんがパティシエだったから」

「それでも叶えられたのは今泉さんの強さですよ。夢を叶える一番の失敗って、それこそ意思の弱さだと思います。今日はいいや、明日からにしようから始まって。遊ぶの楽しいし、いつだって練習が出来る。そんな気持ちから夢は遠ざかるんだと……、先輩を見ていてそう感じました。だからこそ、彼に負けないようにっていつも考えています」


 ……え、僕?

 急に呼ばれたことで驚いた。

 今泉さんも視線を流して僕を見る。


「ごちそうさま。結局そこに繋がるのね」


 不貞腐れたように差し出された夕食を口にいれた。


「あ、おいし……。こんだけ美味しいとお酒欲しくなってくるわね」


 冷蔵庫の残りで作った物として出来上がったのはおつまみのような物。

 よく春人さんが冬乃さんに作っていたのを思い出す品。


「よければ僕が買ってきましょうか? コンビニ近いですし」

「行くなら自分で行くよー。場所を教えてもらえたら」

「女性を夜に一人で買いに行かせるのはちょっと……」


 だから家まで送ろうとして、結果こうなった訳だし。

 今にして思うと送り届けようと考えた自分に称賛。

 鍵をなくすなんて思ってもみなかった。


「聞いた? 夏菜ちゃん。この子ナチュラルにこんな事言うんだよ」

「知ってますよ。誰に対してもこうなんですから」

「いやだって、そうじゃない?」


 二人がこういうモノだから反論しておいた。

 男だったら勝手にしろと言うし。


「それをナチュラルに言えるところが先輩の良さですよ」

「良いところではあると思うよ。わたしの帰り際送るって言ってくれた時もこんな感じだったし、でも彼女としてはいいのかな?」


 ……気まず。

 席を立って財布をポケットに仕舞う。


「日本酒かビールだったらなんでもいいから」

「おっけーす。夏菜は?」

「明日の朝食用のパンか何かあれば助かります」

「あいよ」


 僕が部屋から出ていくと、後ろから「逃げたわね」「逃げましたね」という二人の会話が聞こえてくる。

 短時間で仲良くなりすぎでは。



 コンビニで日本酒と朝食用の菓子パン、後は粉末スープを購入。

 家に帰ると二人はまだ会話をしていたようで、リビングに繋がる扉の前から声は聞こえていた。

 今泉さんは料理に手を付けず残していたようで、僕がリビングに入ると待ってましたとばかりに出迎えてくれた。


「あ、そうそう。渉くん、明日休みでいいわよ」

「突然ですね」

「考えたいこともあるでしょ?」

「そうですね」


 コンペ、不合格。

 その理由を探りたいので休みの提案はありがたかった。


「あと、君。バイトなのに入りすぎて、このまま行くと税金が掛かるから」


 そっちが大部分の理由っぽいな。



 ※



 食事が終わりテーブルの上を片付け、更にはテーブルごと隅に移動させる。


「夏菜、お願い」

「はい」


 素直に彼女は寝室に向かい、布団を一式持ってくると僕が開けたスペースに敷き始めた。

 僕はその間に食器を洗い流す。

 夏菜がいるだけなら予備の布団なんて用意しなくてもいいのだけれど、たまに冬乃さんたちが様子を見るために一緒に来ていたりして、泊まることもあり用意しておいたものだった。


「今泉さんは先にお風呂にどうぞ」


 布団を敷き終え、夏菜が今泉さんを促す。


「先輩は私と入りましょうね」

「……うん」

「アンタたちいつも一緒に入ってるの?」

「いや、今日は時間的都合で」


 誤解がないよう僕が伝える。


「……まぁ夏菜ちゃんはともかくとしてわたしたちは朝早いものね」

「そんなとこっす。そんなわけで今泉さんはごゆっくり」

「ありがと」

「いえいえ。適当に僕の服を夏菜に持っていかせるので、それに着替えてください」

「いえ、私の着替えがあるのでそちらで」


 一瞬入らないんじゃないかって思っていたが、夏菜の服って基本オーバーサイズが多く、男性物も愛用しているから問題ない。


「あはは、夏菜ちゃんわかりやすい」


 残された夏菜が赤面しつつ気色ばむ。

 そんな彼女を見つめてみると、当たり前のように視線に気づき、逃げるようにして着替えを準備しに寝室へと消えてしまった。

 あとで一緒に入るんだから顔を合わせるんだけどな。


 寝室と浴室を往復し、僕の隣に座った頃には顔の赤みが取れて落ち着きを見せた。

 ただ顔を見せないようにぴたりと張り付くように。


 土日、どちらかしていた僕たち。

 どちらの日もということも多々あるが。


「今日はなしだからね」

「……何も言ってませんよ」


 図星だったらしい。

 仕草が雄弁に語っている。


「夏菜の頼みなら出来る限りのことをして叶えたいと思ってるけれど。またの機会にね」

「そういう事を言うからしたくなるって理解してます?」

「え、僕が悪いの?」

「当たり前じゃないですか。何言ってるんですか、この人」

「辛辣だなぁ」


 久々に聞いたな夏菜のこの口調。


「抱き合って眠るぐらいはいいですよね?」

「それなら……、やっぱり駄目」

「なんでですか」

「なんでって……」

「結構譲歩したつもりだったのですが」

「わかってるよ。でも、ただ抱き合うだけで我慢できなくなるのが見えてる」


 夏菜は何も言わず目をそらした。

 それが本命だったらしい。譲歩したように見せかけて全然譲るつもりがないっていう。

 スプリングを利用して飛び上がるとキッチンへと向かう。


「今から作るんですか?」

「うん。今日ダメ出し食らったからね、出来ることをやらないと」

「はい。では、今泉さんが出てきたら教えますね」

「さんきゅ」


 材料を並べる。

 揃ってるか、必要な分量だけあるのか確認し、作ろうかとエプロンを着用し意気込む。


「そうだ、夏菜」


 こちらを見て首を横に傾ける。


「明日ダリアに行こうと思うんだけれど」

「父さんのお店ですか?」

「うん、考え事する時はいつも春人さんの淹れてくれたコーヒーを飲みながらだったし、気分転換にもいいかなって」

「わかりました。父さんも喜ぶと思います」

「じゃあ、明日起こすからね」

「……はい、頑張ります」

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