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夏の花④

「どうですか?」


 今泉さんが経営する洋菓子店の厨房。

 営業は終わり、この厨房以外は寝静まっている。


 静かな洋菓子店。

 今は二人の息遣いと設備の駆動音だけが聞こえる。


 出来たばかりのケーキを試食してもらう。


 光の加減でルビーのように赤くも見えるが、オニキスのように黒く輝くチョコレートのコーティング。その上に川が流れるように粉砂糖を振りかける。

 フォークでケーキに切り込みを入れると少し酸味の強い、けれどしっかりと甘さも残るラズベリージャムが流れる。表層が甘い作りになっているため、スポンジにも層を作りそこにもラズベリーを挟んで甘さの均衡を保つ。


 見た目はシンプルめな作りながら、素材を最大限引き出すために労力を割いた円形のチョコレートケーキ。

 今僕に出来ることをつぎ込んだ自信作。


「仄かにバニラの香り。これは表面のコーティングするチョコだけに香りを混ぜているのね。モチーフは七夕かしら?」

「っすね」


 夏菜と言えばバニラムスク。

 甘いが艶っぽい香りが特徴だと思う。

 この香りを嗅いでしまうと、彼女が傍にいなくても連想して彼女を浮かべてしまう魔性の香り。


 粉砂糖の川は、今泉さんが言う通り天の川をイメージした。

 その川を挟んで、砂糖を溶かし黄色く着色して固め直した二つの小さな星。


「綺麗にコーティングしてあるし、スポンジには紅茶かな? バニラと紅茶って以外と合うんだね」

「よくわかりますね。バニラムーンっていう紅茶があるぐらいですしね。茶菓子としてチョコレートも出されるので」


 流石というべきか。

 薄っすらと香る程度に押さえているのにすぐにバレる。


「見た目はザッハトルテのそれなのに中は紅茶の風味が混じったスポンジ。三段に切れ込みを入れてラズベリーの層。チョコは甘めで酸味の強いラズベリーで味を整えているのがいいアクセントね。綺麗な外見でありながら、口に入れると優しい味わい。スイーツとして申し分ないと思うわ」


 仕事を初めてそれなりに褒められることはあったが、ここまで絶賛されることに驚いた。

 でもいつも褒められた後に指導が入る。

 ――。


「でも、これは駄目ね。この店じゃ売れない」


 味は保証された、見た目も褒められた。

 だからショックを受ける必要はない。

 また次に繋がる。

 

 プロが言っている事だから根拠がある。

 人だからこそ間違いはあるが、これに限りそんなことはないと理解出来る。


「洋菓子作りを本気でやってるからこそ、起きるミスみたいなものだから。わたしも同じことやらかして叔父さんに言われたことあったなぁー……、懐かしい」


 過去を追想しているようだ。

 今泉さんっていくつなんだろうな。

 見た目若々しいというか、すっごい若い。


 今はどうでもいいか。


 何が駄目だったのか熟考する。

 先程も言われた通り味は保証されたし、見た目も満足いく出来だった。

 勿論改善するべき所は残っているが、それは僕の腕次第なところだ。


「んー……」


 自分で作ったケーキを眺めながら唸ると、今泉さんが苦笑する。


「自分で考えたいみたいだし、いずれわかることだからノーヒントね」

「うっす」


 期限はまだまだあるものの、月末までには完成させたい。

 自宅に戻り、もう一度同じ物を考えながら作ってみようと考える。


「ここまでにしときましょ。遅い時間だし」

「はい。送っていきますよ」


 夜の女性の一人歩きは危ない。

 いくら平和な日本でも変な奴はどこにでもいる。


「送り狼?」

「やっぱり一人で帰ってください」

「冗談だってっ」

「彼女持ちの男子にそういう冗談はやめてください」

「あはは~」


 反省の色が全く見えない。

 鼻歌を歌いながら設備の点検と火元を確認している。

 僕は先にスタッフルームで私服に着替え、一足先に外で待つ。


 湿気の篭ったぬるい風が頬を撫でる。

 そろそろ梅雨入り。

 夜空も雲に隠れて星も月も姿を現さない。


 駐車場に隣接された自動販売機に硬貨を入れ、スポーツドリンクを購入。

 ペットボトルが吐き出されるガコンっという音が閑静な住宅街に響き渡る。

 仕事中は感じていなかった疲労が押し寄せ、深呼吸するとなんとも言えない夏の生暖かい匂いがする。


 記憶の中はいつも、みたいな歌詞を思い出す。

 僕にとっての夏の匂いは夏菜の誕生日である七夕に行われる夏祭り。たこ焼きやお好み焼きなどのソースの匂い。

 祭りに出かける前の市ノ瀬家の庭に植えられたレモンバームの爽やかな香り。


 重たい鉄の扉が閉まる音が聞こえると、ラフな格好になった今泉さんの姿が見えた。

 いつも制服に身を包み仕事中はキリッとした彼女だが、私服になると完全にオフモードで部屋着とさえ思えるパーカーとレギンス。

 長い髪を束ね首筋がすっきりとして見える。


「おまたせ」

「行きますか」


 隙間を開けて隣を歩く。

 今泉さんの自宅は駅近くにあり、職場である洋菓子店とは少し離れている。

 ここは住宅街だが、駅周辺はアパートやマンションが多く、ファミレスや居酒屋なども立ち並ぶ。一人暮らしをするなら駅前に断然あちら側だろう。


「渉くんは夕飯どうする?」

「今日は家に夏菜がいるんで」


 金曜日の夜ということでいつもなら夏菜が家までやってきて準備してくれている。

 今週はゴールデンウィーク明けから金曜日まで期間が短くて、毎日夏菜の手料理を味わえてかなり幸せ。


「君たち付き合ってそれなりに長いでしょ?」

「ですね」


 毎日が楽しいからあんまり長いって感じでもない。


「なんでそんなに仲良いの?」

「なんでって言われても仲が良いからとしか」


 市ノ瀬夫婦なんか一生イチャラブしてるし、実の親含めて僕の比較対象はぶっ壊れている。

 理想の夫婦像として彼らを追えるというのは幸運かもしれない。

 知っているのと知らないとでは全然違う。

 迷いがなくなる。


「わたしの友達とか彼氏の愚痴ばっかり言ってるし、そんなに言うんならさっさと別れろとか思っちゃう」

「はぁ」


 想像出来ず、適当な相槌をうってしまう。


「男の人は友達に彼女の愚痴とかって言うのかな?」

「どうでしょう」


 僕の友人関係は狭い。

 友達と呼べるのは片手で数える程。

 司が雅先輩の愚痴とか言ってるところも見たことがない。


「というか、相手に対して不満とかないですからね」


 盲目的に愛しているというわけではない。

 良いところも悪いところも知って、それでも好きで。まだ知らない何かを知ろうとしてしている。

 譲れない何かは僕にも夏菜にもあるだろうが、お互いに言い合える関係性がある。


 駅前の一つのマンションの前。

 立地は良好。

 夜遅くまで教えてもらっているので、こうやって送り届けるのは常。


 厚いガラスの扉を前にして、今泉さんが焦ったように声をあげる。


「あれ、鍵がないっ」

「……お店においてきたとか?」

「かも」

「それじゃ戻りましょうか。一緒に探しますよ」

「ごめんね」


 来た道を戻り、寝静まった洋菓子店を無理やり起こす。

 スタッフルームに入り、スマホのライトでテーブルの下など暗い場所を照らしても、ただのホコリすらなかった。

 今泉さんが使っているロッカーは彼女が調べているようだが、そちらも当たりがないようで落ち着かない様子だった。

 念のため冷蔵庫の駆動音だけが響く真っ暗な厨房に顔を出したが外れ。


「普段どうやって鍵を保管してるんっすか?」

「うんとね、このキーケースに店の鍵と一緒に束ねてるよ」


 ブランド物だと一目でわかるキーケース。

 夏菜も似たような物を持っていて鞄に仕舞っているのを思い出した。


「あぁ……、これ劣化してフックに隙間が出来てますね」

「ほんとだ」


 洋菓子店を出てまた道を引き返す。

 落としたとするなら店と家を繋ぐ通路になる。

 スマホのライトを相変わらず活用していたが、途中でバッテリーが切れてしまう。あんまり使ってない機能だから、こんなに消耗するとは思わなかった。

 豆に充電するタイプではないし。


 道を照らすのは今泉さんに任せ、彼女の後ろを注意深く眺めながら歩くも結局見つけられずマンションまで辿り着いてしまった。


「うちに来ます?」

「え?」


 このあたりビジネスホテルとかないしなぁ。

 僕がまだ知らないだけかも知れないが。


 ここでお世話になっている女性を放り出すのは気持ち悪い話で、幸い今日は家に夏菜がいるので誘うことにした。


「少し歩きますけど大丈夫ですか」

「やだぁ、連れ込まれちゃう」

「野宿しますか?」


 探せばネカフェぐらいあるだろうけど。


「冗談冗談、夏菜ちゃんがいるの知ってるし」

「本当に勘弁してくださいよ」

「あ、でもわたしが泊まるんだから急におっ始めないでね」

「……大丈夫ですよ」


 流石に夏菜も控える。

 よね……?


「何、その間。やっぱり野宿のほうが良い気がしてきた」



 ※



「ただいま」


 家の扉を開けるなり、とてもラフで肌色の多い夏菜が出迎えてくれる。


「遅かったですね。おかえ――」


 夏菜が固まる。

 それも一瞬で収まり、僕の腕を力強く握ると引き寄せる。

 豊かな双峰に腕が沈み込む。


「私は彼の『彼女』の市ノ瀬夏菜といいますが。失礼ですが、そちらは?」


 普段無表情なのににっこりとした笑顔。

 でも目は笑ってなくて、謎のプレッシャー。


「あはは……」


 今泉さんから乾いた笑い声。


「わたしは渉くんの」

「渉くん?」


 なんでこっち見た。


「柊くんの働いてる店のオーナーです」

「あぁ」


 納得したのか夏菜の笑顔が消えて無表情に戻る。

 無表情より笑顔のほうが怖いってどういうことだよ。


「うちの彼氏がお世話になっております」

「あ、どもども」


 剣呑な雰囲気はかき消えて、夏菜も余裕を取り戻した。

 今泉さんも夏の暑さではない汗を拭いて、ようやく僕たちの家に足を踏み入れた。

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