夏の花②
夏の花と言えば何を思い浮かべるだろう。
例えば太陽のように咲く向日葵。
梅雨に咲く濡れ葉が美しい紫陽花。
百合や桔梗。
少し捻ったところで花火だろうか。
新作スイーツを考えると真っ先に考えた。
綺麗な花。
四季折々と色を変えて色鮮やかな植物たち。
いつも隣に美しく咲き誇る夏生まれの華。
「先輩、考え事をするならお風呂から上がってからにしてください。集中しすぎて周り見えなくなるんですから」
「……はい、すんません」
ちょうど思考の海に潜ろうとしていた。
流石というべきか、僕のことを熟知している。
けれど深く潜らずともイメージが天啓を得たように次々と湧き上がる。
あれもしたい、これもしたいという雑念で形には成りきれていない。
「はい。先輩、湯に浸かりましょうね、そのままだと風邪ひきますよ」
「うっす」
まるで子供扱いだな。
彼女に風呂椅子を受け渡し、言われた通り湯船に浸かる。バスタブから半身を出して頬杖を点きながら身体を洗う姿を眺める。
支えがないというのに……。
いや、そういうことを見たいわけではなく。
夏菜の外見。
彼女をモデルに僕の出来る最高傑作を作り上げる。
だから今まで以上に注意深く見つめる。
これも癖の一つ。
新しく泡立てたボディスポンジを左手にして、右腕を真っ直ぐ伸ばしている。身体を洗う順番はいつも右腕から。正確には頭、顔、右腕の順。
と、前後に動いていた左手が止まる。
「……あの」
「何? 今大事な所なんだけれど」
「そんな真剣に見つめられると、流石の私でも恥ずかしいんですが」
「今見てるの僕だけだよ」
他人には見せたくもないが。
「いや、その。えっと、時と場所と雰囲気を選んでくださいよ」
「今は夜で僕たちの家で二人きりだよ」
「中々意地悪なこと言いますね」
「冗談だよ」
夏菜という存在を改めて考えていただけだし。
「知ってます。あと本気でやりたいわけでもないって」
「そういうわけでもないんだけどね。今日は特に夏菜を感じていたいし。なんだか、好きだって気持ちが溢れてくる」
「ぉおう……。今日の先輩はやっぱり変ですよ? どうしたんですか」
「んー。単純に良いことあっただけ~」
「しかも、いつにも増して緩いですし」
「そっかな」
「そうですよ」
いつにも増してってことは、普段から緩いのか僕。
自分の知らない自分を知ってしまった。
「でも夜の夏菜って参考にならないや」
「……」
ここ数年で鍛えられた表情筋をフル活用した笑顔。
恋人である僕でさえ見惚れるものだったのだけれど、シャワーヘッドがこちらを向く。
「あぶばばば」
って冷水かよ。
「夏菜も僕に遠慮がなくなってきたよね」
「そうですね」
「いや、でももともと遠慮してなかったような」
「どうでしょう」
付き合う以前から人の顔面に足を乗っけるような子だし……。どこから友人との垣根を越えてこうなったのか。最初は他人行儀で距離も遠かった、一緒にいる時間がなくなって言葉が強くなり、ボディタッチも増えた。
ターニングポイントなんてものはなく少しずつ。
肢体を洗っている彼女を眺めることを諦め、肩までしっかりと湯に浸かると小さく長い吐息が漏れた。
夏菜のお気に入りの入浴剤が入っており、リラックス効果のある香りが嗅覚を刺激する。
ほんの僅かにピンク色に染まった湯を手のひらですくい上げては零す。
なんの意味のない仕草を繰り返した。
静かになった浴室。
水滴の音がこだまするように響く。
水面が波打ち、バスタブから湯が流れ落ちる。
「そろそろ上がろっかな」
「はい。それじゃ私も」
「もう少しゆっくりしてていいよ。ご飯自体は出来てるんでしょ? 僕が先にあがって温め直しておくから」
「せっかく一緒に入ってるんですから、最後まで一緒がいいです」
「夏菜ってわりと僕と一緒にお風呂入ろうとするよね」
今日はたまたま僕から誘ったわけだけれど、いつもは夏菜が誘ってくれる。それも頻繁にというわけでもなく一緒に住んでいた時でも月に2,3回ぐらい。彼女は長風呂を好むし、僕と一緒に入ると僕に合わせてしまう。
自分よりも僕を優先してしまう。
でもちゃんと自分も大事にしているから、何も言えないんだよなぁ。
「癒やしの空間に癒やしの存在がいるんですよ。当たり前じゃないですか」
ほら。
言葉にして言わないと伝わない彼女の気持ちを受け取ると僕だって癒やされてしまう。『好き』『愛してる』に上限がないと。
先に湯船が上がり夏菜に手を伸ばす。ぎゅっと強く握られ引っこ抜くように彼女をリードする。腰に手を添えながら脱衣所へ。
お互いに身体を拭き合う。
着替えが個人個人で。
ドライヤーは寝室に置いてあり、僕は普段使わないが彼女用にあるだけ。
化粧品の類も全部寝室に存在しており、タオルを頭に巻いたままの夏菜が寝室へと向かっていく。扉を開いたままで、何をしているのかと眺めていると手招きする彼女に呼ばれた。
化粧棚の前、彼女の正面にぽんぽんと叩くように促され座る。すると彼女は膝立ちになり、僕の髪を束ねて撫でながらドライヤーを上からあてられる。
根本から毛先まですくうように。
「先輩の髪も綺麗なんですから、ちゃんと手入れしてくださいね」
「わかってはいるんだけれどね」
疲れて帰ってきてそのまま。
シャワーを浴びて、濡れたままの髪の状態でベッドにとかしょっちゅう。
六月の終わり。
ラストスパートに入ったら生活自体は悲惨なことになりそうだと、自分の事ながら思い浮かんでしまう。
もっとしっかりしなきゃなぁーと考えつつも、彼女の手に委ねるとあまりの気持ちよさにまぶたが落ちそうになる。
「眠たかったら寢っちゃっても良いですよ」
「んー」
どうしようかな。
まだ起きててやりたいこともあるしご飯も食べてない。
僕が悩んでいる姿を正面にある鏡越しに目が合った夏菜に笑われる。
「終わったら起こしてあげますから」
「いや、大丈夫。このまま君を見てたい」
「……ほんと、今日の先輩気持ちが悪い」
「キモいとか気持ち悪いとかならいいんだけど、気持ちが悪いは少し凹むな」
意味は一緒なんだけれど、伝わってくるニュアンスが全然違う。
丁寧に言われるほうが言葉の暴力として鋭い。
「褒めてますよ」
「ほんとかなぁー?」
「はい、本当です。嬉しいのは間違いないので」
「ならいいんだけどさ」
「そんなにむくれないでください。夕飯は先輩が好きな物にしてますから」
膨れた頬を彼女の手が突き空気を抜く。
「本当? ありがとう」
思わず振り返ろうとするが、彼女の手により固定されて身動き出来なかった。
うなだれる僕に彼女が髪を櫛に通し微笑む。
左右反対になった顔。
彼女にとっては馴染みの顔はこちらだろう。印象が変わるみたいな話をどこかで聞いたことがあるが、どちらの顔も可愛くて綺麗。
「子供なんですから、じっとしててください」
「ういっす」
※
夕食を食べ終えて、キッチンに並んで立つ。
僕が食器を洗い、彼女が拭き上げる。
二人分の食器、綺麗に磨かれるのにそんなに時間は掛からない。というよりは一人でやれる作業を二人でやっているおかげで短時間で終わってしまった。
エプロンを外さない僕を不審に思い、ソファに戻ろうとする夏菜の足が止まる。
計量器や温度計などを手にした僕に彼女が声をかける。
「もしかして足りませんでした?」
「いや、違う違う。今日も美味しくていっぱい食べたよ。ありがとう」
「いえ。なんども美味しいって言ってくれているし、顔がほころんでいるので理解していますが」
「ちょっと仕事のほうの練習をね」
彼女の前で何度も練習しているが、この時間、食後からやるというのは初めてか。
「見ててもいいですか?」
「勿論」
店の調理場とは違う。
オーブンの温度、室内の気温と湿度。
器具の癖に気を配る。
頭にあったイメージを手で作り上げる。
チョコレートケーキの王様。
ザッハトルテ。
チョコレートスポンジケーキにアプリコットジャムを塗り、更にチョコレートとフォンダンで作るショコラーデン・グラズュールでコーティングしたもの。
艷やかで宝石のように輝く黒。
何色にも染まらない彼女に合っていると思う。
職場とほぼ、材料がちょっと違うだけのものを作ってみた。
これは土台。
ここから更にイメージをわかせるために作っただけ。
冷やす工程をスッとぱした未完成品。
おまけにガトーショコラとフォンダンショコラも作ってみた。
ガトーショコラとは和製フランス語。
本来は焼いたチョコレート菓子の意味で、パスタみたいなもんだ。
日本人って言葉を適当に使いすぎだよなってちょっと思ったりもする。
出来立てでふわふわなスポンジにまだ固まり切っていないチョコのコーティング。
フォンダンショコラとガトーショコラの違いは、フォンダンショコラの中にガナッシュが仕込まれており、ケーキを切るとガナッシュがとろけ出てくる。
とりあえず有名な三つのチョコレートケーキを作ってみたものの、やはり見た目はザッハトルテが夏菜のイメージに近い。
「……」
「食べる?」
じっと見つめられる視線に耐えきれず、ザッハトルテを切り分けて勧める。
「あむっ」
「……」
今度は僕がじっと見つめる番になってしまう。
「甘い」
「だよね」
「勿論、美味しいのですが、先輩の好みとは違いますよね」
「だよねぇ……」
夏菜の好みともまた違う。
作る前からわかっていること。
チョコレートをふんだん使っているしね。
僕は甘い物が好きだけれど、彼女も勿論好きなのだけれど僕と同等は食べ切れない。甘すぎるのは僕たち両方苦手。
彼女のために作るのであれば甘さ控え目にするべきだろう。
アプリコットジャムなんかも甘酸っぱさがあるが、チョコスポンジにコーティングに使ったチョコもだいぶ甘い。
素材の甘さを引き出すうちの店ではフルーツケーキなんかは人気だけれど、こうした加工に加工を重ねるようなスイーツはたまに売れ残る。
でも僕が作ったこのザッハトルテよりもかなり美味しい。
その違いはなんだろうか。
「こっちの二つは冷やしておくから、春人さんたちと食べて」
「ありがとうございます」
残り二つのケーキを冷蔵庫に入れて、夏菜の使ったフォークで一口大に切り取り口へと運ぶ。
店のレシピとほぼ同じ。
試しに買って食べた時も割りと近い味わいだ。
余計に甘く感じるのはコーティングに使ったショコラーデン・グラズュールの量。一番甘いのはこの部分。もっと酸味の効いたアプリコットジャムも使用するべきだったかな。
コーティングが厚く、アプリコットジャムの甘さがクドい。
そして見た目はいいんだけど、ザッハトルテを作りたいわけでもない。
アプリコットジャムも美味しいは美味しいが彼女のイメージとも違う。
綺麗な見た目の内側に入ると甘くて優しい性格。
それを表現したい。
「先輩がこう悩むのって珍しいですね」
「いつも悩んでばっかりだけどね」
「いえ、自分や私のことで悩むことがあるのは知っていますが、こう一度作業に入ると完璧にこなしますよね」
「そっかな。でも、まぁ未知の領域だからな」
元あるものをトレースするのは時間は掛かるがやってやるだけの自信はある。
が、一から表現するとなると難しい。
「もしかしたら店に出せるかもしれないオリジナルを考えているんだけれど結構難しいね」
「凄いことになってますね。この短期間で」
「今回は下地があったからね」
ずっと春人さんに教えてもらっていたわけだし。
「それでも身につけたのは先輩の努力の証ですよ」
「ありがとう」
それはそれとして。
「明日ちょっと買い出しに行こうかな」
外出する予定はなく一日まったりとお家デートしようと二人で決めていた。
僕は大学とバイトで休日は少ないし、夏菜はこれでも受験生。
……夏菜の成績を考えると勉強する必要もないから、彼女もバイトばかりである。
「はい。いいですよ」
彼女の許可もおりた。
「ごめんね。すぐに帰ってくるつもりではあるから」
「……何を言っているんですか?」
「え?」
「勿論ついていきますよ」
「素材見つつ考えるだけだから、結構暇だと思うよ」
「真剣なその横顔を見たいだけなので」
「変わってるね」
「特等席で見れるのは、彼女である私の特権ですからね。その権利を使うだけです」
「そっか」
「それに私は先輩の隣にいるだけで幸せを感じる安い女なので、それでいいんですよ。これでいいんです」
向かい合って、手を取られ、見つめ合いながらそんなことを言われると顔が熱くなる。
「で、優しい優しい彼氏さんは、そんな彼女にご褒美とか」
「どこか安いんだよ」
「キス一つで」
「確かに安いね。でも、それじゃ僕のご褒美にもなるんだけど」
「じゃあキス二回ですね」
「あいよ」
歯止めがきかなくなる手前で唇を離して、唾液の橋を伸ばす。
「甘いキスでしたね」
いたずらっぽく微笑む。
「すっごいチョコの味」
「そんなこと言う人は嫌いです。いいじゃないですか本当に甘いキスなんですから」
ここまで相手の筋書き通りだったようで、不満そうな表情を見せることなく伸ばした背を戻して、肩に置いてた手も遠ざかる。
「先輩はこのまま続けますよね」
「うん」
「私はもう限界なので」
ちらりと見せたスマホの時刻。
すで二十三時を過ぎている。
「すみませんが先にお布団を温めておきますね」
「うん」
「では、無理しない程度にやってくださいね」
「うん」
「……絶対ですよ? 先輩のこういう時の返事は信用できないんですから」
「大丈夫。夏菜を心配させるわけにはいかないから」
「もう既に心配しているんですが?」
「……どうしようね」
どうしたらいいんだろうかと答えの見つからなさそうな問題に直面した気がする。
思考の迷路の入り口に立とうしたところ。
「じょ、冗談ですよ。そんなに考えないでください」
「そうなの?」
「先輩の頭の中は私で一杯ですね」
「そうだよ」
「……っ。おやすみなさい」
なんかツボに入ったらしい。
顔を赤らめて走るように寝室へと向かっていってしまった。
こと夏菜のことでは鈍感ではないので、彼女が何を思ったのかお見通しである。悪い感情じゃないのであればそのままにして、僕はエプロンを結び直し、冷蔵庫を再び開く。
一人暮らしにしては大容量。
今日は家にあるやつだけ試してみて、駄目だったら明日また考えよう。
スマホに自宅にあるジャムの銘柄をメモる。
駄目な理由を掛けるスペースまで用意した。
初めから成功とは思わない。
それほど強敵である。
お菓子も夏菜も妥協は許されない。
一人薄暗いキッチンに立ち、夜は更けていく。




