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夏の花①

「なんかお互いのこと褒め合いながら言い争っていた時は流石に驚いたね」



 夏菜のスマホをテーブルに置かれ、指をスライドさせる。

 薄暗い景色に青白い光。

 今日訪れた水族館の目玉とも言える、海の中のトンネルともいえる水槽。

 更にスライドさせるとふわふわと浮かぶクラゲたち。

 その間にあった出来事を思い出していく。


 彼らに追いつき追い抜いてもこちらに気づかない程に白熱していた。聞いちゃ悪いかなぁーとは思いながらも声の大きさからどうしても聞こえてしまう。従業員さんも困惑しているが止めに入らないのは優しさだろうか。中にはくすくすと笑っている人もいた。



「人の恋愛は見てる分には面白いですよね」

「人が悪いなぁー」

「私もいち人間なんで。人の不幸は蜜の味と言いますよね。……と、言ってもあれは微笑ましいですが」

「まぁーね」



 僕と夏菜は今日のデートを彼女の撮った写真を眺めながら、思い出せるだけ思い出しつつ会話に花を咲かせる。


 麗奈ちゃんと北山くんを通り過ぎて、突き当りにある休憩用のスペースに設置されているベンチ。子供連れの夫婦が席を立ったのが見えて入れ替わるようにして、僕らも手を繋ぎながら暫しの間休むことにした。

 離れて聞こえなくなった二人の会話。それでも未だに言い合っているのが表情から読み取れている。傍から見ればただの痴話喧嘩。



「いつまであちらを見ているんですか?」

「んー? いつまで続くんだろうって思ってただけだよ」

「隣にこんな可愛い彼女がいるのに放ったらかして見ることですか?」

「それもそうだね」



 夏菜でなければ自分で言うなよって否定するところだけれど、彼女ならば否定する気も起きない。と、思ったのだけれど否定した場合の反応が気になる。



「自分で可愛いって言うことか?」

「先輩にとって一番可愛いのは私」

「拍手」



 最初から用意していたかのような返答。

 その場の思いつきではなく、常日頃からそういう意識をしているのは知っている。僕もまた同じ意識をしているが、果たして期待に応えられているだろうか。

 比較するのは過去の自分。

 昨日の自分よりも今の自分が強ければ良い。


 他人と比較しても意味はない。

 他人は他人、自分は自分。

 羨望と嫉妬。

 どちらも僕を強くするもの。



「拍手より言葉が欲しいですね」



 と、甘えるように僕の肩を撫でる。



「可愛い。めっちゃ可愛い。今日の服、すっごい似合ってて魅力的すぎて困る」



 チャイナドレス風のワンピース。

 黒い生地に袖や首から下に真っ直ぐ伸びるのラインは水色。

 凝っているようで以外にシンプルな作り。

 これを着こなせるだけの器量が彼女にはある。


 珍しくストッキングは履いておらず素肌を晒している。

 本人は太いからあまり見ないで欲しいという、肉付きの良い太ももは隠れている。



「ぅう……。思いの外、攻めてきますね」



 なんで照れてるんだろう。

 自分で言葉を寄越せって言っておきながら。

 まぁ、そんなところも可愛いんだけれど。



「いつもカジュアルめな服装だから、ギャップもあって僕にガン刺さりだよ」

「襲いたくなりますか?」

「我慢してる」

「んふっ」



 満足そうにしながらも夏菜は距離を詰める。

 太ももと太ももが密着して隙間がなくなった。じんわりとデニム越しに体温が伝わってきて気持ちがいい。



「にしても、先輩も麗奈も自分のことを過小評価しすぎですよ。ファッションではやっぱり麗奈が頭一つ抜けてます。好きこそものの上手なれって言葉があるように、好きになるって一つの才能ですよね」



 気づいてないだけ。

 生きているだけで努力している。必要に迫られてもあるだろうし、麗奈ちゃんのように好きな物をもっと好きになりたいというのもあるだろう。それに、憧れに手を伸ばそうとするのも努力だと思う。

 自然と誰もが身に着けている。


 飽きる。

 諦める。

 勝てないと思った時、人は退化していくのかもしれない。



「僕が夏菜の事を好きになるのも才能?」

「いえ。私が先輩を好きにさせた才能です」

「口説いてる?」

「口説いてます」



 頬に暖かくて柔らかいものが当たる。

 可愛い音を立てると温もりが離れていってしまう。



「続きはまた今夜ですね」



 名残惜しいが場所が場所なので控える。

 続けるのは恋人繋ぎ。

 会話はゆっくりと凪いだ。


 揺れる赤茶色の髪がふわりとエアコンの風に攫われて、ほのかに薫るバニラムスクの匂いに全身で夏菜の存在を感じる。


 天井を仰いでいると、繋いだ手をしてにぎにぎと悪戯してくる。

 顔を覗き込むと微笑み、つられて僕も笑うのだ。


 整った空調、薄暗い室内で青い光が揺らめいていて、人々の起こす適度なざわつきに暖かくて小さな手のひら。

 次第に夏菜はうとうとと眠りに引き込まれていた。

 彼女の頭に手を添えて僕の方へと導いてあげる。この行動に夏菜は疑問すら浮かべず僕に身体を完全に預けて、うっすらと寝息を立て始めた。


 どのくらい時間が経ったのか、あちらの問題は解決したようで麗奈ちゃんがこちらを見ると、親指と人差し指で丸を作って見せてきた。夏菜の代わりに僕が小さく手を振ると麗奈ちゃんは頷いて少年のような北山くんの手を握り、次の水槽へと移っていく。


 足取りは軽やか。

 いい感じに落ち着いたらしい。

 左から右へと流れる魚の大群を目にしながら、夏菜の頭を撫でてひと時の休息は終わった。



「あ」



 夏菜がスマホを見ながら声を漏らした。

 意識は僕の部屋へ。


 スライドさせて映し出された写真には足湯のような水槽に素足になって突っ込む僕ら。角質を食べると言われているドクターフィッシュが体験できる場所だった。

 なぜだか僕よりも夏菜のほうに群がる小さな魚たちが多くて、ぞわぞわとしたくすぐったさに喘ぐ彼女を思い出した。



「このときの夏菜の声ちょっとえろかったよね。他のお客さんにもすっごい目で見られてたし」

「私としては、自分の足が臭いんじゃないかと思って恥ずかしかったですけどね……」



 濡れた足を拭うのを忘れて、その後すぐに僕に「私の足臭いですか? 臭くないですよね?」と涙目になりながら、思い切り僕の鼻に足を向けていた。そのせいで注目を余計に集めることになってしまった。



「夏菜の足がたとえ臭くても、僕は夏菜の事好きだけどね」

「私を好きなのは当然ですが、なんの慰めにもフォローにもなってないです。それ」

「……そっか」



 女の子を喜ばせる言葉って難しいね。



 ※



 ゴールデンウィーク中にあった休みは二日だけで、それからはバイトバイトの連続。

 思考も休みから、見習いモードに切り替わる。

 連休の最後は定休日と重なり最後の休みになっている。

 今日を乗り越えれば、夏菜と二人きりの時間。


 へとへとになりながら帰宅する。

 アパートの自分の部屋から光が溢れており、少し開いた窓から食欲を誘ういい香りが漂ってくる。

 帰ってきて誰かがいるという安心感。


 扉を開けるとキッチンからひょっこり飛び出してきたエプロン姿の夏菜が「おかえりなさい」と言ってくれる。



「どうしたんですか? にやにやして。良いことでもあったんですか?」

「良いことか……。そうだね、帰ってきたら夏菜がいたことかな」

「なんですか。そんなことが良いことなんですか? 安いですね」



 挑発するように舌を出し、怪しげにこちらを睨んでくる。

 捕食者の顔つき。



「まぁーね。僕にとっては値段のつけようのない事だから、何言われたっていいんだ。帰ってきたら好きな人が待ってくれているってどんなに幸せなことか」



 独りに慣れて、僕を知ってくれている人が傍にして、家族の温かみを知り、また一人になった僕だからこそ言える。


 ふーんと口に出して、あっさりと引き下がる引っ込む夏菜だったけれど、その耳が薄っすらと染まっている。姿がないまま言葉が続き「お風呂湧いているので先にどうぞ」と、一緒に生活してる実感。

 このゴールデンウィーク中の限定。

 もっと続いて欲しいと思うのと同時に、離れて暮らすことで夏菜という存在のありがたさを同時に味わう。



「一緒に入る?」



 と、冗談めいて言ってみる。



「あー……、はい。……お邪魔します。着替えは私が持っていくので先に入っててください」

「まじかー」

「言葉にした責任は取ってくださいね」

「うっす」



 ちゃぽんっと天井から落ちてきた雫が水面を叩いて音を立てる。

 波紋が広がる様を眺めていると、脱衣所から物音が聞こえてそちらに視線を映す。磨りガラスの扉に女性的なシルエットを映り、見えない物を見ようとする。

 ちょっと想像力が掻き立てられて。



「なんかもにょもにょする」



 顔を湯船で何度も洗う。

 そんな気分ではなかったのに。

 妙な緊張もしているし。



「なんですか、その変な言葉」

「あー、ってもう入ってきちゃったんだ」

「えぇ。身体も流しましたから、ちょっとつめてください」



 と、僕が動こうとする間もなく股の間にお尻が入り込む。



「思ったより狭いですね」

「そりゃー夏菜のお……。いや、なんでもないです」



 僕も成長している。

 思ったことをこうやって途中で止めることを覚えた。



「良かったですね。それ以上言っていたら先輩の性が干からびるところでした」

「口を縫うとかじゃないんだ……」

「それだと私の料理食べて貰えないですし、舌を絡ませることも出来ませんから」



 腹上死という可能性があるため、夏菜のお仕置きのほうが怖い。

 でもまぁ、好きな人と繋がれたまま死ぬっていうのはある意味幸せなのことなのかもしれない。



「うーん」

「どうしたんですか? やっぱり前にズレたほうがいいですか?」

「いや、大丈夫。なんなら僕の太ともに乗ってくれてもいいし」

「それじゃあ、ちょっと失礼します」



 夏菜のお尻の位置が変わる。

 密着度が増す。



「それで、何を考えていたんですか?」

「好きな人と繋がったまま死ねるってある意味幸せなんじゃないかと考えていただけだよ」

「また変な事を……。どういう理屈でそうなったかは知りませんが、看取る側はたまったものじゃないと思いますよ」

「そりゃそうだ」



 ごもっとも。

 僕に親はいないから別にいいけれど、春人さんと冬乃さんへの説明に困りそうだ。

 サキュバスか何かだろうか、夢の中ならまだいいが現実だとかなり悲惨。



「先輩はどっちですか? 先に亡くなりたいですか? それとも最後まで看取りたいですか?」

「考えたことなかったなぁー……」



 話の方向性が少し変わる。

 僕の馬鹿みたいな想像から少し真面目。



「私はありますよ。この幸せがいつまで続くのかなーって考えると、その先まで考えて眠れなくなってしまったことがあります」

「心配しなくても、僕は死なないし夏菜も死なせないよ」

「んふっ。嬉しいこと言ってくれますけれど先の話です。おじいちゃんおばあちゃんになった時の」



 遠い遠い先の話。

 でもいつか来る未来の話。



「僕らの間に子供はいないから、その前提でいいなら答えるけれど。子供出来たら考え方変わるかもしれないし」

「そうですね。それでいいです」

「考えるから少し待ってね」

「はい。時間はたっぷりありますから」



 簡単のようで結構難しい。

 先に死ねば確かに楽だけれど、夏菜が先程言ったような残された側の気持ちを考えると死ねない。後で死ぬのは単純に愛している人間がこの世からいなくなって一人になる。今までの思い出を胸になんて簡単に言えるけれど、思い出よりも夏菜が隣にいるほうが何倍も嬉しい。

 そんな辛いことを考えると、まだ膝に座っていて体温を感じるのに寂しくなって思わず力強く抱きしめてしまう。



「考えていることバレバレです」

「これ、考えるまでもなかったね」

「へぇ。それでどっちなんですか?」

「どっちも嫌だ」

「んふふっ。あははっ、んんっ……あぁー、すみません。まさか子供みたいな返答だと思わなかったです。心優しい先輩だから、同じ気持ちを味あわせたくないからって看取る方を選ぶのかと想像してたんですが。まさかどっちも嫌。んふっ」



 手をバタつかせ、湯船がばちゃばちゃと弾ける。



「なんだよ。本当にどっちも嫌だからな」

「いえ、そうですね。むしろそっちのほうが優しいのかもしれませんね。死ぬところを見たくない、死んだ後悲しませたくない。はい、それでこそ先輩です」

「馬鹿にしてる?」



 ちょっとムカついたので湯に浮かぶ大きな胸を揉みしだく。

 最近、僕の嫌がらせがセクハラが多くてちょっと悲しくなってきた。

 かといって彼女に対して何の反抗にもなってなかったようで、夏菜はちょっとだけ身じろぎし甘い吐息を吐くだけで笑いを止めなかった。



「いえいえ、褒めてますよ。これは私が悪いです。絶対にどっちかとは言ってませんでした」

「で? 夏菜はどっちなのさ」

「私ですか? 私は決まってますよ。先に逝きたいです」

「それは?」

「私、我儘なんです。先輩に看取られて幸せを感じたまま逝きたいです。先輩が悲しい想いをするでしょう。でもそれが嬉しいです」

「ズルいな」

「はい。知ってます」



 身体が温まったあたりで湯船から出て髪を洗う。今はもう夏菜と同じシャンプーやボディソープを使っているから同じ匂いがしているはずだけれど、夏菜は相変わらず甘くて優しく温かみがあり、そして官能的な香り。不思議なこともある。


 スポンジを手に取ろうとすると目の前で奪われて強制的に風呂椅子に戻された。

 夏菜に背中を洗ってもらいながら、会話の話題を変える。



「調子はどう?」

「私はいつでも万全ですよ。一つ困ったことがあるとしたら、そろそろテーマを教えて欲しいところですね」



 勝負の内容、調理。

 漠然と調理といっても色々ある。

 評価するにもそれに沿ったものが好ましい。



「勿論はそれは考えているよ」



 僕らの夢の先、繋がるところは一緒。



「カフェのメニュー。いつか僕らが作り上げるお店に出す物かな」

「なるほど、私たちにぴったりですね」

「うん」

「良かったんですか? もう少し小賢しく隠しておいても良かったのに」

「いいんだよ。正々堂々となんて言うつもりはないけれど、夏菜としてもなんとなく気づいて準備してくるでしょ」

「まぁ先輩が関係ないところの議題を出すとも思えませんし、こと勝負に限って」

「信頼されてるなぁ……」

「えぇ。負けるつもりはないので、婚姻届書いておいて待っていてください」



 負けないと言い切らないのは僕に対して警戒しているから。

 自信を持ちながらも油断をしないという現れ。

 それでも負けないと言い切る場合は、相手の力量を正確に計って圧倒的な実力差がある場合のみ。


 例えば中学のバスケ。

 あの時は散々、絶対に負けませんと言っていた。

 引退間近になるにつれてその絶対は消え、負けないとだけ。


 油断してくれていたほうが勝てるかもしれないが、そんな夏菜に勝ったところで自分の自信にもならない。

 本気でやりやってこそ、楽しいのだ。



「今回は負けないよ」

「それ。いつも言ってます」

「まぁ見てなって」

「んふっ、期待してますね」



 僕としてもほぼ毎日のように夏菜の料理を食べている。

 だから実力は大体把握出来ている。

 完全に同じ土俵で戦うのであれば、勝てる見込みは一切ない。

 天才が努力して完全無欠。

 隙きがない。

 だから同じ舞台でありながら、別のステージに上がる。


 同じ球技でもハンドボールとバスケットボールぐらいの違いでしかないが、戦う場所は全く違う。どちらが優れているわけでもなく、どちらが劣っているわけでもない。

 今回はカフェという舞台があるからこそ成り立つルール。



「というか、夏菜」

「はい?」

「背中だけじゃなくて全身洗おうとしないで」

「バレましたか」



 悪びれる素振りも見せず無表情のまま泡が良く立ったボディスポンジを手渡された。



「しかし、もう夏か」



 夏菜との勝負以外にも頭を悩ませる物が一つ。

 新作メニューコンペ。

 と言っても僕と今泉さんしかいないが。



「夏と言えば?」

「私ですね」

「……」

「何か言ってくださいよ。冗談でもないんですけれど、無言だと恥ずかしいじゃないですか。私がボケたみたいで」



 盲点。

 なんで気づかなかったんだろう。



「夏菜」

「はい」

「好き、大好き。愛してる」

「えっ? え? 何? どうしたんですか」



 自分の状況を忘れて振り返り、そのまま抱きつく。

 これでもかっていうほど口づけをして、痕まで残す。

 慌てている夏菜の手を握り、上下にぶんぶんと振り回した。

 


「やっぱり夏菜は僕の勝利の女神だね」

「なんなんですか……」



 説明をしない僕に呆れながら、夏菜は抵抗せずされるがままだった。

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